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6弟馬鹿と馬上試合

 レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代シルヴィアは、弟ルイスの成長を心から喜んでいる。


「――それまで! 勝者ルイス卿!!」


 だからこそ、そのルイスが観客ひしめく馬上試合(トーナメント)会場で、危なげなく騎馬と騎乗槍を操って初戦の騎士を撃破した姿には、歓喜を覚えずにはいられなかった。


「きゃああ!! ルイス様が勝ちましたわー!!」

「ああ、なんて優美な上御強い騎士姿なのでしょうっ!! あんなに素晴らしい方が、この国の騎士様なんてっ!!」

「まるで力天使様だわっ!! 素敵……あんな方に、勝利を捧げていただきたいわっ!!」

「……」


 とはいえ、賑やかに騒ぐ若い娘達と同じように騒ぐのは、立場と年齢が許さない。


『ああルイス!! なんて美しく強く素晴らしいわたくしのかわいいかわいいかわいいかわいい弟!! 貴方のその勇姿はわたくしの脳内絵画にばっちり描かれ永久保存されましてよ!! がんばってね!! でも怪我はしないでね!! 貴方のその至高の顔に傷でもついたらわたくし会場に飛び込んで敵をブチノメシテしまうかもしれませんわルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスルイスぅうううううう!!』


 などと思いながら。


「シルヴィア様、ルイス様の勝利ですわよ」

「ええ。……まだまだ若輩者ゆえ、怪我が無くて安堵いたしました」

「まぁ、御謙遜。相手は全く手も足も出なかったではありませんか」

「ほほほ、まぁ、そんな事は……」


 シルヴィアは用意された席で優美に羽毛製の扇を揺らし、貴婦人達と語らっていた。

 貴婦人達との会話は、女主人名代の大切な仕事だ。


「あら……ルイス様は一度しか、礼をなさいませんのね」

「……」


 そんなシルヴィアの視線の先で、ルイスは一礼後会場から引いた。


「あら……という事は、兜についているリボンを捧げた方は、会場にいらっしゃらないのかしら」

「あれはシルヴィア様のリボンではありませんでしたのね?」

「ほほほ」


 貴婦人たちの興味深げな質問に、シルヴィアは曖昧な笑みで返す。

 馬上試合(トーナメント)の勝者は、一度、または二度礼をするのが慣例だ。

 その意味は、一度は勿論馬上試合(トーナメント)の主催者(今回は国王)や自分の主君に対する一礼、そして二度目は、勝利を捧げると誓いを立てた貴婦人への一礼だ。

 自分の飾り物を兜に付けた騎士が、観戦している席の近くまで馬を寄せて一礼する姿は、既婚未婚問わずで女達の憧れでもあった。


『……何年か前の練習試合までは、ルイスの一礼はわたくしのものだったのに……ああでもっ、一人の女性に愛を誓い、その飾り物を身に着けて戦う貴方の姿も素敵よルイス!!』

「ふむ……あの若い騎士は、確かヴェルナーの息子かのう」


 そんなシルヴィアの耳に、少し離れた貴賓席から声が飛び込んで来た。


「は、仰せの通りでございます国王陛下。彼の者は、亡きアーサー・ヴェルナー卿の息子、ルイス・ヴェルナー卿にございます」

「ふむ……左様か」


 紋章官より明朗に受け答えられて鷹揚に頷いたのは、馬上試合(トーナメント)の主催者であるレームブルックの国王だった。

 既に老境の国王にとってはシルヴィアとルイスの父親の方が馴染み深いらしく、隣に座る王妃と何事か言葉を交わした後、微笑みながら言葉をつづける。


「……早くに逝ってしまったが、ヴェルナーは良い騎士であったのう。……さて、その息子は、この試合どこまで勝ち上がれるであろうか?」

『そりゃあ優勝!! 優勝に決まってますわ国王陛下!! わたくしのルイスが一番ですの!!』


 国王の問いに、内心で叫び返すシルヴィア。


「まぁ、優勝とはいくまい」

『はぁ?!』


 そんなシルヴィアの意見を勿論知らぬまま、国王はのんびりと首を振った。

 国王と同世代である老境の国王妃は、優美に扇を揺らしながら微笑み、夫に返す。


「あら、何故ですの陛下?」

「確かにヴェルナーの息子は強い、なれどこの馬上試合(トーナメント)には、我が国最強の武人にして英雄、ヘクターも参戦しておるでの、妃」

『は……はぁあああああ?!』


 シルヴィアは、思わず本当に叫び出したくなる衝動に耐える。


『ちょっとなにをおっしゃっているのかわかりませんわ国王陛下?!! わたくしのかわいいかわいいかわいいかわいいルイスがあの熊男に劣るとおっしゃるのですか?! 確かに戦場での経験はあちらの方が上でしょうが、ルイスには才気と若さがございますのよ!! そのルイスが勝って見せると宣言したのです勝てないはずがないでしょうそうでしょうそうに違いありません!!』

「あら、確かにヘクター卿は近隣にも名が知られた豪傑ですが、あの通りルイス・ヴェルナー卿も素晴らしいではございませんか」

「いやいや、ヘクターの馬槍術に比べれば、まだまだヴェルナーの息子は若造。三本勝負で一本でも取れれば大したものであろう」

「まぁ、では宴の好物を賭けますか、陛下? わたくしは、ルイス・ヴェルナー卿の勝利に賭けましょう」

「それは面白いな、妃。では儂は、ヘクターに」


 国王と国王妃の二人は、仲睦まじく馬上試合(トーナメント)を楽しんでいる様子だった。

 だか愛する弟が勝てないと言われてしまったシルヴィアは、穏やかではない。


『国王陛下!! 貴方様の好物は御妃様のものですわ!! わたくしのかわいいかわいいかわいいルイスは、絶対に絶対に絶対に絶対に熊男などには負けませんのよぉおおおおお!!』

「……あら、シルヴィア様、噂をすればヘクター卿の初戦ですわよ」

「はぁ?!!」

「っ……は?」

「……あ、あら、ほほほっ。失礼いたしましたっ。へ、ヘクター卿の出番ですか。ほほほほ。国王陛下の覚えめでたい方ですが、初戦敗退なんて事がないとよろしいですわねほほほほっ」

「し……シルヴィア様?」

『あの野蛮不精不調法熊男!! あんたなんかにうちのルイスが――』


 いまいち取り繕えない態度のまま、シルヴィアは砂が敷き詰められた会場に馬で乗り込んで来たヘクターを睨みつけた。


「……」

「っ……」


 そして、その迫力に、思わず言葉を失う。

 剣呑な殺気と黒染めの重甲冑を身にまとい、鋭い馬上槍を片手に巨大な黒馬に乗るヘクターには、その見た目だけで周囲を萎縮させる迫力があった。


「な……な、なんと恐ろしい御姿でしょう……鎧も馬も、傷だらけで」

「御強いとはいえ……あの方は少々、猛々し過ぎて……」

「所詮成り上がりものですわね。たしかロクな領地も無い、殆ど名ばかりな貧乏騎士の出ではなくて?」

「国王陛下の信任厚いとはいえ……」

「確かに英雄、と呼ばれる働きはなさっておられますけど……」


 ヘクターに対する周囲、特に貴婦人達の評判は、すこぶる悪い。

 それはヘクターの容貌や高貴とは言えない生まれは勿論、あまりにも実力があり、自分の父親や夫よりも、国王に信頼されているのが一因であった。


『……そこまでいう事ないではありませんかっ。騎士が脆弱ならば、国土は敵国に滅ぼされ民は蹂躙されるだけなのですよっ』


 それが何故か腹立たしく、シルヴィアは手にしていた扇を不満げに揺らし、密かに唇を尖らせた。そして。


「あんな騎士は、わたくし嫌だわ。騎士様ならばやっぱりあのルイス卿のように、上品で優美でなくてはっ」

『……貴女など、わたくしのルイスが相手にしませんわっ』

「あら、まぁ見て、ヘクター卿の兜に飾り袖がっ」

『悪いのですか?』

「まぁ本当っ。あの方に飾り物を捧げる貴婦人なんておられましたのねぇっ」

『いては悪いのですか?』

「本当に貴婦人かしら? 賤しい娼婦かもしれませんわよっ」

「あらほほほ。ありえますわね、だいたい――っ」


 パサリ、と音を立てたのが自分だと気付いた時には、シルヴィアは扇を落とし、すぐ前の座席にいた女達の肩を掴むと、自分の方へと向けさせていた。


「な、何か?」

「……いいえ、酷い誤解を受けたようですので」


 戸惑いつつも不満気に返す女達に、シルヴィアは近くに控えていた侍女に水鳥の羽で作った扇を拾わせると、ゆっくりと社交で鍛えに鍛えた表情を作り、自分の美しさを殊更主張するように女達へと微笑みかける。


「ヘクター卿に飾り袖をお渡ししたのは、わたくしですわ」

「えっ……」


 女達の顔に、一瞬自分に対する敗北感と嫉妬が浮かんだのを、シルヴィアは見過ごさない。

 シルヴィアの隙の無い装いと美貌は武器だ。それは時に、異性より同性への牽制となって相手を威嚇する。


「何かとお世話になっている方ですので、その御礼に、ご無事を祈らせていただきましたの」

「ま、まぁ、あんな騎士に飾り袖を捧げるなんて――」

「あんな、とおっしゃりますが。――では貴女達は、どのような騎士様に勝利を捧げられましたのかしら?」


 女達の顔が、一瞬激しく歪む。

 初戦で負けたか、騎士の求愛を得ていないのだろう、と当たりを付けたシルヴィアは、殊更余裕の笑みを深め、馬上試合(トーナメント)会場に視線を向けた。


「ヘクター卿以上の騎士。それは勿論、あのルイス卿のようなお方なのでしょうね?」

「なっ……なによ貴女っ」

「今は、ヘクター卿の応援ですわ。そろそろお口を閉じていただけませんこと? 邪魔です」


 女達の醜い叫び声が返って来たが、シルヴィアはそれ以上は無視して座席から、馬上試合(トーナメント)会場を見下ろした。

 馬上の騎士二人は、替えの槍を持つそれぞれの従者が境界線上に下がると同時に、会場の端と端、定位置に着いて合図を待っていた。


「……」


 乱戦となる団体戦(トゥルネイ)と違って、一騎打ち(ジョスト)は突撃後の一瞬で、ほぼ勝負が決する。

 シルヴィアは今、それを見逃すのが何故か、妙に惜しく感じていた。


『しょ、初戦で負けたりしません、わよね? ……でも人間なら調子が悪い時だってあるし、もしやわたくしの飾り袖が目にかかったりして――っ!!』


 シルヴィアのとりとめのない思考は、審判のヘラルド(試合開始)の掛け声によって遮られる。


「うぉおお!!」

「あぁああ!!」


 その瞬間――定位置から二騎は弩砲(バリスタ)から放たれたように突撃し、雄叫びを響かせながら、激しく中央で激突した。


「っ!!」

「……さ、流石ですわね……シルヴィア様。ヘクター卿の勝利ですわよ」


 一瞬。しかも一本目で、あっさり勝負は付く。

 ヘクターの相手だった騎士が、槍をへし折られただけでなく馬上から跳ね飛ばされて気絶し、目が覚めた途端慌てて降参してしまったからだ。


「負けた方、利き腕が折れてしまっているのではないかしら?」

「流石の実力差。お相手の騎士様、少々お気の毒でしたわ。……ね、シルヴィア様」

「……え?」

「どうかなさって? そんな、驚いた顔で」

「……え、え……っ」


 隣に座っていた仲の良い貴婦人に苦笑され、シルヴィアは慌てて頬に手をやる。――熱い。


『わ……わたくし……』


 勝負が決する一瞬、馬上のヘクターに見惚れていたのだと気付いたシルヴィアは、慌てて扇で顔を隠しつつ、表情を整える。


『ち……違いますわっ!! あんな男っ!! あんな粗野な熊男に断じて見惚れてなんかっ!!』

「あら、シルヴィア様」

「は、はいっ」

「一礼ですわよ。貴女が受けなくては」

「っ!!! ……こ、氷、雪、水、冬、吹雪、大雨、幽霊、おばけ……」

「……?」


 シルヴィアは、寒くなるありったけのものをブツブツと呟きながら、気合で顔色を戻した。

 見惚れていたなど、断じてヘクターには知られたくなかった。


「……」


 一方のヘクターは、それでも一応飾り物をもらったお礼なのか、シルヴィアの席側に馬を寄せると、静かに一礼する。


「っ……騎士の名誉にかけて奮闘なされる事を、お祈り申し上げます」


 作法通りだと判っていても、シルヴィアはヘクターに捧げられた勝利と、意外にも上品な一礼に、ほのかな喜びを感じてしまっていた。


『な……納得いきませんわっ!!』

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