挿話 こぶたさんたちの戦い
挿話 こぶたさんたちの戦い
マリアは夜の街を駆け抜けていた。
街の中央から南に向けて、派手な戦闘音に気づいた人々が出てきている大通りを避け、細く暗い道を選んで素早く。
身を低く沈め、無駄を排除した動作で、滑るように走る。
冒険者ギルドの受付係リーダー。
そんな肩書の人物からは想像しがたい素早さだ。
誰かが気づいたとしても、その目が追う間もなく通りから通りへと抜けてしまい、何者か特定する事はできないだろう。
まるで黒い猟犬。
マリア・ステアード。
今でこそギルド職員ではあるものの、元はAランク冒険者の一員である。
引退した今でも一般人を遥かに上回る力を持っていた。
「……まずいわね」
そんな彼女が焦りを隠せずにいる。
普段の間延びした口ぶりではない呟き。
前方を見据える目も鋭く、気配もまた同様だ。
原因は聞こえてきた戦闘音。
ひとつは背後からのもの。
先程まで自分がいたであろう場所から起きている。
およそ何がぶつかり合えば起きる音なのかイメージもできないような激音が絶え間なく続いていた。
それはいい。
わかっていた事だ。
実際に見た事はなくとも、あの場にいた人物たちは尋常の範疇から外れたモノたちだと知っている。
元最強ドラゴン。
精霊付きの天才魔導使い。
精霊と契約する大貴族の当主。
本来ならばダンジョンの凶悪なモンスターに向けられる力がふるわれれば、『ああ』もなるのだろう。
というより、この街は無事で済むのだろうか?
……考えても仕方ないとマリアは諦めに似た思いで思考を切り替える。
問題はもうひとつの音源。
それはマリアの向かう先から聞こえていた。
「既に戦闘が始まっているわ」
彼女の商売相手――いや、彼女の意識の中では既に友人という位置にいる人たち。
その仲間が襲撃を受けている。
敵は大貴族ブリューナク家の次期当主。
手練れの部下がいるだろうし、この状況からすると冒険者を従えているようだった。
動きが早すぎる。
おそらく事前に手下を配していたのだろう。
そして、現場に向かいながら襲撃の指示を出した、と。
「ギルマス――恨むわよ」
無駄に美形な上司の顔を頭に浮かべ、イメージで拳をぶつける。
通常、冒険者は権力を嫌う。
元より無法者に片足を突っ込んでいるような連中なのだ。権力者への反感を持っている。
そんな連中が貴族の命令に従うわけがない。
だが、例外がある。
ギルマスだ。
この街の冒険者の多くはギルマスに強い信頼を、感謝の気持ちを持っている。
そのギルマスのためならば、嫌いな貴族の命令さえも受け入れるかもしれない。
アウトローな冒険者が曲がりなりにも犯罪者とならずに町で暮らせているのはギルドのおかげだった。
他の街ならばこうはいかない。
鉱山奴隷よりはましという程度の扱いを受けかねない。
だが、このエルグラドは世界最大のダンジョンを所有している。
それこそ広大な帝国が求める資源に応えてしまいかねない程の産出量を誇るダンジョンなのだ。
エルグラドの冒険者ギルドはそのダンジョンから得られる利権を最大限活用する事で、一種の治外法権を得ていた。
それを成しえるのはギルマスの手腕に他ならない。
だからこそ、ギルマスの命令ならばAランク冒険者は従う。
ギルド職員の中でも中枢にいるマリアはそのことをよく知っていた。
「簡単に敵の手に落ちるなんて、あの昼行燈! 今こそ実力を発揮するところでしょうに!」
意味がないとわかっていても愚痴ってしまう。
それぐらいマリアは焦っていた。
彼女が救うべき二匹の子豚の兄妹。
彼らは高い実力を持つ冒険者だ。
普通の相手ならば心配しない。
しかし、相手にAランクの冒険者がいたとすればどうか。
一人や二人ならばいい。
防御に徹すれば生き残れるだそうし、逃げる事もできるかもしれない。
相性によっては勝ちをひろえるかもしれない。
だが、パーティーが相手ならば絶対に助からない。
確実に圧殺される。
きっと引退した自分が参戦したところで戦局は揺るがない。
だが、逃げる時間を稼ぐための盾にはなれる。
それもまた儚い希望であるとわかっているのだが、それが彼女の足を止める理由にはならなかった。
「どうか、生きていてよ」
祈るように呟く。
レオンたちからの信頼に応えるためにも、単純に二匹のためにも願い、さらに地を蹴る足に力を入れるのだった。
そうして、十分後に彼女は現場に到着した。
息を乱したままうめくように呟く。
「これは……」
しかし、そう、彼女は遅すぎたのだった。
レオン達の隠れ家。
そこは既に戦場ではなくなっていた。
決着が、ついていた。
完膚なきまでに。
決定的に。
崩れた塀。
穿たれた道。
煙を上げる木。
庭に空いた大穴。
焦げた戦場の臭い。
そして、死屍累々と表現するしかない人々――ブリューナク家の私兵と、見覚えのある冒険者たちの姿。
「……は?」
目を疑った。
思考が現実に追いつかない。
隠れ家を襲撃した人間。
ブリューナク家の私兵はいい。
手練れといえども常人の域。
凄腕の冒険者と比べれば実力は劣る。
これが広い草原などであれば数の暴力で押し込めただろうが、ここは街の中だ。
逃げ場を塞ぐのには適していても、個人の戦闘能力は知れている。
トントロとピートロがうまく立ち回れば遅れを取りはしない。
だが、冒険者は違う。
狭いダンジョンで戦うのだ。
街中でも存分に実力を発揮できる。
「うぅ……」
「いてぇ……誰か、霊薬を……」
「ふふふ……ありえない。ありえない。ありえないわ……」
その冒険者たちが一人残らず倒れ伏して、うわごとのようにうめくだけだった。
中には心が遠くに逝ってしまったように笑いだしている者までいる始末。
ざっと数えて十二人。
全員、知っている顔だった。
「Aランクパーティーが全滅?」
そう。
全員がAランクパーティーに所属する冒険者。
前衛特化の『双頭狼』に、魔導使い専門の『魔女』。
非常に仲の悪いパーティーでありながら、タッグを組んだとすれば最強の組み合わせと言われていたパーティだ。
それが、全滅。
隠れ家に踏み込む事さえできずに、全員が全員そろって路上に放り出されている。
悪夢のような光景だった。
一体、ここで何が起きたのか。
激しい戦闘があったのだけは間違いないだろうが、どうなればこんな結果になるのかがまるで見えてこない。
ダンジョン下層のさらに奥にいるという鮮血の暗黒竜でも現れたのだろうか。
いやいや、最強竜の正体はレオンだ。
それだけはありえない。
じゃあ、どんな化け物が……。
考えが暴走気味に空転をしていると、何かが頭上から落ちてくる気配を感じた。
「次から次へと!?」
呆然としていても元Aランクの冒険者。
マリアは咄嗟に後方に低く跳び退り、何が起きても即応できるように身構えて頭上をうかがう。
「これは……」
その何かは重い音を立ててマリアの目の前に着地した。
地震じみた揺れに耐え、見据えた先に現れたそれは――鎧の巨人だった。
夜の闇よりも深い黒。
巨大な漆黒の金属鎧。
高く、太く、厚い形。
錆びついたはずの冒険者の勘が悲鳴を上げる。
とてつもない圧迫感。
この威圧――Aランクを越えた、最強冒険者ハンスの域にある!
その鎧の巨人が動く。
着地の折りたたんだ姿勢から立ち上がり、二階建ての建物程の高所からマリアを見下ろした。
そして、
「あ、マリアさんっす! こんばんはっす!」
元気な声が響いた。
鎧の中。
胴体の位置だろうか。
その辺りからマリアのよく知る子豚の男の子の声がする。
飲み込まれたわけじゃないわよね?
そんな事を思いつつ、おそるおそる問いかける。
「と、トントロちゃん?」
「うっす! トントロっす!」
とても元気そうだ。
食べられたわけじゃないらしい。
「そ、その鎧は?」
「うっす! オイラのあたらしい魔導装備っす! おっきくて、かたくて、つよいっす!」
それはわかっている。
聞きたいのはそうではなくて、つっこみの声を辛うじて飲み込むマリア。
魔導装備。
おそらくは生命力や魔力を増幅する類の武装だろう。
なるほど。
トントロの強大な生命力を強めるとすれば凶悪だ。
「お兄ちゃん! 手に力が入っちゃってる! その人、潰れちゃうよ!」
「うっす! 気をつけるっす……あ」
妹のピートロの声。
鎧の巨人の頭部から声がする。
やはり、ピートロもこの鎧の巨人に搭乗していた。
つまり、この魔導装備はトントロの生命力とピートロの魔力を強化し、同時に扱うための特化型。
二匹のための専用魔導装備。
それにしてもなにやら不安になるやり取りをしている。
事態に追いつけないまま、何気なく鎧の巨人の手元を見て、再びマリアは絶句した。
鎧の巨人は人間を握りしめていた。
力加減を誤ったのか、やばい感じに圧縮されている。
なんとはなしにマリアは潰れた饅頭を想像し、頭から振り払った。
紫髪の青年。
見間違いでなければそれはつい先程見た相手――ブリューナク家の次期当主、シルバーのはずだ。
はず、と曖昧な判断なのは仕方がない。
なにせ顔の形が変わっている。
控えめに表現してもボコボコだった。
「あ、あのー、これは、何がー?」
思考停止しそうになりながら尋ねる。
もう自力で現状を把握できるとは思えなかった。
「うっす! おるすばんっす! どろぼうをつかまえたっす!」
「あの、正当防衛なんです! 決して乱暴をしようとしたわけじゃなくて! この方たちがお家に火をつけようとしていましたので……」
Aランク冒険者や貴族の私兵を泥棒と勘違い?
過剰防衛にならないか心配?
ずれている。
とことんずれている。
ああ。
なるほど。
主人にそっくりだ。
「この人の力、すごかったっす! よろい、ちょっとへこんだっす! ピートロの魔導がなかったらあぶなかったっす!」
「ううん。お兄ちゃんが守ってくれたからだよ。ありがとうね、お兄ちゃん」
「うっす! オイラ、もっとがんばるっす!」
「うん。わたくしも頑張るね」
「はぁ……」
マリアはため息をこぼした。
決死の覚悟をしていたのにまるで役立たずだったとか、冒険者ギルドの一員としては思う事がないわけではないけれど。
「無事でよかった」
それだけは間違いない。
なにやらさわがしくしている兄妹を微笑ましく見守りつつ、マリアは中央街で戦っているはずのレオン達の方を見やる。
そして、凶悪な光が空の彼方へ飛び去り、気がつけば巨大弓聖像が消し飛ばされるのを目撃してしまった。