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15弟馬鹿と妹馬鹿と弟妹

 レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、愛する妹を守る事を、大切な自分の役目だと思っている。

 周囲の悪意から庇い、噂から守り、そのためならばどんな強敵と戦う事も辞さない覚悟をしていた。それは家族の情愛であると同時に、過去妹を守れなかった贖罪でもあった。

 だが


「っ!! ――やめろマリアン!!」

「にいさ……っ!! ……死なせて!! 死なせて下さい!!」


 そんなヘクターでも、()()()の絶望から、妹を守る事はとても難しかった。

 ロープを屋敷の梁に掛け自殺しようとしたマリアンを止めたヘクターは、捕えられたヘクターの腕の中で泣きじゃくるマリアンを、ただ抱きしめる事しかできなかった。


「……罰が……当たったのですっ!! 私のような穢れた女が……ルイス様のような将来ある方を恋い慕ったから……っ!!」

「バカな事を言うなマリアン!! お前は穢れてなど……」

「穢れてるわ!! あの娼館で何度も穢された!! もう清らかな身体には戻れません!! 判っていた!! 判っていたのに!! 身の程知らずな夢を見たから罰が当たったのです!!」

「やめろマリアン!! 自殺は神への大罪だ!! 信心深いお前は判っているはずじゃないか!!」

「地獄に落ちたって構いません!! 私が死ねば裁判は中止になるのですから!!」

「マリアン!!」

「……お願いです兄様!! 私の『事故死』を認めて下さい!! 私は……私はルイス様にだけは……娼婦として見られたくない!!」


 子供のように泣き暴れるマリアンを押さえながら、ヘクターは誤りを犯した過去の自分を殺したくなる。


『何故――私はあんな連中を信じてしまったのだ!! 大切な妹を預けてしまったのだ!! この子が苦しむのは、全て私の罪だ!!』


 両親を失い心細かったヘクターは、優しい顔で近づいて来た遠縁達の甘言に騙され、家土地と妹を託してしまった。


―くそぉ!! 初陣のガキなんてさっさとくたばると思ったのに!!― 

―ヘクター!! 騙されるお前が悪いんだ!!―

―お前が素直に死んでりゃ、俺と俺の家族は幸せになれたのに!!―


 ヘクターが身勝手な事をわめく遠縁の男の顎を拳で叩き割っても、遠縁とその仲間達が罪人として処断されても、マリアンが負った傷は癒えなかった。

 ヘクターには、抜け殻のようになってしまった幼い妹の顔に、笑顔を取り戻す事はできなかった。


『……この子の笑顔を取り戻してくれたのは……ルイス卿だった』


 ヘクターは、屋敷の庭先でマリアンと語り合っていたルイスを思い出す。

 いつの間にと怒ったヘクターに、ルイスは驚きながらも丁重に詫び、マリアンに恋している事を打ち明けた。


『ルイス卿に会わなければ、きっとこんな面倒にはならなかった。……だが彼に会わなければ……マリアンが再び幸せそうに笑う事は、きっとできなかったのだ』


 マリアンの笑顔を思い出したヘクターは、今の泣き顔に心を痛めながらも、ルイスを恨む事ができなくなっていた。


『……ルイス卿の恋を応援するシルヴィア殿の事も、恨めまい。……ルイス卿との恋は……確かにマリアンに、幸せを与えてくれたのだから。……だが……』


 レームブルック王国を含め、周辺諸国が信仰している唯一神は花嫁の処女性を重んじる一方、女側の姦淫の罪には大変厳しく、『傷物』となった女に対しては、どのような事情が在ろうと冷たい目を向ける者達が少なくない。

 だからこそ、これ以上はマリアンがもたない。そう思いながらヘクターはマリアンの背をさすり、静かに言う。


「……逃げるか、マリアン」

「っ……兄様」

「この国からも、噂からも逃げて、遠くに行こうか。……大丈夫だ。お前は私が護る」

「にいさま…………っ!!」


 それが騎士にあるまじき、主君に対する背信である事は判っていた。

 だがそれでも、ヘクターはこれ以上妹を傷つけたくなかった。


『国王陛下……お許しを。……』


 ヘクターは自分を戦地で見い出し、引き立ててくれた国王の温厚な顔を思い出し。


『……貴女は、多分私を罵倒するだろうな』


 ――そして頭の片隅で、ヘクターの背信を知れば立腹するだろう、生意気な美女を思い出した。


「――それではなんの解決にもなりませんわよ!!」

「――はっ?!」


 その途端、記憶が実体化した。――いつの間にか部屋のドア前に、その美女ことシルヴィアが立っていたからだ。


「へっヘクター様!! マリアンお嬢様!! 御逃げ下さい!! ここは俺が!!」

「おだまりなさい従騎士殿!! わたくしはヘクター卿に話があるのですっ!! 子供が大人の話に割り込むものではありませんよっ!!」

「うわぁああ?!! この女凶暴だぁ!! 磨かれた爪が痛い痛い!!」


 見れば追い返そうとしたのか、ヘクターの従騎士である少年が道を塞ごうとしていたが、シルヴィアは案外強い握力で従騎士を脇に押しやり、堂々と部屋に入って来る。


「急な訪問、失礼いたします」

「し――シルヴィア殿?!」

「ルイスもいますよ」

「ルイス様?!」

「マリアン、待たせたね。あ、ヘクター卿は姉が話があるとの事ですので、私達はこちらに」

「おおおおいおいおいおい?!!」


 姉弟で打ち合わせでもしてたのか、流れるような動作でルイスはマリアンの手を取ると、さっさと部屋を出て行った。

相変わらず天使のような笑顔のルイスと、唖然として拒否し損ねたマリアンの二人を、慌てて従騎士が追う。


「ま、まてルイス卿!!」

「――お待ちくださいヘクター卿」

「っ!!」


 それを追おうとしたヘクターを、シルヴィアが止める。


「マリアンさんは、ルイスに任せて下さい。それが最善だと、貴方様にもお判りでしょう?」

「……今慰められれば、余計に別れが辛いだろう」

「別れたりしませんわ。わたくしのかわいいかわいいかわいいかわいいルイスの本気と誠実を疑わないでくださいませっ。これだから頑固熊親父は」

「だれが頑固熊親父だ」


 シルヴィアは相変わらず弟熱愛の、生意気女だった。ヘクターは思わず苦笑する。


「なんですの?」

「……いや、貴女は変わらないのだな。……マリアンの事を聞いたのだろう」

「罪なき婦人を襲った理不尽な苦難を、罪と断じる聖職の傲慢など、気にする価値もありません」

「……」

「色々言いたいことはございますが……ヘクター卿」


 蒼天を思わせるシルヴィアの目が、まっすぐヘクターを見つめた。


「貴方様は、騎士としての御自身を、どうでもよいとお思いですか?」


 嘘は許さない。そう訴えてくるような気の強い蒼が、微かに揺らいだのをヘクターは見逃さない。


『不安なのか。この女が? ――私の返答に対して?』


 シルヴィアとはケンカした記憶しかないヘクターには、その理由を正確に察する事などできない。


「……いいや」


 それでも、正直に答えなければいけないような気がした。

 ヘクターはシルヴィアを見返し言う。


「引き立てて下さった国王陛下に騎士としてお仕えできた事は、私の誇りだ。できることならこの命尽きるまで、陛下と御国のために戦いたい」

「……」

「……だが、私はそれでも、マリアンを優先する。私はあの子を守らねばならん。……それ以上、あの子に償う方法が判らないんだ」


 言葉の語尾が、震えたのが自分でも判った。

 判らない。その一言にヘクターの苦悩は詰め込まれていた。


「ヘクター卿。決して間違ってはならない時、間違ってしまった事を。間違ってしまった事で、マリアンさんを不幸にしてしまった事を。後悔してらっしゃるのですね」


 そんなヘクターの内心を確かめるように、シルヴィアは言葉を返す。


「……そう、だな。……弟を守ろうとした貴女にならば、判るのではないか?」

「ええ、判ります。……とてもとても、理解できる……だからこそ」

「……だから、こそ?」

「だからこそヘクター卿、貴方様は、もう間違ってはなりません」


 そう断言し、シルヴィアはヘクターに言い募る。


「マリアンさんを守りたいならば、ヘクター卿はマリアンさんと共に、戦わなくてはなりません。マリアンさんと、そして御自分を守るためにです。敵の目的はマリアンさんではなく、『気に喰わない成り上がり、国王陛下の寵臣ヘクター・ブランドン卿』の排除です。ヘクター卿が逃げれば、敵は嬉々として貴方様を罪人として追い詰め、この世から排除しようとするでしょう。逃げた先に安寧などありません」


 そこまで言って――だがシルヴィアは、まるで不満げに眉根を寄せる。


「……というのは正論です」

「え?」

「……本音を申し上げれば……わたくしは……貴方様があんな連中に負ける所など、見たくないのです」

「……え?」


 思わずヘクターは聞き返した。今聞いた言葉がとても、自分にとって嬉しい気がしたからだ。

 そんなヘクターに何を思ったか、シルヴィアはヘクターを見つめる目を尖らせ返す。


「い、いけませんかっ?! わたくしがヘクター卿に感嘆しては?! 戦う貴方様は、本当に素晴らしい騎士でした!! これでも騎士家の出ですのよ!! 卓越した馬槍術には見惚れもしますわ!!」

「……もしかして馬上試合(トーナメント)の時だろうか? 私は、貴女に呪われているかと思ったのだが」

「何故ですか?!」

「目つきが怖かった」

「なっ……失礼な!! ……た、確かにその……色々考え込んでしまっている内に貴方様を睨んでいた事もあったかもしれませんがっ!! それにしても言うに事欠いて呪いはありませんわ!! 魔女扱いなんてあんまりです!!」

「そうだな、すまない」

「っ……貴方様が、素直に謝るなんて……」


 調子が大きく狂ったのか、シルヴィアは慌てたように羽根扇でヘスターから視線を逸らし、それをウロウロと彷徨わせた。――いつの間にか、頬が真っ赤だ。


「……」


 ――かわいい。


『っ……いやいや、そんな場合ではない』


 その様子を気が付けば愛でていたヘクターは、現状を思い出し、慌ててそれを一旦忘れる事にする。


「感謝するシルヴィア殿、そこまで貴女が私を評価してくれるとは思わなかった」

「……わ、わたくしは……はい」

「だが私には、やはりマリアンを、汚らわしい裁判の場に立たせる事はできない。……あの子は周囲の悪意に怯え切っている。とても戦えるような精神状態ではない」

「……そうでしょうか?」

「そう思っているが、貴女は違うと?」

「大体合っているとは思いますが、私は一つだけ、貴方様が度外視しているものがあると思います」

「度外視?」

「ルイスの存在ですわ。俗な言い方をさせていただければ、恋する乙女は強いのです」

「……いや、いくらなんでもルイス卿の励ましだけでどうにかなるとは……」


 思えない。

 ……とヘクターが答えかけた時、再びルイスとマリアンが出て行った部屋の扉が開く。


「……兄様っ、私……がんばってみますっ」

「――えっ」


 そこには涙でグシャグシャの顔になりながらも何かの決意を固めたマリアンと、そのマリアンを傍らで優しく見守るルイス、そして何かを消耗したのか、二人の近くでぐったりと蹲っている従騎士の姿があった。


「ルイス様によく教えていただいたのですっ。私のせいで、兄様が大変な事になるとっ」

「え、あ、いやまぁそれは、うん。だが私にとってはお前を傷つけないという目的の方がずっと大切でなマリアン……」

「だ、大丈夫です兄様。……私、がんばれます。お世話になった兄様のためですし……それに」


 一生懸命言葉を紡ぐマリアンは、傍らのルイスを見上げ、可憐に頬を染める。


「……る、ルイス様も、一緒ですもの……」

「ああ、ずっと一緒だよ、マリアン。ヘクター卿、マリアンの事はお任せ下さい。むしろ任されました」

「……ルイス様」

「……マリアン」

「……」


 恋人>>>(越えられない壁)>>>兄。

 妹を心から愛するヘクターは、だからこそ愛する妹の現在の愛情度合いを、正確に見抜いてしまった。


『……小さな頃は、にいさまのおよめさんになるって……なるって……っ』


 判っていても、どうしようもない切なさがヘクターを襲う。


「……ヘクター卿」

「……シルヴィア殿?」


 そんなヘクターに、優しい目をしたシルヴィアが慰めるように言う。


「……弟妹は、大人になるのですわ。……それはとても寂しいですが、喜ぶべきこと」

「……シルヴィア殿」

「……そうですわ……喜ぶべきことですが、寂しいのですわ……っ。……わたくしとて、ルイスの『おとなになったら、あねうえとけっこんしますっ』を、忘れられませんもの……っ」

「……判りますっ」


 ヘクターとシルヴィアは、これ以上ない程解り合った。


 こうして色々な意味で理解を深めた兄妹と姉弟は、裁判に臨む事を決意したのだった。

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