4弟馬鹿と義妹(予定)
ヴェルナー騎士家女主人名代シルヴィアは、弟ルイスの幸せを誰よりも祈っている。
なのでそんな会話を、ヘクター兄妹が交わした数日後の晴天。
「……し、シルヴィア様」
「おはようございますマリアンさん。馬上試合のお誘いに上がりましたわっ」
ヘクターが出かけた屋敷前に、シルヴィアは意気揚々と馬車を乗り付けていた。
「馬上試合ですわよマリアン様っ。我がレームブルック王国国王陛下主催、王太子様の御生誕記念、一騎打ちの日!! 国内外から名のある騎士が大勢集まる、王国の一大大祭です。ルイスも出るのですから、よろしければマリアン様も、応援に来ていただきたいのですわっ」
公の場にふさわしい上品なドレスと毛皮、宝石に身を包んだシルヴィアは、そう言うとマリアンにニコニコと笑いかけた。
「……シルヴィア様」
「ああ、ルイスの活躍を思うだけでわたくし胸がときめき身体が震え、血があちこちから噴き出そうなほどの幸福に包まれますの!! 戦うルイスの美しさと来たらまさに騎士の中の騎士! いえ天使と言っても過言ではないすばらしさなのですから!!」
「……し、シルヴィア様……」
「貴女もそう思うでしょうマリアンさん? さぁ一緒に馬上試合会場に出かけ、ルイスの勇姿をこの目に焼き付けようではありませんか!」
「……」
そんなシルヴィアとは対照的に、飾り気のない普段使いのドレスに身を包んだマリアンは、シルヴィアを眩しそうに見返してから、静かに首を振った。
「……申し訳ございませんシルヴィア様。お誘いは大変に嬉しいのですが……」
「あら、いけませんか?」
「……申し訳ございません。……その、私は……少し人前が……」
「……」
シルヴィアは、ひっそりと屋敷の中で息をひそめるようにして立つ、マリアンの申し訳なさそうな顔を見て、小さくため息をついた。
「……似合ってませんわ」
「……え?」
「表情もお葬式のような暗色のドレスも。こういう可愛い系丸狸顔は、明るい色が入ったドレスに身を包み、髪を花で飾り、陽気に笑ってこそ魅力も増すと言うのに!」
「まるたぬきかお……」
「あの熊兄はまったく、全然気が回らないんですから! だから貴婦人からの人気も無いのですわ!」
「し、シルヴィア様……いえ、兄のせいではございません……私は」
「言い訳は結構っ」
「っ……」
「愛する弟妹が笑ってないのは、可愛がっている兄姉の責任なのですっ」
「……」
弟馬鹿と名高いシルヴィアの極論に、マリアンは思わずシルヴィアを見返し。
「……っ……ふふ……も、申し訳ございません」
その子供のような膨れっ面に、思わず吹き出してしまった。
「まぁ、熊男の不調法をここで攻めても、どうしようもありませんわね」
そんなマリアンは手持ちの扇でパシパシと自分の掌を打った後、うって変わってしおらしい態度でマリアンの手を取る。
「……えっ?」
「なればこそ、姉のがんばりを認めて下さいますわよね? マリアンさん」
「え……」
「貴女が会場においでになれないというのならば、どうぞお願いですマリアンさん、どうかルイスに、馬上試合で身に着けるものを下さいませ。貴女もご存じでしょう? 騎士達は勝利を誓う貴婦人達の物を身に着け、試合に挑むのですわ」
「そ、それは存じております。……ですが……」
「今のルイスは、貴女以外のものなど身に付けませんわ」
シルヴィアの言葉に、マリアンの肩が小さく震える。
「今までルイスには、わたくしが心を込めて刺繍したハンカチやドレス袖を身に着けてもらったのです。ええ、それはもう豪華な、美しくかわいい私のルイスにふさわしいものをですわ」
「は、はぁ……」
「ですが、貴女に出会ったルイスに、それらはもういらないと言われてしまったのです。今のあの子にとって、どんな豪華な身に着け物だろうと、貴女の物でなくては価値などありませんわ」
「……」
「姉としてはとても寂しいですが、仕方がありません。愛する女性ができたという事は、あの子にとって幸せなのですから。……どうかお願いです、あの子に、貴女の持ち物を下さいませ」
「……」
「お願いしますマリアンさん。貴女から何ももらえなかったら、意気消沈したルイスが試合で怪我してしまうかもしれませんわっ」
「っ……」
シルヴィアの真剣な表情と言葉に、マリアンは沈黙したが。
「……こんなもので、よろしければ」
やがておずおずと、自分の栗色の髪をまとめていた、縁に赤い小花が刺繍してある、深緑のリボンをシルヴィアに差し出した。
「……計画通り」
「え?」
「いいえ、なんでもありませんわ。それではマリアンさん、またお会いしましょうねっ。ごきげんようっ」
それを大切にしまうと、シルヴィアはマリアンに淑女の一礼をして、馬車に走り戻って行った。
「……マリアンさんが、公の場に出たがらない事くらい判っていますわ」
その上で、ルイスに恋人からのお守りを渡したかったシルヴィアは、マリアンに頼みに来たのだ。
なお、最初にやや無理気味な事を言った後、受け入れ易い頼みをするのは、淑女の会話術だ。
「それでも、マリーンさんにはルイスと幸せになってもらわないと困るのです。わたくしのかわいいかわいいかわいいかわいいルイスのために!」
シルヴィアは懐の中からロケットを取り出し開く。
そこにあるのは、愛弟が五歳の頃に描かせた肖像画だ。
この頃のルイスは、正に天使だったとシルヴィアは確信している。
「……はぅうううううううううっ!! ルイスルイスルイスルイスぅううううううっ!!」
「……」
馬車の中で、鼻血は自重しつつもロケットに激しく頬擦りして愛しい弟の名を連呼するシルヴィアを、御者は何も見なかった事にしてそっと馬車の扉を閉め、出発した。
「……あの熊男なんかに、ルイスの幸せを邪魔させたりしないんですからねっ」
その脳裏にふと浮かんだ、ヘクターの姿に悪態を突きつつ、シルヴィアは王城敷地にある森に設営させた馬上試合会場へと向かった。