13妹馬鹿と傭兵
女性に対する性的侮蔑表現が、この話から表記されます。
レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、全身から発せられる威圧感と殺気のせいで女性に恐れられ、近づかれない。
『……本気で怒ってしまった。……女狐……いや、シルヴィア殿も流石に怖かったろうな。……やはり謝った方が……いや、だがマリアンのためにも、シルヴィア殿とルイス卿には離れてもらいたいし……だが……ああ、婦人と真面目に諍いを起すと、困るものだな』
だから女性と諍いを起した時の対処の仕方など知らなかったし、今まで知る必要もなかった。そもそも会話すらほとんどしたことが無いのだ。
『……マリアンとは、ケンカにもならないからな。……あの子はいつも、私に申し訳なさそうに俯いている』
鍛錬と憂さ晴らしがてら馬を走らせていたヘクターは、その内シルヴィアとマリアンを脳裏に浮かべ、そして最近騒がしくなった周辺を思い出し、深くため息をついた。
『……マリアンの過去が、また噂になっている』
王宮での噂に疎いヘクターの耳にも伝わるほど、それはあからさまだった。
その中心になっているのが、ルイスに秋波を送る婦人達と聞いてうんざりするが、ルイスやシルヴィアに対する怒りは、今はもうそれほど湧いてこない。
『……ルイス卿が真剣なのは、判ったからな』
ヘクターは、悪意を流し込もうとする女達に目もくれず、マリアンときちんと話がしたいと申し出るルイスを思い出した。
どれほど邪険にしても、決して退かないその姿勢に嘘がない事は、流石のヘクターでも判った。
『シルヴィア殿の言う通り、あの男は一途なようだ。……だが……妹は……ん?』
そんな事を考えながら、馬を王都から少し離れた街道まで走らせた所で、ヘクターは前方に見えるものに目を留める。
『……巡礼者達か』
道から少し離れた木陰で、貧しい巡礼者達とみられる、襤褸のフードを被った一団が休んでいた。レームブルックにもいくつか有名な聖遺物が安置されている教会や寺院があるので、巡礼者は珍しくはない。
『……っ!!』
だがその巡礼者と共にくつろぎ、巡礼者の子供達にパンを与えている男を見て、ヘクターは驚いた。
「はっはっは。どうだ美味いか小僧っこ達? 神頼みでこれは食えんぞっ」
「はいっ。美味しいです騎士様っ」
「はいっ。もう一個下さい騎士様っ」
「ま、まぁ……この子達ったら」
「よいよいっ。子供は元気でよく喰う方が育つのだっ!!」
後ろに流した癖の強い赤毛と、同色の髭。明るい青の目が印象的な陽気な顔立ち。
鎧の跡が日焼けで残る肌には無数の傷が残り、大柄でいかにも屈強そうな体躯は、くつろいでいるように見えて全く隙が無い。―― 一見して荒事を生業とする大男に、ヘクターは見覚えがあった。
「……まさか、ラザール・デムラン卿か?」
「ん? おおっ、ヘクター・ブランドン卿!! 久しいな!! こんなに早く会えるとは、思うておらんかったぞ!!」
「……」
まるで旧知の友のように挨拶するラザールだが、ヘクターとは戦場で何度も戦い、殺し合った宿敵だ。
宿敵、好敵手との関係は騎士によって様々だが、少なくともヘクターは、一歩間違えば殺されていた相手と、平和な時期に好き好んで会いたいと思わない。
「……ラザール卿は、こんな所で何をしているんだ? 当分この辺りに、戦争はないぞ」
「無論仕事よ。傭兵は大金を積まれ、面白い相手と戦えると言われればどこにでも行く。その相手とは、まぁ卿なのだがな」
「――なんだと?」
名を知っているのか、ラザールの背後の巡礼達が、驚いたようにヘクターを見た。
あくまで明るく受け答えるラザールに、ヘスターは剣呑な視線を返す。
「私と戦う? どういう事だラザール卿」
「ん? まだ話は通っておらんのか? 儂もよくは知らんよ。ただ卿と戦えると聞いて、楽しみにしているだけだ。何せ五度も対峙して、殺せなかったのは卿だけだからなっ」
「……卿を客人として迎えたのは、どこの家だ?」
「ラスボーンとか言う、つまらん金持ちの家だぞ。身分はダラダラ名乗っておったが、退屈だったので聞き流したっ。知っているか?」
雇い主への義理など全く感じていないらしいラザールは、あっさりヘクターに答えた。
「ハドリー・ラスボーン……あいつの実家か」
ヘクターは宴で投げ飛ばした若造を思い出し、うんざりと首を振る。
「なんだなんだ? 悶着ありか? 金かっ? 女かっ?」
「……違う」
「女だなっ!!」
「っ?!」
何を見抜いたのか、ラザールは楽しそうに断言するとニヤニヤと笑う。
「ほっほ~う。見るからに堅物の卿が女絡みか。これは面白そうだ。どんな女だ? 美人か? 清楚な若い娘か? それとも色香たっぷりの年増か?」
「ち、違うと言ってるだろうが!! 妙な勘ぐりはよしてもらおう!!」
ヘクターは、一瞬頭に浮かんだ生意気そうな美女を、慌てて消す。
「何をいう、こんな面白そうなことを勘ぐらないで、何を勘ぐると言うのだ。女は良いぞヘクター卿。戦って死ぬのを待つばかりの儂の人生も、美しい女達が一時彩ってくれると、中々楽しいものよ」
「卿と一緒にしないでもらおう」
「似たようなものだろう? 卿も儂も、荒事以外では役立たずよ。違うか?」
「……」
否定できず、ヘクターは思わずラザールを睨んだ。
そんなヘクターに、ラザールはかえって楽しそうに笑う。
「事情はよく判らぬが、折角の決闘だ、楽しもうではないかヘクター卿」
「よく判らぬ事情のまま、よく命をかけられるものだ」
「先ほども言ったであろうが、傭兵は金と享楽で動くのよ。国だの主君だの神だの正義だので戦える連中の方が、儂にはよく判らん」
「……どこまでも、騎士の道義には遠い男だな。その癖、腕は超一流とくる」
「当然だ。弱くては遍歴の騎士などやってられん。もっともヘクター卿では、強くてもやってられんそうだがな? 世渡りが下手そうだ」
「大きなお世話だ」
面倒な男だと思いながらも、ヘクターは久しぶりに身が引き締まるのを感じた。
性格はどうあれ、ラザールが最高の決闘者であり、手強い相手なのは違わない。
「私も、国王陛下の騎士として臆するわけにはいかない。正当な意味を持つ決闘とあらば、受けて立とう」
「意味は儂の雇い主にでも聞いてくれ。なにやら悪趣味な事を企んでいるようだが、儂の方は『お題目』などどうでもいいのでな。……ああ、ただ一つだけ」
「なんだ?」
ラザールは、布袋から取り出したパンを喜ぶ子供達に全て分け与えてから、不快そうに言う。
「マリアン、というのはお前の妻か?」
「?! 馬鹿な、妹だ」
「そうか。その妹を、雇い主はなにやら理由にするようだぞ。そのような事を小耳に挟んだ」
「――っ!!」
「お前の妹には、何か後ろ暗い事でもあるのか?」
質問したラザールは、見返したヘクターの表情をしばらく見返し、やがて肩を竦める。
「……すまんヘクター卿、どうやら聞くべきではない質問だったらしいな」
「……」
「儂はお題目などどうでも良いが、女が泣くのは好かん。儂の雇い主共と争うならば、きちんと準備をしておくことだ」
「忠告、感謝する」
「感謝される筋合いはない。どんな事情が在ろうと、儂は仕事を降りる気はないからな」
「構わん。……マリアンは私が護る」
なるほど、と一言返し、ラザールは獰猛に嗤う。
「どういう事情であろうと、怒れる卿と戦えるのか。これは中々、楽しそうだ」
「……」
応えずヘクターは馬の手綱を引き、やや強めに馬の横腹を蹴った。
こうしてヘクターの、面倒な宿敵との久しぶりの邂逅は終わった。
――その数日後。
ラスボーン大臣家領地の教会に所属する司祭の一人が、ヘクター・ブランドンの妹マリアンを訴える。
「――かの罪深き女は教会の教えに背き姦淫の罪を犯し、淫売宿なる汚らわしき場所で身を売っていた娼婦である。即刻その罪を償わせねばならない」
その訴えが国王に為されたと知った時、ヘクターは自分の身に着けていた手甲を握りつぶし、シルヴィアは握りつぶして折れ曲がった羽根扇を、荒々しく暖炉に放り込んだ。




