162 ドラゴンさん、ほうりなげる
162
ゴトンって重たい音がした。
天井にできた穴から落ちてきたのは氷のかたまり。
石の床にひびを作って、ごろんと転がって止まる。
「これは……」
シアンがびっくりしてつぶやいた。
ギルマスが落としたのは青い氷だった。
外の方はうっすらとすきとおってキラキラしているけど、奥の方はだんだん青色が濃くなっているから中は見えない。
僕の背よりも大きなそれはごつごつした岩みたいな形をしている。
『……今の間に何が起きたのよ、アメジス』
僕の腕の中でノクトがつぶやくのが聞こえた。
アメジス?
あ、そっか。
そういえば、僕たちは逃げたアメジスを追いかけて弓聖さんのお家に来たんだっけ。
すっかりわすれてた。
でも、アメジスって……これが?
「ノクト。これ、アメジスなの?」
『ええ。あなたもよく見てみなさいな。氷の奥にアメジスの魂魄を感じられるはずよ』
言われて僕もよく見てみる。
氷の奥。
青いかたまりの中。
そこにふたつの魂魄を感じた。
アメジスと、もうひとつ?
これは……。
「セルシウス?」
さっきの戦いで何度も見た氷。
その中で眠っていた女の人の姿を思い出す。
『正確には氷そのものがセルシウスよ。人の形さえ保てないなんて……』
大精霊セルシウスはノクト自身だ。
それが知らない間にこんな事になってしまって、ノクトはショックを受けている。
「力そのものは失っていませんね。いえ、むしろアメジスに操られていた時より強まっていませんか?」
「うん。正しい分析だね。そうさ、大精霊セルシウスには本気を出してもらわないと困るんだ。そうでないと彼が成長できないからね?」
ギルマスがニコニコと僕を見つめてくる。
きもちわるい。
ニコニコしているけど、僕の知っている笑顔とちがう感じ。
「幸い、ボクはバランスというものの扱いに長けていてね。まあ、本来はバランスを整えるのが本質なんだけど、逆にバランスを乱すのもお手の物というわけさ」
『あなた、顕現した精霊のバランスを狂わせるなんてしたら――』
ノクトの毛並みが逆立つ。
怒っているだけじゃない。
びっくりしているだけじゃない。
これ、怖がっている?
『精霊の力が暴走するわよ!』
「うん。それも正解。さすが、自分の事はよくわかっているね。まあ、契約者はまともじゃいられないだろうけど、それは君たちもどうでもいいだろう?」
氷の中のアメジスは動かない。
死んじゃったりはしていない。
でも、魂魄がどんどん変な感じになってる。
さっきのハンスみたいだ。
人のじゃない、別の魂魄になっていく。
「非道ですね」
シアンがギルマスをにらむ。
むずかしい顔をしている。
きらいなはずのアメジスだけど、いろいろと思う事があるみたいだ。
にらまれたギルマスはニコニコしたまま。
「否定はしないよ。でも、ボクは彼の望みを叶えてあげただけ。ただ、その恩恵には対価が相応に大きかったって事だね。成果と対価は釣り合わないと美しくない。まあ、その説明を省いたのは不親切だったかもしれないね? おっと、そろそろ本当に限界みたいだけど、こっちばかり気にしていていいのかな?」
ギルマスが指さす先。
氷のかたまり。
そこから強いマナを感じた。
マナの感じはシアンが猫っぽくなった時の感じとそっくり。
だけど、強さとか量がぜんぜんちがう。
今にもバーンって爆発しそうだ。
「レオン、下がってください!」
『その氷に触れちゃダメよ! 止められて、飲み込まれるわ!』
シアンとノクトがさけぶ。
それと同じタイミング。
氷のかたまりからたくさんのトゲがびゅんって飛び出してきた。
僕はシアンとノクトを抱っこしたまま後ろに飛ぶ。
地面を蹴るだけじゃ足りないっぽいから、背中の翼も使って空気をつかまえて、後ろに、後ろに、後ろにって。
氷のトゲは本当にたくさんで、廊下をすぐにいっぱいにしてしまった。
はやい。
トゲの動くのはそんなに速くないけど、トゲが生み出されるのがすごく早い。
ふつうの闘気法とか魔導はマナを生命力とか魔力にして使うものだけど、この氷のトゲはマナからいきなりできているみたいだ。
だから、はやい。
「あ、『峻厳』さん、おいてきちゃった」
『大丈夫よ。直前で転移していたわ』
「今は自分たちの安全を優先してください!」
そっか。
ちゃんと逃げているなら安心だ。
僕は通ってきた廊下を下がる。
何度も地面や壁をけって、翼をふるって、氷につかまらないように。
けど、なかなか氷から離れられない。
すごい速さで広がっている。
すぐに廊下が終わって、庭みたいな場所に出て、それから最初の建物に入って、それも突き抜けて……。
「外に出ちゃったよ!」
「まずいですよ。この外には避難した人がまだいます」
『近くには寄ってきてないけど、このままだと飲み込まれるのは時間の問題でしょうね』
氷はもう弓聖さんのお家を全部飲み込んでしまった。
庭だけじゃなくて、空に向かっても広がっていく。
それはいけない。
どうにかしたいけど、僕の手はシアンとノクトでふさがっている。
これじゃドラゴンシャフトを使えない。
でも、下ろしちゃったら運動がダメダメなシアンは氷から逃げられないし……そうだ。
「シアン、ノクト。ちょっと投げるね?」
「投げる? え――」
シアンが何か言おうとしているけど、いそいでるからやっちゃおう。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
『はあ……』
僕はシアンとノクトを投げた。
上に。
思いっきり。
バンザーイってやるみたいに。
とても軽いシアンとノクトだ。
僕がそんなふうにすればとっても高い所まで飛べるはず。
ひとりと一匹はみるみるうちに空に浮いていって、かんたんには見えないぐらい遠くにいってしまった。
「よし。これなら……」
後ろに下がりながらドラゴンシャフトを弓にする。
それからすぐにマナを生命力と魔力に変えて、集めて、かためて、生み出すのはガラスの矢を三本。
あとあと、力を『動く』ために使うんだっけ。
『峻厳』さんみたいな炎と雷を思い出す。
魔闘法――竜人撃:炎迅竜『天頂を越える雷華』
金色に光るガラスの矢。
それをどんどん撃つ。
一本目の矢が氷に当たって、止まった。
氷も前に出れなくなったけど、他の所が広がり続ける。
二本目の矢が氷に当たって、少しずつ前に進みだす。
一本目も動き始めて、当たったあたりの氷がちょっとずつひび割れ始める。
三本目の矢が氷に当たって、もう止まらなかった。
三つの矢が氷を壊して、どんどん速くなりながら進んでいく。
矢は止まらない。
氷をつらぬいて、突き抜けて、弓聖さんのお家ごと吹き飛ばして……消えてしまった。
矢に入れていた力がなくなっちゃったみたいだ。
「あれ?」
あの矢は止まらないはずなのに。
それがなくなってしまうなんて思わなかった。
ああ、でもそっか。
さっき使った時は『峻厳』さんが手伝ってくれたけど、今は僕だけでやったから。
ちょっとちがった感じになったのかも。
「……ま、いっか」
氷は止まった。
こわれちゃった弓聖さんのお家の中からまた氷が広がったりもしないしね。
「それよりも今はシアンとノクト!」
僕は翼をはばたかせて空を飛ぶ。
高く投げたシアンとノクトはお空の上の方で今にも落ちてきそう。
あそこから落ちちゃったら……きっと大変だ。
僕は飛んでるシアンとノクトに負けないぐらい早く飛んで、すぐに追いついた。
シアンはなんだかぐったりしている。
あ、気を失っているみたいだ。
さっそく捕まえようとしたら、ノクトの声が聞こえた。
『レオン、そっとよ! そっと捕まえるのよ! 乱暴に受け止めりなんかしたらシアンが死んでしまうんだから!』
え、そうなの?
でも、シアンは体がよわいからそうなのかも。
あぶない。
僕はそっとシアンとノクトを手の中に抱きしめてみる。
飛ぶ速さもちょっとずつおそくして、っと。
「うん。いい感じのふんわり」
『……理屈はわかってないでしょうに奇跡的なふんわり感で受け止めたわね』
「うん。ふわふわのパンみたいにって思ったらできたよ」
『パンって……ふぅ、いいわ。でも、後でお説教よ』
じろりとにらまれてしまった。
どうやら空に投げるのはダメだったみたいだ。
でも、ノクトはすぐに目を僕から下に向ける。
猫耳をピクピク動かしながら見るのは弓聖さんのお家、だったところ。
その中にいたはずの人たちを探している。
でも、あの中にはだれもいないよ。
『ギルマスと『慈悲』の英雄の気配はないわ。『峻厳』のあの女みたいに転移したのかしら。これは……街の外?』
ノクトが見つめる先はダンジョンがある方。
ええっと、南っていうんだっけ。
そっちでは爆発がいっぱい起きていた。
あれは『峻厳』さんの魔法。
今までよりもずっと強い爆発と炎は、怒っているのが伝わってくるみたい。
戦っているのは……『あの人』だ。
爆発と炎を手足で流して、払って、投げ返してってしながら、『峻厳』さんに近づこうとしているのが見えた。
そのたびに『峻厳』さんはパッと移動して、また魔法を使っているみたいだけど……とてもむずかしい顔をしているのがわかる。
『ダメね。あたしには早すぎて戦いの趨勢は判断できそうにないわ。それに人の事を気にしている場合でもないし』
ノクトが下に目をもどす。
こわれた弓聖さんのお家。
その下に残った気配がはっきりと僕にはわかる。
それぐらい強い力だ。
『あそこにセルシウスの気配は残っているわね』
「うん。なんだかまだマナが増えているみたい」
セルシウスがいた場所からマナがあふれてきている。
さっきの氷のトゲができた時よりもずっと、ずっと、ずっとたくさんだ。
「ねえ、これって大変なんじゃないかな?」
『大変どころじゃないわ。精霊を構成していたマナが暴走しているのよ。そんな事になったら、この街どころか辺り一帯が永遠に氷漬けになりかねないわ』
ほんとうに大変だった。
僕がおどろいている下では建物の跡から氷のツタがまたあふれようとしていた。