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20弟馬鹿と義妹(予定)と落胆

 レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、来客を怒らせない程度に辛辣な言葉であしらうのは、貴婦人の技術(テクニック)だと思っている。

 生意気な女を嫌う者でも、小気味よい会話を嫌う事は少ない。

来客に面白いと思わせる事は、貴婦人なりの外交術であるとシルヴィアは認識しており、ラザールに対してもその外交術は発揮していた。

 ――もっとも、相当図太い部類であるラザールに対しては、扱いがかなりぞんざいになっている自覚はあるが。


『――いいえ。ラザール卿の事は、今はどうでもいいのです。――気に喰わないのは――』

「……シルヴィア様?」

「人の話も聞かず不機嫌熊顔でさっさと行ってしまったあの朴念仁ヘクターの態度ですわっ!! ええい腹立たしいあの男!! どうしてくれましょう!!」

「っ……」

「……あ」


 シルヴィアの怒鳴り声に、可憐な小声が小さく被る。

 その声でようやく、シルヴィアは自分が、一緒にいたマリアンを忘れていた事に気付いた。


「……シルヴィア様。……兄にお怒りになられたのでしょうか? ……申し訳ありません」

「え、いえいえ違いますっ! 違うのですよマリアンさんっ。ちょっとした意見の相違というかっ! マリアンさんが気にするようなことではないのですよっ!」

「……そう、ですか。……でも」


 シルヴィアと向かい合って腰掛けていたマリアンは、シルヴィアの言葉に小首を傾げ、言葉を続ける。


「……兄は、シルヴィア様の事を話している時は、とても楽しそうです。……ですから、シルヴィア様を怒らせてしまったならば、きっと気にしていると思います」

「まぁ……」


そんな仕草は、仔たぬきを思わせる丸顔に良く似合い、とてもかわいい。

シルヴィアはちょっと癒される。


『――ルイスの趣味は、わたしにもとてもとても理解できてしまいます!! ふんわり丸顔はかわいい!! かわいいは正義!! 本当に、あの熊顔と似てなくてよかったですねマリアンさんっ!!』

「……?」

「あ、いいえ。……お兄様と違って、親しみやすいお顔だと思ったのです。ヘクター卿は少々顔と雰囲気が威圧的ですから。わたくしは見慣れましたから、どうってことはありませんけれど」

「兄は……そう、ですね」


 不思議そうに見返すマリアンに、内心の詳細を明かす気はなかったので、シルヴィアは適当に誤魔化した。

 そんなシルヴィアに苦笑を返したマリアンは、もう一度小さく頷く。


「兄は、父似なのです」

「まぁ、やはりそうなのですか」

「はい。父は身体の大きな、見るからに怖そうな騎士だったのだそうです。……私は幼くて、あまり覚えていないのですが。……私は母似なのだと、兄は言っていました」

「なるほど。……貴女似ならば、優しいお顔と雰囲気のお母様でしたでしょうね」

「……私がそうかは判りませんが、母は優しい、春の陽だまりのような女性だったと、兄が懐かしそうに言っていました。……兄は母の事が、大好きだったようです」

「……そうなの」


 マリアンの言葉に、シルヴィアはそれも、ヘクターがマリアンを大事にしている理由の一部なのではないかと思う。


『……大好きなお母様に似た妹ならば、可愛いでしょうね。……考えてみれば、私達のお母様とも、マリアンさんは少し似ているかもしれない』


 シルヴィアは、ルイスを抱いて微笑む、亡き母を思い出す。


『……お母様も淑やかで穏やかで、優しい貴婦人だった。……もしかしたらルイスは、お母様の面影をマリアンさんに見たのかもしれません。もちろん好きになった理由は、それだけではないでしょうが、大好きな母親を、異性の好みに投影する男性は、別に珍しくもありませんし……』


 ――そこまで思った所で。


『……考えてみれば、わたくしとは、全然似ていません、わね』


シルヴィアはふと、我身を顧みる。


『……わたくし別に、穏やかでも、愛する者以外に優しくもないし。姿形もどちらかと言えば、たぬき系とは正反対のきつね系ですし……』


 そして。


『おそらくわたくし……ヘクター卿の好みでは……全っ然ないのでしょうね……』


 その結論にたどり着いたシルヴィアは――気が付くと酷く落胆していた。


『……別に落ち込む必要なんて……ないのですが。……でも……全っ然好みでない女が顔を合わせる度突っかかって来るのでは、ヘクター卿もかなり鬱陶しいと思われていたのではないでしょうか……いえ、今でも鬱陶しい、むしろ顔も見たくないと思っているのかもしれません。……それならば、王城での態度も非常に納得のできるものです』


 ヘクターの内心など判るはずもないシルヴィアは、ヘクターの先程の態度をその結論に結び付け、更に落ち込んだ。


「……わたくし、ヘクター卿を不快にさせているのですね。……そんなのもう、今更だと判っていますのに……今更確信するなんて」

「あ、あの……シルヴィア様?」

「……いいのです、マリアンさん」

「え?」

「そう簡単に、好悪感情を改善する事はできませんもの。……今後は適切な距離を保ちつつ、彼を不快にさせないよう努力する事としましょう。……ヘクター様とは、親戚になる予定ですし」

「……シルヴィア様、もしかして、兄に嫌われているとお思いですか?」

「お思い、というか、嫌われているのでしょう。……今日の昼の態度から想像するに、嫌悪が深まったのかもしれません」

「今日? それは……無いと思いますけれど。……シルヴィア様と会話する兄は、とても活き活きしていますし……」

「それは、嫌いな相手を言い負かそうとする闘志のためではありませんか?」

「え……」


 そうではない、と言い切れる程、マリアンは兄の内心を理解してはいなかった。

 というより、ヘクターが以前シルヴィアを生意気な女狐と嫌っていた事は事実だったので、否定する事ができなかった。


「……い、いえ……その……多分、今はそんな事はないと……私は思います……」

「……よろしいのよ。お気遣いなさらないでマリアンさん」


 結局しどろもどろになってしまったマリアンに苦笑しつつ、シルヴィアは落ち着こうと扇を揺らす。


『……わたくしらしくありませんわね。かわいいかわいいルイス以外の事で、こんなに落ち込むなんて。……というより、そんな場合ではありませんのに』

「……あの、シルヴィア様……」

「……失礼しましたマリアンさん」

「え?」

「今はこのような個人的感情に、心を捕らわれている場合ではありません。――二日後に迫った裁判に向けての戦略を詰めなければ」

「っ……は、はいっ」


 そして話題を重要事項に向けられると、マリアンは頷くしかない。

 裁判は二日後であり、実は今も、そのためにシルヴィアはマリアンと打ち合わせを続けていた途中だった。


「許してくださいね、マリアンさん。気を散らせてしまって」

「い、いいえシルヴィア様。シルヴィア様のお時間を割いていただいているのです。こちらこそ申し訳ございません」

「何を言うのマリアンさん。この裁判の勝利は貴方だけでなく、わたくし達皆が望むものなのです。望まれている貴女は安心して、神の御前にて潔白を主張すればよろしいのです」

「シルヴィア様……」

「いいですかマリアンさん。傷つけられた娘が悪いなどと、戯けた事をぬかすクソ坊主などに、神の代弁などさせてはなりません!! あいつらを完膚なきまでに叩き潰す事は、信者を男女の別なく愛する神の御意志です!!」

「く、くそぼーず……」

「それでは最初の受け答えから復習ですっ。気弱はいけません! でもふてぶてしいのもいけません! 淑やかに、さりとて意志強く、謙虚な受け答えを忘れず、宗教裁判にかけられる聖女のように証言台に立つのです!!」

「はっ、はい先生っ」


 厳しい家庭教師の口調で言うシルヴィアに、マリアンは背筋を伸ばし受け答える。


『――つまらない事で思い悩むのはやめましょう。……ヘクター様の事がどうしても気になるのならば、後日謝罪すればよいわ』


 偶然にもヘクターと全く同じ対応を考えながら、シルヴィアは二日後の難事に意識を集中させた。


 そんなシルヴィアの前にハドリーが現れたのは、その夜の事だった。


「――まぁハドリー卿、このような時間にどのような御用件でしょうか。生憎当家主人である祖父は具合が悪く、ルイスは所用で家を空けておりますのでお構いもできませんが」

「貴女に会いに来たのだ。シルヴィア」

「まぁ、それはそれは。未婚女性に会うには少々不適切な時間ではございませんか?」

「強がるなよ。君とてそろそろ、不安になっているのだろう?」

「……まぁ?」


 大勢の使用人にわざと囲まれてホールで対応したシルヴィアは、ハドリーの言葉に半分呆れ、半分はその虚勢に対し警戒した。

 目の前の男自身は恐れるに足らずとも、男には後ろ盾となる権力と家、そして財がある。

 それは決して、侮れない要素だ。


「ラザール卿を見ただろう。あの男の強さは本物だ」

「それは、おっしゃる通りですわね」

「そしてどれほど証言台で被告側が健闘しようが、聖職と法務官は娼婦の無罪など認めない! 決闘裁判になるのは確かだ! いいかシルヴィア、この裁判で待つのは、ヘクター卿の決闘での死と、娼婦に対する断罪、そしてそんな娼婦を愛した君の弟の名誉失墜のみだぞ!!」

「……」


 想定した最悪のシナリオを滔々と語る男を見返しながら、シルヴィアは思案気に目を細め男の言葉を聞く。それで、何か言いたいのか。まずそれを確かめる。


「シルヴィア、不名誉な跡取りなど見捨ててしまえ。君の家を守る方法は、私を婿として迎え、君がこの家を継ぐ事のみだ」


 ――シルヴィアは小さくため息をついた。

 ハドリーの言葉は、予想していた中でも特にくだらない、シルヴィアが頷くはずもない一言だった。


『この男にはどうして判らないのかしら。……わたくしにとっては、家よりも遥かにルイスが、かわいくてかわいくてかわいくてかわいくてかわいくて大事だという事を。ルイスのためなら家なんてどんどん巻き込んで構わない。ルイスとその周囲が幸せなら、他全部不幸になっても、むしろ滅んでも構わないという事に』


 常識的に考えれば、シルヴィアの思考の方がよほどあり得ない。


『まぁいくらなんでも、そこまでは思い切ってはいけないとは判っておりますが。……それにしたって、ルイスを追い落としたがっているこの男と結婚など、天地がひっくり返ってもありえません。どうしてこう、自信満々に迫って来られるのでしょうか?』


 だがそれはそれとして、シルヴィアは心底不思議に思いながら、ハドリーを見返した。

 その沈黙に何を思ったか、ハドリーはシルヴィアに近寄り話を続ける。


「君も焦っているのだろうシルヴィア、あんな野蛮人を相手にせざるをえないなんて」

「……野蛮人?」

「ヘクターの事だ!! あの武骨な乱暴者!! 野蛮な成り上がりものだ!! あんなのと噂になっているなんて、我が身の不幸を嘆いているのだろうシルヴィア!! 騎士達まで君とヘクターを、まるで恋人同士扱いなんだぞ!!」

「……」


 そんなに噂が広まっているのか、と改めて自覚したシルヴィアは――少しテレる。


『……で、でも恋人なんて……ヘクター卿の方がご迷惑でしょうし……』

「あのラザールにも絡まれているようだが、勘違いしない方がいいぞシルヴィア!! あの男は行く先々で恋人を作る不実者だ!! 何人もの女が泣かされたと聞く!!」

『あー、そういう性格(タイプ)ですわよねぇあの方。でも見た感じ、狙った相手に迫りはしても、無理強いするわけではないですし、レームブルックの貴婦人達の評判は悪くないのですが……』

「君もそろそろ後悔しているんじゃないのかシルヴィア? 私の求婚を受け入れなかった事に――」

「いえそれは全然」

「な?!」

「あ、と。失礼ハドリー卿。つい本音が」


 あれこれと考えていたせいで、『つい』本音をあっさり漏らしてしまったシルヴィアは、だが全く後悔する気分にもなれず、ハドリーに微笑みかける。


「諸々ご心配いただきありがとうございますハドリー卿。お話はうかがいましたので、どうぞこれで」

「待て!! 君は話を」

「聞いておりましたわ勿論。その上で、貴方様の手を取る必要など無いと、断言できます」


 シルヴィアに寄ろうとしたハドリーが、強張った顔で立ち止まる。


「――ヘクター卿は、負けません」


 ハドリーを見返し、シルヴィアは断言する。


「シルヴィア!! ラザールを――」

「無論、ラザール卿の御力は、少々拝見しただけのわたくしでも恐ろしいと感じます。あの方はおそらく、この世界でも稀なる実力を持つ遍歴の騎士です。……おそらく、あの方に勝てる騎士は、そうはいないでしょう」

「ヘクターなら、勝てるとでも言うのか!!」

「ええ。言います。――ヘクター卿は負けません」


 そこまで言いきられると思わなかったのか、ハドリーの顔が悔し気に歪んだ。

 それをどこか他人事のように感じながら、シルヴィアはヘクターの勇ましい馬上の姿を思い出し、そして続ける。


「……ヘクター卿の、突出した戦いの実力だけで断言したのではありませんよ。あの方には、何があっても妹を護ると言う、意志力があります。……我欲と遊び心で他人の決闘に乗り込んで来たラザール卿とは、その覚悟は比べ物にはならなくてよ、ハドリー卿」


 ハドリーの、美形と言っても良い顔が更に真っ赤になって歪み、怒りを浮かべる。


「シルヴィア……まさか……あんな野蛮な成り上がりを?!」 

「……」


 ――まさか。

 そう答えようとしたシルヴィアは、そう言い切れない自分の内心に気付き、一瞬口ごもった。


『あの人を? ……まさか、そんなはず。……だいたいわたくしが、あの人を想ったところでどうなるの』


 その一瞬の沈黙で、シルヴィアの葛藤は相手に知れる。


「っ!! この――馬鹿女め!! 後悔するぞ!!」


 ハドリーはシルヴィアに怒鳴ると、荒々しく扉を蹴破るようにして、ヴェルナー家の館を出て行く。


「……戸締りを強化しなさい。わたくしは、お客様の様子を見て来ます」


 呆れたようにもう一度ため息をついたシルヴィアは、周囲を固める召使達に命じると、マリアンが怯えてないか確かめるため、館の客間へと戻る。


『ヘクター卿に関するうんぬんは……聞かなかった事にしましょう。……どうせ無駄だわ。……あの方には、嫌われているのだから……』


 嫌われている。――そう内心で繰り返した言葉に感じた痛みの意味から、シルヴィアは目を逸らした。

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