2弟馬鹿と弟
ヴェルナー騎士家女主人名代シルヴィアは、弟ルイスを激しく愛している。
「おかえりなさいルイス。散策は楽しめたかしら?」
「はい、シルヴィア姉上が薦めてくれた木立の通りは、とても静かで素敵でしたよ」
「そう、それはよかったわ……はぅううっ!!」
「姉上?」
「だ……だめ。……ルイスっ!! 貴方は美しすぎるわっ!! 直視し続けられないっ!!」
「……姉上、いつもながら頭は大丈夫ですか?」
そんなシルヴィアは、一日十回はルイスに見惚れ、その内二回はルイスに見惚れ過ぎて倒れそうになっていた。
がっしり上背のある長身に、明るい金の髪と蒼の瞳。そして精悍に引き締まりつつも優美な顔貌。
実際、ルイスは見惚れてもおかしくない美丈夫ではあった
「何を言ってるのルイスっ、貴方ほど素晴らしい騎士は、この国どころか世界を探しても見つからないわっ」
「はいはい。弟馬鹿な姉上の世界ではそうなのでしょうね」
そんなルイスは苦笑しながらも、丁寧にシルヴィアを助け起こす。
姉シルヴィアの過剰な愛情を受けつつ、周囲の教育や評価をきちんと受け入れながら育ったルイスは、かなりの自信家だがそこそこ冷静で客観的な視野を持つ、独立独歩の青年に育っていた。
そこがまた、シルヴィアには愛おしい。
「私などより、ヘクター卿こそ我が国一の騎士だと思います。あの方ほど英雄の名声に相応しい方を、私は知りません」
「~~~~~~~へぇくぅたぁああああああああああああああああ~~~~っ!!」
そんな愛するルイスが、天敵ヘクターを尊敬しているのが、シルヴィアには口惜しい。
「何言ってるのルイス!! あんな下品で粗野で無教養な熊男!! 貴方の足元にも及ばないんだからっ!!」
「いいえ姉上。経験的な面においても、心情的な面においても、あの方と比べれば、私など騎士としてまだまだです。隣国からの大侵略から三度も最前線でこの国を守り切ったあの方の大奮闘ぶりは、騎士達の間でも伝説となっておりますからね」
「ぬぐぐっ」
そしてルイスの言う、ヘクターの戦場での活躍は事実であった。
約十三年ほど前、レームブルック王国は国境の領土争いがきっかけで、連合した隣国複数からの大規模侵略を受け、滅亡の危機に瀕していた。
数で勝る隣国連合は、レームブルックの国境線を次々突破し、城塞を落として王都に迫るのも時間の問題と思われた。
――だがそんな多勢に無勢の戦争において、その最前線を守り三度の大侵攻を押し戻し、遂には連合国盟主である強国の王を討ち取るという獅子奮迅の活躍で国を守った『英雄』こそ、騎士ヘクター・ブランドンだった。
上げた大将首も終戦後の論考行賞序列も第一位だった、ヘクターの技量を疑う者はいない。
それだけを評価すれば、ヘクターという男を認めざるをえない事も、シルヴィアにとっては非常に口惜しい事だった。
シルヴィアは、ヘクターの日に焼けた大柄な体躯やボサボサの黒髪、よく見れば精悍に整っているのに、いまいち手入れがなってない傷だらけの顔貌を思い浮かべ、腹立たしさを増す。
「こ、ここは戦場ではありませんものっ。ルイスの敵はわたくしの敵、ルイスの幸せを阻む輩は、わたくしにとっては野蛮な熊男で十分ですっ」
「……あはは」
シルヴィアは天敵を褒めるルイスにむくれ、プイと顔を反らした。
そんなシルヴィアに苦笑を深めていたルイスは、ふと真面目な顔になってシルヴィアに言う。
「でもマリアンからの話を聞いても、そうだと思いますよ。ヘクター卿に比べれば、まだまだ私は頼りない」
「……ルイス」
「……マリアンが、何か心に重いものを抱えている事は判るのです。私はそれを、彼女が私に預けてくれるくらい、頼りになる男になりたい」
「……」
ルイスの表情は、恋人を想い憂える大人びたものだった。
それを間近で見上げていたシルヴィアは。
「は……はぅううううう美しすぎるぅうううううっ」
「ひぃ?!!」
エビぞりになって、鼻血を出しながら嬉々と床に倒れ込んだ。
その様子にルイスはおろか、周囲の召使達もビクリとなって、思わず距離を取る。
「だ……だめルイス……このままではわたくし……貴方がかわいい死にしてしまうわ……っ」
「…………姉上、そろそろ結婚相手に目を向けてみませんか? 最盛期より減ったとはいえ、姉上への縁談もまだまだあるのですよ」
「まぁっ、なんという事を言うのですかルイス!! わたくしは貴方が結婚して子を複数授かり、このヴェルナー家の当主として安泰になるまで、断・じ・て!! 嫁いだりなどしませんわよ!!」
「嫁き遅れてしまいますよ?」
「上等ですわっ。わたくしの命より大事な使命を理解しない男など、こっちからお断りです! 嫁げなくなったその時は、持参金片手に自領の修道院に行き、地域発展と信仰に生きますから問題ありませんっ!!」
「……一応私も、姉上の幸せを祈っているのですが」
「大丈夫ですルイス! わたくし、今以上の幸せなんて感じた事はありませんっ!!」
「……」
鼻血まみれの顔に恍惚とした表情を浮かべながら、弟に力説する姉(そろそろ嫁き遅れ)。
――ダメだコイツ、早くなんとかしないと。
そんな思いを、周囲の人間皆が揃って胸内に感じたのも、仕方のない事だ。
「……そういえばヘクター卿も、姉上を美人だとは言ってたっけ……下に女狐が付くけど。……」
そう呟いたルイスは、やがて何かを思いついたようににこりと笑い、そして小さく頷いたのだった。