32弟馬鹿と妹馬鹿と弟と傭兵
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、騎士家の者の教養として、騎士が学ぶ馬術や槍、剣術の手ほどきも受けた。
「……」
それは実用するためのものでなく、夫や早世したり嫁ぎ先が没落した場合、息子に基本を教えるための教養ではあったが、何事もルイスのためと、シルヴィアはそれらを良く学び吸収した。
そしてその結果シルヴィアは、自分では決して修練を積み重ねた『男』には勝てないと、理解できた。
鍛えられ鍛錬を積み重ねた男の肉体は頑強で、とても強い。
シルヴィアが何度本気で斬りかかろうと、既に老境に達していたはずの教練の騎士達は、それを軽くいなし、シルヴィアが傷つかないように注意しつつ鍛錬を続け、どこを直せば良くなると指導できた。
それだけ騎士達には、余裕があった。
膂力も脚力も、自分では全て追いつかないのだと、シルヴィアは理解するしかなかった。
――物語の女騎士には、わたくしはなれませんわね。
――だが、弱く在るわけにはいかなかった。シルヴィアには守るべきルイスがいたからだ。
――……ならば、どうしましょう? 先生、か弱い女でも扱える戦力を、お教え下さい。
――ふむ……それは我ら騎士ではなく、技師か薬師か錬金術師の領分でありましょうな。
――技師か薬師か錬金術師?
――騎士の道義に照らし合わせれば卑劣な手段でも、用いれば女人に男は倒せまする。
――……卑劣。
――ええ、我らは卑劣と思います。お嫌ならば、おやめなさい。
――……いいえ、やめません先生。
――シルヴィア様。
――卑劣でかまいません。清廉潔白でルイスと我が身を守れないより、ずっとマシです。
だから、シルヴィアは卑劣になる事にした。
そしてマリアンを守る際太ももの内側に仕込み、そして運よく奪われなかった『武器』は、シルヴィアの宣言通り、油断したハドリーを卑劣に強襲し、倒した。
「……東の隆武帝国。……北の匈奴と戦うためかの国が、火の薬を使った『飛発』と呼ばれる武器を使っていた事は御存じ?」
シルヴィアは、落馬しグシャグシャになった顔面を押さえて悶え苦しむハドリーを見下ろし、冷徹に言う。
「あれは、加工された火の薬を燃やした力で弾丸を飛ばす、という構造の武器です。……一発分だけ、わたくしも隠し持っていましたの。火が素早く付くかどうかだけは賭けでしたが、上手くいきましたわね。……とはいえ、極々少ない火の薬しか使えない小型でしたから……命までは失っていないようですが」
――それは、シルヴィアにとって生まれて初めての、相手を殺すための攻撃だった。
「それにしても……なんて酷い、卑劣な武器。こんなものが改良強化され戦場で使われ続けたら……騎士の世は、終わりですわ」
シルヴィアは自分が害したハドリーを見下ろし冷静に言葉を続ける。
――自分がした事を、後悔しているなどとハドリーに思われる事だけは、耐え難かった。
「シルヴィア殿? ――シルヴィア殿!!」
「っ!! へ……ヘクター卿!!」
そんなシルヴィアの背後に、声がかかった。――シルヴィアの強張りが解ける。
「っ!! お、お怪我を!!」
「……大した事は……っ」
「あるではありませんか!! 今止血いたします!!」
「いや……最低限はしました。すぐ逃げましょう。追っ手がまだ来ている可能性がある」
「っ!! わ、判りました!」
ヘクターが生きていた。そして自分も生きている。
その安堵もなんとか自制して、シルヴィアは頷き駆け寄ると、ヘクターを支える。
「ヘクトルも、無事だったか!! ……それに、『これ』……は」
そんなシルヴィアに肩を借りながらも、ヘクターは愛馬の無事を喜び、そして落馬し悶え苦しんでいる男に気付いた。
「……ハドリー卿か? あっちにいないと思ったら、シルヴィア殿を追う気だったか」
「……ヴぁ……がぁばぁ……ぁあああ……っ!!」
ヘクターの言葉に、重傷のハドリーはそれでも怒りを露わにし、潰れた顔でシルヴィアを睨み付け叫んだ。――見えているのかどうかは、判らない。
「しるヴぃぁああ!! この毒婦……ぁあああ!! 女狐がぁあああ!!」
「っ……」
「が……があぁああ!! は――はは!! べぇくだぁああ!! お前もそいつに誑かさぇ……どうせ騙されるぞぉ!! わたじみだいにぁああああ!! 呪わべぉ女!! 地獄に落ぢぉ!!」
ぶつけられるむき出しの殺意に、シルヴィアは背が強張るのを必死に耐えた。そして、女狐らしく言い返してやろうと息を整える。
「黙ってろ」
「ぎゃ?!」
「っ……え」
だが、シルヴィアの返答は、ヘクターのハドリーへのこぶしで遮られた。
「構わなくていいシルヴィア殿。殺し合いの場では、男は特に残忍になるものです」
「……わたくし、こんな男の罵声に負けませんわ」
「知っています。私が言わせたくなかっただけだ」
「っ……」
「……おっと、ロープか。準備が良いと褒めるべきか、何をするべきだったのかと軽蔑すべきか」
「……」
ハドリーを気絶させたヘクターは、ハドリーの馬に詰んであったロープでハドリーを拘束すると、自分の馬に積み込み固定する。
「さて、証人もできた。急いで帰りましょう。シルヴィア殿」
「……」
「どうかしましたか?」
「い、いえ。その……」
――ありがとうございました。
そう一言言うだけで、おそろしく照れてしまったシルヴィアは、真っ赤になりながら顔を逸らす。
「…………どういたしまして」
そんなシルヴィアを見返したヘクターは、何か気の利いた事を言おうとして浮かばなかったらしく、結局一言返してさっさと馬に乗る。
「あ、シルヴィア殿は申し訳ありませんが、ハドリーの馬に乗って下さい」
「判っています」
無粋な男と思いつつ、男のそういう所も好きなのだと自覚したシルヴィアは、嫌な気分ではなかった。
「……っ」
その時シルヴィア達の視界が、僅かに明るくなる。
人工的な灯ではない。――朝日だ。
「……ヘクター卿っ」
「急ぐぞシルヴィア殿。大丈夫、飛ばせば間に合います。ヘクトル、頼むぞ」
「……はいっ」
徹夜、疲労、そして満身創痍に近い怪我。
決闘前としては最悪に近い状態にも関わらず、ヘクターの声は揺るぎない。
『……当然ですわね。逆の立場だったら、私だってルイスを助ける前に、弱音なんて吐くものですか!!』
「急いでマリアンを救わねば!!」
「判りましたわ!! 行きましょう!! ――ルイスっ!! 待っていてね!! すぐに姉の無事な姿を見せてあげます!!」
ヘクターに頷き返し、そしてシルヴィアも馬に飛び乗った。
そんな二人を乗せ、馬二頭は再び全力で走り出した。
その少し後。
「うぬぅ……遅いっ!! 遅い遅い!! 遅いぞヘクター卿!! 身支度もせず何をしておるかっ」
「……まだ時間ではございませんよ、ラザール卿」
「そんな事は若造ごときに言われんでも判っておるわ。黙っとれ」
「……」
決闘場に見物席。決闘前のミサを司る祭壇、そして罪人を処刑する火刑用設備。
すっかり決闘の支度が整った王城の中庭で、多くの見物人達に囲まれつつ、ラザールとルイスはギスギスしていた。
「全くっ、名声ある騎士ならば、決闘前にこそ余裕もって、貴婦人の一人でも口説くべきであろうが」
「……そんな騎士の道義は聞いた事がございませんがね。流石は好色で知られたフランドルの騎士殿は違いますな」
「ふふん。お堅く女も知らん奴には、余裕が生まれんのよ。嘴の黄色いガキは黙っておれ」
「愛する人に貞潔を誓えないなど、愚かな。知った女人の数で自慢したいのならば、行き着く先は決闘死ではなく梅毒死でしょうね」
「ふん。病が怖くて女が抱けるか」
「嘆かわしい、貴方がこの時代屈指の実力を持ちながら、傭兵と蔑称されている理由が判ります」
「口は回るな小僧。だがその呼称は儂にとっては褒め言葉だぞ。ん? お前は王子様とでも言われたいか?」
「……やめていただけますか? 非常に不敬です」
決闘場の端で待たされている二人は、やる事も無いので言葉を交わし、気が合わない事を理解し合い更にギスギスする。
「……ヘクター卿、騒動に巻き込まれたか? それとも自ら乗り込んだか?」
『姉上……』
お互いに考えている事が全く逆という事もあり、相互理解には程遠い。
「……やはり、お前の姉上絡みで何かあったか?」
「そのような事はございません」
「嘘をつくならば、もう少し言葉に余裕を持たせた方が良いぞ?」
「……」
「なるほど、城内が妙に物々しいと思ったが、お前の恋人は無事のようだしな。という事は乙女が危機か。そしてヘクター卿が助けに行ったと。なるほどなるほど」
『このおっさん……本当に腹立つ!!』
ラザールの察しの良さに、ルイスは内心で舌打ちする。
未婚の娘の誘拐事件だ。吹聴などできるはずもなく、更にルイスは姉を助けるため動く事もできないので、そのストレスは増している。
『……私は、姉に証言者達を守るよう仰せつかった。そして、ヘクター卿が来なければマリアンの為戦うのも私だ。……私は動くべきではない。動いてはならない。だが……』
「まぁ、大丈夫であろう。あの男が動いたのならば」
「……っ」
そんなルイスを気遣うでもなく、だが当たり前のようにラザールは言う。
「……ヘクター卿、ですか」
「あの男以外で誰がおるというのだ。ここしばらくこの国の騎士を虐めてみたが、てんで頼りない奴らばかりではないか」
「その言葉には賛同しかねますが……ヘクター卿は……」
「負けん。あの男は負けん。だから儂が殺す価値があるのだ」
「……」
全く自分勝手な発言だが、歴戦の戦士であるラザールの言葉には、ルイスにとっては説得力があった。
「……と言いつつ、貴方は焦っているではありませんかラザール卿」
「ん?」
「実はヘクター卿が来ないのではないか、貴方と戦う前に、ヘクター卿が負けてしまったら困る、と思っているのではありませんか?」
「いや、そんな事は全然思っておらんぞ。ただ、気合が足りんと思っておる」
「……は?」
「いいか? ――たかが暴・漢・ご・と・き!! から乙女を救出するだけの事で、この儂を待たせるとは言語道断という事だっ!! こ・の・儂・が!! 戦いたいと来てやっておるのだぞ? 暴漢ごとき速攻で倒し、さっさと決闘に備えるべきでないかっ!!」
「……どれだけ、御自分の価値を高く置いているのですか貴方は?」
「むしろこの、類まれなる名声と実力と秀でた容貌を兼ね備えた儂が、低く見られる理由とはなんだ?」
「その性格ですね間違いなく」
ルイスはこの、構われたがりの大人げない傭兵の標的にされたヘクターを、深く同情した。
だが気分は軽くなる。
「……はぁ、なんだか気が抜けました。貴方のような人相手に、ピリピリしているのもバカバカしい」
「やれやれ、自分の事情でピリピリ動揺するなど、まだまだガキか。徴兵された農民より役に立たたんなぁ」
「まだまだスレてひねくれた中年男と違って、こっちは情熱があるのですよ」
「はっはっは、負け惜しみにしか聞こえんぞコゾウ」
「はっはっは、その言葉が一年後も聞けるか楽しみですよオジサン」
そんな毒にも薬にもならない無駄口を交わし合い、二人はヘクターとシルヴィアの到着を待つ。
――来ないなどという不安を、ルイスはいつしか感じなくなっていた。
ラザールは元々感じていなかった。




