35弟馬鹿と妹馬鹿と告白
レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、まどろんだ意識の中に現れ、枕元で静かに祈りを捧げる清楚な姿の貴婦人を、最初に妹かと思った。
『……違う。……シルヴィア殿、か』
そしてそれが身支度を整えたシルヴィアだと気付いたヘクターは、少し驚いたが、すぐに納得した。
『……傍にいて欲しい……甘えたい人の姿。……妹ではないな。……母に、シルヴィア殿を重ねたのか。……なんという事だ』
最愛の存在のイメージを重ねる。その意味が解り、ヘクターはとても恥ずかしくなる。
「……あ」
「……う」
そして恥ずかしさのあまり、思わずシルヴィアから顔を逸らしたところで、ヘクターはシルヴィアに、起きている事を気付かれてた。
「お、起こしてしまいましたか? お休み中にもうしわけございません」
「い、いえ。起きてましたっ」
「えっ」
「ので。その、こちらこそ、すぐ声をかけず申し訳ないっ」
「お、起きないで下さいっ。まだしばし時間はあります。少しでも身体を休め、体力の回復に努めて下さいませっ。お加減はいかがですの?!」
「いえいえっ、見た目は派手に出血しましたが、急所は幸い全て外れてましたので、しっかり縫って止血してしまえばあとはもう、なんとでも……」
慌てて身を起そうとしたヘクターを、シルヴィアは押しとどめる。
「……」
「……」
未婚の男女が寝台の上で密着したそこで、お互い我に返る。
「……っ!! い、いや。実は最初から起きてたのですよ。どうも扉の向こうが騒がしい気がしまして、警戒していました。ですからお気になさらずっ」
「……っ!! そ、そうですか。それはきっと、入口にラザール卿が陣取ってましたからですわね。あの方存在自体が騒がしい方ですもの」
「……ラザール卿が? ……そうですか」
そしてそそくさと離れ、とりあえずシルヴィアの言う通り寝台に横になったヘクターは、シルヴィアの言葉で扉の、向こうに感じた気配の正体を知った。
「ん? 呼んだかヘクター卿っ?」
「呼んでない」
「そうか、ではごゆっくりなっ」
動物めいた勘で扉を開けたラザールは、相変わらず悪びれない笑顔を残し、再び扉を閉めた。
「…………本当にいたのか……」
「色々言っておられましたけど、結局ラザール卿は貴方様を守るためあそこにおられるようですわ。愛されていますわねヘクター卿?」
「は、ははは……。流石にその戯言は嬉しくありませんね……」
「喜ばれたら、困りますわ。……」
相変わらずのつんとした口調でそう返したシルヴィアは、だが少し表情を曇らせ、横たわるヘクターを見下ろす。
「……どうか、しましたか?」
「いえ。……ただ、ラザール卿の言葉を思い出していただけです」
「あいつが貴女に、何か言ったのですか?」
「わたくしに対してでは、ないでしょう」
ヘクターの言葉に、シルヴィアは首を振る。
「……貴方様と自分は同類だと、ラザール卿はおっしゃっていました」
「それは……」
シルヴィアの言葉を否定できず、ヘクターは言葉を失った。
「「戦場以外では上手く生きてはいけない」、「荒事でしか使えない男」……と」
以前にも言われたその言葉を、ヘクターは否定できない。
「……ええ、そうなのでしょうね。私は平時の王城内では役に立たない騎士です」
「……ヘクター卿」
自然と、苦い苦笑がヘクターの口元に歪ぶ。
「ラザール卿の方が、平時に上手く装っているでしょう。だから反感を買いつつも、あいつは立ち寄った場所で受け入れられる」
シルヴィアの眉根が、困ったように下がった。
全く似ていないのに、その顔がまた自分を気遣う母を思い出し、ヘクターは申し訳なく思う。
「……いや、気にしなくていいんですよシルヴィア殿。私がそういう人間なのは、自分でもよく判ってますから今更です。……私は無教養で、殺す事しかできない粗野な騎士だ」
「……」
「だから城の臣達には野蛮人と嫌がられ、王妃様を初めとする貴婦人達にも怖がられているのです。国王陛下の御温情がなければ、私など到底城仕えなどできるはずもなかった。ですから、私はやはり戦場の方が似合うかと……」
「………………」
気を使ったつもりが怒らせたと気付いたのは、ヘクターがシルヴィアの眉根を見たからだった。
非常に寄っている。
「それで、よろしいのですか?」
冷え冷えしつつも感情的な声が届いた。ヘクターは思わず謝ってしまいたくなるも、シルヴィアが続ける言葉を大人しく聞く。
「本当にそれでよろしいのですかヘクター卿っ? 戦場には愛するマリアンさんは、連れて行けませんのよっ?」
「そ、それはそうですね……」
「そうですっ。わたくしだってルイスが行くところならば戦場にだってついて行きたいですけれども行けませんものっ!! 私達姉兄が愛する弟妹と一緒にいたいならば、平穏な場所が一番なんですっ」
全くその通り。と、ヘクターは横たわりながら頭を下げるという、器用な体制になった。
ヘクターだって、生きて戦場から戻り、色々あったとはいえ妹に再会でき、そして妹と共に暮らせた事は僥倖だと思っている。
『……それに』
――そして、今はそれだけでないとも自覚している。
「……ヘクター卿。人は、服装や目つき、物腰だけで随分と印象を変えられるものです」
そんなヘクターを見返しながら、シルヴィアは真剣な表情で言う。
「貴方様の場合、柔らかい表情を心がけ、そのボサっとした黒髪に気を使うだけでかなり良くなるはずです。それに、教養は今からだって身に付けられます。別に焦る必要はないのです。学びたいという気持ちがあれば、少しずつでも必ず判ってきますから」
「そう、でしょうか?」
「ええ。……手伝う者がいれば、それもはかどるはずです」
シルヴィア視線が、僅かに揺らぐ。
「……ヘクター卿は、女に教えられるのは、やはり御嫌でしょうか?」
「……え?」
「……嫌ならば、お忘れ下さい。……もしも、よろしければでいいのです」
「……」
「……ヘクター卿、貴方が平穏な世界に溶け込むお手伝いを、わたくしにさせてはいただけませんか?」
――ヘクターは、言葉の意味を考えた。
「……」
勘違いしているのではないか、自分の都合の良いように取っているのではないかと、見返してくるシルヴィアを見上げながら真剣に考えた。
それほど、自分が動揺し、同時に浮かれたのを自覚した。つまり、嬉しい。
『……いや、だが私は彼女に嫌われて……いや、でも助けた時嬉しそう、だったはず……それは助けられたからか。つまりこれは、助けられた礼の可能性も……』
「……やはり、御嫌でしょうか?」
「そんなはずありません!」
「えっ?」
「……あ。……はい、ええ」
考え込んでいる内、つい反射的に返事をしてしまったヘクターは、寝転がっている現状に恥を覚えつつも、身を起してから開き直る事にした。伝えたいと思ったからだ。
「……すごく、嬉しいです。……貴女に、気遣っていただけるのは」
「……」
ヘクターは、不安定になる心臓を押さえ、そして思い切って続ける。
「……貴女も嫌ならば、忘れて下さい。……そうでなければ、聞き届けて欲しい」
「ヘクター卿……」
「……私は貴女が、とても好きです」
「っ……」
「……」
素直に言うと、羞恥が増した。
同時に、シルヴィアを困らせたのではないかと不安にも思う。
『……泣いているマリアンの時も思ったが……か弱い女性の返答は、時によってはどんな敵の雄叫びより怖いものだな……』
それでもヘクターは、シルヴィアの返答を待った。
決闘で死ぬ前に、などとは思わない。愛する妹のため、妹の未来のため、ヘクターは絶対に勝つ気だ。
そして勝利し生き残った後を考えながら、ヘクターはシルヴィアを思う。
「……わたくし、自分の時間はとても大事に思う方なのです。……ルイスのために、してあげたいことが沢山ありますから」
「……え?」
そして返って来たシルヴィアの返答に、ヘクターは思わず聞き返す。いつも通りの弟馬鹿だが、一瞬意味が解らない。
「……」
察しの悪いヘクターを、やや不満げに、だが頬を染めて睨んだシルヴィアは、恥ずかしかったのかそっぽを向いて、早口で説明する。
「――この世の誰より愛しい愛しい愛しい愛しい愛しい弟に今まで全て捧げてきた私の時間を、これから貴方のお手伝いのためにも使いたいと言ったのですよ。――好きじゃないはずないじゃないですかっ――きゃっ!?」
意味が分かったヘクターが、思わずシルヴィアを抱きしめたのは、そのほぼ同時だった。




