28弟馬鹿と妹馬鹿と誘拐犯達
残酷表現あり。
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、過去何度か誘拐されかかった事がある。
それはシルヴィアの夫を家の跡取りにしよう、という意見が強くなった頃の事であり。犯人はヴェルナー家の名と財産を狙い、まだ十三歳のシルヴィアを無理矢理妻にするため、襲おうとした他家の騎士達だった。
幸いそれらはヴェルナー家の者達によって阻止され、不定の輩は皆公にならぬよう内密に罰を受けたが、それらの不愉快な経験は、シルヴィアの中に暴漢という存在をしっかりと印象付けた。
『……気絶、怯えたふり、叩き起こされたら泣き真似。……脆弱で愚かな女の方が、相手にも隙ができる。……犯されるかもしれませんが、それは仕方ありませんわね。口が自由だったらせいぜい舌嚙んで自決してやるという態度を示す事しかできません。……実際舌嚙んで死に切れるとも思えませんけど』
そんなシルヴィアは、うすぼんやり戻った意識の中で現状況を考えながら、これからを考えている。
シルヴィアが気付いた時には、シルヴィアは蝋燭灯しかない暗いどこかで、何かを話し合っている者達に囲まれ、固い石畳の上に転がされていた。
誘拐犯の姿は、顔まですっぽりと覆われた黒装束で判らない。
『……ただ、今の所服を乱されてはいませんね。……それに……この言葉』
そしてシルヴィアが意識を集中させれば、誘拐犯達が使っている言葉が、レームブルックの母国語ではない事はすぐに判った。
[これがヘスター・ブランドンの恋人か。……なるほど、あの若造が言った通り、男を堕落させる雰囲気のある美女だな]
[あの男、見るからに武骨そうに見えて色好みか。まぁ、私も女は色気の無い小娘より成熟した美しい方がいいが]
[この元聖堂は、本当に安全なんだろうな?]
[あの内通者は信用できん。周囲を確認で来たら、すぐ帰還するぞ]
『……この言語。……それに内通者……帰還……そういう、事ですか』
誘拐犯達の使っている言語と内容で、シルヴィアは確信する。
『こいつら……ウェーデン王国の者達ですね。……レームブルック王国を連合国と共に侵略しようとしたあげく、ヘクター卿に王を討ち取られた……かつての大国』
シルヴィアは、十三年前のレームブルック大侵略の主犯。
――つまりレームブルックに敗戦後王室の求心力が急落し、内乱と他国からの侵略でボロボロになった、かつての侵略連合盟主国の名を思い出した。
気絶したふりのまま様子を伺っているシルヴィアの傍で、誘拐犯達の話は続く。
[ヘクターめ……我らが国があのように荒廃したのも、全てあやつのせいだ]
[レームブルックの悪魔め!! 自分の女を人質に取られれば、何もできまい。本気で戦う事もできないまま決闘で、ラザール・デムランに殺されてしまえ!!]
[何も守れぬまま、無様に犬死すればいいのだ!!]
[これでようやく、我らが君の御無念も晴らせるというものよ]
シルヴィアは、誘拐犯達に対し耐えがたいほどの不快感を感じた。
『――怨恨。――しかも完全に、逆恨みではありませんか!! この侵略者共が!!』
同時に、この誘拐犯達がこのような暴挙に出た理由も察する。
『話し方からして、この男達の身分は騎士以上。……それが他国でこのような不名誉に走るという事は、もうウェーデンは前王の復讐を掲げて、レームブルックに戦争を仕掛ける気はないということでしょう。……もしかしたら、その力ももはや無いのかもしれません。……ふ、ふふふ』
シルヴィアはかつての大国の衰退を思い、そしてその情報収集能力の無さを嘲笑った。
『……馬鹿な男達。……わたくしなどをどうしようと、あの方がマリアンさんを助ける事に躊躇するはずなどないではありませんか。……こいつらのやった事は全くの無駄。無意味です』
状況の悪さを理解しつつ、シルヴィアは被害が自分一人だけで済む事を確信し、どこか安堵する。
『……負けたら許しませんからね、ヘクター卿。……貴方はちゃんと勝って、愛するマリアンさんを護って、わたくしの愛するルイスに泣きながら、花嫁装束のマリアンさんを送り出さなくてはならないんですからねっ』
シルヴィアは、ふとそんな結婚式の様子を思い出し、苦しくなる。
シルヴィアだって絶対に立ち会いたいその幸せな席に、シルヴィアが戻れる可能性は限りなく低い。
[……しかし、惜しいな。……陛下の御命令でなければこの女を楽しめるというのに]
[手を出したら許さんぞ。ヘクターの女を自分のものにしてから嬲り殺してやろうと、国王陛下がお待ちだ]
[ふん、どうせ処女ではあるまい。一度くらい判らないのではないか?]
[駄目だ。陛下のお楽しみ前に手を出した事がばれたら、全員首が飛ぶ。女のドレスにお前が手をかけようとでもしたら、私が殺すぞ]
『……下郎共が。……ウェーデンの現国王は酒色に溺れた暗君という話でしたが、噂通りのようですわね』
それでもシルヴィアは震え強張りそうになる身体で耐え、気絶した演技を続ける。
助けに期待できないならば、自力で逃げるしかない。
『……限りなく無茶ですが、逃げられる可能性は無いではありませんもの。……幸い、これは男達が気付かなかったようですし。……一応、ここで手を出されなくて幸いでした』
シルヴィアは、太ももの内側に『まだ残っている』感触を確かめ、必死に気持ちを落ち着ける。
『……大丈夫。大丈夫です。……私は、守られる女ではありません。……ずっと愛する弟を守って来たんですから。……だから、大丈夫なんです』
それが強がりであろうと、シルヴィアは自身の強さを信じるしかない、と思っていた。
「……御老」
「おお、いらっしゃいましたか。恐ろしくお早うございましたな。……ヘクター卿」
―― 一方そのころ、シルヴィアが『絶対来ない』と確信していたヘクターは、静かに元聖堂を見張る元斥候兵の老人と接触していた。
「状況を」
「――は。現時点で誘拐犯共はシルヴィア様と元聖堂に入ったままであり、移動はしておりません。誘拐犯は確認できましたのは八人、その内四人が誘拐実行犯、他四人は元聖堂の外で見張りをしております。――見張りの武装と定位置、移動経路は――」
現役の頃を思わせる的確さで、元斥候兵の老人はヘクターに説明した。
「……」
ヘクターは老人の口頭説明を頭に叩き込みながら、元聖堂の気配と物音に意識を尖らせた。
――正直、女の悲鳴でも聞こえたなら、ヘクターは冷静でいられる自信はなかった。
「――以上でございます。ご質問はございますか?」
「無い」
「かしこまりました。……ヘクター卿、これからいかがなさいますか? おそらく加勢も呼ばれたのでしょうが、お待ちになるのですか?」
「加勢など無い」
「……え」
「数を集めれば、それだけ時間もかかるし相手に気取られ易くなる。内通者が入り込む可能性も増える。……彼女がそれだけ危険にさらされる事になる」
「……」
ぽかんとしたような表情の老人を気にせず、ヘクターは馬を老人に預けると、暗色のマントを頭から被り、扱いやすい幅広剣を引き抜いた。
海戦で使われる事の多い、やや短めで分厚い刀身を持つ片手剣は、狭い場所での乱戦に強い上丈夫で、室内での殺しには短剣並に役立つ。
「心配するな」
「……え?」
「なるべくは殺さん。……背後を吐かせなければならんからな」
「……」
そう言って、ヘクターはマントの中で感情を感じさせない嗤声を漏らした。
何かを言いかけた老人は。
「……ご、御武運を」
すぐにヘクターから目をそらし、それだけを返して頭を下げた。――その顔は、恐怖で蒼白だ。
「ヘクトルを……馬を頼む」
そんな老人に一言言い残すとヘクターは動き、大きな体躯からは考えられないほど音も無く機敏に、闇夜と木々に紛れるようにして元聖堂へと近づいて行った。
――その数秒後。
「……っ!! ――!! ――!!」
押さえつけられた誰かの呻音と共に、ベキゴキャ!!!!!!、という嫌な破壊音を老人の耳は拾った。
――その数秒後、また一つ。――更に数秒後、また一つ。
「……そりゃあ、あの方は戦場の英雄だからな。……華々しく真正面から馬で突撃ばっかりやってたわけじゃあなかろう、とは思っておったが……」
躊躇どころか殺意すら感じ取れない、まるで魚でも捌くような淡々とした襲撃を感じ取りながら、老人は憐憫に満ちた表情になって首を振る。
「……誘拐犯共とはいえ、可哀想にな。……番を奪われて猛る、熊の尾を踏みつけたようなもんだぞ」
なお、熊の尻尾は小さいので踏めない。
シルヴィアが気絶したふりを続ける部屋から、誘拐犯の一人が出たのは苛立ちからだった。
「……くそっ」
誘拐犯の一人はシルヴィアの艶やかな金髪や白い首筋胸元、まろやかな胸や腰のラインなどを物欲しげに見ていたが、頭が固い仲間の前ではどうする事もできないと苛立ちながら外に出て行ったのだった。
苛立ち紛れに月あかりが差し込む回廊を歩きながら、誘拐犯の一人は愚痴る。
「略奪品の味見くらい、何が悪い。どうせ見るからに売女だ。処女じゃあるまい」
美しい上、自国の衰退を招いた憎悪の対象であるヘクターの女を凌辱できると思えば、倒錯的な獣欲が湧き上がって来る。
「それに、どうせ王に差し出すんだろう。あの好色ジジィ、女を壊すのも好きだからな。正気のまま抱ける機会なんて今しかないだろうに。……まぁ、ボロボロにされたヘクターの女を見物してやるのも楽しそ――」
下衆な物言いは、男の顎をひしゃげさせ砕いたヘクターの剣柄によって遮られた。
「ご――っ?! ――っ!! ――っ?!!!」
敵襲、と叫ぶ前に正面から口鼻をふさがれた男の股間をヘクターの膝蹴が叩き潰し、直後叩き込まれた肘打ちがあばら骨をへし折り、更に苦痛に悶絶する男の喉笛に、カットラスの柄が付き入れられた。
そしてそのまま喉奥を潰しながら、ジワジワと締上げる。
「……」
ヘクター以外は誰も知らない事だが、この『落とし方』は他の見張り達と比べて、数倍の苦痛と時間を伴うものだった。
「……ウェーデン語。……あの国の者か」
シルヴィアに汚らわしい目を向けた誘拐犯に対し躊躇無く報復したヘクターは、そのほぼ再起不能となって落ちた誘拐犯を建物影に押し込みながら自身へ恨みを持つ国を思い出し、怒りと焦燥を増す。
『シルヴィア殿……すぐに行く。――必ず守る』
シルヴィアの身を案じながら、ヘクターは誘拐犯達の『処理』を続けた。




