26弟馬鹿と襲撃
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、国王妃の話し相手に何度も呼ばれているため、レームブルック王城、そして城塞に守られた王宮の構造をある程度は理解している。
『ふむ……城塞の二階、貴人捕虜用一時拘置部屋ですか。罪人用の牢屋ではなく、解放感のある造りである王宮よりもずっと安全な場所です。……窓が小さい上狭くて息苦しいかもしれませんが、マリアンさんにはがんばってもらいましょう』
そんなシルヴィアは、マリアンが拘置された場所を確かめると、その周辺を城の衛兵の目障りにならないよう連れて来た護衛で固め、侍女達には食事や湯を用意させてマリアンをいたわった。
『国王陛下の居城は最も安全な場所……なんて盲信はいたしません。むしろ規模も出入りする人も多い分、害意はどこからでも入り込んでくる。……守らねば』
わざわざ国王と国王妃の許可を取って、信用できる自分の侍女達にマリアンの食事などを用意させたのは、慰労の目的は勿論あったが、防犯という意味もあった。
『……ヘクター卿に精神的苦痛を与えたいならば、彼の最も大切なマリアンさんを危険にさらすのが一番ですものね。……彼女を瀕死に陥らせる毒や怪我、手引きされた強姦目的の暴漢なんて可能性すらあります。……おぞましい話ですが、実行犯をさっさと始末してしまうつもりならば、襲撃方法なんていくらでもありますもの』
シルヴィアはマリアンの部屋の扉についた小窓から、部屋に設置された祭壇に祈りを捧げるマリアンを確かめた後、マリアンの部屋の斜め前にある小部屋に待機した。
これならば城兵の邪魔をする事無く、『シルヴィアの部屋の前』を警護しているシルヴィアの護衛達が、マリアンの部屋に何かあった時、即駆けつけられるからだ。
「いざという時は、まずマリアン・ブランドン嬢を優先なさい。いずれお前達の主人の妻、ヴェルナー家の女主人となる方です。いいですね?」
「御命令、確かに承りました。シルヴィア様」
部屋前に待機する護衛によくよく念を押した後、シルヴィアはドア前に椅子を寄せ、そこにどっかりと腰掛けた。今夜は徹夜予定だ。
『ルイスの代わり……そしてヘクター卿の代わりに、マリアンさんを護らねば。……』
そんな覚悟と気合を入れたシルヴィアだったが。
『……ヘクター卿。……できる事なら友好的に話したいのに、どうしてこう、益々気まずくなってしまうのでしょう……』
頭の中で思い出した男の名前に、別れた時の気まずさを思い出してしまった。
『……どうでもよい人のように、適当な愛想笑いを貼り付けて耳心地の良い皮肉交じりのお世辞を並べられる気がしません。……というより、したくない』
ヘクターに嫌われていると思いながら話す時に感じる寂しさの原因を、シルヴィアはもう偽れない。
『好き、なんて……男性として意識してるなんて、馬鹿みたいです。……嫌われているのに』
――ヘクターへの好意を自覚してしまえば、寂しさが増した。
『……ルイスへの純粋な愛だけを胸に、修道院生活に入れればそれでよかったのに。……わたくしの姿形や持参金ばかり気に入り、中身を生意気だと嘲る男達なんかに、恋するなんてあるはず無いと思っていたのに……』
シルヴィアにとって、姿形と持参金、そしてヴェルナー家跡継ぎの座を狙って群がってくる男達は軽蔑対象でしかなかった。
多くを求める男達ほど、シルヴィアの確固たる意志力を気に入らなかった。
今まで求婚して来た男達は皆、シルヴィアの意志を押しつぶし、支配し、自分の気に入るように作り替えようとした。
そんな男達に真っ向から反抗し続けていたシルヴィアは、ヘクターにだって生意気だと思われている事をちゃんと理解していた。
『……しばらく近くにいて判った。ヘクター卿はわたくしを生意気だと思い、わたくしを娶ればついてくる持参金にも興味を示さず、わたくしの容貌も好みじゃない。……どうあがいても、好かれる要素はこれっぽっちもない。……つまり、わたくしの初恋は、失恋決定という事です。……仕方がない』
胸を締め付けるような悲しさを覚えながらも、シルヴィアは自分で出した結論を受け入れ、癖のように足を撫でた。――どうも違和感が忘れられない。
『報われない恋に狂い、想い人や想い人が愛する人を恨むなど、ルイスの姉たるわたくしの誇りが許さない。……今わたくしができる事は、ヘクター卿が愛する妹マリアンさんを、無事にこのふざけた騒動から守る事のみ!』
切なさを振り切るように、シルヴィアは新たな決意を胸に抱き、斜め前に在るマリアンの部屋に異常はないかと意識を集中する。
『ルイスのため、そしてヘクター卿のため……ええ、何を犠牲にしても、完璧にやってさしあげようではございませんの!! ヘクター卿!! 見てなさい!!』
この時のシルヴィアは、自分が傷つけば、マリアンが傷つくのと同じくらいヘクターがショックを受けるなどとは、考えもしなかった。
――そしてやはり動揺していたのだろう。周囲にそう考える者がいるという警戒も、つい失念していた。
「――?!」
それが痛恨の判断ミスを生んでしまったのは、夜半の事だった。
小さな悲鳴とざわめきに顔を上げたシルヴィアは、慌てて扉を開け外を見た。
「きゃっ――」
「シルヴィア様!! 出て来てはなりません!!」
「あ、あれは?!」
護衛に制止されたシルヴィアは、マリアンの部屋の小部屋から、黒い煙のようなものが黙々と湧き出ている事に気付き驚愕した。
「か――火事か?!」
「火事だ!! 燭台が倒れたのか!?」
「いや、まさか外部からの襲撃?!」
「とにかく早くマリアン・ブランドンを外に!! 窒息してしまうぞ!! ――うわ?!」
扉を開けようとした城兵が、小部屋から噴き出してきた煙を吸い込み激しくせき込む。
「な――なんだこの煙――涙が……止まらな……っ!!」
『――煙責め!!』
城兵の様子に、シルヴィアは事故では無く外部犯を確信した。
煙責めとは、火元に松脂や鉛粉、錫粉、唐辛子、毒草などを混ぜ有害な煙を発生させて、敵を攻撃する手法だ。
人間が呼吸しなければ生きていけない存在である以上、煙はなかなか有効な攻撃手段となりえ、城攻めから拷問、襲撃とその使用用途も広い。
そしてその毒性が強ければ、一刻も早く助けなければ命が危ない。
「息を止めて、マリアンさんを助け出しなさい!! 城兵よりもお前達の方が、ああいった変則攻撃には慣れています!!」
「っ!! ですが――」
「いいから早く!!」
「ぎょ、御意!!」
とっさに命令したシルヴィアに、護衛達は一瞬シルヴィアから離れる事を躊躇したものの、息を詰めると城兵達の加勢に向かった。
「け――煙で鍵穴が……目がっ」
「息を止めろ!! 吸い込むと厄介だぞ!!」
「わ、判った!! はやく鍵を!! ――ブランドン嬢!! 今助けます!!」
シルヴィアの護衛達は速やかに城兵達を助け、マリアンのか細い悲鳴が聞こえる部屋の扉を開けた。
『――よかった』
それを、本来ならばシルヴィアは見届けるべきでは無かった。
そしていつものシルヴィアならば、命令を下した後は即部屋の扉を閉め、事態が収まるまで周囲の邪魔にならないよう警戒する事ができただろう。
『――ああ、だめだ。こんな事をしていては、扉を閉め――』
だがマリアンへの心配と焦り、そして自らの混乱で、シルヴィアはこの数秒間、自分の部屋の扉を薄く開け、外の様子を伺ってしまった。
「――?!」
外から――煙に覆われた喧騒の中から、ふいにシルヴィアへ手が伸び、その口をふさぐと外に引きずり出す。
「ぐ――うぅうっ?!」
慌てて叫ぼうとするもその口鼻を強く抑えられ、あっという間に複数人から何か布のような物をかぶせられたシルヴィアは、身動きすら取れなくなってしまう。
『――しまった!!』
判断ミスを後悔するも、もう遅い。
シルヴィアはそのまま抱え上げられ、煙と喧騒に混乱する廊下から素早く運ばれてしまった。
『なんてこと――大失敗です!! ――マリアンさん!! マリアンさんは無事なの?! ――彼女に何かあったらっ!! ――ルイス!!』
びくともしない襲撃者達から逃れようともがきながら、シルヴィアは守るべき義妹予定と愛すべき弟。
『――ヘクター卿!!』
――そして天敵から好意を抱く相手となっていた、ヘクターを思い出した。




