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17妹馬鹿と従騎士

 レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、あまり教養が無い。

 それは父親の死で従騎士としての教育もそこそこに騎士とされ、最前線に送られたからだった。


「……うぅ」


 そんなヘクターにとって、裁判の証言用の原稿を作って暗記するという作業は、一苦労だった。

 なにしろ、裁判長は国王で、主張を訴える相手は偉い聖職者や法務官、更には国王妃なのだ。無礼にならないよう気を付けるのは勿論の事、相手の不興を買うような話題も避けつつ、こちらの主張を通さねばならないとなれば、難易度は高い。


『とはいえ、シルヴィア殿に添削してもらったから助かるが』


 古びた執務室の机上でぐったりしつつも、ヘクターは傍らの羊皮紙に記された自分のガタガタしたレームブルック文字と、それを添削する形で書き込まれている、滑らかな口語筆記体に目を移す。

 ヘクターの原稿を、シルヴィアが修正した模範解答だ。貴人に対する礼儀を失わない堂々とした文言に、ヘクターは感心する。


『……彼女は流石に教養高い。……当たり前か。裕福な家の女主人代理ともなれば、客をもてなしたり、各所に手紙を書いたりもしなくてはならんだろうからな』


 ただの教養ではなく、それを長く活用して来たのが判る効率の良い筆運びは、シルヴィアの今までの努力を如実に示していた。


『……愛する弟のため、少女の頃からがんばってきたんだろうな。……いや、今もがんばっているのか。……』


 ――ルイス卿が羨ましい。


『……いやいや、そんな事を思っている場合じゃないだろう。今は私も愛するマリアンのため、全力を尽くさねば』


 一瞬頭に浮かんだ言葉を頭から追い出し、ヘクターは集中して机に向かった。――が。


「――ヘクター様!!」

『うわ?!!』


 その集中は、突然執務室の扉を勢い良く跳ね開けた、ヘクターの従騎士によって遮られる。


「ヘクター様大変です!!」

『こっちは原稿が大変だ!! 驚いた拍子にインクがドバっと……いや、大変ってなんだ?』


 内心で焦りつつも顔を上げたヘクターに、勢い込んでいる従騎士が駆け寄って来た。


「ど、どうしたウォルト?」


 ヘクターが一人前になるまで面倒を見ている従騎士の少年ウォルトは、あどけないそばかすだらけの顔に当惑と興奮を浮かべ、慌てて言葉を続ける。


「ラザール・デムラン卿です!! ヘクター様の宿敵傭兵(メルセネール)ラザールが!! レームブルックのお城に来ました!!」

「……なんだ、それか」


 勢い込んでもたらされた情報に、ヘクターはやや脱力感を覚えながら、こぼれたインクで柔らかくなってしまった羊皮紙を柔布で拭ってなんとかしようとする。上手くいかない。


「あれっ、御存じだったんですか?!」

「ラザール卿はラスボーン大臣家の客として、レームブルックに滞在しているのだ。おそらく国王陛下が呼ばれたのだろう。高名な遍歴の騎士が、訪れた先の領主や王侯に客としてもてなされるのも、ごく当然の事だ」


 各所を遍歴する騎士は、情報収集という点においても支配者階級にとっては重宝する存在だった。


『あと、国王陛下は純粋に強者が好きだからな。ラザール卿ほど名が知れた騎士なら、話をしたいと思われても不思議はない。……まぁ、あいつが陛下のお気に召す性格かどうかはおいておいて』


 失礼な事を言ったら許さん、とヘクターは頭の中のラザールを睨む。


「そっかっ、当然なんですねっ。俺はまた、ラザール卿がレームブルックのお城へ殴り込みに来たのだと思いましたよっ」

「なんだそれは、バカバカしい……」

「だってあいつ、騎士様達にケンカ売ってましたよ?」

「……え?」


 思わぬ不穏な情報に、ヘクターの手が止まる。


「何をしているんだあいつは?」

「ええと、話せば長くなるんですけど」

「ならばまず、結論から話しなさいウォルト」

「はいヘクター様っ。ラザール卿に煽られて他の騎士様が激昂して、一対十の変則トゥルネイ(馬上集団戦)が行われる事になりましたっ」

「なんだそれは?!」


 更に剣呑な情報に、思わずヘクターは立ち上がった。変則試合は珍しくもないとはいえ、一対十など誇れる戦いではない。


「一体誰がそんな試合を提案したんだ!! ラザール卿がいくら強いとはいえ、恥知らずな!!」

「あ、提案したのはラザール卿です」

「あいつかぁ?!! 本当に何を考えているんだ!!」

「それで受けて立ったのが、ロナルド卿と、ポール卿と、ガストン卿と、レオナルド卿と……」

「よりにもよって、頭に血が上りやすい騎士ばかりではないか!! 彼らは国王陛下の御前で何をしているんだ!!」

「陛下は――」

「どうせ『その心意気や良し』と、面白がって許されたのだろう!!」

「すごいヘクター様っ! どうして判ったんですかっ?」


 若く血気盛んだった頃の自分も、似たような状況でそう言われたからだ。――と白状するのは恥ずかしかったので、ウォルトの質問は無視してヘクターは考える。


『勝っても名誉にならず、負ければ大恥だぞ。……どうする? 止めるか? 試合は支度に色々とかかるし、まだ間に合うとは思うが……しかし仮にも国王陛下が認めた試合だ……だが……』


 迷っているヘクターの耳に、更なる不穏な情報が入って来たのはその時だった。


「ラザール卿は上機嫌で、勝ったらあの女狐の名前を教えてもらって、口説く権利をもらうぞ。とか馬鹿な事を言ってましたねっ。あんな生意気年増女どこがいいのか。そりゃ確かに美人だけど、マリアン様の方がずっとお優しくてお可愛らしいやっ」

「――女狐? ……って、まさかシルヴィア殿か?!」


 ヘクターの様子が変わった事に気付かず、ウォルトは頷く。


「はい。そうですよ。ヘクター様だってそうおっしゃるじゃないですかっ」

「……何故シルヴィア殿が出てくるんだ?」

「ラザール卿が連れて来たからですよ。気に入って口説く気みたいです。まったく、あんな生意気で年増で弟熱愛の暴力女なんかのどこが――わぁあ?!!」

「そういう事は早く言え!!」

「えぇえ?! 大事な事でしたかぁ?!」


 驚くウォルトを置いて、ヘクターは走り出していた。


『シルヴィア殿?! なんであんな危ない男と一緒にいるんだ貴女は?! いや私には関係ないが、だが貴女に今何かあると困るから、貴女が傷つかないよう止める権利はあると思うんだ!! 多分!!』

「ヘクター様ぁ~っ!! 待ってください~っ」


 ヘクターは慌てて追いかけてきたウォルトに、大体の事情を聞いた。

 ヘクターの予想通り王の客として王宮を訪れたラザールは、暫く王と歓談した後、王に話題を振られたのだとウォルトはヘクターに教えた。


―……ところでラザール卿。そなた、弱き者を踏みにじる行為をどう思うか?―

―不快と心得ますな―

―ふむ。……ならば、か弱き女子を貶める裁判に助力する事は、どう思うか?―

―仕事と心得ますな―

―……ふむ。そなた情よりも利を取るか。それは騎士の道義に添うと思うか?―

―騎士らしくないと仰せか? レームブルック国王陛下。それは納得がいきませぬな―

―……と、言うと?―

― 一般的な騎士とは、忠義の名のもと、君主の『私利』によって動く存在だからです―

―……―

―儂に仕えろと命じた国の王は、人の女房欲しさに戦争を起こしましたぞ。別の国では兄弟の後継者争いでまた戦争、正妻と妾のいがみ合いが引き起こした戦争もございましたなぁ。……そしてその戦争で、主の命令によって敵を殺すのが騎士ではございました。なんの恨みもない赤の他人を、ただ戦争だから、君主の命令だからと踏みにじり殺すのです―

―……ふむ―

―儂は戦争を転々として気付きました。忠義だ道義だと騒いだ所で、騎士など所詮、主君という他人の私利私欲で、何の恨みも無い相手を踏みにじり殺す事ができる軍兵に過ぎない。忠義によって人を踏みにじる。それは果たして、自分の私利私欲のため相手を踏みにじる事よりも、高尚な事でございましょうや? レームブルック国王陛下、儂にはどうしても、そうは思えぬのです―


 楽し気に語ったラザールは、国王の背後に控える騎士達に視線を向け、鼻で嗤う。

 そして。


―その罪なき娘が、我が妻、我が娘、妹であれば、儂は命賭けで守りましょう。だが赤の他人への憐れみで、儂が仕事を止める事はございません。なんの得にもなりませぬゆえな。……ほう、気に喰わんという顔をしておられるな、各々方。ならばヘクター卿の代わりに、貴公らが我が前に立ちふさがるか? ……揃いもそろってその腑抜けた面構えでは、楽しめそうもないがなぁ?―


 ――と煽ったラザールに、ヘクターの妹に同情的だった騎士達は激昂した。


「――それで、『騎士を愚弄しおって決闘だー!!』『お前らなんか相手になるか。来るなら全員で来い』『その言葉後悔するなー!!』――という感じで、変則試合がまとまってしまったのですよっ」

「……うぅ。身内に同情された結果だと思うと、彼らを責められん」

「同感ですっ。窓の外で話を聞いてた俺だって腹が立って、飛び込んで行きたくなりましたものっ!! まだ決闘できない従騎士だから、諦めましたけどっ!!」

「お前まで早まらなくてよかったが……しかし、面倒な場所に居合わせていたのだな、シルヴィア殿は」

「女狐ですか? 涼しい顔して端に控えてましたよ」

「……ウォルト、その女狐というのはやめなさい」

「え? なんでですかヘクター様?」

「なんでもだ」

「? はい、判りましたっ」


 素直な子供の前で、大人が悪口を言うのは良くないとヘクターは反省した。


「ラザール卿は、め……じゃなくて、シルヴィア様を気に入っているみたいですよ。『かくも麗しき乙女に出会えただけ、レームブルックに来た甲斐はあった』とか言ってましたし。気障ですねー」

「……シルヴィア殿は、それに対してどう答えておられた?」

「『あらあら、美しい女性がお好きなら、王都の大聖堂にいらしたらいかがかしら? それはそれはお美しい聖母様がいらっしゃいますわよ。石膏製ですけれど』って言い返してました。つれない態度ってやつですね。ラザール卿は気にせず笑ってましたけど」

「……そうか」

「……ヘクター様、なんで嬉しそうなんです?」

「そんな事はない。だが、彼女にはマリアンの件で世話になるのだ。絡まれて困っているなら、騎士として庇う必要はあるだろう」

「えー、困ってるかなぁ? あの図太い生意気女なら、自分でどうとでもするんじゃないですか? マリアン様みたいに清楚可憐でか弱い乙女ならともかく……ってヘクター様ぁ?! 速いな?!」


やる気の無いウォルトを放って、ヘクターは馬に飛び乗ると王宮に急いだ。

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