18 ドラゴンさん、とまどう
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白い扉の向こう側に何があるのか、僕は知らない。
あそこだけここまで通ってきたダンジョンの様子と違うから、この先が特別なのはわかるけど、それだけだ。
耳を澄ますと何かの足音らしいものが聞こえた。
だんだんと辺りが揺れ始めている。
どこか聞き覚えのある、いや、聞きなれた咆哮も届いてきた。
その咆哮の正体を思い出そうとした時、白い扉が吹き飛んできた。
巨大な扉がそのままの姿で飛んでくる様子は、まるで壁が迫ってきているようにも見えた。
それを僕は右腕の一振りで切り裂いて、翼の羽ばたきで辺りに吹き飛ばす。
「GURURURURURURURURURURUっ!」
再びの、けど、今後は直接届いた吼え声が押し寄せてくる。
空気をびりびりと振るわせて、衝撃でわずかに体が揺れた。
「ふぅん……」
驚いた。
そう、揺れたんだ。
さっきの像のモンスターにいくら殴られても揺れなかったのに。
翼を通して流れ出している魔力が空気を捕まえて、僕の体を支え、自由に運んでいる以上、ちょっとやそっとじゃ動かされたりしないはずなのだ。
けど、それが動いたというなら。
それは僕の翼の魔力に届いている証拠だった。
今までよりも強い魔力を翼に通して、揺れを止める。
落ち着いた視界に映るのは、一匹のモンスターの姿だった。
扉がなくなった空洞から飛び出して、今は前かがみの姿勢で僕を睨んでいる。
「……?」
その姿に驚きよりも、変な感覚を覚えた。
なんと言えばいいのか、そもそも自分の気持ちが自分でもよくわからないのだけど、なんというか、その、そうだ。
「気持ち悪い」
そんな感覚が一番しっくりくる。
あるべきものがあるべきところにない。
いや、それよりももっと強い感覚。
まるで、当たり前が当たり前じゃない。
掴んだ物を手放したら下に落ちるはずなのに、それが上や横に飛んでいくとか。
一匹のネズミがドラゴンを倒すとか。
それぐらいの変な感じ。
見ているだけで胸がむかむかして、気持ち悪くなってしまう。
別にそのモンスターの姿が気持ち悪いわけじゃない。
濫喰い獣王種と比べたら、自然の生き物としてはごく普通と言ってもいい。
頭がひとつ。
前足と後ろ足が二対で合わせてよっつ。
翼が一対に長い尻尾。
太くて強そうな巨体。
全身を覆う黒と黄による二色の鱗。
珍しいところがあるとすれば、頭の後ろのあたりに生えた棘が十字を描いている事ぐらいだろうか。
そう。
ごくごく普通の『ドラゴン』だ。
「お前は?」
「GURURURURURURURURURURURURURURU」
問いかけには威嚇が返ってきた。
そこに込められているのは怒り、憎しみ、悲しみ、それらが混じり合った殺意。
同時に来た。
翼を広げ、太い足が地を蹴る。
それだけで僕とドラゴンの距離がゼロになった。
さっきの像のモンスターとは桁違いの速度。
当然、その威力もだ。
正面から受け止めれば、僕の体は弾かれるように後ろへと飛んでいく。
空気を掴んでいた翼の感覚がちぎれて、元に戻すのも間に合わない。
翼を振って体を回し、僕は地面に足から着地する。
そこへ再びの突撃が来た。
しかも、今度はさっきの頭からの突撃じゃない。
目に映ったのは閉じられていく巨大な口と鋭い牙の群れ――噛みつき。
「僕は……」
ドラゴンの牙が噛み合う。
けど、その内側に僕はいない。
その前にドラゴンの上あごを右腕で止めたからだ。
ドラゴンの体の事なら、僕は誰よりも知っている。
こうなればドラゴンの牙は届かない。
体を通り抜けていった衝撃で地面が砕けるけど、僕の体には痛みはない。
間近で見るドラゴンの目は僕を睨み続けていて、深い殺意だけが渦巻いていた。
「なんなんだって聞いているんだけど?」
「GIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!」
問いかけるたびに殺意が濃くなっている。
ドラゴンは何度も吼えて、牙を鳴らして、体当たりを繰り返しては、僕への怒りをぶつけてくる。
地面が砕けて、少しずつ体が後ろへと運ばれてながら、僕は考え続けた。
このドラゴンはなんなんだろうか?
僕を殺したがっているのだけは間違いないという事は、こいつは僕の事を知っている?
しかし、僕はこんなドラゴンを見た事がない。
だけど、知らないドラゴンだとも思えなかった。
だから、気持ち悪さだけが増えていく。
「知っているドラゴンなんてほとんどいないし、お前はそのドラゴンでもない」
それは間違いない。
ドラゴンだった時に遭遇したドラゴンは敵だったし、襲われたから返り討ちにしていた。
なら、このドラゴンはその時に倒したドラゴンの子供だろうか?
「それも違う気がする」
はっきりした理由があるわけじゃないけど、そんな気がした。
そもそも、今の僕は人間の姿なんだ。
親の仇として狙うなら、話が合わない。
なら、どうして、このドラゴンは僕を殺したがっているのだろう?
「わからない」
そして、何よりも気持ち悪い。
わからないまま耐えるのも限界だ。
ドラゴンの突撃に合わせて右腕を叩きつけると、空に強烈な衝撃が走り抜けた。
僕はその場にとどまったままで、ドラゴンはその頭が跳ね上げる。
単純な威力なら僕の方が強いのがわかった。
「GIYAAAN!」
上あごを傷つけられたドラゴンは無防備に腹を見せている。
そこへ僕は持ち上げた右腕を下ろした。
その手には生命力と魔力を合わせている。
魔闘法――竜王撃:破岩竜『真竜の閃爪』
鋭く、硬く、長い爪。
人間の持つどんな武具よりも強い爪を、さらに強化した一撃。
それはドラゴンの左肩から入り、胸と腹を裂き、右足を跳ね飛ばした。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!!」
雄たけびとも、悲鳴とも取れない吼え声。
続けて重たい音を立てて、ドラゴンが背中から倒れこんだ。
思わず顔をしかめてしまう。
敵を倒したはずなのに、胸の中は気持ち悪さでいっぱいだった。
「なんなんだよ、お前は……」
「GURURURURU……」
三度目の問いかけに返ってきたものは同じ憎悪だけ。
倒してみてもドラゴンの正体はわからないまま、気持ち悪さだけが残って、答えが手に入りそうな気配もない。
僕は思わずため息をこぼしてしまった。
その瞬間だった。
「――っ!?」
左肩に強い熱が走った。
続けて、ひどい刺激。
体の中をみしりと抜けて、頭の奥で爆発する。
それは痛みという感覚。
見れば、僕の左肩が深く切り裂かれている。
まるで巨大な獣に噛みつかれたみたいに。
みっつの牙痕が刻まれていた。
そのすぐ近くには白い十字型の棘が浮いていた。