8弟馬鹿と決勝戦
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは弟ルイスを心の底から愛し、その馬上試合優勝を祈っている。
「……」
「まぁまぁ、今回の決勝戦は、貴女の弟君と飾り袖を掲げる方ですよ、シルヴィア様」
「これは夜の宴で、シルヴィア様は話題の的ですわねぇ」
「なんだかヘクター卿の調子も良くて、国王陛下も御機嫌な御様子ですし」
「…………」
よって、シルヴィアは決勝戦に進んだルイスを応援すべきであり、逆に対戦相手となったヘクターに対しては。ボッコボコになって負けろと祈らなくてはならないはずだった。
『……そうだというのに』
シルヴィアは、試合が進むごとにヘクターの戦いにすっかり見入り、いつの間にか、内心でだが声援を送っていた自分に気付いてしまった。
『だって……仕方がないではありませんか!! あの熊男……戦ってると本当に強くて立派に見えたんです!! ヘクター卿は普段あまり試合など出ませんから気付きませんでした!! わたくしだって騎士家の出です!! あの実力は、認めざるを得ない!!』
ヘクターとの戦いで、対戦した騎士のほとんど全員が馬から叩き落とされ、負傷をしていた。そんな容赦ない姿を、貴婦人達は野蛮だと眉を潜めていたが、シルヴィアの目には勇猛に映った。
その圧倒的力を、ヘクターがどれほど怒っても自分に振るった事はないと、知っているからだ。
『……あの男は、わたくしに暴力を振るどころか、わたくしにどんなに怒っても、わたくしを力づくで押しのける事すらしなかった。それはあの男が理性的で、騎士らしく女性を傷つける事を恥だと認識していたからよ。……だから、怖くなんかないわ』
そう思ってしまうと、シルヴィアは貴婦人達の目が腹立たしく、同時に自分がヘクターに散々言った言葉に対しても、少しだけ恥ずかしくなった。
『……べ、別にあいつが熊なのも威圧的なのも粗野なのも無粋なのも不調法なもの間違ってませんけれど!! ……そ、それでも野蛮人などという罵りは、外見でしか彼を判断していなかった、失礼な暴言でしたわ。……その件に関しては、謝らなくては……きゃっ?!』
とりとめのないシルヴィアの思考は、馬上試合会場最大の熱気によって遮られる。
「きゃー!! ルイス様ぁー!!」
「勝利をお祈りしていますわー!!」
「ヘクター卿!! 若造に負けてはなりませんぞぉー!!」
「救国の英雄の実力を示して下されー!!」
「ふむふむ。やはりヘクターは圧倒的な豪傑だのう、妃よ?」
「なんのなんの。ルイス・ヴェルナー卿の快進撃を見ておられませなんだか、陛下?」
国王夫妻の楽しそうな会話が混じる大歓声を受けて入場してきたのは、下馬評通りに危なげなく勝ち進んだヘクター、そしてこれが大規模な馬上試合は初参加ながら、堂々たる実力を示して勝ち残ったルイスだった。
余談だが、騎士として参加していた国王の息子達は、王太子も含め全員初戦で負けた。
真剣勝負での不正を嫌う王に仕えるレームブルックの騎士達に、手心の二文字は無い。
「――両者!! 定位置へ!!」
決勝らしく着飾った王国侍従長の宣言によって、ヘクターとルイスは会場の両端により、構える。
『ああルイス!! ルイスルイスルイス素敵よルイス!! やっぱり貴方は世界一の弟よ!! 素敵な騎士様よ!! 貴方の勝利を確信してるわ貴方があんな熊男に負けるはずないわむしろ圧倒的勝利に決まってるわルイスルイスわたくしのかわいいかわいいかわいいかわいい……そ、それはそれとして、ヘクター卿もお怪我をしないように、せいぜい奮闘すればよいのだわっ!!』
シルヴィアは堂々と槍を構えるルイスに見惚れ、心の中でいつも通り大絶賛しつつも、ヘクターの無事をこっそり祈る。
「――負けませんよ、ヘクター卿」
「貴公に負けるつもりはない、ルイス卿」
密かな火花を散らす騎士二人の言葉を、聞き取る者はいない。そして。
「――試合開始!!」
声高らかに、試合開始が宣言された。
両者の命令で馬が地を蹴れば、会場内の熱気が一気に膨れ上がり、歓声が耳をつんざく。
「――それまでっ!!」
「……くっ」
一本目の突撃から決着は、恐ろしいほど早く着いた。
「っ、み、見えましたか、シルヴィア様?」
「……な、なんとか。……ルイス!!」
怒涛の突撃と一体化したような槍突で、ヘクターがルイスの槍をへし折ったのだ。
一騎打ちは、三本勝負。敗者の落馬、意識不明、負傷、落槍、もしくは槍の破壊で、勝敗が決まる。
ルイスが押し負けた、と見て取ったシルヴィアは、ヘクターの膂力に歯噛みしながらもルイスの無事を祈る。
「二本目!! 両者、構えませぃ!!」
幸い多少利き腕が痺れた程度で済んだらしいルイスは、素早く自分の従者が差し出す予備の槍を取ると、定位置に戻って構えた。
その物腰にヘクターに対する恐怖や焦燥は無く、宿るのは鋭い戦意のみだ。
『ルイス!! ああルイス!! 折れてないのね貴方は!! それでこそあなただわルイスっ!!』
注目を集めながら、審判が二試合目を告げた。
一本目同様、恐ろしい突撃を見せつけるヘクターに、立ち向かうルイス。
馬上の両者は激突し、そしてその勢いのまま『通り抜ける』。
「――ターンだ!!」
「ターンだぞ!!」
「ルイス卿がヘクター卿の突撃と引き分けた!!」
互いの逆方向で馬を鋭く方向転換し、再び突撃体制に入った両者に、会場内の特に男性達から大歓声が上がった。
方向転換は、決闘の作法を損なわず両者の突撃が為され、なおかつ両者の槍が破壊されてなかった時のみ許される試合の続行だ。
ヘクターの突撃を耐えきり、鋭い切り返しで再度の突撃を試みるルイスの姿に、どこか若いルイスを甘くみていた男達から声援が上がったのだ。そして。
「おぉおお!!」
ルイスの会心の一撃と呼ぶに相応しい鋭い槍突が、今度はヘクターの槍を弾き飛ばした。
「な、なんとヘクターが槍を落とすとは……妃よ、儂は初めて見たわいっ」
「まぁまぁ、陛下ご覧になりましたかっ、ルイス卿のあの技巧を!! 素晴らしい!!」
一本目以上の大歓声が、会場を包んだ。
「……よしっ」
「……」
どこか満足げな声をルイスが上げたのに対し、ヘクターは特に様子を変える事無く、自分の従者が拾い上げ差し出した槍を一度確かめ、そして新しい槍に持ち代える。
『……おそらく、槍が破損していましたのね。流石はわたくしのルイス。……とはいえ……』
ルイスの健闘を喜びながらも、シルヴィアはヘクターを見て、確信してしまう。
『……悔しくすら、ないのね。……まだ、自信が揺らぎもしていないのだわ』
ヘクターの泰然とした姿と比べると、ルイスの態度にはまだ抑えきれない感情の波があった。
『しっ、仕方ないわよねっ。ルイスはまだ若いのですもの!! あんなおっさんとは違いますもの!!』
「三本目!! 両者、構えませぃ!!」
『がんばってルイス!! あの熊男……ヘクターなんか、余裕のまま負けてしまえばよいのですっ!! ……このままで終わるとは、どうしてもおもえませんの、ですけど!!』
一対一、どうなるか判らなくなったと騒ぐ観客の中で、シルヴィアはヘクターの様子が気になって仕方がない。
『あ……あんな熊男どうでもよいのです!! ……す、素晴らしい戦いぶりだとは思っていますけれど!!』
決して妙な意味で、気になっているわけじゃない。
そう誰に言い訳をしているのかもわからないまま、シルヴィアはいつのまにかヘクターの横顔を見つめていた。
「……ん?」
その視線に気づいたのか、ふとヘクターは定位置への移動中、視線をずらすようにしてシルヴィアを見上げる。
「っ……」
「……」
シルヴィアを一瞬捉えたらしいヘクターは、どこか不機嫌そうに見える程さっさと前を向き、逸らされた。
『な……なんですのあの態度はぁ!! 人が一応応援して差し上げているというのに!! 一応ですけど!! ルイスのついでですけど!!』
勿論下げた兜の面頬越しなのではっきりとはわからなかったが、シルヴィアは気付いてしまった。
それが酷く腹立たしく、だがそれを知られるのもしゃくで。
「……まぁ、ほほほ」
シルヴィアはヘクターの横顔に、余裕綽綽の微笑みを送っておいた。
「……」
その笑みを見る事も無く、ヘクターは再びルイスと対峙した。