1 ドラゴンさん、起きる
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最初、目に映ったのは岩の天井だった。
天井の位置は高いのが一目でわかる。
いかにも堅そうな岩壁には、うっすらと青い光を放つ鍾乳石がいくつもぶら下がっている。どれもが大人の身長ぐらいありそうだ。
その間を薄っすらと漂うのは、霧とも雲ともつかない白い靄。
鍾乳石の影が青い光に浮かび上がり、なかなか幻想的な光景だった。
きれいだなぁとぼんやりと眺める事、しばらく。
「……?」
ようやく違和感に気付いた。
まばたきを二度、三度。
「え?」
今度は戸惑いが『声』になって出た。
「僕、生きてる?」
確かに迷宮を道連れに、自爆したはずなんだけど、どうなってるんだ?
ありったけのマナを暴走させたのだから、絶対に助からない。
それは『あの人』がやってみせた方法なのだ。間違いなかった。
集めたマナを変換したのは、生命力でも、魔力でもない。ただ触れるもの全てを滅ぼし尽くすという、単純明快で、それだけに強大無比なエネルギー。
破壊の渦として溢れた力は、迷宮ごと自身の体も一緒に消滅させるという自爆技。
しかし、どう考えても僕はこうして生きているし、痛いとか苦しいとかもない……。
「あれ?」
体に変なところはないかと考えたところで、再び気付いた。
変なところはないか、じゃない。変なところしかないじゃないか!
「え? あれ? なに、これえっ!?」
驚きの『声』にますます混乱が酷くなる。
だって、おかしい。
僕は竜だ。
『あの人』から色々と教えてもらったりしたから、人の使う言葉ぐらいは理解できたりもして、もしかしたらちょっと普通じゃないかもしれないけど、それでも竜なのだ。
人間みたいに言葉を話せたりはしない。
グルグル、キュルキュルみたいな鳴き方しかできない。
慌てて体を起こそうとして、今度はもっと酷い違和感に襲われて、止まる。
「ええっ!?」
いつもの首を巡らせる感覚がない。もっと短い、というか、足りない。首が。九本ぐらい足りない。
それに仰向けになっているのに、背中の翼や、腰の尻尾が潰れている感触もない。
そもそも手足が変だし、胴の長さも変だし、なんだか鱗も変だし、口の中も、物の見え方も全く違っている。
「何が起きて……?」
改めて、今度はゆっくりと体を起こしてみる。
自分のものじゃないみたいな体だし、違和感はやっぱりひどいままだけど、不思議と思ったように体は動いてくれた。
そうして見えてきたのは、まったく見覚えのない自分の体だった。
鱗のない肌色の手足。
細くて、細かい、繊細な指。
頼りない感じもする胴体。
僕はこんな体を持つ生き物を知っていた。
「にん、げん?」
そう、これは人間の体だ。
『あの人』とは少し違うけど、間違いない。
あの、憧れていた人間に、僕はなっている?
「やったーーーーーーーっ!!」
歓声が高い天井に反響する中、僕は新しい手足をにぎにぎと開いたり閉じたりして噛みしめる。
この見慣れない体は、確かに僕の意思で動く。間違いない。
何がなんだかよくわからないけど、僕は人間になっていた。
頭のどこかで『夢なんじゃない?』とか『理由もわからないのに喜んでいいの?』とか色々と考えてもいるけど、それよりも嬉しいの方が強くてどうでもよくなってくる。
思えば『あの人』がいなくなってからの何十年も一匹だけだった。
前の僕は竜だったから怖がらせてしまったけど、人間になった今なら怖がられたりしないよね?
これなら、これからは色んな人とお話したり、触れ合ったりできる。
「あ、あー、あー、ん、こんにちは! うん、大丈夫だ。ちゃんとしゃべれる」
言葉なんて初めて使うはずだけど、問題なかった。
『あの人』が話していたのと同じように話せる。
ちょっと慣れない感じはするけど、少なくとも身動きも取れないなんて事はなかった。普通の人と同じだ。
そうとわかったらすぐにでも人と接したくて、辺りを見回した。
「誰か! 誰か、いるー!? 僕はここにいるよ! ここに、いるんだ、よー……」
興奮のまま叫んだ声が反響になって返ってくるだけ。
ちょっと恥ずかしくて、ちょっと寂しい。
近くに誰もいない、のかな?
前はなんとなく辺りにいる生き物の気配とかわかったんだけど、今はふわふわしてわかりづらい。
人間の体は竜より目も鼻も耳もあまり感じ取れないみたいだ。
それも仕方ないのかな。なにせ、前は頭も首も十個もあったのだから、その十分の一になってしまえば、不便になってしまうのは当然か。
それにしても、ここはどこなんだろう?
最初に見た天井は相変わらず青く光っている。
左右を見れば天井と同じ岩壁で、足元もごつごつして、大きな岩だらけだった。前と後ろには薄暗い道があって、その先は見渡せない。
人間の体からすると、ちょっと広い洞窟、何だと思う。
当然、竜の巨体が入れる場所じゃない。
どうして僕はこんな所で寝ていたのだろうか?
「どこなんだろ?」
見覚えはない。
僕が住処にしていたのは森だったし、竜の僕が入れるような大きな洞窟は近くになかったから、洞窟そのものに見覚えがないんだけど……って違う。
ひとつだけ知っている洞窟があるじゃないか。
最後の記憶を思い出す。
帝都に近い荒野に突然現れ、大量の魔物を生み出した大穴。
太陽の光も届かない地の底に生じた空間。
「もしかして……ここって迷宮?」
それなら僕がここにいるのも納得できるけど、それだと僕の自爆は失敗してしまった事になってしまう。
そこまで考えたところで、なんだか体が冷たくなった気がした。
これが血の気が引くってやつかもしれない、なんて感動している場合じゃない。
もしも、ここが迷宮だとしたら、僕の自爆が失敗していた事になる。
人間になってしまった理由はわからないけど、こうして僕が生きているのも自爆が失敗した証拠のような気がしてきた。
「やばい……」
あんなに魔物が出てくる迷宮が放っておかれていたとしたら、『あの人』の守りたかった街はどうなっているのか?
竜の中でも特別だった僕でも倒しきれなかった魔物の群れに、あの街の人たちが勝てるとはどうしても思えない。
もしかして、迷宮から溢れた魔物に街が滅ぼされちゃった?
だとしたらそれは『あの人』との約束が守れなかった事を意味している。
「ど、どうしよう!」
気になる。
すごい気になる。
あんなに頑張って、嫌なのも我慢して頑張って、最後の最後まで頑張ったのに、全部無駄だったなんてあんまりだ。
何より、約束した『あの人』に合わせる顔がない。
いや、もう完全に別の顔になっちゃっている、のかな? 顔だけ竜のままとかじゃないよね? そんなんじゃ人間と仲良くなんてなれそうにないから嫌だなあ。
違う。そんな事は後回しでいい。それよりも今は確認しないと。あの帝都がどうなったのか見に行くんだ。
もしも、ここがあの迷宮なのだとしたら、帝都はすぐ近く。
まずは迷宮から脱出しよう。
「……出口、どっち?」
僕は洞窟の真ん中で途方に暮れてしまった。
次話は明日の18時です