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25妹馬鹿と判決

 レームブルック王国の英雄と恐れられる騎士ヘクターは、不安と緊張が入り混じる焦燥に耐えながら、その時が来るのを待った。

 そして裁判長である国王と、国王に意見を述べる事が出来る傍聴人達との協議は、多少の対立はあったようだったが、規定通りの時間で終わった。


「――静聴! 静聴!」


 傍聴人達を席に戻した国王は、木槌を鳴らしてそう法廷内に命じると、法廷に静寂が戻ったのを確認した後、再び口を開く。


「判決を申し渡す」


 静寂に、緊張が走った。――その中でも最も緊張している一人が、自分だろうとヘクターは思う。

 ヘクターは、マリアンの無罪を確信している。だからこそ、『間違った判決』が下った時の事を考えると恐ろしい。


『私は――きっと大恩ある国王陛下を憎んでしまうだろう。……そうなった時、私は今まで通り、陛下の騎士でいられるだろうか……』


 そうなってしまうくらいならば、いっそ自ら命を絶ってしまいたい。

 そんな考えさえ頭をよぎるほど、王に忠義深いヘクターは追い詰められる。

 ――だが。


「被告マリアン・ブランドンを――余は、国法、宗教法共に、無罪とする」

「――っ!!」


 その不安は国王の平穏な声によって、一瞬で晴れた。

 そんなヘクターを気にするでもなく、見物人、傍聴席、原告側それぞれから様々な喧騒が沸き起こる中で、国王は木槌で静聴を呼びかけつつ、その理由を読み上げる。


「原告被告側の証言を全て考慮し、傍聴人全ての意見を聞いた後、出した結論である。マリアン・ブランドンの過去は、当時六歳だった彼女の意思ではどうする事もできなかった、『不幸』の結果である事は明白である。『被害者』である子供を裁く法など、国法、宗教法共に存在しないと余は考える」


 安堵からか、被告席で倒れそうになったマリアンを、飛び出してきたルイスが支えた。

 ヘクターもまた、倒れそうなほどの安堵を覚え、座席でふらつきそうになる。

 勿論そんな醜態を晒せるはずもなくヘクターは必死に耐えるが、ふと肩に、震える軽い感触が当たったのに気付いた。


「……シルヴィア殿」

「っ……も、申し訳ございませんヘクター卿。……あ、安心したら……背骨の力が抜けて……」


 シルヴィアだった。

 シルヴィアはいつもの淑女らしい冷静さを失ったように、涙目で顔を紅潮させ、内心で渦巻いているだろう感激に身体を震わせていた。


『――やっぱり、かわいい』


 そんな場違いな事を考えたヘクターは、慌ててそれどころではないと意識を切り替える。


「……こ、これで終わりではありませんわよ、ヘクター卿」

「……わ、判っています」


 ヘクターは自分から身を離してまっすく背筋を伸ばしたシルヴィアと共に、裁判を見守る。

 裁判は、有罪無罪が確定すれば終わりではない。


「――余の判決に不服あらば、神の名の元に名乗りを上げよ」

「――異議あり!! 異議を申し立てます国王陛下!!」


 何故ならば、この判決に異議を申し立てる権利を、原告側は持っているからだ。


「私モーガン司祭は、恐れながら法廷内の規約(ルール)に従い、国王陛下の判決に異議を申し立てさせていただく!! ――娼婦を裁かずして、教会の秩序は守れない!!」

「……」


 当然のように、モーガンは異議を申し立てた。

 この時点であまりにも荒唐無稽な異議だった場合は、国王は異議を却下する事もできた。


『――だが、国王陛下はおそらく、そうはなさらない』


 ヘクターは判決を見守る高位聖職者達、そして原告側を確かめ覚悟を決める。

 一蹴してしまえるほど、宗教の力は小さくない。ならば。


「――よかろう。ならば我が判決の是非を、決闘によって神の御意志に問う」


 決闘しかない。


「然り!! まさに然り!! 国王陛下のおっしゃる通り!!」

「決闘を!! くだらない訴えによって乙女を傷つけた聖職者共に決着を!!」

「何を!! 娼婦を許すな!! 神の御意志は我らにこそあり!!」

「なんでもいい!! とにかく決闘だ!!」

「ヘクター卿の真剣勝負だ!! しかも相手はあの傭兵ラザール!! 見逃す手はない!!」


 この世で最も野蛮にして、最大の決着方法である決闘が国王によって宣誓された途端、裁判所は爆発したような興奮の怒号と歓声が沸き上がった。


「……」


 興奮する理由は様々だったが、多くの者達がこの展開を望んでいたのだろうとヘクターは察し、なんとも言えない気分になる。

 気持ちはわからなくもないからだ。

 当事者にしてみればたまったものではないが、若い頃から戦場育ちであるヘクターも、有名な騎士同士の真剣勝負には心躍らせ、その激突に興奮するだろうという自覚はあった。


「――では戦う力をもたぬ娘、マリアン・ブランドンのため戦う者、名乗りを上げよ」

『いいだろう。――なんだろうと、私は負けない』


 予定通り、ヘクターは座席から立ち上がり名乗りを上げる。


「国王陛下。私ヘクター・ブランドンは、妹マリアン・ブランドンの潔白を証明するため、いかなる戦いにも身を投じる覚悟にございます」

「うむ、よかろう。ヘクター・ブランドン、その誓いを認める」


 続いてふらついたマリアンを支えていたルイスが名乗りを上げる。


「国王陛下。私ルイス・ヴェルナーもまた、マリアン・ブランドン嬢の潔白を証明するためいかなる戦いにも身を投じる覚悟にございます」

「うむ、よかろう。ルイス・ヴェルナー、その誓いを認める。ただしヘクター・ブランドンがマリアン・ブランドンの肉親であり、またそなたよりも年長者である事を考慮し、ヘクター・ブランドンの誓いを優先し、そなたは控えとする」

「御心のままに、国王陛下」


 ルイスの参戦宣誓に、女性達を中心に黄色い悲鳴が沸き起こった。


「る……ルイスっ……素敵っ」


 ヘクターが何気なくシルヴィアに視線を向けると、シルヴィアの視線もルイスに釘付けとなって、頬を紅潮させプルプルと震えている。


『……悪かったな素敵じゃなくて……』


 そんなシルヴィアに、やはりムッとしてしまいながらもヘクターは国王の次の言葉を待った。と言っても、もう展開は判っている。


「次に、原告側。……その方は自ら戦うか、モーガン司祭?」

「国王陛下、私の『人殺し』の技量がヘクター・ブランドン卿には遠く及ばない事は理解しております。神の正義を執行するため、他者の力を借りる事は厭いません」

「ふむ。……ならば原告のため戦う者、名乗りを上げよ」

「――勿論儂が戦おうレームブルックの国王陛下!! フランドル王国が騎士ラザール・デムランは、いかなる戦いにも身を投じる覚悟!!」


 国王の呼びかけに、当然のようにラザールが立ち上がった。


「だが勘違いするな原告共よ!! 儂はお前ら等どうでも良い!! むしろこの裁判自体、不快極まりなかったわ!! 小娘一人に寄ってたかって正義面とは片腹痛い!!」

「なっ!! ラザール卿!! 貴公は――」

「ああ心配するな!! そんな事はどうでも良いのだ!! 貴様らが正しかろうが間違っていようがどうでもよい!! 儂はヘクター・ブランドン卿を殺しに来たのだ!! レームブルックの国王陛下!! 我が宣誓を受け入れて下さいますかな?!」


 なんとも傍若無人なラザールだが、その悪役が似合う傍若無人さと名声に惹かれる者は少なくないようだった。期待の喧騒が高まる。


「うむ、よかろう。ラザール・デムラン、その誓いを認める」

「そうでなくては!! 流石はヘクター卿の御主君様よ!!」


 なんで国王陛下相手にも、お前はそんなに偉そうなんだ!! とヘクターが怒鳴りそうになった所で、国王の穏やかな声がそれを制した。

 国王は両者の誓いを聞き届けた後、もう一度強く木槌を叩いて聴衆の静寂を促すと、穏やかな声のまま法廷手続きを進行する。


「原告被告、両決闘者の誓いはなされた。――レームブルック王国国法規定に従い、決闘を明朝九時、レームブルック王宮中庭にて開催する事を、国王ウィリアム五世がここに宣言する!!」


 国王の宣言によって、法廷内の興奮は最高潮に達したままその日の裁判は終わった。


「決闘だ!! 久しぶりの試合じゃない殺し合いだぞ!!」

「我が国の英雄対稀代の傭兵!! こんな対戦めったと見れらるものか!!」

「こうしちゃいられない!! 賭博――ではない!! 予想遊びの札を作らねば!!」


 見物人達は面白い展開になった裁判の様子を広めるために、先を争うようにして外へと走って行った。

 興味本位で裁判や処刑、決闘に騒ぐ見物人達にとって、裁判が終わるまで王宮内に留められるマリアンの不安など所詮他人事である。

 

「……」

「……」


 それを判っていても釈然としないヘクターとシルヴィアは、国王達も退出し閑散とし出した法廷で、丁重にとはいえ兵士達に連れていかれるマリアンを見送った後、気が付けば揃ってため息をついていた。


「……」

「……なんだ、ルイス卿」

「いやいや、こうして見ると、ヘクター卿と姉上はよく似ておられると思いまして」

「る、ルイス、脱力している時にその指摘はあんまりですわ」

「……似ているはずないだろう」


 そんな二人の傍らに、マリアンを最後まで見送ったルイスが戻って来る。


「そうですか? 素直じゃない所とか意外に不器用な所とか、本命相手には察しが悪い所とかよく似ていると思いますけどね」

「……ルイス卿」


 国王の無罪を勝ち取れたルイスは、やや安堵しているようだった。

 そんな場合ではないぞとルイスを睨んだヘクターは、気を引き締めてルイスを睨む。


「ラザール卿は気を抜ける相手ではないぞ」

「判っております。ただ、マリアンが最後までしっかりしていた事と、私達の明るい未来が見えて来た事に、つい喜んでしまいまして」

「……まだ私は、貴公とマリアンの結婚を許したわけではないが……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 途端に、今更何を言っているのか、というシルヴィアと証言者達の呆れた視線がヘクターに突き刺さった。

 ヘクターとて、もはやルイスのマリアンに対する愛を疑っては、いない。


「…………いや、今は、その、反対は、していないが」

「義兄上」

「ま、まだ義兄上と呼ぶな」


 それでも腹立たしい幸せ空気を発しているルイスにはどうしても素直になれず、とりあえずヘクターは渋顔で義兄呼びを拒否しておいた。


「それでは、本日はわたくし達も終了のようですわね」


 そんな大人げないヘクターから視線を逸らし、シルヴィアが言う。


「証言者の皆様にお部屋を用意しましたので、どうか裁判が終わるまでは、我ヴェルナー家にお留まり下さいませ。遠方からの方もおられますし、夜道となってしまっては危険です」

「うむ、まだ裁判が終わっていない以上、我ら証言者も身の安全を考える必要があろう。シルヴィア、世話になるぞ」

「はい、メリンダ様。ルイス、皆様を館まで。家と皆様の安全は貴方に任せますよ」

「お任せ下さい姉上」

「それから……」


 快く頷いたルイスに頷き、シルヴィアは視線を逸らしたまま、言葉を続ける。


「ヘクター卿」

「っ……な、何か?」

「マリアンさんには、今夜はわたくしが護衛達と共に付き添いますので、ゆっくりと休み、明日に備えて下さいませ」

「付き添う……王宮に残るのか?」

「はい、こういう場合に備えて、国王妃様に許可はいただいております。少しでも安心していただきたいのです。勿論ヘクター卿はいけませんよ。きちんと休んで万全の態勢で決闘に臨んでください」

「……そう、か」

「はい」

「……その、世話をかける」

「いいえ。あの、よろしければヴェルナー家にお部屋を用意しますが……」

「い、いや必要ない。自分の家の方が武具の手入れがしやすいし、馬も落ち着くからいい。今いる使用人達も信用できるしな」

「……そうですか」

「……ああ。いや、そっちが信用できないという意味では無く、気持ちはありがたいっ」

「……ええ、判っております」

「……」


 ――気まずい。

 別に反目しているわけではない。だがどうしようもない気まずさを感じながら、ヘクターはシルヴィアとの会話に困った。


『うぅ……何を話しても、一層気まずくなりそうな気がする……ルイス卿を祝福しなかった事で更に怒っているのだろうか』


 見ると一見平静なシルヴィアの横顔も、内に怒りを秘めたような表情になっている――ような気がする。

 

『……よし、明日にしよう。決闘が終わったら諸々の事を詫びる。それまでシルヴィア殿との事は忘れる。マリアンの人生がかかっているんだ、決闘中雑念で不覚を取るわけにはいかん』


 被害妄想になりかけているような気がしたヘクターは、細かい事は決闘後に回す事にした。


「それではまた明日、私は一旦家に戻ります。……シルヴィア殿、どうかマリアンに心配するなとお伝えください」

「確かにお伝えいたします。……ヘクター卿」

「はいっ?」


 ――が、シルヴィアの呼びかけに、咄嗟に反応してしまう。


「……お疲れ様でございました。どうぞ、御身体にお気をつけて」


 そんなヘクターに、シルヴィアは短くそう言うと、丁寧に頭を下げた。


「……ああ」


 何かを期待してた自分が恥ずかしく、ヘクターは法廷内を後にした。


『……嫌われているんだ。社交辞令的な声援でも十分ではないか』

「ヘクター様~、俺もブランドン家に帰りますかっ? それとも証言者の皆さんを護衛しますかっ?」


 そして、後ろから追いかけてきた従騎士ウォルトに視線を向ける。


「……ウォルトお前、城内に知り合いは多いな?」

「知り合いですかっ? そうですねー。庭番のじいちゃんとか、厨房のじいちゃんとか、門兵のじいちゃんとか、図書室のじいちゃんとか、見張り台のじいちゃんとか……」

「爺さんばかりなのは意味があるのか?」

「いや、気が付いたらそんな感じでしたっ。俺としては国王妃様付の美人女官さんとかと仲良くしたいんですけどね!」

「それは諦めろ」

「えー」


 むくれるウォルトを見下ろしたヘクターは、少々考える。

 今年十三になるウォルトは、これでなかなか目端が利き、同世代の少年従騎士達と比べても腕が立つ。


「……陰謀渦巻く王の御許だ……気を付けておくか」

「ヘクター様?」

「ウォルト、お前に特別な任務を与える」

「特別っ、お任せ下さいっ!!」


 多分聞いたら嫌がるだろうと思いつつ、ヘクターは特別と聞いて目を輝かせるウォルトに命令を下した。


「えーっ! やだーっ!!」

「命令だ」


 予想通り、ウォルトは嫌がった。

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