15 ドラゴンさん、訊かれる
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ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺったん、ぺった……。
不思議な感触が何度もおでこに降っていた。
硬さと柔らかさがしっとりした中に両立した感じ?
「もにゅもにゅ……もにゅもにゅに溺れる……」
『やっと起きたのね。お寝坊さん。何に溺れるって?』
声が聞こえてようやく目を開けると、目の前には大アップの肉球。
そして、その奥には猫の顔がのぞいている。
「……ノクト?」
『寝起きはいいようね。そろそろ交代の時間よ。もうシアンも限界だし替わってもらえるかしら?』
そうだった。
今日は野営をする事になって、先に僕が休ませてもらっていたんだった。
ちょっとぼやける目をこすりながら起きると、体の上から毛布が滑り落ちた。
確か体の下に敷いたはずだったけど、もしかしたらシアンが直してくれたのかもしれない。
本人に聞いてみようと探してみたら、シアンはノクトの向こう側で座ったままうつらうつらしている。
頭が前に後ろにグラグラと揺れていて半分ぐらい眠っていそう。
『濫喰い獣王種相手に大きめの魔導を使ったせいね。下級、中級の点や面はともかく、特級の立体はシアンにも負担が大きいのよ』
ノクトが何を言っているのかはわからないけど、シアンがすごい魔導を使っていたのはわかる。
起こしてしまうのはかわいそうだろう。
そっとシアンを抱えて、さっきまで僕が寝ていた場所に寝かせてあげた。
かなり眠かったみたいで、側に落ちたままだった毛布を抱きしめると、穏やかな寝息が聞こえ始めてくる。
『レオン、ちょっとこっちに来てもらえるかしら』
振り返るとノクトが少し離れた場所でしっぽを揺らしている。
見張りのはずなのにテントから離れてしまっていいんだろうかと思いつつ近づくと、しっぽで自分の隣をぺしりと叩いた。
『座りなさい。少し話をしましょう』
なるほど。
テントから離れたのは、話す声でシアンを起こしてしまわないようになんだ。
周りの生物の魂魄を感じ取れるノクトがいれば、モンスターの接近にも気づけるし、少しぐらい離れても大丈夫だろう。
僕が隣に腰を下ろすと、ノクトがじっと僕を見上げてくる。
何か言われるのを待っても、黄色い目で見つめて来るだけで何もしゃべらない。
なんとなく気まずくなって、僕は先に聞いてしまう事にした。
「どうしたの?」
『……相も変わらず澄んだ魂魄ね』
僕の魂魄を見ていた?
ノクトがどうやって生き物の魂魄を感じ取っているのかはさっぱりわからないけど、もしかしたら僕には見えないものが見えているのかもしれない。
「そうなの? それっていい事なの? 悪い事?」
『あたしは嫌いじゃないわ。でも、生きるのには苦労するかもしれないわね』
うーん。
ノクトの言葉は難しい。
でも、ノクトに嫌われていないならそれだけでいいとも思う。
怖がられるのはもう嫌だ。
『レオン、あなたはドラゴンから生まれ変わって人間になったのよね』
「うん。気が付いたらここにいたんだ」
昨日の事だからさすがに忘れたりしない。
『あなたが嘘をついているとは思わないけど、何か勘違いしているかもしれないとあたしは思っていたわ』
あー、そういえば信じてもらえてなかったっけ。
シアンもノクトも僕の話をそのまま聞いてくれていたけど、合わせてくれていたんだなあ。
でも、ドラゴンが人間になるなんて話が、簡単に信じてもらえない事ぐらい僕もわかっているから。
「やっぱり、ドラゴンだったの信じられない?」
『ええ。最初はね。でも、濫喰い獣王種との戦いを見ていたら信じてもいいかもしれないと思ってきたわ』
そうなんだ。
『闘気法の奥義もそうだけど、あなたの戦い方は人間のそれとは掛け離れていたわ。技術と知識を研鑽して、文明として体系だてる人間とは対極。自身の力だけで押し通すスタイル。まさにドラゴンといった感じよね』
うん。その通り。
ちょっとずつ人間の体の動かし方はわかってきたかもしれないけど、ドラゴンの時とは全然違っているから思う通りにはいかない。
『何より、あなたの魂魄は強すぎる』
「そうなんだよねぇ。僕も前より調子が良すぎて、変な感じがするんだ」
マナの変換がすごい勢いでされるから、本当なら溢れたりするはずのない生命力が体から漏れてしまうぐらい。
『だから、聞かせてほしいのよ。あなたがドラゴンだった時の事について』
僕がドラゴンだった時の事。
といっても何を話せばいいのかな?
あの頃の僕は毎日をモンスターとの戦いで使っていたから、そんなものぐらいしか話せる事がない。
特別があるとしたら、『あの人』との思い出だけど、それこそ人間からするとごくごく普通の生活だったはず。
僕の特別は、ノクトの特別ではないと思う。
『そうね。外見の話でも聞かせてもらいましょうか』
首を傾げたまま固まった僕に、ノクトは助言をくれた。
外見……ドラゴンの時の姿かあ。
僕は湖に映った自分の姿を思い出しながら、一個一個話していく事にする。
「えっと、頭が十個あったのは言ったっけ?」
『ええ。あなたが寝る前に少し』
ノクトは何故かちょっと前のめりになっている。
興味があるのかな?
「うん。前の僕には頭が十個あって、それぞれが得意なドラゴンブレスを使えたんだ」
火を吐くのとか、氷を吐くのとか、雷を吐くのとか、光線を吐くのとか、色々とあって、魔物の群れに襲われたときは便利だった。
「最初はひとつだけだったんだけど、モンスターと戦っている内にいつの間にか増えて、気が付けば十本だもんなあ。最初は慣れなくて大変だったけど、ピンチの時なんかにニョキッと生えてきたおかげで、助かった事も一度や二度じゃないんだよ?」
『にょき? 頭が、にょき? そんなキノコみたいに……』
ノクトが難しい顔になった。
猫の表情はあまり詳しくないけど、あんなに首を傾げているんだから悩んでいるのは間違いないと思う。
何を悩んでいるんだろうか。力になってあげたい。
「あ、もしかしてノクトも頭がたくさんほしかった? だったら、ごめん。僕もどうやって増えるのかよくわかってないから教えてあげられないんだ」
『気遣いだけ受け取っておくわ。でも、ひとつだけ断言しておくけど、あたしの頭はひとつでいいの。覚えておきなさい』
勘違いだったらしい。
うーん。あったら便利なんだけどなあ。
『それより、他の事を聞かせなさいな』
ノクトに促されて、頭の事は忘れることにした。
次に思い出すのは、ドラゴンの翼だろう。
「あと、翼が六枚あったんだ」
『六枚……三対……ええ。そう。それで?』
「尻尾も五本あったんだよ」
『五尾のドラゴン。ちなみに、鱗の色は?』
「赤。もうちょっと落ち着いた色の方がよかったんだけどね」
ノクトはまた考え込んでしまった。
こうして思い出していると、あの頃の事まで思い出して微妙な気分になってしまう。
『あの人』と会っていた頃はまだ小さかったし、怖がられる見た目じゃなかったんだよなあ。
でも、魔物と戦っているうちにどんどん怖い姿になって、いや、戦いやすい姿になったって言った方がいいのかな?
おかげで、約束通りに街を守れたけど、そのせいで人間から怖がられてしまったと思うと、なんだかなあって考えてしまう。
『ねえ、レオン。いいかしら?』
「うん? あ、なに?」
いつの間にかノクトが僕を見上げていた。
すごい真剣な目をしていて、ちょっと怖いぐらいだった。
とても大切な話なのかもしれない。
僕は昨日叱られた時と同じ姿勢――正座をする事にした。
すると、ノクトはちょっと驚いたみたいに目を開いて、小さく笑う。
『律儀な子ね。本当、能天気なシアンの方が正しい気がしてきたわ。でも、あの子の代わりにはっきりさせるのがあたしの役目よ』
「?」
『いいわ。気にしないで。レオン、聞いてほしい話があるの』
シアンやノクトから聞く話は勉強になるし、楽しい事ばかりだ。
もちろん、聞くに決まっていた。
『このダンジョンの近くには旧都、あるいは迷宮都市エルグラドと呼ばれる街があるの』
「ダンジョンの近くに街が……」
言われて、ちょっと考えてから、すごい衝撃を受けた。
それって僕が守っていた街の事!?
あ、そうだ! 街の事を知りたくて早く外に行こうとしていたけど、ダンジョンの外を知っているシアンとノクトに聞けばよかったんだ!
あれ? でも、『あの人』は街の事を帝都って呼んでいたよな?
キュウト? なに、それ? 僕の知っている街じゃないの?
大混乱で声も出ない僕に構う事なく、ノクトは言葉を続けてくる。
『大貴族、弓聖アルディ・エルグラドの子孫が治める帝国最大都市ね。そして、その領主館の前には巨大な像が建てられているわ』
じっと僕の目を見つめてくるけど、なんだろうか?
『弓聖アルディの功績はひとつ。ダンジョン発生当時に襲来した鮮血の暗黒竜の撃退よ。だから、当然、弓聖を称えるための像に選ばれたのは『弓聖が鮮血の暗黒竜を打ち倒す姿』よ』
えっと、ノクトが真剣なのはわかる。
これがとても大切な話なのもわかる。
けど、それを僕に話す意味がわからない。
ノクトは一体、何が言いたいんだろうか?
わからないが増えすぎて目を白黒させる僕を見据えて、ノクトは告げてくる。
『そのドラゴンの姿がね。十の頭を持ち、三対六翼、五尾に、まるで血塗られたように赤い鱗のレッドドラゴンなのよ。ダンジョンを生み出し、魔物の群れを操り、五百年前に帝都を滅ぼしたという最強最悪の魔物の王。多くの伝承でその姿は語られているわ』
鮮血の暗黒竜?
五百年前?
帝都? 滅んだ?
『ねえ、これってまるで前世のあなたみたいじゃないかしら? これって偶然かしら? それともあなたみたいなドラゴンは他にもたくさんいるのかしら? あたしはそうとは思えないわ』
まるで僕の心の奥底まで覗き込むような、深いまなざしだった。
嘘も誤魔化しも許さない。
沈黙さえも時間稼ぎにならない。
僕の魂魄を見定める目。
『あなたが鮮血の暗黒竜なの?』