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16弟馬鹿と狂信者と傭兵

 レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、レームブルック国法と宗教法を理解している。国内情勢を理解するのに、法律は重要な要素だからだ。


「――今回の裁判の場合、国法と宗教法によって解釈が大きく違う」


 そんなシルヴィアは、王宮の蔵書庫で歴代裁判記録を閲覧しながら、その要点を押さえていた。


「国法においては、売春は違法でも目こぼしされる程度の微罪であり、強制された場合は罪にもならない。でも宗教解釈によれば、どんな事情が在ろうと、売春婦は姦淫で男を堕落させる大罪人とされる……どちらの解釈によって裁判が結審するかは、最高裁判官の任を負う、歴代国王の法律解釈による……と」

「シルヴィア、裁判記録の閲覧は終わりましたか?」

「国王妃様」


 シルヴィアは一度手を止め、様子を見に来た国王妃の前に跪く。


「よい、閲覧を続けるがよい。……このような不快な裁判は、はよう終わらせるに限る」

『……国王陛下は勿論、国王妃陛下を筆頭に、身分の高い年配女性達が、マリアンさんに同情的なのは、好印象ですのよね』


 シルヴィアは記録の閲覧と共に、王城内の人間達の、裁判に対する意見を冷静に分析していた。

 レームブルックの城内にある法廷で開かれる裁判は、被告原告側がそれぞれ証言し、その上で、最高裁判長の役目を負う国王が結審するのが慣例だ。

 そして証拠不十分などで結論が出ない場合、または判決の異議申し立てが受け入れられた場合などで、神の意志を問うという形の決闘裁判となる。

 そんな裁判の差配を司る国王に裁判中意見を述べる事ができるのが、裁判長の隣にずらりと並ぶ傍聴人。つまり王宮内で働く高位聖職者、王宮の高位法務官、国王妃だ。

 大きな強制力は無いものの、国王と言えど、発言権がある者達を無視はできない。それゆえ裁判の日までの証言吟味と王宮内での根回しは、むしろ当たり前の法廷戦術だった。


「我が君もわたくしも、ヘクター卿の妹御の事情はよく存じておる。……彼女を罪人などとは、一切思うておらぬ。安心せよシルヴィア」

「両陛下の御心、ただ感謝にございます」


 そつなく国王妃に礼を取りつつ、シルヴィアは王宮内の勢力図とともに、現状を把握する。


『とはいえ……宗教解釈しかしない聖職者と、上司格であるラスボーン大臣の影響が強い法務官達は、やはり敵意識が強い。……ルイスを狙っている貴婦人達も、発言はさておき、マリアンさんが罪人となればいい気味、くらいの事は思って嫌な噂を撒いているようですし……裁判の第一審勝利には、こちらの証言が重要となるでしょうね』


 国王によっては、反対意見側の顔もある程度立て、訴えられた者を軽い罪を犯したという事で事件を落着させる記録もあったが、シルヴィア達が狙うのはあくまで裁判の勝利だ。

 シルヴィアは、愛する弟の未来の妻を前科持ちにするつもりはない。


『……負ける気はありませんわ』


 シルヴィアは、マリアンの弁護側として証言する者達を頭に浮かべ、その証言をできるだけ効果的に仕上げるため、見本回答(カンニングペーパー)を練っていた。


「シルヴィアよ。確かそなたが、ヘクター卿の妹御の弁護証言者の最後を務めるのだな?」

「はい。大役ですが、弟の大切な方の為、全力を尽くします」


 裁判の証言は被告原告が順々に行い、それぞれの最後が証言を終えた後国王が判決を下す。印象が大きい分最後の証言者は重要だが、今回はその役目をシルヴィアが引き受ける事になっている。


『だって……舌戦となると、ヘクター卿はまるで頼りにならないのですものっ!』


 薄々はシルヴィアも判っていたが、裁判証言練習で、ヘクターの舌戦能力は、残念ながら肉体での戦闘能力には、遠く及ばない事が露呈してしまっていた。


『……口がやたら上手いヘクター卿というのも、想像すると気持ち悪いのですけれど』

「……ヘクター卿は武骨で実直な分、あまり弁舌に長けた男ではないからのう」

『あ、やはり国王妃様もそう思ってたのですね』

「ルイス卿は、証言せぬのか?」

「ルイスは、裏方でございます。娼婦が初心な若者騎士を誑かした、などと印象付けられてしまったら、目も当てられません」


 そういう事情で、ルイスはここ数日間情報操作役として、王城内外で暗躍している。

 馬上試合(トーナメント)での活躍から、ルイスの人気は男女ともに高まるばかりなので、効果は高い。


「女性の味方は、恋人よりも恋人の身内の方が好印象にございましょう。口うるさい小姑すら味方に付ける、良い娘なのだと思っていただけます」

「ほほほ……そなたが小姑か。シルヴィアは口うるさいのか?」

「もちろんガミガミにございます。もっともマリアンさんは、刺繍も料理も一人前以上。とても働き者の良い娘さんなので、叱る所が少ないのが不満ではございますが」


 シルヴィアの冗談に、国王妃と共にその後ろに控える侍女たちもそっと笑った。

 よしよしとシルヴィアは内心で頷く。


「そなたがそうまで認めるのならば、良い娘なのであろうな」

「御意」

「ふむ……不快な噂は好まぬと、茶会で言うておこう。……シルヴィア、そなたらに神の御加護がありますように」


 中々の好感触を残して、国王妃は侍女たちを引き連れて去って行った。


『侍女たちの中で笑顔が堅かったのが数名。その中の一人はラスボーン大臣の遠縁でしたね。……あちらの広げる悪意ある噂を、どこまで牽制できるか』


 良くも悪くも、裁判は王城内で噂になっていた。

 ヘクターの妹、更に恋人はルイス。本人が全く表に出ないためかえって興味がそそられるのか、マリアンについては様々な者達が噂し、尾ひれ背びれを付けて面白おかしく語っている。

 その中には明らかな悪意でマリアンを貶めるものもあったが、状況を把握するためには必要とシルヴィアはできる限り冷静に、王宮内人々の話を聞いていた。


『……少々面倒なのが、原告である司祭モーガンでしょうか。……ラスボーン大臣家の子飼いでありつつ、聖職者としては真面目、というより堅物とは……てっきり大臣家の御機嫌伺いばかり上手な、俗太り坊主かと思っていたのに』


 シルヴィアは前からやって来た一団に気付き、素早く王城の回廊端に寄って礼をする。


「――これはこれはシルヴィア。娼婦を妻と望む弟に苦労させられているのではないか?」

「ごきげんようハドリー様。思い切り地面と激突なさった腰は大丈夫でございましたか?」

「だっ誰が!!」


 やって来た一団を率いていたのはハドリーだった。その発言を嫌味で流しつつ、シルヴィアはハドリーの背後に視線を送る。


「騎士家の御令嬢ともあろう方が、姦淫の罪を犯した娼婦を庇うなど嘆かわしい!!」

『これを嫌味じゃなく、大真面目に言ってるからある意味怖いですわよねぇ』


 そこにいたのは、痩せぎすで陰気な目に異様な輝きを宿す、簡素な法衣姿の中年男だった。

 それが今回の訴えを起こした司祭モーガンであると、シルヴィアは既に知っている。


「あら、そんな大罪人なんて存じませんわ司祭様。わたくしが護ろうとしているのは、弟が恋い慕う清らかな心根の優しいお嬢さんでございます」

「誑かされて目が曇っておられるようですな。悪魔は白い手袋をして近づいてくるという言葉を御存じないのですか!!」

「……英雄ヘクター卿を謀り、国家反逆罪として縛り首になった罪人の被害者を、悪魔とおっしゃいますの?」

「どのような経緯かなど関係ありません。すべては女の姿で男にそのような邪念を起させた、娼婦の罪。罪深い娼婦は神の名において、必ずや裁かれましょう!!」

『ああいやだいやだ。こういう童貞こじらせて妄想滾らせている聖職者が、一番女性を敵視しているのですわよね』


 ある意味でとても聖職者らしい熱烈なモーガンに、シルヴィアは内心でため息をつきつつ対策を練る。


「神の名のもとに、ですか。ではこちらも神の名のもとに、かのお嬢さんを護らせていただきましょう。わたくしもまた、敬虔な神の下僕ですので」

「戯言を。神が汚らわしい娼婦を庇うはずがない!!」

「あら、唯一絶対の御方は、全てを御存じですわ。彼女に罪無きことは、勿論ご存じでございましょう。……司祭様が判っておられなくても」

「何をっ!!」


 怒りを綺麗に包み隠した微笑でシルヴィアが言い返せば、やはり女に慣れていないらしいモーガンは、不快と興奮が入り混じったような複雑な怒りを見せた。


「罪深きは女よ!! 悔い改めよ!!」

『悔い改めるのは貴方です。女をバカにすると足元をすくわれる事を、この裁判で教えてさしあげますわ』


 と思いつつ、シルヴィアは微笑を深めモーガンを見返した。

 

「まぁまぁモーガン司祭。……シルヴィア、ヘクター卿の様子はどうだ。妹御の不始末で、さぞや消沈しておられるのではないか?」


 そんなモーガンを遮るように、今度はハドリーが近寄って来る。


「あら、お元気ですわよ。証言者の原稿にがんばって取り掛かっておられます」

「ふん……あいつの負けは決まっている。君もそろそろ、あれが戦でしか頼りにならない武骨者と判ったのではないか?」


 そう言ってシルヴィアの手を取ろうとしたハドリーの手からするりと離れ、シルヴィアはにっこりと笑い返す。


「先程国王妃様にご挨拶いたしましたの。良いお天気ですので、国王妃様もお庭の散策に来られるようですわ」


 つまり、もうすぐここを通るかもしれないぞ。


「……チッ」


 そうシルヴィアが牽制したのが判ったらしく、ハドリーは忌々し気に手を引いた。

 なお、庭の散策うんぬんはシルヴィアのハッタリだ。


「それでは忙しいので、そろそろ失礼させていただきます。ごきげんよう」


 潮時と思ったシルヴィアは、無言で控えていた侍女と共に去ろうとした。


「あの成り上がり者もこれまでだぞ!! 宿敵扱いされているが、傭兵ラザールの強さはケタ違いなのだからな!!」


 その背中に、ハドリーの捨て台詞がかかる。


『ヘクター卿を自分で倒す、と言わないあたりが……まぁ、身の程を知っているという事でもあるのでしょうが』


 捨て台詞を態度では無視しつつ、シルヴィアはハドリーの言葉を考えた。


「……傭兵ラザール。確かに生半可な名声ではありませんわね。どんな男なのでしょうか?」

「ん? 呼んだかね?」

「――?」


 ――すると、回廊で通りすがったらしい誰かの声が、上から振って来る。


「……?」

「おっと、これはなんと麗しい淑女か。金の髪も白い肌も儂好みだ。呼ばれていなければ、この場で口説き落としたいところだが」

「……」


 声の主を見上げたシルヴィアの頭に浮かんだのは、赤毛の獅子だった。

 ヘクターに勝るとも劣らない体躯に、豊かな赤毛と赤ひげ。明るいがどこか獰猛な容貌の騎士は、シルヴィアを見止めると陽気に笑い、あけすけに褒める。


「……不躾な容貌の称賛は、レームブルックでは無粋とされますのよ?」

「ははは、好みの美しいものを褒めんで、何を褒めるというのだ。うん、そのつんと澄ました声も良い。せめてお名前をお聞かせ願えんかね、麗しい乙女よ」

「折角ですが、わたくし家長が許可した方にしか、名前は教えませんの」

「そうか、それは残念だが今は退こう。儂はラザールだ。後で口説くぞ乙女よ」

「あら、名前も教えない女では、脈無しとは思いませんか?」

「なに、貴女が儂に惚れれば、脈は生まれるさ。はははは」

『自信家ですわねぇ……この男が本当に傭兵ラザールなら、その自信にふさわしい実力と、容貌の持ち主ではありますが』


 強者特有の傲慢を、陽気な雰囲気で親しみやすく見せている騎士は、その頼もしい容貌も合いまって中々魅力的な男だった。

 女が放っておかないタイプだと思いつつ、シルヴィアは女から恐れられている熊のような容貌を思い出し、ふとおかしくなる。


『ヘクター卿も……この方並にとは言わなくても、もう少し雰囲気を明るくして話し上手になれば、女性の評判も上がりますのにね。……素材は悪くありませんのに』

「おや、誰の事を考えたのかな?」

「あら、なんの事でございましょうか?」

「今貴女が、一層美しく輝いた」

「まぁお上手。貴方様でない事は、確かですわよ?」

「恋人か夫か。他人のものとは益々燃えるな」

『やっぱりそういう気質(タイプ)ですのね。まぁ、どこかのハドリーと違って、強引に無体を働く感じでもないのが救いですけれど』


 益々正反対だな、と、シルヴィアはまたヘクターを思い出した。


「――ヘクター卿か?」

「……えっ?」


 そこを、不意に突かれる。


「お、半分勘だが当たりだったか。はははは」

「……何故、そう思われましたの?」


 驚くもシルヴィアはそれを押し隠し、ラザールとの会話を続ける。


「遠目にな、貴女がラスボーン家の倅の一人に絡まれているのが見えたからだ」

『ハドリーとのあれを、見たのですね。なるほど』

「あやつはヘクター卿を倒せ殺せと五月蠅かったからな。ヘクター卿の方もラスボーン家のハドリーと女絡みで悶着を起したらしいし、もしやと思うた。そして貴女の反応で確信した」

『……この男、見かけよりずっと曲者ですわ』


 ただの豪放磊落ではない扱い難さを感じるラザールに、シルヴィアは警戒を強めた。


「まぁ、そんな事はどうでも良いっ」


 そんなシルヴィアをむしろ楽しそうに見下ろし、ラザールは笑う。


「我が宿敵ヘクター卿の想い人かっ」

「違いますわ、わたくしとあの方は、そのような……」

「隠すな隠すなっ。あの男の良さを判るとは、益々気に入ったっ」

「? ……宿敵ではありませんの?」

「おう、何度も殺し合った宿敵よ。それゆえあの男の強さや人柄の良さは、感じ取っておる。為人を知りたければ、女とは肌を合わせ、男とは殺し合ってみれば良い」

『極端な……相手が幼子や老人だった場合はどうするのでしょうか?』


 それでも問題ない! と断言されてしまったら嫌なので、シルヴィアは内心の疑問については無視する。


「――ラザール・デムラン卿。国王陛下がお待ちにございます」

「おっと、そうであったな」


 そんなシルヴィアとラザールの会話を制したのは、ラザールの背後に控えていた廷臣だった。どうやら、連れてくるよう命じられたらしく、少々焦っているようだ。


『国王陛下がお呼びになったのね』


 理由は色々と推察できたが、どうやらラザールは、王の客人として王宮に呼ばれたようだった。


『中々興味深い男ではあるけれど、これまでですわね』


 王の召喚を邪魔する気は無い。シルヴィアは淑女らしく一礼し、一歩ラザールから下がった。


「……ふむ」


 ラザールはシルヴィアの様子に頷きつつも、何かを思いついたように視線を廷臣に移しす。


「退屈なので、玉座の間に到着まで彼女に案内を頼んでもよいか?」

「な、何をおっしゃるのです?! 案内でしたら私が……」

「男と話していてもつまらん。のう、どうだ乙女殿。もう少しこの、ヘクター卿の宿敵を探ってみたくはないか?」

「……まぁ」


 厚かましいが妙に憎めない申し出を、シルヴィアは驚きつつも悪くないと思う。


『国王陛下と何を話すか、興味がありますわね。……もしかしたら陛下は、この男がラスボーン大臣家に味方するのを、止めて下さるのかもしれないし』

「どうだ? 儂は楽しい男だぞ」

「……そうですわね。少しだけですけれど、貴方様に興味が湧いてきましたわ」

「生意気な事を言ってくれる。それがまた魅力的なのだから、まったく美女とは罪深いものよ」

「罪深い女はお嫌い?」

「まさか。儂は処女のまま子を産んだ純潔の聖母(マリア)より、欲望のまま男の上に乗ろうとした原初の妻(リリス)の方が好みだ」

「ほほほ、罰当たりな事をおっしゃるのですね」


 モーガン司祭が聞いたら憤死しそうな暴言だと思いながら、シルヴィアは咳払いする廷臣に一礼し、ラザールに続いた。

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