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14弟馬鹿と弟と醜聞

 レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、怒りで握りつぶした羽根扇を暖炉に放り込み、悪態をついた。


「――何が姦淫の罪です!! 悪趣味ラスボーン家!! その飼い犬聖職が!!」


 レームブルック王国他、多くの国で認められ信仰されている神の教会は、一夫一婦制の婚姻を厳正に解き、婚外の性交渉を認めず、姦淫を罪として厳しく断罪している。

 そして教会の影響が強い国々において、特に女の、夫以外との性交渉は重罪だ。

 夫以外の恋人と戯れる事など珍しくも無い貴婦人や王妃だろうと、聖職者に訴えられ有罪になれば、不貞の罪は免れない。

 まして、そういった姦淫を商売にしていた女達に対しては、教会だけでなく世間の目も厳しかった。

 ――もっとも権力者のご機嫌を損なってまで、その辺の聖職が権力者の妻女や愛妾を訴える事など、まず無いのだが。それでもそういった常識が、未だ教会という権威の一つに残っている事は確かだった。


「暴力によってそれらを強いられた被害者に対してまで、よくもそのような事を言えるものです。……マリアンさん」


 シルヴィアは自ら収集した情報を思い出し、ため息をつく。

 ヘクターの妹マリアンは、まだ少女の頃、親戚の手によって娼館に売られていた。


『……信じて預けた親戚達に裏切られたのです。……まだ若かったヘクター卿とマリアンさんに対して、なんという恥知らずな悪意か』


 それはヘクターが初陣したての若い騎士として、国境砦で戦っていた時の事だった。

 両親もすでになく、一人残される当時六歳の妹マリアンを案じたヘクターは、遠く離れた国境の戦場に行く前に、申し出てきた遠縁の者達を管財人として、家と僅かな土地と共にマリアンを預けたのだった。

 だがそのヘクターの願いを、遠縁達は最悪の形で裏切った。

 家に乗り込んで来た遠縁とその家族は、マリアンを奴隷のように酷使した上、自ら作った借金返済のためにヘクター達の財産を食いつぶし、マリアンを娼館に売り払ったのだ。


『そのあげく素知らぬ顔で、ヘクター卿が戦場で得た報奨を受け取っていたのですから悪質です。……ヘクター卿の従者が忠義者で、家の様子がおかしいとヘクター卿に知らせなければ、今頃どうなっていたか……』


 遠縁達は年若いヘクターなど、どうせ最前線で死ぬと思っていたのだ。

 だがヘクターは生き残って武功を立て続け、遠縁達の悪行は、妹を心配するヘクターのために様子を見に戻った、忠義者の老従者によって発覚した。

 国の為に戦う騎士を謀った罪は重い。そう激怒した国王の命令により、ヘクターの遠縁である男は縛り首、その家族は奴隷として炭鉱や金鉱送り。そして元々経営自体が違法だった娼館は取り潰され、マリアンは取り戻された。

 それ自体は喜ぶべき事だろう。だが、マリアンが受けた心身の傷が、そして公になってしまった不名誉が、それで消えるはずもない。

 ヘクターがマリアンに対して過保護になり、マリアンもまた人目を避け、まるで修道女のようにひっそりと過ごしていたのには、このような事情があった。


『……それは判っていました。……でも、冗談ではない!! 彼女を罪人扱いするなんて!!』


 ルイスと恋仲になった以上、マリアンがある程度の噂になってしまう事は想定内であり、それはシルヴィアも守るつもりでいた。

 だがマリアンの過去を引き出した上、わざわざ教会の道徳因習まで持ち出して、それを娼婦の姦淫罪と訴え出るほど大げさな事をする(バカ)が出る事は、シルヴィアにとっても最悪の想定だった。

 実際ルイスに色目を使い、マリアンに対する悪意ある噂を囁く貴婦人達もそこまではしていない。

 よほど愚かでなければ、マリアンを追い詰め過ぎて、国王のお気に入りであり救国の英雄であるヘクターを敵に回す事など極力避けるからだ。


「……まさか、宴の恨みですの? いくらなんでもそこまで恥知らずとは思いませんでしたわよ!! あのクソハドリー!!」

「それだけではないようですよ、姉上」

「あ、あらルイス」


 罵倒を聞かれ慌てて振り向くと、シルヴィアがウロウロしながら怒っていた居間の入口には、穏やかだが目が笑ってないルイスが立っていた。


「少々王宮の役人に探りを入れてみたのですが、どうもラスボーン大臣家には、ヘクター卿の、出世の道を閉ざしたい理由が現在あったようです」

「……現在? 何か特別な事があったかしら?」


 思い当たらないシルヴィアに、ルイスは頷く。


「これはまだ内内の話なのですが、どうやらもうじき王都の騎士団が再編され、新騎士団が結成される予定があるそうなのです。王城の典礼中心が役目の近衛騎士団とは違う、王都防衛の要となる実戦的な一団です」

「あら、それは知らなかったわ」

「まだ貴婦人達の話題に上がるような話ではありませんからね。婦人でこの件をよくご存じなのは、国王妃様くらいではないでしょうか」


 なるほど、とシルヴィアは思う。貴婦人の情報網も自分達とは遠い話題には弱い。ルイスは続ける。


「それでですね。どうやらその新騎士団団長の最有力候補に、ヘクター卿の名が挙がっているようなのですよ」

「……まぁ、それは……国王陛下の御意志かしら?」

「それはあるでしょうね。そろそろ英雄にふさわしい地位を、という所でしょう。ところが、名の有る家の者達は、大した家柄でもないヘクター卿の大出世がおもしろくない。……特に、その新騎士団団長の地位を息子に与えたかったラスボーン家にとっては、ヘクター卿は目の上のタンコブだ」

「――はぁ? ラスボーン家の息子の騎士って……ハドリー?!」

「そうなりますかね。ラスボーン大臣の長男次男はそれぞれ廷臣と聖職になってますし」

「まさかラスボーン家は、ヘクター卿の代わりにハドリー卿を団長にしたいとでも思ってるのですか?! むしろ代わりになると思っているのですか?! ラスボーン大臣はとうとう頭がおかしくなってしまわれたのですか?!」

「元々おかしかったのではないですかね。家柄だけで大臣の地位を与えられたという評判通り、ロクな仕事もしていませんし」


 姉弟は毒舌を交わし、そして揃って首を振る。


「愚策だわ。こんな事をしても、ヘクター卿を重用する国王陛下の御不興を買うだけではないの」

「ラスボーン大臣家の訴えでなく、あくまで領地の司祭の訴えというのがポイントでしょうね。ヘクター卿の妹に大恥をかかせ、ヘクター卿も道連れに城から去らせる事ができればよし。さもなくば、司祭が勝手にやった事と足切りすればそれでよし」

「……敵側は、妹を追い詰めれば、ヘクター卿は王城を去ると思っているのね。……それは正しいわ」

「ええ。……あの方が妹マリアンをとても大事に思っている事は、周知の事実だ。マリアンを守るためなら城を、いや、この国を去って、噂の届かない場所まで逃げる事だってしかねません」


 そしてそれでは、敵の思うつぼだ。


「……姉上」

「なに? ルイス」

「マリアンがこの国を出て行ってしまったら、追いかけて行ってもいいですか?」

「愛に生きるのねルイスっ!! ああっ、そんな貴方も素敵だわっ!!」


 と一通り悶絶してから、シルヴィアは真面目な顔に戻る。


「でも駄目よ」

「でしょうね。判っています、ヴェルナー家嫡子としての義務を投げ出したりはしません」

「それだけでなく、マリアンさんとヘクター卿が、国を去ってしまうなんて選択肢を考えるべきではありませんルイス」

「姉上」

「……貴方だってヘクター卿が、つまらない連中に負かされるなどなど嫌でしょう?」

「……」


 ルイスは睨むようなシルヴィアの顔をまじまじと見返し。


「……ぷっ」


 小さく噴出した。


「ちょ、ちょっとルイス!! 何を笑っているのですかっ!!」

「いやいや。全く姉上のおっしゃる通りですが、姉上がヘクター卿に「負けて欲しくない」なんて、素直に言われるとは思わなかったのです」

「え? ……ちっ、違いますわよ?!」


 自分の素直に口から出た言葉を思い返したシルヴィアは、急激に恥ずかしくなって、激しく首を振る。


「違いますっ!! 違いますからねルイス!! わたくしはただ、ヘクター卿を重用されておられる国王陛下はこの国の国防を考えあの方がこの国に必要という事を言いたくてですね判っていますかルイス?!」

「はい?」

「判ってませんわね!! 違いますからね!! わ、わたくしはヘクター卿なんて別になんとも思ってないんですから!!」

「そうですねぇ、はいはい」

「ルイス!! 貴方今面倒臭いと思ったでしょう!!」


 ルイスは何も言わず、笑顔でシルヴィアの肩をポンポンと叩いた。

 ――悔しいがそれ以上反論もできず、シルヴィアは真っ赤になった顔でルイスを睨みつつ、とにかく言いたいことを言う。


「――とにかく、この訴えです。裁判に勝ちますわよ、ルイスっ」

「そうですね。こんなくだらない訴え、さっさと勝って終わらせましょう」


 姉に頷いたルイスは、思案顔で姉に問い返す。


「とはいえ、最初の訴えからの論戦は、マリアンにとっては辛い事でしょうね」

「大丈夫、連中が何を放言しようが、最終決着である、決闘裁判で勝てば良いのです。非合理極まりない野蛮な風習とはいえ、今回ばかりはよかったと思います」


 決闘裁判とは、神は必ず正しい者を勝利させるという宗教の理屈によって成り立つ、神明裁判とよばれるものの一種だ。


「決闘代理人が認められている以上、必ずやマリアンさんの代わりにヘクター卿が勝利してくださいますわ」

「本当ならば私が戦いたい所ですが」

「おやめなさい。ラスボーン大臣家がなんのために、ヘクター卿の宿敵傭兵ラザールを呼び寄せたと思っているのです。人一人の人生がかかっている勝負に、博打は打てないわ」

「判っています」


 ルイスはやや不満そうにだが頷きつつ、真剣な表情で目を細め一番の懸念を確認する。


「……問題は、マリアンが裁判に耐えきれるかどうか、です。……彼女は外の害意に怯え切っている。裁きの場に出ただけで、倒れてしまうかもしれません」

「それは、耐えてもらうしかないわ」


 恋人を想うルイスの言葉を、シルヴィアは切り捨てるしかない。

 

「ヘクター卿がマリアンさんを庇って国外に逃げれば、二人は揃って勝手に国から逃げた罪人になってしまうのですよ。……それだけは、避けねばなりません」


 敵に追い詰められ敗北し、逃げるヘクター。

 想像したシルヴィアは、またも手にした羽根扇を粉々に折り壊したくなる衝動に駆られた。それは本当に腹立たしい想像だった。


「……ルイス。マリアンさんを勇気づけなさい」

「それは、今彼女の家に行けと?」


 ルイスはちらりと外を見た。夜だ。


「一刻の猶予もありません。――大丈夫、わたくしも参りますから。ヘクター卿は、わたくしが説得します」

「あ、姉上っ?」


 そんな事が気にならないくらい、シルヴィアは一刻の猶予もならないと思った。

 ――否。


「わたくしだって、いつまでもヘクター卿と気まずいままではいられないのですよっ! この裁判に勝てるよう、お手伝いしたいんですからっ!」


シルヴィアは気まずさから今まで会う勇気が出なかったヘクターに、今会いたいと思った。

 

「大丈夫ですわっ。わたくしはもう、嫁入り前にどうのと、煩く言われるような年でもありませんものっ。夜を持て余す年増の押しかけとでも言われたって、痛くもかゆくもありませんわね!! 実際やましい事は何もありませんしね!!」

「姉上、自虐に走らないで下さい」

「いいから行きますわよルイスっ! この夜に夜逃げされる可能性だってあるのですからっ! 逃がしてなるものですかっ!」

「……そうですね、行きましょう」


 やや唖然とした表情だったルイスは、やがてどこか嬉しそうに微笑み、姉に続いた。

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