22弟馬鹿と女傑
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、自分でも認めているが生意気で人の粗探しが上手く、そして口が悪い。
「――あら、その発言はおかしくありませんこと?」
「くっ、この――」
「国王陛下。マリアン・ブランドン側の証言者として、シルヴィア・ヴェルナーはモーガン司祭側の証言者に確認がございます」
「よかろう。シルヴィア・ヴェルナーの確認を認める」
幸か不幸かそんなシルヴィアの性質は、被告側の弁護を受け持つには大変適していた。
「女衒――いいえ、娼館の紹介人ベン・ベックルズ。貴方はマリアン・ブランドンが自ら望んだ、とおっしゃいましたが、当時六歳であった彼女が、本当にそのような事を望む事が現実的だとお思いでしょうか?」
「げ、現実的も何も。マリアン・ブランドンは親戚に連れられ、自ら私の所に来たのです。貧しい暮らしよりも、着飾り食事ができる生活を望んで!」
「あらあら、そんな生活が娼館でできるなんて、どうしてマリアンが知っていたのでしょうねぇ? 六歳ですよ、六歳。それも貧しくても信仰深く育てられた家の娘です。男女の諸々どころか、娼館の存在すら知っているようにも思えない幼い少女が何故、自分の意思でそんな所に来たがると思ったのでしょう?」
「しっ知らない!! 自分から来たんだ!! だから俺はそれを買った!! 無理矢理じゃない!!」
「質問の答えになっていませんわよ。――だいたい、もし本当に彼女が望んだとして、幼い子供の言葉をそのまま証拠にできると思っているのですか? 周囲の大人に従わなくては生きられなかった無垢な子供の言葉を、貴方が本気で信じて『買った』ならば、まさに悪魔の所業です。わたくしは貴方の良心、能力、そして信仰心を疑いますわね」
「なっなんだと――」
「だいたい、罪人でも農奴でも債務者でもない人間の売買は、国法第十一条三十二項で禁じられております」
「っ! そ、それは保護者の許可があったからで――」
「管財人は、子供を監督保護する責任こそあれ、子供の身柄を売買する権利など持っておりません。その程度の国法基礎もご存じないのですか? それとも判っていて無視したのですか?」
「っ! ――っ!!」
「あら、女風情が何故国法を知っていると驚かれました? 管財人として家土地を任された人間が、庇護すべき対象を売却など、横領、そして未成年者略取に当たる犯罪行為です。それは十三年前の国王陛下のお裁きによって、その件に関しては解決しておりますわよね? その結果娼館は、『非合法に手に入れた』未成年の少年少女達を『無理矢理』働かせていたとされ、取り潰しになったのですよ。……その犯罪の一端を担ったという自覚はおありかしら?」
「はっ?! 犯罪だ?!! 違う俺は関係ない!! 俺はただその女を買っただけだ!! 金だって払った!!」
「全く正当性の無い売買契約によって、金銭のやり取りを行っただけですわ。……更に言えば、娼館は宗教法においては重罪です。……貴方はどうせ、女衒の罪を見逃すとか言われて証言台に立ったのでしょうが、あのお堅いモーガン司祭が、このまま貴方を見逃すとは到底思えませんわ。数年後適当な証拠を出され、宗教法によって貴方が裁かれる未来は見えるようです。それもまぁ、自業自得というものでしょうが」
「な!! 何をいいやがる!! てめぇこのクソアマ!!」
「――以上です。国王陛下。……以上の確認から、わたくしは犯罪者であり、国法の不利益な点をあえて語らなかったベン・ベックマンの発言が、まともな証拠に当たらないと感じました」
「……ふむ」
モーガン側の証言者は、マリアンを買った娼館の元関係者やマリアンの客、マリアンの現在の『身持ちの悪い噂』を吹聴する者達だったが、シルヴィアはそんな彼らの発言の上げ足を取り、煽り、自身が確認した証拠を突き付け、それらの証人を徹底的に潰して行った。
逆に。
「――ええと、マリアン様はお優しく心清らかで、その信仰心はすばらしいものです。毎日のお祈りを欠かさないだけでなく、日曜日の礼拝後は尼僧院……尼僧院の……えーと」
「『聖クリスティーナ尼僧院、聖ドミニク修道院、聖ロバート教会』ですわウォルト殿」
「そうっ、聖クリスティーナ尼僧院、聖ドミニク修道院、聖ロバート教会に併設されている孤児院を手伝いに行かれて、がんばっておられますっ。そのがんばりは、修道院の方々もご存じですっ。俺も荷物運びでお供したから、良く知ってる、ですっ」
「『よく存じております』」
「よ、よく存じておりますっ」
味方側の証言は全て記憶しているため、言葉に詰まった証言者達のフォローも可能だった。
「……あ、あれがヴェルナー家の女狐か……」
「噂通り稀代の美女だが……やはり噂通りの口達者な生意気女だなぁ」
「あれでは結婚できないはずだ。夫の忍耐が三日と持つはずもない」
「だよなぁ……どんな美人でも、あれは遠慮したい」
『ふっ、結婚なんかとうに諦めておりますから、痛くもかゆくもありませんわよっ』
そんなシルヴィアの活躍(?)には、特に男の見物人達が戦々恐々となったが、シルヴィアとしてはむしろ望むところだった。
自身の悪名が高まり興味を向けられるほど、マリアンへ向けられる視線は薄れるからだ。
『次のこちらの証言者は……よし、本命の一人、聖クリスティーナ尼僧院の院長様です!』
「それでは、行ってまいりますよシルヴィア殿」
「はい、よろしくおねがいしますメリンダ様」
そんな攻撃的防御で見方を守りつつタイミングを見計らったシルヴィアは、証言者の中でも『本命』の一人を証言台へと送り込む。
「叔母上……いいや、聖クリスティーナ尼僧院の院長、シスター・メリンダ、前に」
「失礼いたします、国王陛下」
簡素なワンピースと頭巾、そしてベールに身を包んだ聖クリスティーナ尼僧院院長メリンダは、国王の叔母にあたると同時に、数度の政略結婚を経験しつつ逞しく俗世を生きぬいた、女傑の名に相応しい老婆だった。
「嘘偽りない本音を語らせてもらいましょう。……マリアン・ブランドン嬢は愚か者です。――彼女自身になんの罪もないのに、幸せを手放そうとしていたのですから」
やや傲慢だが率直な口調でそう口火を切ったメリンダは、一度原告側を鋭い眼光で一瞥した後、言葉を続ける。
「そちらの司祭殿は、女の身に降りかかった厄災は全て女のせいと言わんばかりでございましたが、まさか国王陛下は、神様がそのような理不尽な裁定を下す方とお思いではありますまいな? ――神様は全てご存じであり、よき信徒の味方です」
何かを言いかけたモーガンが、慌てて近くにいた聖職達に止められた。
王侯貴族すら糾弾する気骨のある修道士でもなければ、俗世から離れたとはいえ、王族の女性の言葉を遮るなどありえない。
そんな聖職達に呆れたような視線を向けつつ、メリンダは言葉を続ける。
「そして、マリアン・ブランドン嬢は良い信徒でございます。彼女は少々人間に怯える欠点はありますが、祈りを欠かさず、貞潔、清貧、献身を忘れず、恵まれぬ者達にも親切です。こんな言い方はなんでしょうが、修道院に入れば良い修道女になれるでしょう。この口うるさいわたくしが言うのですから、間違いありません」
ちょっとした軽口を挟んだメリンダは、小さなため息をついて一呼吸置くと、法廷内に響く声で、皆に自分の証言を聞かせる。
「彼女が堕落しているなんて、彼女を知りもせずほじくり出した情報だけで判断した、馬鹿者の妄言に過ぎません。宗教法を司る、法王猊下の前でだって言えますわ。あの心優しく信心深い娘は、心身ともに清らかです。――馬鹿共に糾弾されるいわれなど、どこにもありはしません」
ならば、と鋭いモーガンの声が響き、メリンダは落ち着いてそちらに顔を向ける。
「マリアン・ブランドンの過去の罪を、娼婦として姦淫の罪を犯していた事実を、シスター・メリンダはどう認識されておられるのか!!」
「わたくしはそんな事実は存じませんが。――もしそんな事情があったのならば、不幸であった。そう認識しますわ。彼女は自らの意思で信徒の戒律を破るような娘ではありませんもの」
激昂するモーガンの言葉を、冷めたメリンダの言葉が切って捨てる。
「モーガン司祭、貴方は町中を歩いている際、突如暴走した馬車にひかれ亡くなった方に、『歩いていた者が悪かった』とおっしゃいますの? ――同時にお聞きしますが、この場にある殿方達。愛する妻や恋人、娘、妹、親族の娘達が、突如暴漢に襲われその身を穢されても、モーガン司祭と同じ主張ができますか? ――『女側が暴漢を誘惑したのだ、強姦はすべて、男を誘惑する女が悪い』――と? それは貞潔と共に愛情の大切さも説かれた、神様の教えに添う言葉でしょうか?」
ギロリ、と音が立つかのような老婆の鋭い眼光に、ねめつけられたその場の男達は言葉を失い、気まずそうに視線を逸らした。
言い返そうとするモーガンの言葉を遮るように、メリンダは自分の主張を続ける。
「――その上マリアン・ブランドンは、女である以前にまだ子供でした!! 大人の庇護無くば生きていく事も難しい、当時たった六歳の子供!! そんな子供が降りかかった不幸にも耐え生き延びた事を喜びこそすれ!! どうして責めることなどできますか!! そんな事は勿論神様だってご存じですよ!! ――彼女を責める方にこそ、わたくしはお伺いしたいですわね?!!」
「どんな事情があろうと!! 姦淫は罪である!! 男を誘惑せしめる女は罪である!! その罪を許す事は、神への冒涜でありますぞ!!」
「ほほほっ、罪なき女を傷つける、男の獣欲にこそ神はお怒りになりましょうよ!! 神の愛を冒涜しておられるのは、貴方ですモーガン司祭!! 貴方の潔癖症を、神の名を騙り正当化するのはおよしなさい!!」
「なんだと!!」
「双方、それまで。シスター・メリンダ。証言をまとめよ」
一通りメリンダが主張を語った所で、裁判長である国王の待ったが入った。
「――以上でございます国王陛下」
その待ったに素直に応じたメリンダは、生まれに相応しい優美な一礼を国王にした後、結論を宣言する。
「わたくしシスター・メリンダは、聖職の末端である尼僧として、そして一人の女として、現在のマリアン・ブランドン嬢の、宗教的潔白を主張いたします。――彼女は、罪人共に翻弄された過去など忘れ、幸せに生きるべき良い信徒です」
国王は静かに頷き、見物人達の間からは、小さな驚きのざわめきが漏れた。
マリアンの罪を宗教的な重罪と訴えたモーガンに対し、聖職位階制には加われない女性とはいえ同じ宗教の聖職者、しかも王族出身者が真っ向から反論したのだ。
元々レームブルックの国法で裁かれる事もなかったマリアンを罪人と断じた者達の根拠が宗教的理由だった以上、この反論の意味はとても大きかった。
『あっちが『宗教的な理由で』マリアンさんの罪を問うならば、それを論破できれば、『宗教的な理由での』マリアンさんの潔白は証明できるのです』
計算通りの勝利にそっと拳を握りしめながら、シルヴィアは心の中でメリンダに頭を下げる。
シルヴィア達が信仰する神は、貞潔の大切さを説きつつも、人と人との繋がりの証である愛を大切なものともしている。
その解釈は様々ではあるものの、傷つけられた女を更に貶めるような潔癖過ぎる宗教解釈には、反論する宗派も少なくはなかった。
『元々幼い頃からその美貌を国に利用され、諸々理由を付けられては、離婚再婚を繰り返させられたメリンダ王女です。宗教解釈の玉虫色ぶりも、社会の身勝手、理不尽な偏見も、その人生で十分に理解しておられる。……あの方の尼僧院にマリアンさんがお手伝いに行ってらしたのは、幸いでした』
メリンダの証言は、見物人、そして原告側それぞれに、なかなかの衝撃を与えた模様だった。
中でも原告代表であるモーガンは、顔を真っ赤にして怒っており、その付け込みやすさには、シルヴィアも一息つく事ができる。
『……所詮モーガン司祭など、ヘクター卿潰しの陰謀に加担させられた道化。……この裁判を決闘に持ち込ませれば十分と、向こうの黒幕も思っているのでしょう』
――とはいえ、裁判の行く先が決闘だと思えば、そう安心もできない。
モーガン側の証人である厳格そうな司祭が、未婚女性の処女性と婚姻の正当性を語り出すのを尻目に、シルヴィアは証言者席で順番を待つヘクターと、原告側の見物席に座らされ、つまらなそうに居眠りしているラザールを見やる。
『……やはり、あちらが退く気配が無い以上、国王陛下も無視はできないでしょう。とにかくわたくし達にできるのは、過去のマリアンさんが絶対的な被害者であったと、はっきりさせる事です』
事件として記録に残ってしまっている以上、過去は消せない。
ならば、その過去を宗教的に無罪とする形で裁判を勝ちたい。それがシルヴィア達が相談し決めた、裁判攻略方針だった。
「穢れた身体でルイス様を誑かし妻になろうなんてっ! なんて女でしょう!」
「っ……」
不意の甲高いヤジに、シルヴィアは顔を上げる。
「本当にルイス様の事を思うなら、恥じて身を退くはずですわ!! 結局その女は、自分の事しか考えてないのです!! そんな汚らわしい女!! ルイス様に愛される資格などあるものですか!!」
自分が正義と言わんばかりの口調でマリアンを責めたのは、原告側の見物席から立ち上がった身なりの良い娘だった。
同時に賛同する声も、近くに座っている女達から上がる。
『あれは……大臣家の令嬢と、取り巻き達でしたわね』
馬上試合会場で、ルイスに身に着けるものを渡そうと騒いでいた少女達を思い出したシルヴィアは、納得すると同時に少々同情する。
『愛する恋人を罵倒する女に、好意を抱く男がいるはずありませんのにねぇ。……思春期ならではの潔癖症と、正しいことなら判ってもらえるという根拠のない自信って、本当に厄介ですわ』
シルヴィアはうつむき侮辱に耐えているマリアンに助け舟を出そうかと考え、ルイスを見てやめる。
「――国王陛下、誤解している方がいらっしゃいますので、発言をお許しいただけますか?」
「よかろう。ルイス・ヴェルナー卿。発言を認める」
国王に一礼し、部屋の影から証言台の傍らに立ったのはルイスだった。
「るっルイス様?!」
裏方に回っていたルイスがそこにいる事に気付かなかったらしい令嬢を無視して、ルイスは国王へと発言する。
「私が彼女に心惹かれたのは、彼女の孤児院での姿を見たからです。……子供達の敗れた服を繕い、泣いている子供を一生懸命にあやす彼女は、飾り袖一つ付けていない簡素な姿ですが、私の目にはどんな美女よりも美しく、そして献身的で清らかに映りました。……私から彼女に心惹かれ、愛を乞うたのです」
おそらく何よりのダメージとなったのだろう、身なりの良い娘の表情が凍り付く。
「ですが、彼女は私の求婚を中々受け入れてはくれませんでした。……『貴方様に御迷惑がかかります』そう返されたのです。――今回、その意味が良く判りました。それでも、私の彼女に対する尊敬と愛情は、何一つ揺らぐ所ではありませんが」
「……ふむ。ではルイス・ヴェルナー。もしこのままマリアン・ブランドンが有罪となり、最も重い罪である火あぶりとなったならばどうする?」
「彼女の死を悼み、一人で生きるのみです」
法廷内の、特に女性達からどよめきが起きた。
「ほう……跡継ぎはどうする?」
「我が家には大変優秀で美しい姉がおります。姉ならば必ず良縁がありますし、子宝にも恵まれるでしょう。ヴェルナー家が跡継ぎで困る事はございません」
そ、そうかぁ? という男性の小さなどよめきも起きたような気がしたが、シルヴィアは無視する。
「最も、そのような事は無いでしょう。――私は彼女の潔白を信じておりますので」
そう結んだルイスは、国王とその傍らに座る国王妃に一礼し、その場から下がった。
『あぁ……愛に生き愛を信じるルイスのなんて凛々しく麗しく魅力的な事!! 流石だわルイス!! 美しすぎるわルイス!! 好き好きルイス大好き愛してるぅ……あら?』
そんな愛する弟を内心で堪能していたシルヴィアは、後ろでパサ、っと軽い音を聞いて振り返る。――身なりの良い娘は、気絶していた。
『……まぁいいでしょう』
今後関わる事もないだろう、と切って捨て、シルヴィアは裁判に集中した。




