22 ドラゴンさん、決着をつける
22
小さな影が目に入った瞬間、背筋が凍る思いだった。
僕とドラゴンの間にあるのは音と音のぶつかり合い。
ここにいて無事なのは、人間の体だけどなんだか強い僕と強い体を持つドラゴンだから。
ただの人が入り込んだらひとたまりもない。
「危な――あぁっ!」
思わず声を上げてしまって、失敗に気づく。
声を止めてしまえば、ブレスに飲み込まれ――ない?
いつまで待ってもブレスに襲われない。
当然、目の前に立った人影もだ。
人影に手を伸ばしたまま辺りを見回す。
ブレスの音のせいで感覚がおかしくなっていたから気づくのが遅れたけど、人影が飛び込んできたのと同時に音が止まっていた。
大音量に支配されていた広間は、耳が痛くなるほどに静かだ。
これ、ドラゴンがブレスを止めたの?
そんな中、人影が振り返ってくる。
その声はよく知っていたけど、不思議と重なって聞こえてきた。
「『まったく、ひどいじゃないですか、レオン! わたし、ちょっと怒ってるんですよ!?』」
僕の胸ぐらいまでしかないその人は真っ黒だった。
まず髪が黒い。
目が黒い。
服が黒い。
それから猫耳としっぽも黒い。
肌が白いせいでそういった黒がより強く目立って見える。
あと、黒いオーラがまるでローブみたいに漂っていた。
……あれ?
「誰?」
『「あら、冷たいわね。あんなに熱烈に求めておいて」』
やっぱり変な聞こえ方がするけど、僕の知っている声だ。
でも、僕の知っている人とちょっと姿が違う気がする。
「えっと、シアン? ノクト?」
「『わかっているじゃないですか! まったく、あなたの大切なわたしがわからないなんていけませんね! ほら、ちゃんと覚えておいてくださいよ、この美しくも、優しく、大魔導使いであるシアン・セルシウス・ブリューの事を!』」
そういってシアンを名乗る黒い小さな女の子は、僕の手を取って握ってくる。
彼女がシアンだというなら、この姿はどうしたんだろうか?
もしかして、シアンも僕みたいに形が変わったりするのかもしれない。
けど、だとしてもノクトの姿が見えないのはどうして?
頭を悩ませていると彼女が手をぎゅっと強く握ってきた。
どうしたんだろうと見ていると、段々とほっぺを膨らませ始める。
これは機嫌が悪いのかも?
そこまで考えて思い出した。
シアンに返事をしていないせいで、無視してしまった感じになっている。
「その、ごめんなさい。忘れない。ちゃんと覚える。あと、ごめん。心配させて」
謝るとすぐにシアンは満足そうな笑顔に戻る。
「『ええ。いいでしょう。わたしは優しいですからね。今回は特別に許してあげます』」
「……ありがとう。本当に、ありがとう」
勝手な事をしてしまったし、すぐに友達の事を気づけなかったのに、シアンは許してくれるという。
今までの自分の失敗を思い出して、嬉しいやら、情けないやらでなんだかちょっと泣いてしまいそうだった。
「『あ、ちょっと、そんな泣かないでくださいよ! ほら、平気ですから! あ、いえ、それはちょっと嘘かもしれません。置いてきぼりにされたのはちょっと悲しかったです。でも、そう! ちょっと! ちょっとですから! それに謝ってくれましたしね! ああ、もう! そんなにカッコいい恰好なんですからシャンとしてください! それにしても、近くで見ると本当にかっこいいですね、その腕と翼……』」
あたふたとしながらもシアンはなぐさめて、はげましてくれる。
本当に素敵な友達だ。
僕はもっとシアンに感謝しないといけない。
心の中で気持ちを改めていると、シアンの話し方が急に変わった。
『「おバカさんたち。いまいち噛み合ってない感動の再会はそれぐらいになさいな。今は仕切り直しただけでしょう」』
これ、やっぱりノクトがしゃべっているの?
でも、声はシアンの口からしていて、一人と一匹の声が重なって聞こえてくる。
『「疑問も後。まずはあの得体のしれないドラゴンをどうにかするべきじゃないかしら?」』
そうだ、忘れてた。
慌てて広間の奥を見ると、ドラゴンは大口を開けたままだ。
その目は相変わらずの恨みで満ちていて、僕の事をあきらめていないのが一目でわかる。
けど、それならどうしてあいつはブレスを止めているんだろう?
「『レオン。あいつの音のブレスならわたしたちが止めています』」
ブレスを止めている?
シアンとノクトが?
いや、仮にもドラゴンのブレスだ。
いくらシアンがすごい魔導を使っても、あれを止められるとは思えない。
だけど、実際にドラゴンからのブレスは止まっている。
ドラゴンは何度も口を開いては閉じて、大量の魔力を集めては放とうとしているけど、それが音となる事はなかった。
『「今はあたしたちを信じなさい」』
「『ドラゴンと戦っているなんて思いませんでしたし、本当ならわたしたちでも止められなかったはずですけどね』」
シアンが手を広げると、彼女の足元から目に見えない何かが広がっていく気配を感じた。
どこかその気配は十字型の棘で噛まれた時の感覚に近い気がする。
「『音。揺れ。波。ええ、相性がいいおかげで、止められます』」
『「けど、時間はあまりないわよ。こっちは気にしないで一発で決めなさい」』
うん。シアンとノクトが何を言っているのかわからない。
わからないけど、確かに音のブレスは止まっているんだから、それだけで十分。
なら、僕は決めたとおりにしよう。
「ありがとう。シアンとノクト、大好きだ」
「『スキっ!? 告白!? 告白ですか!? ど、どうしましょう。確かに今のレオンはちょっとカッコいいかもですけど、出会って一日でなんてふしだらですよね』」
『「ああ、もう。この子は免疫がないんだから……」』
そんなやり取りを背中に聞きながら、僕はドラゴンに向けて歩き出した。
接近に気づいたドラゴンはブレスを諦めたのか、体の再生に力を集めようとしている。
いや、それだけじゃない。
頭の後ろに気配が現れる。
「『レオン、後ろです!』」
シアンの声が聞こえた時には足が噛まれていた。
けど、もう噛まれるのには慣れている。
翼を振って棘を破壊しながら、そのまま足は止めない。
その後も棘がどんどん出てくるけど、翼を振り続けていれば壊せる。
壊してしまえば連続で噛まれる心配もない。
噛まれるとわかっていれば走ったままでいられる。
傷だってすぐに治る。
なら、何も問題はない。
深く呼吸をする。
ダンジョンに漂う濃いマナを吸い込み、胸の内で生命力と魔力に転換。
一度じゃ甘い。二度、三度、四度、五度。
想像以上に生まれるのは相変わらず。
けど、多いなら多いだけ威力は上がる。
「あとはどうやって倒すか」
相手は首を落としても生きていた。
体を粉みじんにすれば倒せるとは思うけど、それだけで足りるだろうか?
なにせ、相手の体は僕の体だったそれ。
粒みたいな状態からでも生き返るかもしれない。
「『レオン・ディー!』」
僕の迷いに気づいたのか、シアンとノクトが声を重ねてくる。
『「あなたは元ドラゴンでも、今は人間よ。人間になったのなら、人間らしく考えて、技を工夫なさい。力任せにぶつけるだけじゃないでしょう?」』
ノクトの言葉。
人間らしく。
そうか。そうだね。確かにそうだ。
せっかく、人間になったと喜んでいながら、僕はまだドラゴンのつもりでいた。
僕が元ドラゴンなのは確かで、この魂魄がドラゴンのものなのも事実だけど、僕は人間になりたいと願っていたんだ。
なら、そうやって生きないと嘘じゃないか。
工夫。
人間は色々と考えて工夫する。
「ああ。こう、だったかな?」
思い出したのはシアンの魔導。
濫喰い獣王種の時、最後に使った水の箱。
あれはただの水じゃなくて、たくさんの水を集めて、集めて、集めて、小さく小さく小さくまとめて、それから一気に放っていた。
だから、僕の奥義もそうしてみればいい。
持ち上げた右手の先。
ありったけの生命力と魔力を集める。
そこから生み出すのは重さの力で、それらを一点に押し固めて、真っ黒な形を生み出した。
魔闘法――竜人撃:圧海竜『底なしの黒い箱』
「じゃあ、さようなら」
牙をむくドラゴンに別れを告げたのが合図になった。
直後、強烈な風が吹き荒れる。
最初は空気。
次に砂。
続けて、石や破片や結晶。
軽い物からどんどんと。
広間の全てが箱の中に飲み込まれていった。
そこに例外はない。
再生を途中だったドラゴンは爪と牙で地面に食いついていたけど、それもたちまちの内に地面ごと浮かび上がる。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」
ドラゴンは最後の瞬間まで何かを口走っていたけど、そんな言葉さえも飲み込まれて届かない。
始まりから終わりまで。
またたき五回分の時間の出来事だった。
最後に手のひらを握りしめれば、それだけで黒い箱は消えて後には何も残らない。
「さよなら……僕」




