38弟馬鹿と妹馬鹿と決着
殺した、とラザールは確信した。
「……ぐ?」
――したはずだったが、と続けたラザールは、自分が地面に倒れ伏している事に気付き、そして一瞬飛んでいた記憶を取り戻して現状を悟る。
「……うむ。負けたか。……まさか、あそこで肘鉄とはな」
「……卑怯な手ではあった。だが、負けられん」
ヘクターは、頑丈な鎧甲冑の中でも特に強固な造りである自分の肘当てを見下ろし、静かに告げた。
自分の剣をはじかれ、脳天に致命傷となる一撃を喰らいそうになったヘクターは、弾かれた剣を引き戻すよりも剣を捨て、最後の武器となる己の肉体を包む甲冑での一撃を、ラザールの顎に見舞う事を選んだのだった。
そしてその試みは見事に成功し、急所の一つである顎をヘクターの怪力で打ち抜かれたラザールは、昏倒し地面に倒れ伏していた。
ラザールは、多少悔しそうな顔をするも、それを苦笑にゆがめ、少しだけ首を振る。
「なんの。馬から降りた後はなんでもありであろう。――認める。儂の負けだ」
それをまるで聞き届けたかのように、決闘の見届け人である国王は、座席から立ち上がり宣言する。
「――神の裁定は為された!! ――今この時をもって、余はマリアン・ブランドンを無罪とする!!」
その瞬間、ヘクターの勝利に観衆はどっと沸いた。
ヘクターは自分の視界の端で嘆くモーガンや、蒼白し座席から崩れ落ちたラスボーン大臣とその一派を見たが、特に何も思わずその視線を彷徨わせた。
――試合前は緊張しすぎていて、シルヴィアがどこにいるのか、よくわからなかったからだ。
「……あの乙女を探すのも良いがのうヘクター卿。そろそろこっちの決着もつけてはくれんか?」
「……ん?」
そのヘクターに、少々困ったようなラザールの声がかけられる。
「勝敗は決したであろう。さぁ、儂を殺せ。卿にはその権利がある」
「……生きたくは、ないのか?」
「ん? 無様に命乞いをして欲しかったか?」
「……」
「冗談だ。だが敗者が身代金を積んで延命を望むのは、儂には無粋に思えるのだ。情けは乞わん」
そう言って砕かれなかった頑丈な顎から血を流しつつ、相変わらずの歪んだ笑みを浮かべるラザールをヘクターは見下ろし、そのラザールに駆け寄って来る従者の少年を見た後、首を振る。
「いいや、殺さん」
「……何故だ」
「国王陛下は、この決闘は神の裁定であるとおっしゃられた。そして決着が付いた上で、両者が生き残った。……私はそれもまた、神の思し召しではないかと思う」
ヘクターの言葉に、ラザールは不機嫌に眉根を寄せる。
「……なんだ、興ざめだな。よりにもよって、神などと。……サトゥ」
「はい、旦那様」
ラザールに呼ばれた、ラザールの従者の少年が頭を下げる。
「儂を殺せ。主人に無様を晒させるな」
「かしこまりました」
ラザールの命令に眉一つ動かさず頷いた少年は、剣を抜き、ラザールの喉を掻き斬ろうとする。
「っ何をなさる!! 我が主人の末期を穢されるか!!」
「……」
その少年の手を、思わずヘクターが止めた。
ラザールに心酔しているらしい少年はヘクターに激昂するが、なんとなくヘクターは見過ごせず、じたばたと暴れる少年を抱えて押さえた。
「こらこらヘクター卿、少年愛は死罪だぞ?」
「殴るぞラザール卿」
「それはいいな。今良い所に一撃喰らえば、まぁ死ぬだろう」
「そういう事ではなくてな……あ、ウォルト頼む」
「了解しましたっ! サトゥだっけ? お前なーっ、ちょっと思い切りよすぎだろっ? 実はラザール卿の事きらいなのかっ?」
「そんなわけあるか!! くっ離せっ!!」
上手い言葉が浮かばず、ヘクターは暴れる少年をウォルトに引き渡しつつに困った。
――決闘の最中は、勿論殺す気で戦っていた。だが終わってしまえば、ヘクターはもうラザールに、死んで欲しいとは思わなかった。
『元々別に恨みは無い上……こいつの酔狂だったとしても……色々、助けてもらったしな……』
だが、その辺りを上手く説明し、ラザールを説得できる気がしない。こういう時は、口喧嘩が苦手な自分を呪いたくなる。
「兄様!!」
「ヘクター卿!!」
「――ヘクター卿!!」
「っ!!」
――と、そこに駆け寄って来る一団があった。
「マリアンっ!! それに――」
拘束を解かれたマリアンと、マリアンに寄りそうルイス。そして別方向から駆け寄って来たシルヴィアだった。
「マリアン!! マリアンよかった!!」
「兄様っ!! 兄様もご無事で……っ」
「……あ、ああ……」
「ヘクター卿……どうなされたのですか?」
感涙を堪えて駆けて来たシルヴィアは、だがヘクターのマリアンを抱きしめつつ困っている様子に気付き、小さく尋ねる。
「……殺したくない」
「判りましたわ」
その一言で色々と察したシルヴィアは、まずラザールの近くに跪き、冷めた口調で言った。
「――駄々をこねないでくださいませ。いい年した殿方が、みっともない」
「だ――」
あっさり容赦無いシルヴィアに、ラザールも思わず顔を引きつらせる。
「そうではありませんか? 確か決闘で生き残ってしまった敗者の裁定は、勝者側に一任されているはず。ヘクター卿が殺さないと言った以上、貴方はここでは死なないのです。死にたかったらどこか違う場所で、自分の力で勝手にやってくださいませ」
「よ、容赦ないのう乙女よ……」
「ええ、容赦などしませんわ。貴方が勝ったら間違いなくヘクター卿は殺されていましたからね、情けなど正直かけられる気持にもなりません。……ですが」
ラザールを見下ろしたシルヴィアは、やや悔しそうに言う。
「……貴方を気遣うヘクター卿のお気持ちも、少しだけ判るのです」
「……気遣い?」
「貴方はおっしゃいましたよね。自分とヘクター卿は、同類だと。……そしてその事を、ヘクター卿も御自覚なさっているのです」
ラザールは、やや目を細めた。シルヴィアは続ける。
「ラザール卿。……人は自分を本当に理解してくれる同類というものに、一生の内何度会えるでしょうか」
「……」
「……そういう人間は、敵味方問わず稀有に思うもの。……それは貴方様も同じだったのではございませんか?」
それは、色々と理由をつけていたが、結局はヘクターを助けていたラザールへ向けた言葉だった。
情けではない。ただ死なせるには惜しい。
――そう感じていたのは、ヘクターもラザールも同じだったのではないかと、シルヴィアは思った。
「……ぐぬ」
シルヴィアの言葉に、やがて本当に嫌そうな顔でラザールは呻く。
「……貴女は良い女だが、少々男の面子に対する配慮が足りんな」
やがて発せられた嫌味に、皮肉の一つでも返そうかとシルヴィアは考える。だが。
「……彼女のそんなところも、良いと思う」
「……っ!!」
ヘクターの一言で、そんな気は失せた。
「あ……あら。ヘクター卿も、そんな事をおっしゃいます……のね……」
「い、いや……」
頬を赤らめて照れるシルヴィアと、そのシルヴィアに照れるヘクター。
「………………………………………………………………」
「肩を貸しましょうか、おじさん?」
「おや、小僧っこ。愛しい恋人の傍にいなくてもよいのか?」
「……まぁ、今日くらいは義兄上と姉上に遠慮しておきますよ」
「……ああ、それはそうだな」
そんな二人を見たくもないのに見せつけられたラザールは、自分と同じくやや遠い目をしたルイスに肩を借り、立ち上がった。
――こうして決闘は終幕し、シルヴィアとヘクター――その騒動で奮闘した弟馬鹿と妹馬鹿は、無事愛する弟妹の幸せを守る事ができた。
「さぁっ、次はハドリー共の取り調べですわよね!! わたくしどんなお手伝いでもお任せあれですわ!!」
「そっちはまぁ……国王陛下にお任せした方が、いいと思うぞ。……マリアン。本当に、本当によかった……」
「そうですの? ――それならわたくしは、ルイスの花婿衣装の制作に取り掛からねば!! わたくしのルイスっ!! 晴れの日には五回は衣装替えさせてあげますからねっ!!」
「ルイス様が五回衣装替え……素敵です、シルヴィア様」
「ま、マリアン……しないからね。どちらかというと、それは花嫁側で見たい」
戻って来た相変わらずの平穏の中で、姉兄二人はいつもの通り弟妹を愛し、その成長を見守り喜ぶ。
「……シルヴィア殿」
「なんですか、ヘクター卿?」
「……どちらかと言うと、花嫁衣裳制作に取り掛かって欲しいんだが」
「……えっ?!」
「……嫌だろうか?」
「……と、突然の御話しですわね。……お気持ちは大変うれしく存じますが、なにしろ大切な事です。まずは我家の当主に相談後、日を改めてお返事をさせていただきますわ」
「……嫌か」
「嫌なはずないでしょうっ!! 求婚された貴婦人の定型文ですわよっ!! その辺はお察し下さいませっ!!」
「え、あ、わかったっ。面倒だなっ」
――彼らの愛する対象が、弟妹以外にもう一人。そして年を経るごとに一人二人と増えて行くのは、その後の話だ。
次回完結




