170 ドラゴンさん、さよならする
170
ノクトが抱きしめているシアンに手を伸ばす。
ほっぺに手を当てて、おもわず引っ込めそうになった。
つめたい。
ぬくいシアンの感じじゃない。
ポカポカしたのがどこにもない。
「シアン?」
よんでも返事をしてくれない。
いつもみたいに笑ってくれない。
自信まんまんに見えるけど、話しているのがうれしいって伝わってくる笑顔がない。
目をつぶって、そのまま。
ぽっかりと穴の開いた胸から濃い血の臭いがして、頭がくらくらする。
とても、いやな感じだ。
「……治って。お願い」
生命力。
マナからどんどん転換して、お願いしながらシアンの体に流す。
『お願い。間に合って』
ノクトのいつもより弱い声。
ギルマスや『あの人』をにらんでいるけど、その気持ちがとてもグラグラしているのがわかった。
「治って。治って。治って。ねえ、シアン」
僕が送った生命力がシアンの体を包んで、治していく。
この前のトントロの時と同じだ。
しばらくしたら、シアンの胸に空いた穴が消えた。
「シアン。起きて」
『目を覚ましなさい、シアン!』
ノクトがシアンの名前を呼んで、ずっと抱きしめていた何かを動かした。
氷の奥で止まっている光の球。
あれはきっとシアンの魂魄。
きれいな球。
きずもひびもない。
でも、今にも消えてしまいそうなうすい光。
おぼえている。
トントロの時はあれも治したんだ。
魔闘法――竜人撃:始光竜『光宿る魂の揺り籠』
だから、同じようにする。
魔力をいっぱい作って、そのぜんぶをシアンの魂魄に送った。
僕とシアンの魂魄がつながる感じ。
『生きないと』
『わたしはまだ死ねません』
『だって、ダメじゃないですか』
『わたしは天才なんですから!』
『天才のわたしがみんなを幸せにしないといけないんですから!』
『レオンも、ノクトも、トントロも、ピートロも、マリアさんも、女将さんも、ガルズさんたちも、みんな、みんなを幸せにしてあげるのが天才の役目なんです!』
『それに、ここで死んでしまったらレオンが悲しんでしまいます』
『レオンにはわたしが一緒にいてあげないといけませんからね!』
『わたしも……レオンと一緒がいいですし、ね』
『そうです。ダメなんです。死んでなんかいられません』
『報われないと、嘘じゃないですか』
『レオンはずっと頑張っていたんですから』
『一人で、つらくても、悲しくても、さびしくても、皆を守ったんですから』
『今度はレオンが幸せになるんです!』
『わたしがレオンを幸せにするんです!』
あたたかい、ぬくい、やわらかなシアンの気持ち。
伝わってくる。
大好きが、あふれそうだ。
氷の中の光が強くなる。
キラキラして、とてもきれいだった。
『……ありがとう、レオン。ほら、シアン。起きるのよ。レオンにここまでさせて応えないあなたじゃないでしょう!?』
ノクトがシアンの魂魄を胸の上に置いた。
魂魄はスッと体の中に入っていって――。
「あれ?」
『――っ!』
スッとぎゃくから出てきてしまう。
ノクトが何度も魂魄を戻そうとするけど、ダメだった。
そうしている間にまた魂魄のキラキラがなくなってしまいそうになって、僕はあわてて魂魄を光らせる。
でも、それだけ。
シアンの体に魂魄を入れるのができない。
あの時と同じだ。
トントロが死んでしまった時と、本当に同じだ。
体は治せた。
魂魄も治せた。
でも、それを体の中にもどすのだけはできない。
ノクトがくやしそうに手を握りしめて、つぶやく。
『あたしがついていながら、なんて――失態』
ダメだ。
このままじゃシアンは本当に死んでしまう。
それだけはぜったいにダメ。
いやだ。
だから、思い出せ。
今のシアンはトントロの時とほんとうに同じだ。
そして、死んでしまったトントロを僕は生き返らせてあげられた。
なら、シアンだって生き返らせられないとおかしい。
「ええっと、そうだ。体と魂魄をつなげればいんだ」
でも、このままだとつながらない。
トントロの時もそうだった。
だから、あの時は――。
「出てきて、【王国】」
胸の奥からセフィラのかけらを取り出す。
ちいさくなってしまったセフィラ。
これがあればシアンを生き返らせてあげられる!
『やめなさい、レオン!』
なのに、ノクトが止めてきた。
僕の手をギュってにぎりしめて、凍らせようとする。
どうしてそんないじわるをするんだろう?
「ノクト、はなしてよ。シアンを生き返らせられない」
『ダメよ。やめなさい。あなた、それを失う意味をわかっているの?』
聞かれて、首をかたむける。
知らない。
なんとなく、いやな感じがするけど、わからない。
でも、しんけんなノクトの顔を見ていたら大変な事なのはわかった。
『【王国】はセフィラの中でも特殊なの。セフィラの力を物質世界に持ち込めているのも、あなたがあなたでいられているのも、全て【王国】のおかげ。ただでさえトントロと分け合ってしまって、調子をおかしくしていたでしょう。なのに、それを完全に手放してしまったら、あなたはもう人間ではいられなくなるわよ』
むずかしい話だ。
やっぱりよくわからない。
ただ、これをなくしたら僕は人間じゃなくなるっていうのはわかった。
人間じゃなくなったらどうなるんだろう?
人間じゃない僕は……。
「ドラゴンになるんだ」
それぐらいなら僕にもわかる。
ドラゴンの僕。
前にも何回かドラゴンっぽくなったっけ。
爪が、鱗が、牙が、角が、尾が、目が、手が、足が、ドラゴンにもどったのを思い出す。
今だって翼が生えている。
けど、それはとぜんぜんちがうんだろうなあ。
今度はきっと人間にもどれない。
だって、僕はもともとドラゴンなんだから。
もどるっていうなら、人間からドラゴンにもどる方がきっとせいかいなんだ。
それは……いやだな。
だって、僕はドラゴンになったら、こわがられて、きらわれてしまう。
人間になって手に入れた温かい色々をなくしてしまう。
そう思うと悲しくて、こわい。
ノクトが僕の目を見て、それから小さくため息をついた。
手をゆっくりとはなして、今度はやさしくにぎってくれる。
ひんやりした手だ。
『わかったなら、それをしまいなさいな。いい? 策はあるのよ。ギルマス。あいつが最後の【王国】を持っているはずだから、それを奪いさえすればシアンを生き返らせられるわ。あなたもドラゴンにもどらないでいいし、トントロも死ななくていいの。その間はあたしがシアンの魂魄を止めているから――』
頭のいいノクトが教えてくれる。
さすがノクトだ。
みんながだいじょうぶになるように考えてくれている。
「えい」
僕はひとつうなずいて、シアンの中に【王国】のセフィラを入れた。
『って、レオン!? あなた――』
でも、それじゃダメな気がするんだ。
ギルマスはやな感じがして、気持ち悪くて――そう嫌いだ。
きっとこういう気持ちを嫌いって言うんだと思う。
けど、ギルマスの中にある【王国】は取っちゃダメな気がする。
そうしたら、もう取り返しがつかない。
ぜんぶがダメになる。
だから、シアンを助けたいなら僕の【王国】をあげるしかないんだ。
シアンの体と魂魄がくっついていく。
トントロの時と同じように。
今度は魂魄が出てきてしまわなかった。
シアンの胸が動き始める。
息をして、ほんのりほっぺがあたたかくなって。
「……レオン?」
うっすらと目を開ける。
よかった。
本当によかった。
シアンが生き返ってくれた。
それだけで、僕はいい。
シアンが生きてくれるなら、なにもいらない。
シアンの手をにぎって、僕はおでこをコツンって当てて、そっと耳元にささやく。
「シアン、大好きだよ」
バイバイ。
声に出して言うのはつらいから、心の中でお別れをする。
シアンのそばにいつまでもいたかったけど、なんとかガマンして僕は立ち上がった。
僕はもうここにいちゃいけないから。
体の中が変だ。
さっきからずごい早さで別の何か変わっていこうとしている。
『レオン、どうして……どうして、あなたが全て背負わないといけないのよ。あなたは何も悪くないのに、誰よりも頑張っていたのに、どうして!』
ノクトが、とても悲しそうだ。
今にも泣いてしまいそうな顔で、うつむいている。
「ノクト……ごめんね?」
『この、おバカ! あなたが謝る事なんて何もないじゃない! こんな理不尽、認めないわ! あなたに不幸を押し付けて生きながらえる世界なんて――』
「ちがうよ、ノクト」
叫ぶノクトに教えてあげる。
ふふ。
いつも教えてばかりの僕がノクトに教えるなんて、おもしろいなあ。
「僕はずっとしあわせだよ。たくさん教えてくれてありがとうね」
『――こ、のっ、おバカ……』
ノクトがシアンを抱きしめた。
シアンのほっぺに雪のつぶが落ちて、とけて、流れていく。
歩き出す。
まずはトントロとピートロのところに。
二匹は『あの人』に吹っ飛ばされてしまったけど、うん。だいじょうぶそうだ。
ちゃんと生きている。
「トントロ、ピートロ。元気でね」
お話できないのはざんねんだけど、きっと二匹とも元気でいてくれる。
そして、その元気をシアンとノクトにもわけてあげられる。
トントロとピートロがいるから、僕は安心して旅立てるんだ。
ドラゴンシャフトを地面に刺して、歩き出す。
その先で、ギルマスと『あの人』が待っていた。