序
お久しぶりです。
『戦う考古学者』の続きを書こうとしてうまく書けなくなっていたので、リハビリ感覚で書いてみました。
書き溜めもないので不定期連載です。
序
「この街を守ってくれないか?」
戦場に倒れた『あの人』は、穏やかな微笑みを浮かべてそう言った。
その生命力は本当に微かしか残っていなくて、魔力はとっくに空っぽ。
瀕死よりももっと酷い。
こうして息をして、しゃべっている事さえも奇跡的な状態だった。
『あの人』がいる帝都という街にどこからともなく魔物の大軍が押し寄せてきたのだ。
街で一番強くて、頼れる『あの人』は戦って、戦って、戦って、何日も何日も魔物は尽きる事もなくて、それでも最後には勝ってみせた。
そして、その代償に全てを失った
認めたくない。
助からないなんて信じたくない。
でも、どんなに自分を誤魔化そうとしても、現実は変わらない。
そもそもマナの受け皿である魂魄が粉々に砕けてしまっていては、どんな回復の術も意味はない。
実際、僕の持つありったけのマナを注ぎ込んでいるのに、その全てが『あの人』の中から零れ落ちてしまっていた。
「ふふ。ありがとうな。温かいよ。君は、優しいな」
違う。
優しいのは君だ。
僕はそんな君の真似をしているだけ。
君の真似をしていれば、いつかは僕も君にみたいに、誰からも好かれる人になれるんじゃないか、なんて信じているだけ。
「そんな、君の、優しさに、つけこむみたいで、悪いけどさ……」
言葉が途切れる。
息をする間に零れ落ちていた短いささやきが、苦しげなうめきに変わって、少しの沈黙を挟んでから、『あの人』は続きを絞り出した。
「この街を、守って、くれないか……?」
さっきと同じ言葉。
けど、もう違う。
決定的に、違う。
正真正銘の、遺言だった。
その目から光が消えていた。
どんなに待っても次の声はない。
いくら頼んでも、願っても、祈っても、動かない。
もう僕の言葉は届かない。
僕が悲しみに暮れている間に、届かない場所にいってしまったのだ。
『QUUUUUURURURURURURURURURURUUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!!』
だから、吼えた。
遠く離れてしまった君にも伝わると信じて。
わかった、と。
君の頼みに応える、と。
これは絶対にたがえる事のない約束だ、と。
どうか、見ていてほしい。
本当に優しかった君が、心配してしまわないように、全力で戦うから。
きっと、この街を守ってみせる。
やっぱり、声は返ってこない。
でも、『あの人』の最期の顔が少しだけ和らいでいるように思えた。
血と泥で汚れているのに、とても奇麗な顔をしていたのを今でも鮮明に覚えている。
それが僕と『あの人』の最後の約束だった。
僕を拾い、育て、見守ってくれていた『あの人』との約束。
それだけを胸に、何十年――いや、もう百年は過ぎただろうか――戦い続けていた。
――それが、どうしてこうなったんだろう?
『あの人』と別れて長い時間が過ぎた。
正確なところはわからない。この頃は、時間の感覚が曖昧だった。
僕と接してくれる人なんて一人だけだったから、『あの人』がいなくなってしまったから、ずっと僕は一匹で戦い続けていたから、毎日がサラサラと虚しく流れてしまう。
『あの人』が帝都と呼んでいた街。
昔、ずっと住んでいた場所――そこには近づいていない。
だって、あの街の人たちは『あの人』とは違う。
僕が怖いみたいで、魔物と戦っているところを見られたら、悲鳴を上げられてしまった。
魔物と一緒に僕も攻撃してきたりもする。
あれは悲しかったし、怖かった。
それ以上に、嫌われているのだという現実が辛かった。
だから、普段は街から離れた所で、街に近づこうとする魔物たちを狩っていた。
『QURURURURURUUUUUUUUUUUUUUU……』
狩って、いたんだけどなあ。
僕は魔物の血で汚れた体を引きずりながら、細い声で鳴き声をあげる。
背後には守ると約束した街。
こんなに近くに来たのは何十年ぶりだろう?
この近くには『あの人』と別れた場所がある。
懐かしさがこみあげてきて、胸が痛い。
そして、再び思う。
どうして、こうなったんだろう?
街からはいくつもの声が聞こえてきた。
遠く離れているから普通の人間では聞き取れないかもしれないけど、僕の耳は特別にいいから聞こえてしまう。
僕に対するいくつもの罵詈雑言。
どうやら僕は街にやってくる魔物の親玉だと思われていたらしい。
というか、魔物を生む元凶、なのかな。
目の前で魔物を倒しているのに、それも僕がすごく好戦的で、残忍な奴だから同士討ちをしているんだなんて言っているけど、酷い偏見だと思う。
昔とは姿が変わってしまって、自分でも恐ろしい姿になってしまったとは思うけど、せめて味方と判断してほしかった。
でも、大丈夫だ。
この百年近く、一人で戦い続けたのだからね。
悲しいのも、怖いのも、嫌われるのさえも少し慣れてきたからね。
ちょっと普通じゃない見た目になってしまったのは知っているからね。
なんとなく、なんとなくだけど、『あの人』がいなくなってしまったら、こうなるような気がしていたしね。
まあ、それでも傷つきはするんだけど。
内心で溜息を吐く。
とうとう石が投げられ始めて、遂には矢まで飛んできた。
竜の鱗を傷つけるようなものじゃないはずなのに、酷い痛みを背中に感じながら、僕は歩みを止めなかった。
「俺の矢に恐れをなして逃げていくぞ!」
「さすが弓聖様だ!」
「弓聖様! 早くとどめを!」
街の人たちが勘違いしているけど、聞かなかったことにして進む。
こうなると薄々はわかっていて、それでも街に近づいた理由があるんだ。
ある日、街の近く――本当に近く、城壁のすぐそばに大きな穴が空いて、そこから大量の魔物が溢れ出したのだ。
太陽の光も届かない、地の底に続くかのような空洞。
僕はそれが何か知っていた。
昔、『あの人』から聞いた話だ。
レイスポットの汚染による迷宮化現象。
難しい話はわからないけど、この帝都の近くにレイスポットと呼ばれる場所があって、そこを流れるマナが良くないものになってしまうと、周りが迷宮になってしまうという話だったんだけど、この辺りは聞かされたまま覚えているだけ。
肝心な事はひとつ。
このままだと『あの人』が大切にしていた帝都が滅ぶ。
負のマナというのは今もよくわからないけど、この帝都の近くに突然生まれた大穴からは強力で、凶悪な魔物が溢れ出ている。
もし、僕が戦っていなかったらとっくに街は滅んでいただろう。
だから、僕が守る。
彼との約束を守るために。
『GUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOROROROROROROOOOOOOOOOOOOOOOON!!!』
大穴の淵に立つ。
既に地下から次の魔物の群れが押し寄せてきている。
緩やかな傾斜の崖を這いあがり、すぐにでも地上へと溢れて、すぐ近くの獲物――街を滅ぼしてしまう。
さっきはなんとかなった。
けど、もう僕の体はボロボロで、正直次も持ちこたえられる自信がない。
たとえ、運よく倒せたとしてもその次はどうだろうか? 更にその次は? いつまで倒し続ければ迷宮から魔物を尽きるのだろうか?
なんとなく、果てはない気がする。
いくら僕でも永遠に戦い続けるなんて無理だ。
じゃあどうすればいいのか、僕は既に答えを出していた。
思いついた方法は、ただ迷宮を倒すという事だけ。
やり方だって、ちゃんと知っている。『あの人』が見せてくれた。
街の人の恨みつらみを背に受けながら、大穴へと身を投げた。
無防備に落ちていく僕に魔物たちが飛び掛かってくるのも無視して、ひたすらにマナを吸い込んでいく。
限界を知らない魂魄の、その限界の果てを目指して、濃密なマナを飲み込み続ける。
生命力にも、魔力にも、変えない。
ただ、ただ、マナを集める。
すると、次第に辺りが明るくなり始めた。
いや、違う。
僕の体が光り始めたせいでそう見えるだけ。
生命力や魔力と違って普通は目に見えないはずのマナが、あまりに多く集まりすぎたせいだと本能が理解していた。
同時に、もうひとつ悟る。
きっと、僕が考えた通りなら、目的を果たすと同時に僕は死んでしまうんだ、と。
僕の魂魄は耐えられても、体は耐えられない。
迷宮を滅ぼせたとしても、僕も心中になる。
そんな確信がある。
けど、迷ったりしない。
遠い昔になってしまった思い出があるから。
あの時の温もりを覚えているから。
この命がなくなってしまうとしても、街の人に誤解されたままだとしても、それでも、この街を守るんだ。
地の底が見えた。
同時、僕の体が限界を超えて崩れだす。
一層の閃光が溢れ出す感覚。
白い輝きが全てを飲み込んでいく中、僕の意識もまた光に埋もれて消えていく。
最期に想ったのは三つ。
過去の温もり。
現在の寂しさ。
そして、未来への願い。
誰に頼めばいいのか知らないけど、それでも願う。
もしも、次があるとしたら。
どうか、僕を人間にしてください。
そうしたら、僕は彼らと友達になって、あの温もりに触れられるから。
だから、どうか……。
それが、人々から鮮血の暗黒竜と呼ばれた孤独なドラゴンの最後の記憶だった。