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27妹馬鹿と憤怒

 レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、初陣を飾って以来の戦場育ちだ。


「――旦那様」

「今行く」


 だから緊張している夜にも自分の意思とは関係なく眠る事ができたし、逆に召使の小声で、即覚醒する事ができた。


「何が起きた?」

「判りません。ただ、お使者様から至急登城するようにと」

「……」


 いつもの出仕用の鎧甲冑ではなく、まるで旅人のような軽装と暗色のマントに身を包み、小回りの利く短めの剣と短剣を剣帯に差して部屋から出て来たヘクターに、老いた召使はやや驚いたように、短く答える。


「判った」

「旦那様、そのお召し物でお城に?」

「すぐ必要になる」

「だ、旦那様……」

「ヘクター卿!」


 老召使と使者が止める間もなく、ヘクターはいつもより恐ろしく身軽な身体で愛馬にまたがり、猛然と馬を走らせた。


『――何が起こった? ……誰に起こった?!』


 ヘクターは頭の中に浮かんだ二人の娘に、胸を掻きむしるような焦燥を覚えながら城に急いだ。

 城の跳ね橋で慌てた城兵に制止されて馬を飛び降り、案内を聞き王の私室に走り込んだヘクターは、難しい顔の国王と、沈痛な面持ちで額を押さえる国王妃、そして。


「――マリアン!」

「ごほ……兄様!! 兄様大変です!! シルヴィア様が!!」


 蒼白の顔色で駆け寄って来たマリアンを見つけ、事態を察した。


「陛下、シルヴィア殿は……」

「ああ、そなたの妹の部屋が毒煙に襲撃されたが、その隙を狙われた。……こんなものが、残されていたそうだ」

「ああ……シルヴィア。なんということ……」

「妃よ、しっかりせぃ。あのしっかりものの娘はきっと大丈夫だ」


 王宮のしきたりを全て無視したヘクターに、国王もまたしきたりを全て無視して簡潔に応答し、近寄って来たヘクターに丸められた小さな羊皮紙を差し出す。


―娼婦の味方に天誅を―

―決闘は誓い通り執り行われる―

―ただし騎士ヘクターは、娼婦の妹の罪を償い明日の決闘に負けねばならない―

―神の信徒より―


 簡潔かつ読む者達の悪感情を煽るように、筆跡が判らないガタガタの文字がそこには記されていた。


「……ラスボーン大臣家の動きは判りますか?」

「密かに見張らせていた者達の報告では、何も動いた様子は無い」

「でしょうね。すでに計画していたならば、実行犯を屋敷から出発させるような愚は起こしますまい」


 ほぼ期待していない事を確認したヘクターは、腹の中が煮えくり返るような怒りを覚えつつ、冷静に言葉を発していた。


「実行犯がなんであれ、金で雇い切り捨てれば良いのですから。……私が決闘に勝とうが負けようが、このままではシルヴィア殿は、生きて帰ってくることはない」


 ――人間怒り過ぎると、かえって冷静になるのだな、とヘクターは自嘲する。

 それほどシルヴィアを害した人間達に対する憎悪と殺意は、ヘクターの中で膨れ上がってた。

 その意味を、ヘクターももはや偽れない。


『……私の想い人に手を出した事、後悔させてやるぞ』


 ヘクターは羊皮紙を国王に返した。

 返された国王は、ヘクターの顔を見上げて方眉を上げる。


「ほう。そなたがそこまで怒ったのは、戦時中余が毒矢で射られた時以来だな、ヘクター」

「……そうかもしれません。ところで陛下、ルイス卿はどちらに?」

「使いは出したが、話を聞いてこちらに任せるという伝言を返して来た。シルヴィアから任された、家と証言者達を守らねばならない、との事だ。今は屋敷の守りを固めている」

「よかった。マリアン可愛さにこちらに駆けつけて来ていたら、殴り飛ばさねばならない所でした」

「うむ、良い判断だ。義弟が、冷静に事態を対処できる男でよかったのう?」


 ヘクターは義弟という部分には反応せず、頭を下げた。


「ふむ……それでどうするヘクター? ……確かに神の名の元に宣誓を行った以上、『証言者一人が消えた』くらいでは、決闘を取りやめることはできない」


 国王の言葉通り、神明裁判の一つである決闘には、それほどの意味があった。


「そして証拠がない以上、原告側の妨害工作と糾弾する事もできぬ」

「どうもいたしません。決闘は執り行われ、シルヴィア殿は五体満足で帰って来る。……いや、私が取り戻す」


 国王の問いに返したヘクターは、マリアンへと顔を向け続ける。


「マリアン、兄は必ず帰って来る。待っていてくれ」

「っ……私は大丈夫です。兄様、私を気にせずどうかシルヴィア様をお助け下さいっ。シルヴィア様は、私を守って下さったのですっ」


 ヘクターの言葉に、震えと涙をこらえるように口元を引き結んだマリアンは、そう返した。

 強くなった、とヘクターはふと微笑ましくなる。


「行くか、ヘクター」

「はい。ご心配をかける不忠をお許し下さい」

「構わん。我騎士なれば、腰抜けより不忠の方がマシよ。……とはいえ、当てはあるか?」

「ございます」

「ならばよい。行けヘクター、そして必ず戻れ」

「御心のままに」


 自分を信じた国王に、ヘクターは最後のみ、まるで重要な儀礼祭事の時の用に跪くと、恭しく首を垂れた。


「……」


 そしてヘクターは、愛馬と共に城の裏口に回った。

 ぐるりと囲まれた堀の湿気が漂う細い橋を渡り、そのまま続く森へと入ると、そのままじっと何かを待つ。


「――ヘクター様」 


 待ち人は、微かな葉擦の音とともに現れた。


「追えたか、ウォルト」

「勿論です。――こんな格好で城をうろつくのは、恥ずかしかったですけどねっ」


 そう言ってヘクターの前に現れたのは、馬を引いたヘクターの従騎士ウォルトだった。

 ――ただし、ウォルトは何故か、城の女官達が身に着けるようなドレスと頭巾を抱えている。


「そりゃ、城の中に女官がウロウロしてたって怪しまれませんけどっ、なんで女装なんてしなきゃいけないんですかぁっ。教会にばれたら異端者扱いで火あぶりですよぉっ。兵士の格好でいいじゃないですかーっ」

「武装を疑われない女の格好の方が、万一襲撃者達に見つかっても安全だったからだ」

「うーっ。そりゃ襲撃者達と戦うよりはましですけど……男としての尊厳があるんですよっ」


 微妙な年頃であるウォルトは、納得いかない様子だった。


「それで、アジトは突き止めたか?」

「はい。ヘクター様のおっしゃる通り、見つかりにくい場所ではありましたが、案外近くでしたよ」

「……だろうな。レームブルックは山岳の多い土地だ。整備された道でなければ車は使えないが、下手に夜半関所を抜ければ目立つし、馬に荷物(シルヴィア殿)を積んで道なき道を逃げるのも案外難しい」

「城内で奴らを留めるのは、やっぱりまずかったですかね」

「ああ。死体が増えただけだったろう。お前も……シルヴィア殿も死んでいたかもしれない」

「それは……うん、そうですね。かといって、マリアン様を逃がしかねないヘクター様は、お城で待機もできないし……。で、でもまぁっ、なんとかなりましたからっ」


 とはいえ、ウォルトは仕事を果たしたようだった。


「外に気を付けてた見張りのじーちゃんが教えてくれたんで、すぐ追いつく事ができました。目的地には、一緒に行った元斥候兵、現庭師のじーちゃんが付いてくれてます」


 ウォルトは、城で仲の良い老人達にも協力してもらって、襲撃者が来た場合の追跡役を担ったのだった。

 戦わず追跡だけを目的とするならば、小柄だが体力もあり足も速いウォルトは、下手に目立つ大人達よりもずっとその役目に適していた。


「さすがだな」

「がんばりましたっ」


 そばかすだらけの顔を笑顔にしたウォルトは、だがすぐに真面目な顔になると地図を取り出し、素早くヘクターに説明する。地形把握はヘクターが教えた中でも特にウォルトが良く学んだ事のため、その説明は簡潔で判りやすい。


「……ここか」


 ヘクターが地図を見て頷いたのは、王都からやや離れた人気のない土地にある元聖堂だった。

 百年ほど前、当時の国王に反乱した大臣が逃げ込みそのまま攻め滅ぼされた聖堂は、古びてはいるが堀や塀がほぼ原形を保ったまま残っているほど頑丈で広い。


「お、おばけが出そうでした」

「心配するな。幽霊より人間の悪意の方が怖い」

「否定はしませんけど慰めになってない……っ」

「まぁな」


 慰めるつもりもなかったヘクターは、地図を畳むと懐にしまった。そして。


「――ひっ?!」

「……一人か」


 いつ抜いたかもわからないほどのスピードで鞘から抜いた短剣を、背後に放っていた。


「ぎゃ――?!!」


 直後何かを潰したような悲鳴と、ドサリという鈍い音が被さる。


「だ、誰だ?!」

「城からつけてきてた。気配を暫く探ったが、他にはいないようだったんでな」


 太もも付近に刺さった短剣の痛みで悶え転がっているのは、着飾った廷臣姿の若い男だった。


「ぎゃ――っっっぁああ?!」

「わざわざ私達の会話を盗み聞いてから、どこに報告しに行こうとしていた?」


 ヘクターは無造作に短剣を引き抜きながら男に言った。

 体を気遣う意図が全くないその所業で、若い男の太ももからは地が噴水のように吹き出し始める。


「へっヘクター卿!! こここのような……事をして……許されると!! わ……私の家はレームブルック王国旧家のぎゃぐぅうううう?!!」


 無駄口を封じるように、ヘクターの短剣が再び男の傷口を抉った。なお、男の絶叫が上がる前に、ヘクターは男の口に男の袖布を突っ込み塞ぐ。


「お前が答える気が無いなら、まぁいいんだ。こっちも急ぐからな。……だが考えた方がいいぞ?」

「ぅぐうぅ……まぇ……こ……な……っっ?!」

「お前は今、私の恨みを買ったんだ。お前ら王都でヌクヌク守られた連中が馬鹿にする、戦場育ちの野蛮人の壮絶な恨みを、な」

「っ……ひぃっ?!!」


 ヘクターを見上げた男の表情が強張り青ざめる。

 それほど猛獣のようにほとんど表情を消し、殺気ばかりを膨らませながら口元を歪めるヘクターは恐ろしい。

 

「ウォルト、こいつを私の屋敷の地下室に連れていけ」

「……ああっ、あのえげつない拷問具がある部屋ですかっ。了解ですっ」

「ご――ぅうう!! んんーーーー!! うぐぅうううーーーー!!」

「野蛮人に八つ裂きにされるか、素直に罪を認め城で慈悲を乞うか、よく考える事だ」


 人を痛めつける事に慣れたその所業は、確実に男の傷口と精神を抉っているようだった。

 男がすっかり『折れている』事を確かめた後、ヘクターは立ち上がるとウォルトに小声で言う。


「私は急ぐので後は任せる。素直に吐いたら証人として生かしておけ。無関係と強情を張るなら殺して遺体は始末しておけ」

「従騎士、了解しました。……本当に無関係でも、いいんですか?」


 ほぼ男の黒を確信しているウォルトは、一応確かめるようにヘクターにそう聞いた。

 ヘクターは口元を歪めたまま、何でもない事のように返す。


「不運だったな。だがこんな所で疑われるような事をする方が悪い」

「……ヘクター様って、本当に荒事になると変わりますね。王宮で煌びやかな方々に囲まれて、オドオドしている姿が嘘みたい」

「大きなお世話だ。……ところでなウォルト」

「はい?」

「さっきの拷問具とは良い(ハッタリ)だったぞ。……だが家にはそんなものは無いが、どうするんだ?」

「え? 地下室にはアレがあるじゃないですか~」

「ん?」


 小声で返したウォルトは、怪訝な表情になったヘクターに、にやりと笑って返す。


「ヘクター様が教養の練習で書いたマリアン様の絵っ。下手通り越してもはや芸術の領域のおぞましさで、暗闇で見たら腰を抜かす呪いの一品ですよっ。まさに拷問具!」


 ウォルトの頭をげんこつで殴り、ヘクターは馬に飛び乗った。

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