173 ドラゴンさん、空から落ちる
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夜の色が変わっていく。
遠い空から太陽が上がってきて、夜の空から暗いのを追い出して、まぶしい光があふれてきた。
夜と朝の間。
青い空の中に僕の『赤』はよく見える。
「GAAA……」
ずっと。
ずっと、長い夢を見ていた気がする。
もうそれがどんな夢だったかも思い出せないけど、ただとても、とってもとっても、幸せな夢だったんだと思う。
だから、胸の中がポカポカしているんだ。
けど、今の僕に聞こえてくる声はひどい。
僕の耳はとおくのお話も聞こえるから、ずっと遠い足元の街にいる人たちの声も聞こえていた。
ほとんどは、悲鳴。
怖くて、悲しくて、怒って、つらくて、みんながさけんでいる。
そんな声が、言葉が、聞こえる。
『空に化け物がいる!』
『あれは……ドラゴンだ!』
『ひいいいっ! どうして街にモンスターがいるのよ!?』
『あ、あれ、像のドラゴンだ!』
『まさか、鮮血の暗黒竜が蘇った!?』
『昔話じゃなかったんだ……』
『じゃ、じゃあ、弓聖様のお屋敷を壊したのも?』
『さっきから街が壊されているのもそうだ。そうに違いない』
『あいつが、あの化け物がダンジョンから這い出てきたのか!』
『冒険者! 冒険者を呼べよ! ギルドは何してるんだよ! こんな時にあいつらが戦うんだろ!?』
『兵士に伝えよ! 避難誘導を残し、全員が外壁に上がれ! 弓と投石機も忘れるな! それから魔導を使えるものをかき集めろ! ギルドに協力を仰げ!』
『ですが、ギルドは避難誘導で……』
『弓聖さまだ! 弓聖様なら五百年前みたいにあいつを倒せる!』
『けどよ、弓聖様のお屋敷は……』
『お、おい! ギルドから強制招集が掛かったって本当か!?』
『いやだああああ! 俺はこんなところで死にたくねえ! あんなのと戦うなんてやってられるか!』
『ま、待ってくれよ! 逃げたらもう冒険者じゃ……いや、そうだ。俺も逃げる。死ぬぐらいなら他の街に逃げた方がいい!』
そんな言葉たち。
みんな、僕におびえている。
これは知っている。
ずっと、ずっと、ずっと僕に向けられていた気持ち。
胸のポカポカがどこかにいってしまいそうで、いやだ。
でも、僕はほえる。
「「「「「「「「「「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」」」」」」」」」」
十の首でほえる。
それだけでまわりがビリビリして、生命力と魔力があふれて、力がどんどん出てくる。
街の悲鳴がもっと増えてしまったけど、ガマン。
だって、こうしないと『あの人』に勝てないから。
空に浮かんだ『あの人』は悲しそうに街を見下ろしていた。
それから僕が見ているのに気付いて、小さく息を吐く。
「酷い話だね。自分たちを守ろうとしているキミを恐れるなんて。本当に五百年経っても変わらない。もうキミは戦うべきじゃないよ」
そうかもしれない。
むずかしいのはわからないけど、いつも『あの人』の言う事は正しかった。
でも、そうじゃないかもしれない。
だって、悲鳴の中にちがう声が聞こえてくるから。
『ったく、こんな時に上の連中は雲隠れかよ。おい、伝手のある奴らに声かけるぞ。このままバラバラに動いても混乱するだけだからな。ギルドの中でまともに動いている――受付の姉ちゃんのとこにまとめんぞ』
『戦う?』
『そりゃ無茶だろ。ありゃあ手に余るって。それよりできる事やろうぜ。オレ、霊薬をありったけ持ってくるわ。お前も使えそうな魔導具を出しとけって。逃げるにも、守るにも、いるだろ、どうせ』
『まぁ、なんとなくだがよぉ。あれは心配いらねえ気がすんだよなぁ』
『楽観的だな。が、俺も同感だ。ったく、勘までいかれたなら冒険者稼業もおしまいか? まあ、後で考えるぞ。今は動け!』
『Bランクの冒険者さんはー、北部をお願いしますー。Cランクの方は東部と西部ですよー。Dランク以下の方は動けない人を運んでくださいー。いいですかー? 今は避難を最優先ですからねー』
『けどよ、マリアさん。あの上のはいいんですかい? 領主の手下から応援要請が来てますけど』
『いいんです。あの子が私の思う通りのあの子なら、何も心配なんていりません』
『え、マリアさん?』
『なんでもないですよー。それよりもー、買い取りの方もー、今は手伝ってくださいー。油を売っているなら……』
『ひいっ! いきます! おら、お前ら! 取り残された奴がいないか片っ端から鑑定で探すぞ!』
やさしい人たちの声。
がんばっている。
他の人を助けようとしている。
僕といっしょだ。
だれかを守るために戦っている。
夢の中で出会ったような気がする。
気がするだけで、思い出せないけど。
「そうだね。人間すべてが邪悪なわけではない。見るべき人はいる。特にキミの周りには多かったようだ」
「GA?」
「思い出せないか……。ともあれ、それは五百年前も同じさ。問題はそれが変わらないどころか、少なくなっている事だよ。キミを思う人たちもワタシの姿を見たらどうだろうね? 初代皇帝のワタシと戦うドラゴン。見た物だけを信じる人間にはどう映るかな? どちらを味方するかな?」
むずかしい話なのはわかった。
なんとなく、悲しい感じがするけど、よくわからない。
でも、『あの人』がまちがっているとは思えなかった。
僕の気持ちが『あの人』に伝わったみたいだ。
うんとうなずいて、『あの人』は拳をにぎった。
「そうだろう? 成長が見られないなら、終わらせる。ワタシはそう決めたんだ」
言葉といっしょにきた。
僕よりずっと小さい『あの人』の拳。
それが鼻先にぶつかって。
「GYAAAANっ!?」
奥までキーンってきた。
鱗で止まるはずの痛いが、肉や骨までやってきて、頭がぐらってゆれる。
ちょっとだけ空から落ちそうになった。
その間も『あの人』は動き続けていた。
まるで空に地面があるみたいに飛んで、跳んで、蹴って、あっちこっちから僕をたたいてくる。
そのたびに痛いのがやってくる。
どれも鱗で止められない。
体の中が痛くなる。
「さあ、後はワタシに任せてキミはもう休みなさい。どの道、この先にキミの幸せはない。より深い絶望が待っているだけなのだから」
やさしい声。
僕を心配してくれている。
大好きな声。
今でもやっぱり大好きだ。
でも、ごめんなさい。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAっ!!!」
ほえる。
空がふるえて、近くにいた『あの人』をはじきとばす。
そして、息を吸った。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
いっぱい。
空気といっしょに吸うのはマナ。
まわりにあったマナを魂魄に取り込んで、生命力と魔力にして、体の中で『力』に変えて、のどの奥に集める。
ドラゴンブレス。
十の首から十の『力』を解き放つ。
熱量の力。
重圧の力。
分解の力。
停止の力。
加速の力。
斬撃の力。
爆発の力。
転移の力。
精神の力。
落魄の力。
僕がいつのまにか知っていた力の形。
それは『あの人』に向かって飛んでいく。
僕の声に飛ばされていた『あの人』はよけられそうにない。
でも、『あの人』はあきらめていない。
しずかにブレスを見て、手を伸ばした。
「はあああああああああああああっ!!」
初めて聞く『あの人』の咆哮。
暗く揺れる枯れ枝の翼と四角。
ぶつかった。
ブレスは、止まらない。
でも、おそくなった。
『あの人』に受け止められている。
それでもブレスの方が強い。
じりじりって『あの人』を飲み込もうと進んでいく。
「――ああああああああああああああああああああああっ!!!」
びっくりした。
いきなり、ブレスがいきなり曲がってしまったんだ。
まっすぐ飛んでいたのが、ちょっとだけ上の方にずれて、『あの人』をかすめて空の上に飛んでいってしまう。
空に穴ができた。
雲も、風も、空気も、その先にあった何もかもをブレスが消し飛ばして、空の青ともちがう別の蒼が見える。
蒼い、宙。
「隙ありだよ」
びっくりしていた僕に『あの人』がせまっていた。
ボロボロだ。
まっかな体。
特にブレスを受け止めた両手は真っ黒で、今にも崩れてしまいそう。
それでも背中では枯れ枝の翼と四角が暗くゆらぎ続けている。
「はあっ!!」
振り下ろされるボロボロの拳。
頭をなぐられる。
さっきの痛いのがまたやってきて、今度はそれだけじゃなかった。
ぶつかった場所が爆発する。
続けて、何度も、何度も、何度も。
思わず体がのけぞってしまった。
そして、がら空きのお腹に拳が突きささる。
痛いと爆発がくる。
止まらない。
止められない。
ブレスで力を使いすぎた。
体をうまく動かせない。
空から、地面へ。
拳と、爆発。
二人の英雄の力。
デミセフィラの暗い揺らめき。
落ちる。
地面に。
「眠りなさい」
声といっしょに拳が落ちてきて、地面にたたきつけられた。