31妹馬鹿と弟馬鹿と卑怯者
――……すまない、ヘクター。……こんな荒れた情勢下に、お前達だけを残す。
――父は騎士の誇りにかけて、この国の為、国王陛下の御為、戦って死ぬ。何よりの誉れだ。
――だが、お前はまだ幼い。そんな覚悟はできていまい。
――なのに、私が死ねば次はお前の番だ。
―― 一族の最後の男子として、お前は最前線で勇ましく戦って死なねばならぬ。
―― それが――それだけが心残りだ。お前が一人前の騎士となるまで、生きていたかった。
――ヘクター、庇護者たる家長が死ねば、マリアンにももはや人並みの幸せは望めまい。
――母も亡く、頼れる者などいない。金の亡者の親族など、なおあてにするな。諦めさせよ。
――……彼女が望むならば、出兵前に命を絶ってやれ。
――きっとそれが、幼いあの子が地獄を見ないただ一つの方法だ。
――あの子は、産まれるべきではなかった。
――……誰が、誰が諦めさせるかよっ!! クソ親父っ!!
――何が騎士の誇りだ!! 誉れだ!! ふざけんな!!
――手柄を名門の騎士共に横取りされて!! ロクな出世もできなかった貧乏騎士のくせに!! そんなにその名が大事かよ!!
――生き残ってやる!! 誰が!! 国なんか!! 国王なんかのために死ぬか!!
――俺が!! 無責任なお前の代わりにマリアンを守る!! あの子を幸せにする!!
――絶対に!! ――絶対にだ!!
「――ぉおおおおおおお!!」
レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、一瞬よぎった過去の憤怒を叩きつけるように奪った馬を走らせ、投擲する短剣で次々敵の馬を屠った。
「ぎゃ――うっ馬を?!」
「ひ――卑劣な!! くそう!! 早くあいつを射殺せ!!」
「だっダメだ!! 灯を持たないヘクターでは狙いが――ぎゃ!!」
『馬までは重装で防護できなかったようだな。ならばそこを狙うだけだ!!』
重装騎兵と正面から当たった所で勝てない。かと言って逃げるわけにはいかない。ならばどうするか。
シンプルかつ合理的な思考を研ぎ澄ませ、ヘクターは暗闇の中、相手の持つ灯を頼りに戦い続ける。
『痛っ……』
無論無傷とはいかない。
多勢に無勢では、攻撃の全てを回避する事は到底できるはずもなく。槍や弓矢で切り裂かれた軽装はあちこち血で滲んでいたが、それでもヘクターは致命傷を避けながら、敵側の機動を削り取る事を目標に戦い続けた。シルヴィアを無事に逃がすためだ。
『――シルヴィア殿を追う増援があってもおかしくない。――急がなくては!!』
ヘクターは敵から奪った槍で最後の馬のこめかみを打ち抜き、一撃で倒した。
「わ――私の馬が!! 貴様ぁ!! それでも騎士かぁ!!」
「ぐっ――っ!!」
同時に敵の槍肩口を深く抉ってしまったが、気にしている余裕などない。
ヘクターはそのまま奪った馬の横腹を強く蹴り、全速力で離脱する。
馬を倒されてしまえば、鈍重な鉄の塊に成り下がった重装騎士に、追う術は無い。彼らだけならば、ヘクターはそのまま逃げられるはずだった。
――だが。
「――っ!!」
騎士達をなんとか振り切った所でとうとう、ヘクターの奪った馬も弓矢で打ち抜かれた。
警戒はしていたため、ヘクターは自ら馬に投げ出されるようにして地面に着地するが、巻き上げが終わった機械弓はなおも追撃し、敵へと向かって多数の弓矢が放たれる。
「……」
咄嗟に絶命した馬の影に隠れて防御したヘクターは、そのまま闇に隠れて走る。
『あの場でできる事はだいたいやった。――あとは』
そして、弓を捨てて襲い掛かって来た襲撃者の頭部を、引き抜いた幅広剣で打ち据え倒す。
『――気合しか無いな!!』
最終的には気合ぞヘクター!! と自ら率先して気合を見せる国王に、尖っていた少年期毒気を抜かれた事を思い出しつつ、開き直ったヘクターは、血まみれで敵陣を突き抜けて行く。
「ひ……ひぃい……っ?!」
「あ、あいつ……嗤って……あんなに血まみれで……怪我してるはずなのに……」
「あ……悪魔だ!! あれは悪魔の忌み子に違いない!! 神様!!」
その姿に、そして襲い掛かった途端刈り取られる味方に、追おうとした敵は震え上がった。
『シルヴィア殿……早く逃げ切ってくれ!!』
だが一方その頃。
「シルヴィア!! ――止まれ!!」
「っ?!」
蹄の音と追いすがる声に、シルヴィアは自分を追う敵が接近した事に気付いていた。
そしてその粘着質な声を聞き、裏切り者の名を確信する。
「っ……ハドリー……この裏切り者!! ウェーデンの暴漢達に味方するなんて!!」
「はは! あんな愚かな連中ただの捨て駒だ!! あいつらは私の名も知らないからな!!」
シルヴィアを追って来た馬の気配が、グッと近くなった。
同時にシルヴィアは、自分に向けられる熱を帯びた視線に悪寒が走る。
「あの忌々しいヘクターを殺し、お前を手に入れる……こんな機会を逃せるものか!!」
後ろからではなく、ほぼ正面から距離を詰められてしまっては逃げられない。
『わたくしの馬術がこいつの数段上手でしたら、それも可能ですが……残念ながら、こいつ馬術だけはとても優れていましたのよね!! その上今は軽装ですし!!』
シルヴィアは舌打ちし、それでも馬を走らせた。ハドリーは構わず馬を寄せてくる。
「どうするシルヴィア!! 大人しく私のものになるというのならば優しく扱ってやるぞ!! 恐怖に泣き叫ぶお前を嬲ってやるのも楽しそうだがな!!」
「恥知らずが!!」
「……お前が恥知らずにさせたんだ」
「――くっ」
シルヴィアはとっさに頭を下げ、近くに突き出されたハドリーの手を交わす。
『こいつ――わたくしの髪の毛を!!』
長い髪を掴まれ、馬上から引き倒される。そんな光景が頭をよぎったシルヴィアの身は震える。
意図を察してなんとか離れようとするが、ハドリーは楽しそうにシルヴィアを逃がさない。
「美しい、思う通りにならないシルヴィア……お前に拒絶される度、どれだけ男としての矜持を傷つけられたか判るか? あんなガキを優先するお前に、どれだけ焦がれたか判るか? ――全部お前が悪いんだシルヴィア!! お前が私を狂わせたんだ!! はっははは!! この女狐め!!」
ハドリーの顔に浮かんでいるのは、隠しようのない愉悦と、凶悪な欲望だ。
「――ヘクトル!! がんばって!!」
シルヴィアは自分の長い金髪を呪いたくなりながらも、馬の横腹を蹴った。
ヘクトルもそれに応え加速するが、もう長く走っているため、いくらシルヴィアが軽くとも、そこまでの瞬発力はでない。
「ははははは!! 逃げ切れるものか!! そら捕まえるぞ!! 私のいう事を聞かないというのならば、その髪を木に括り付けて犯してやろうか!! その後丸坊主にして、顔を潰して真っ裸にしてから川にでも放り込んでおけば、お前とは判らないだろうなぁ?!!」
おぞましい言葉を吐きつけながら、ハドリーはシルヴィアを追う。
『……』
そのハドリーから必死に逃げながら、シルヴィアは手綱を握っている右手を見る。
――正しくは、手綱と共に握り込んでいるものを。
「……」
シルヴィアは、手綱を緩く引き、ヘクトルに減速を促した。
忠実な馬は、どこかシルヴィアに気遣うように鬣を揺らしたが、すぐに命令に従い足を緩める。
それを確かめた後、シルヴィアは手綱を離し、両手を胸元に当て叫ぶ。
「……こっ、殺さないで下さい……お願い……っ」
シルヴィアの声は、弱々しく震えている。
「おっしゃる通りにいたしますから……ひ、酷い事はやめて下さい……」
「シルヴィア……はははシルヴィアっ!! そんな声も出せるじゃないかっ!! いいだろうっ!! 優しくしてやろう私のシルヴィア!!」
その声に、ハドリーは喜悦の言葉を返す。
抵抗できない想い人を屈服させた。好きにできる。
その陶酔は、ハドリーの脳に痺れる程の多幸感を与え、判断を鈍らせた。
――だからこそ。
「――え……」
「……なんて、言うと思って?」
馬上で抱き寄せたシルヴィアが、大事に手の中に握り込んでいた『それ』に、最後まで気付く事はできなかった。
「……さよなら」
完全に密着し、『これ以上なく狙うには良い機会を得た』シルヴィアは。
手にした火打石を鋭く打ち付け、ハドリーの額にそれを放つ。
「――っ?!!」
シルヴィア達の目前まで追いついていたヘクターは、闇の中男の凄まじい絶叫を聞いた。




