174 ドラゴンさん、飛び立つ
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びっくりしたし、いたかった。
ドラゴンの僕がこんなになるのなんて五百年ぶりだ。
あの時はいっぱい、いっぱい、いっぱいモンスターと戦ったせいでボロボロになっちゃったけど、今は一回だけでこれ。
やっぱり、『あの人』はすごいんだなあ。
ブレスの後だったのもあって、とても痛い。
でも、もう治った。
「GAAAっ!」
近くにいた『あの人』に頭を突っ込む。
五つ、いっしょに。
「ちょっとそれは卑怯じゃない?」
ピョンっとはねてよける『あの人』はこまった顔。
ひきょう?
よくわからない。
ただ、僕の体は前よりももっと強くなっているから、ケガをしてもすぐに治ってくれるからいい感じだ。
マナを吸って、生命力と魔力にして、翼を広げる。
もう叩かれたのも、爆発したのもない。
痛いのもどこにもない。
きっとそれは『あの人』もいっしょ。
セフィラとデミセフィラ。
どっちもすごい力を持っているから。
ほら。ボロボロだった手をニギニギしている。
「今のワタシも卑怯かもしれないけど、キミには劣るよ。これだって見た目だけ整えただけだし。うーん。最強のドラゴンというのは伊達ではないね。気は進まないけど、やっぱり正面から戦うのはよくないか」
ほめられた。
いつもならやったーって思うけど、今はそうじゃない。
僕から離れた所で『あの人』が構える。
でも、すぐにはやってこない。
どうしたんだろう?
ケガしたから休んでいるのかな?
ドラゴンブレスを止めて、曲げたのはすごかったけど、それでも両手はボロボロになっていたもんなあ。
けど、それはもう治ったように見えるけど?
「しかし、いいのかな?」
ふしぎに思っていると、『あの人』が聞いてくる。
いいって何が?
むずかしいのはよくわからないんだけど……。
「ヒントは、場所だよ」
場所?
空から下に落ちて……ここは、どこ?
僕はふたつの頭をグルって回す。
そして、ビクッて体が固まった。
あまり木も草も生えていない、砂と土と石と岩ばかりの場所。
そんなのがずっと広がっているのだけど、僕の後ろの方だけがちがう。
そこには大きな壁があった。
それと大きな扉。
僕が気づいたのがわかった『あの人』が悲しそうに笑う。
「そう、ここは街の南側。ダンジョンの上だ。さっきは空高く過ぎて、ただの人には良く見えなかっただろうし、届かなかっただろうけど、ここはどうかな?」
人の目でも見える。
僕が見える。
ドラゴンの僕が見える。
鮮血の暗黒竜の僕が!
「弓隊、撃てええええっ!!」
声が聞こえて、何かが風を切る音がした。
見れば空から細い棒がたくさん降ってくるところだった。
あれは、矢だ。
雨みたいにいっぱいの矢。
矢はカンカンと僕の鱗に当たって、はじかれて、落ちていく。
「投石機は準備でき次第に放て! 矢も尽きるまで撃ち続けろ! 魔導使いも出し惜しみするな! 今は兵も冒険者もギルドナイトも関係ない! 鮮血の暗黒竜を街に近づけるな!」
壁の上。
なんとなく知っているような人が大きい声を出している。
体の大きな人。
あの扉を守ろうって強く思っている。
だから、一番前で戦おうとしている。
その敵が――僕。
「悲しいね。本当に、悲しいね」
声が近い。
僕が固まっている間に『あの人』が近くに来ていた。
顔のすぐ横。
「こんなに優しいキミが、人のために戦うキミが、何もかもを捨ててまで守ろうとするキミが、その守られている人に襲われる。そして、そのせいで戦えない」
拳。
痛い。
とても。
がつんて。
奥に響いた。
心の奥にまで。
痛いのがいっぱい続く中、いろんな人たちの声が聞こえてくる。
「おい。あれは誰だ? 誰が鮮血の暗黒竜に近づいている? 先走りやがって……」
「しかし、副隊長。あの人、すごく強いです。生命力も魔力もとんでもない量ですよ。なんだか黒いですけど」
「確かに……というか、どこかで見た事がありませんか?」
「ああ。俺もそう思っていた。だか、どこだ?」
「あああああああ!」
「バカモン! 急に大声を上げるな!」
「す、すいません! けど、あの人――鮮血の暗黒竜と戦っている、あの人! 大聖堂の彫像にそっくりなんです!」
「聖堂の彫像? それは……」
「名前のない女皇帝……初代皇帝?」
「確かに、そっくりだ」
「いや、偶然だろ?」
「じゃあ、あれは初代皇帝陛下、の生まれ変わり? それとも本人? まさか、鮮血の暗黒竜からエルグラドを守るために?」
「初代皇帝なら鮮血の暗黒竜にも勝てる?」
「……今はあいつが誰でもいいし、なんでもいい。あいつは強く、奴とも戦える。それだけでな。そこの御仁、援護する! 存分に戦うがいい!」
爆発するみたいな声。
でも、今度は悲鳴じゃない。
歓声だ。
とてもよろこんでいる。
勝てるって、がんばれって、みんなが『あの人』を応援している。
そして、いっぱいの矢と岩と魔導が飛んでくる。
痛い。
痛いよ。
「ほら。こんな世界、キミが守る価値があるのかい?」
言葉が、拳が、矢が、岩が、魔導が。
痛い。
体はへいきなのに、心が痛くて泣きそうだ。
僕だけじゃない。
『あの人』まで悲しそうな顔をしている。
なんで、こんな事になっているんだろう?
僕は『あの人』と戦いたくなんてないのに。
「簡単さ。諦めなさい。それだけでいい。それだけで苦しみから解放されるよ」
そうかもしれない。
こんなに悲しいのが続くのなんていやだ。
戦いたくないのに、好きな人と戦うなんて、やめてしまうのがいい。
きっとそれがかしこいんだと思う。
僕は頭をふせて、体を丸めて、尻尾をかくして、翼でおおう。
こんなになったら攻撃なんてできない。
ただ攻撃されるだけ。
だって、ここで戦っちゃったら、ただの人は死んでしまう。
「そう。それでいい。すぐに終わらせてあげよう」
隙だらけの僕に『あの人』が足を止めた。
そして、たくさんのマナを集める。
さっきの僕のドラゴンブレスと同じぐらいに。
まっすぐに指を伸ばした右手に集まる生命力と魔力。
暗いモヤモヤがまるで金属みたいになって、かたそうで、キラキラした剣になる。
僕よりもずっと小さい。
刺さってもちくっとするぐらいの小さい剣。
けど、その力は僕も、街も、ダンジョンも飲み込んでしまいそうなぐらい大きい。
「さあ。終わろう」
やさしい『あの人』は悲しそうに言う。
今にも泣きそうな顔。
苦しんでいる。
ああ。きっと、『あの人』も戦いたくなんてないんだなあ。
人を殺したくなんてないんだろうなあ。
けど、『あの人』はやる。
やさしいから。
人が苦しいのは見ていられない。
僕にはよくわかる。
僕はそれを見て――。
「やめてください!」
声がした。
「その子は鮮血の暗黒竜なんかじゃありません! わたしたちを傷つけなんかしませんから!」
魔導が放たれる。
水の渦が矢を、岩を、魔導を止める。
「お前、何をしている! 正気か!?」
「違うんです! 守ってくれているんです! 助けようとしてくれているんです! 何もかもを捨てて、皆を守ろうとしてくれているんですよ!」
涙声。
でも、強い気持ちのこもった声。
知っている、はずの声。
でも、思い出せない。
ただ、胸がポカポカする。
「わけのわからない事を! いいから魔導をやめろ! いや、いい! 拘束しろ!」
「放して! 放してください!」
「シアンのアネゴをはなすっす!」
「アネゴ様! ここはわたくしたちに任せて下さい!」
声が増える。
もっと心が温かくなって、なんとなく救われた気持ちになる。
「レオン!」
知らない名前。
思い出せない声。
だけど、忘れられない気持ち。
「レオン! やめてください! レオンを傷つけるなんて許しません!」
『思い出しなさい、レオン! あなたは理不尽に負ける子じゃないでしょう!? メチャクチャでいい! 道理なんていらない! 全て跳ね除けて、帰ってきなさい!』
ちょっとだけ顔を上げる。
壁の上。
今にも飛び降りそうになったところを、周りの人に捕まった女の子と猫。
その後ろには子豚の男の子と女の子が、他の人たちとつかみ合っている。
なにを言っているのかわからない。
思い出す事もない。
「……なんでワタシなんだろうね。そう思わずにいられないよ」
『あの人』がつぶやく。
僕にしか聞こえない声。
でも、『あの人』はやめない。
悲しくても、止まらない。
見上げた顔には強い気持ちがあった。
暗い剣が突き出される。
僕を殺すための武器。
暗い剣が僕の頭を切り裂く。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ。
そして、最後の――僕。
「ごめんね。さようなら」
うん。
いいよ。
『あの人』なら、いい。
だって、僕もやめないし、止まらないから。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!!!」
ほえる。
ほえる。
ほえる。
そして、小さく丸まって隠していた力を解放する。
セフィラから光があふれた。
暗い剣を止める。
力が強すぎて街をこわしてしまいそうだけど、そうならなかった。
それだけが心配だったけど、だいじょうぶって僕は知っている。
だって、あの女の子が魔導で街を守ってくれるから。
なんでかわからないけど、僕はそう知っていた。
だから、思いっきりやれる。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!!!」
「キミは……」
知っている。
すごい力を使った後を狙えばいいって。
だから、そうする。
最後の首を伸ばす。
黒い剣を止められた『あの人』の背中。
そこで暗く揺らめく枯れ枝の翼と四角の形。
デミセフィラ。
それを噛み、千切り、砕き、潰し、飲み込む。
ぶちりって音じゃない音がして、『あの人』からデミセフィラが別々になったのがわかる。
『あの人』がふらりと揺れた。
僕を見上げる顔は、やっぱり優しく笑っている。
「……ああ。また、キミに救われてしまうんだね」
すぐそばの僕の鼻先。
そこに手を伸ばして、なでる。
何度も僕を叩いた拳じゃなくて、優しい手つき。
よく知っている、なつかしい感覚。
「ごめんね。つらい思いばかりさせてしまって」
ううん。
いいよ。
キミが悲しい方がいやだから。
「本当に優しいね。ねえ、キミ――いや、レオン。優しくて、悲しい、ワタシの愛しいドラゴン。どうか諦めないで。きっとキミは救われる。諦めなければ、必ず。だから、諦めないでいて……」
そして、ゆっくりと倒れた。
小さな音を立てて倒れた『あの人』だけど、すぐに姿が変わってしまった。
男の人だ。
死んでしまっている。
もう『あの人』の気配はどこにもない。
「GAAA……」
男の人の魂魄もない。
助けてあげられない。
ごめんなさい。
僕は短く鳴いて、顔を上げた。
壁の上からいろんな声がする。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。悲鳴。
でも、聞こえない。
今は聞きたい声だけを聞く。
「レオン……」
『レオン。あなた……』
「アニキ! アニキー!」
「アニキ様……」
僕を見つめる女の子と、猫と、子豚の兄妹。
なんとなく、知っている気がする。
思い出せないけど。
でも、いい。
この子たちを見ていると、心がポカポカするから。
それだけで僕は頑張れる。
飲み込んだデミセフィラが僕の中に溶けていく。
セフィラとデミセフィラ。
表と裏。
光と影。
聖と邪。
それが一緒になって、新しい力に変わっていく。
きっと、これが最後だ。
最後のセフィラが生まれて、セフィロトが完成する。
だから、僕はもうここにいられない。
ここにいたら、人も、街も、地面も、空も、耐えられない。
この世界にいたら、この世界を壊してしまう。
だから、僕は翼を広げる。
向かうのは空。
ドラゴンブレスで出来た蒼い宙の向こう。
「BA……I、BAI」
うまく、声は聞こえたかな。
聞こえていたらいいな。
もっと、もっと、もっと、言いたいことがある気がするけど、思い出せないし、時間もなかった。
飛び立つ。
いっぱい風が吹いて、地面が揺れた。
ああ。もう僕が動くだけで世界が悲鳴を上げてしまう。
壁の上の人たちも苦しそうだ。
「レオン!」
そんな中、女の子の声が聞こえた。
苦しそうで立つのも辛そうだけど、それでも叫ぶ。
「会いに行きますから!」
一心に僕を見上げて、手を伸ばして、続ける。
涙を流しながら。
「どんなに離れても、遠くにいってしまっても、会いに行きます! 時間がかかるかもしれませんが、わたしが見つけてみせます! 絶対です! 誓います! だから、待っていてください!」
ああ。
うん。
知らないし、思い出せないし、わからない。
だけど、なんとなく感じる。
「あなたを一人になんてさせませんから!」
この子はきっと嘘をつかない。
言った事を本当にしてくれるって。
だから、僕はうなずいた。
待っている。
ずっと、待っている。
そして、僕は空の彼方に飛び去った。