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23妹馬鹿と狂信者

 レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、どんな戦場よりも苦痛な場所だと思いながらも、落ち着いて証言台に立つことができた。


「ヘクター・ブランドン。神の名の元に偽りなく、真実を述べよ」

「嘘偽りなく真実を述べる事をお誓い申し上げます、国王陛下」


 そしてその勇気を与えてくれたシルヴィアの視線を証言者席から感じながら、ヘクターは国王に証言を始めた。


「――此度の一件は、全て若い頃の私が物知らずだった事から引き起こされたものです。……あれは断じて、妹の罪ではございません」


 ――いいですかヘクター卿。貴方様はこの国を救った英雄にして、多くの騎士様や兵達から多大な尊敬を集める方です。つまり貴方の証言は、男性側からの同情と共感を得られる絶好の機会なのです。

 ――下手な演技は必要ありません。怒りを胸に秘めつつ正直に、この裁判に対する理不尽を証言してください。

――ヤジは無視して構いません。あまりにも酷いものでしたら、わたくしにお任せ下さい。黙らせて差し上げます。

 ――ご心配無用。ルイスの幸せを護るのは、姉としての義務、いいえ使命、いいえ特権、むしろ幸せなのですから!!


『……全く……ちょっと変だが、強い女性だ』


 最後の打ち合わせの際、力強くそう請け負ったシルヴィアに、ヘクターは半ば呆れつつも感謝していた。

 妹の過去の傷を恐れ、裁判で戦う事など考えられなかったヘクターにとって、弟の幸せのためならば、周囲になんと言われようと立ち向かうシルヴィアの姿は驚きであり、そして勇気を与えるものだった。


『……彼女には迷惑な話だろうが、やはり全てが一段落したら、失礼を働いた詫びと、助けてもらった礼をきちんとしなくてはならないな。……その後は距離を起き、できるだけ彼女と関わらないようにしなくては。……もし親戚になったとしても、嫌っている男がいつまでも視界にあるのは……彼女だって煩わしいだろう』


 皮肉にもシルヴィアと全く同じその後を考えつつ、ヘクターは淀みなく国王に証言し、妹の潔白を訴える。


「――よって、親類達の見せかけの優しさに騙され、私は親から譲り受けた僅かな家土地、そして妹を奴らに預けてしまったのです。その選択は、今でも悔やんでも悔やみきれるものではありません」

「……うむ」

「あの一件で、裁かれた罪人以外で責められるべきは、私です。妹ではありません。そして妹は、それ以来人に怯えながらも神への祈りと献身を欠かさず、大切に今を生きております。……あの子が堕落しているなど、私には考えられません」

「はっ!! 過去は消えんぞ!! 娼婦の兄が――ぼ?!!」

「……?」


 何かくぐもったような声に振り向くと、見物人席で顔を押さえ呻く男の姿と、いつも持っていたはずの羽根扇が手元に無いシルヴィアの姿が見えた。

 ――羽扇を男の顔面に投げつけたんだな、とヘクターは理解する。見栄えよく固い芯で整えられたシルヴィアの羽箒は、あれでなかなかの強度と攻撃力を保つようだった。


「ヤジにしても品がありませんわねぇ。貴方、今貴方が罵倒したのが、この国きっての英雄にして指折りの騎士である自覚はおあり? 侮辱には決闘で応じる騎士様に対する暴言を吐いた貴方、そこの貴方。今すぐお顔を上げて名前の出自を名乗りなさい。そのお顔と暴言を、よくよくヘクター様、そして国王陛下方に覚えていただかなくては。――あら、どうかなさって? お顔の色が優れませんわよ」


 滔々と流れるシルヴィアの煽りに、軽々にヘクターを侮辱した男の顔色が赤、青、白と変化し、言葉を失った。何かに助けを求めているらしく周囲を見回すが、加勢する声も無い。

 

「あの方を罵倒なさるなら、覚悟して罵倒なさいませ。――神様は、正しき者を御存じですわよ!!」


 そして侍女に扇を拾わせたシルヴィアは、そう言うとくっきりとしたつり目を細め、見物席を睨み付ける。

 何かを言いかける男達は数名いたが――シルヴィアに正面切って返せる者はいない。


「シルヴィア・ヴェルナー、それまで。静粛に」

「大変失礼いたしました、国王陛下」


 適度な沈黙を置いたのち、国王から声がかかった。

 即シルヴィアは国王に従い一礼をした後、証言者席に戻る。


「続けよ、ヘクター卿」

「……はい」


 その姿に一瞬見惚れたヘスターは、国王の言葉に呼吸を整えると、再び落ち着いて証言を続けた。


「――以上の事から、私は妹の魂の潔白を主張いたします。この主張を神様に証明するためならば、私はどのような戦いも畏れません」


 決闘裁判になったとしても、絶対に負けない。

 そう淀みなく証言を終える事ができたヘクターの背に、今度はどうやら騎士らしい男達からの、野太い声援が送られた。


「その通りですヘクター卿!!」

「正義はヘクター卿側にこそあり!! 妹様のためにも負けてはなりません!!」

「打倒ラザール・デムラン卿!!」

「あと我らの仇もとってくれると嬉しいです!!」


 段々私情が混じって来た声援に、なにやら楽しそうな男の声も加わって来る。


「おうっ、神に勝利を宣言するか!! それでこそ我が宿敵!! ならば儂は神への誓いを打ち破り、我が力を証明してみせよう!!」

「……」


 いいからお前は黙ってろラザール。空気読め。

 そう言い返せない状況に不満を覚えつつも、どこか和やかにヘクターの証言は終わった。

 国王に一礼しヘクターが証言者席に戻ると、最後の証言者のための末席に座っていたシルヴィアが、軽く目線で礼をする。


「良い証言でしたヘクター卿。……やはりヘクター卿を慕う騎士達は多いですね、貴方様が証言台に立っただけで、見物席が応援で活気づきました」

「……あの応援は、それだけではないような気もするのだが」

「いいえ」


 苦々しく小声で返すヘクターに、シルヴィアも小声で返す。


「見ていれば判りますわ。……皆様ヘクター卿を慕い、頼りになさっておられるのです」

「……」


 そう言って微笑むシルヴィアに――内心でとてもくだらない質問が頭に浮かんだヘクターは、慌ててそれを振り払うように証言台へと視線を向け、これから証言を行おうとする原告側最後の証言者、モーガンを睨む。


『……『シルヴィア殿も、私を頼りにしてくれるか?』……なんて、何をバカな事を考えてしまったのか……』


 自分の言葉を拒否するように、視線を逸らしてしまったヘクターを見たシルヴィアは。


「……」


やがてきまり悪げに視線を伏せ、証言台に集中した。



 モーガンは証言台下から国王に恭しく頭を下げると、睨み付けてくるヘクターとシルヴィアを軽蔑した目線で一瞥し、滑稽なほど堂々と証言台に立った。


「モーガン司祭。神の名の元に偽りなく、真実を述べよ」

「嘘偽りなく真実を述べる事をお誓い申し上げます、国王陛下。……そしてどうぞ、お聞き届け下さい。我ら神の信徒が楽園へと近づくために」


 貧相な体躯をピンと伸ばし、国王へと訴えるモーガンの表情は情熱的ですらあり、明るい。

 興奮しているのだろう、とどこか冷めた目でそれを見ながらヘクターは思う。


『正義を――少なくとも自分が正義と信じる主張をしようとするとき、人間は否応なしに猛り『悪』を滅ぼす事に愉悦を覚える。……戦場だろうと法廷だろうと、それは変わらない』


 それは見苦しい姿だったが、同時に理解できる姿でもあった。

 だからこそ、ヘクターはモーガンをはっきり敵と意識して、その主張を聞く。


「――国王陛下。誰がなんと言おうと、堕落は悪。男を堕落に誘う娼婦は罪人。これは絶対の教えでございます」


 そんなヘクターの視線を受けて立つように、モーガンは発言する。


「最後の審判の際楽園へと誘われる、良き神の信徒であろうとするのならば、魂の善性を尊び、生涯それを保ち続ける努力をしなければなりません。――原初の女(イブ)に誘惑された原初の男(アダム)のように、知恵の果実(林檎)を口にしようとしてはならないのです。そしてそんな我らを誘惑し、堕落へと誘う娼婦という存在は、まさに知恵の果実の存在を原初の女に囁いた、蛇のごとき悪魔の使者と言うべき存在です」


 愛する妹を娼婦呼ばわりしたモーガンに腹が立つも、ヘクターはモーガンの主張を聞く。


「――そして純潔を軽んじる娼婦という存在を許す事は、正当な血筋によって継承されるべき王侯貴族の家すら、脅かしかねません」


 見物席が、男とも女とも聞こえる囁き合いで微かにざわめく。


「もし純潔を守り貞淑な妻として嫁ぐはずの女性達に、娼婦のごとき堕落した考えが浸透し始めたならばどうなるでしょう。また、正当な婚姻の元で生まれるべき家の跡継ぎが、姦淫相手に過ぎない娼婦の腹から生まれ出たならば、どうなるでしょうか。――行き着く先は言うまでもありません。家、血筋、それらが証明する『正当性の破壊』ではありませんか!」


 そうだ、という声が、見学席から、そして原告側の聖職者たちから上がる。

 その点に関しては、誰も反論しない。

 王侯貴族だろうが庶民だろうが、自分の伴侶に疑いなく自分の子を産ませたいと望むのは、男の共通思考だからだ。

 逆に女だって、腹の子の正当性を伴侶に疑われたくない。

 その意味で、『女の』姦通、不貞、浮気が悪い事という概念の根底にあるのは、信仰心や道義的によるものであるというよりはむしろ、正しく子孫を残したいという、人間の動物的本能から来るものだった。

 男がどこで浮気した所で、女は自分の腹から産めば間違いなく自分の血を残せるが、女が浮気すれば、男は自分の血を残せたか判らなくなるからだ。生物の機能的にこの差は大きい。


「――だからこそ、我らの神はおっしゃるでしょう! 一度でも堕落した女を、絶対に許すべきではないと!! 神が定められた婚姻と、血筋を護るために!」


 鋭い衣擦れの音を立てて、モーガンはマリアンを指し示し怒鳴る。


「ご覧ください! あの女は確かに美しい! 一見美しく慎ましく嫋やかで、男の庇護欲をそそる姿をしております! ですが騙されてはなりません! その許したくなる美しさこそ、男を誑かすため悪魔が与えた、女の最大の武器なのです! 良き信徒達よ! 美しさに騙されてはならない! どのような理由があろうと、罪人に寛容であってはならない! それこそ破滅を招くのだから!」


 必死に身が震えるのを押さえるマリアンの肩が、それでも小さく震える。

 マリアンを心底心配するヘクターにとっては不快そのものの怒声を、そう感じてない者達がある事を、ヘクターは理解する。


『……誑かす、騙す、悪魔の武器か。全てを女性のせいにするのが神の教えなどとぬかす司祭こそ、どうかしている……だが』


 モーガンの言葉に少なくない賛同の気配を感じるのは、女の美しさに惑わされない男が少ないからだろうと、ヘクターは思う。


『確かに、女性の美しさは力ではあるのだろう。その有る無しで、女性自身の人生すら大きく変わりかねないのだから』


 そんなヘクターの耳に、呆れたようなため息が隣――証言者席の末席から聞こえた。

 つい目を向けると、そこに在るのは当然、準備万端で最後の証言を待つシルヴィアだ。

 不必要に華美ではないが上質のドレスに身を包み、豊かな金の髪を隙無く結い上げたシルヴィアは、本当に、誰の目から見ても疑いの無い美女だ。


『……もっとも』


 そんなシルヴィアの美しさを確認していたヘクターは、ふと、そんな状況でもないのにおかしくなる。


『この生意気で図太くて賢い彼女は、美貌が無かったとしても、やはり生意気で図太くて賢いままなのではないのだろうか。……その強さを、この弟愛に全力の娘は持っているような気がする』


 そしてそんな彼女の強さを、今のヘクターは嫌いではなかった。むしろ痛快だと思う。


『……味方で、本当によかった。……彼女の強さは、やはり信用できる』


 モーガンの腹立たしい主張を最後まで聞きながら、ヘクターは隣のシルヴィアに、最後を託す。


「――以上にございます。国王陛下、どうぞ情に流される事の無い、厳正なるお裁きをお願い申し上げます」


 男達の弱みが同調する、モーガンの証言は終わった。

 残る証言者は、マリアンの弁護者であるシルヴィアのみだ。


「……証言者、シルヴィア・ヴェルナー前へ」


 最初から最後まで、変わらぬ冷静さを保ち続ける国王の声に答え、シルヴィアは席を立った。

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