12弟馬鹿と傭兵の噂
レームブルック王国、ヴェルナー騎士家女主人名代であるシルヴィアは、基本的に偶然などという言葉は信用しない。
「――ラザール・デムラン卿が、ラスボーン大臣の客として滞在している?」
「ええ、二日ほど前からです姉上。あのフランドル王国屈指の遍歴の騎士にして、ヘクター卿と何度も戦場で戦い、痛み分けた宿敵ですよ。……恐ろしい程の豪傑という話ですが、一体どのような御仁なのでしょうね」
「……」
だからこそシルヴィアは、ヘクターがハドリーを投げ飛ばした宴席のしばらく後に、ハドリーの実家が『ヘクターに勝てる可能性が十分にある騎士』を呼び寄せた事も、偶然などとは考えていなかった。
「……傭兵ラザール」
「え?」
「母国での、ラザール卿の二つ名ですわよルイス。……遍歴の騎士とは文字通り、各地を巡る騎士。報酬や恩義により、母国以外の味方として戦う事は珍しくもありませんけれど、この方ほど戦場から戦場を渡り歩き、昨日の味方は今日の敵と、恩義理を無視して、報酬次第で誰にでもつく方は珍しいでしょうね」
「そのような方なのですか? 素晴らしい実力者とうかがったのですが……」
予想外だったのか、やや困惑するルイスも愛しいと思いつつ、シルヴィアは微笑む。
「実力と人品は、なんの関係もありませんよルイス。清廉潔白高潔の士であろうと弱い方は弱く、逆に忘恩無頼の傭兵がヘクター卿以上の実力者であっても、なんらおかしくはありません」
「それは判りますが、そのような輩が、ヘクター卿よりも上などとは思いたくありませんね」
「ルイスは本当に、あの……ヘクター卿を尊敬しているのね」
「尊敬していると同時に、乗り越えるべき壁と思っております。……姉上」
「なにかしら?」
「ヘクター卿とケンカでもしましたか?」
「っ……」
突然聞かれたくない事を聞かれ、シルヴィアは引きつりそうになる顔を慌てて逸らす。
「……な、なにを言っているのかしらルイス。私とヘクター卿は、会うたびケンカしていたではありませんか。今更です」
「ああいうじゃれ合いではなく、顔を合わせるのが辛くなるような深刻な争いを、してしまったのではないですか?」
「……」
ルイスの指摘通り、あの宴席で喧嘩別れをして以降、シルヴィアはヘクターと会わないようにしていた。気まずかったからだ。
『……マリアンさんの事情を知った上で、騒ぎに巻き込もうとしているのを知られたのですもの。彼が激怒するのも当然でしょう。……でも、これもルイスの幸せのためです。……わたくしが彼に嫌われたところで今更、どうという事はありません……』
そう内心で言い訳しても、シルヴィアはヘクターに会い、ヘクターに憎悪の視線を向けられるのを想像すると、心が沈んだ。
『……今更です。……彼は元々、わたくしを女狐と嫌っていたではありませんか。……だいたいあいつに嫌われて、何故わたくしが落ち込まなくてはならないのです……あんな男関係ありません……関係なんて……ないんですから……』
「……姉上、煮詰まってますね?」
「ルイスっ?!」
「お顔を見れば判りますよ」
「う……う~っ」
シルヴィアは恥ずかしくなり、扇で顔を隠す。
そんな姉にいつも通りの穏やかな表情を向けていたルイスは、ふとそこから笑みを消し、穏やかだが真剣な声で、シルヴィアに問う。
「……姉上、そろそろ教えてはいただけませんか?」
「……なにを、です?」
「ああまで、ヘクター卿が私とマリアンの仲を認めて下さらない理由を、です」
シルヴィアの細い方が、微かに強張る。
「……先日、リボンのお礼をしに行った時に、マリアンにも言われてしまったのですよ。……『私の事は、どうぞもうお忘れ下さい』と」
「ルイス、それは……」
「姉上。自惚れかもしれませんが、私は振られたわけではないと思っております。嫌いな男を捨てるのならば、もう少し彼女も晴れやかな声をしていたでしょうからね」
「……」
「でもだからこそ、私は彼女を蝕む憂いの理由を知りたい。彼女が話してくれるのを待っていましたが、どうもそれでは間に合わないようだ」
「……間に合わない?」
ルイスは秀麗な顔を一瞬凶悪に尖らせ、吐き捨てる。
「親切な貴婦人は、多いという事ですよ。――『お可哀想なマリアンさん』の話を、火遊びに誘うその口で散々聞かされました」
「それは……さぞ不快だったでしょう」
シルヴィアは、弟を狙う女達の浅ましさに頭を抱えた。
「ええ、ですから彼女らの悪意に満ちた噂は忘れます。姉上、本当の事を教えて下さい。……私は彼女を守りたいのです」
「彼女の平穏のために身を引く、という考えは無いのですね?」
確認するように聞くシルヴィアに、ルイスは微笑みかける。
「私がそんな、無欲な人間に見えますか?」
「見えないわ。そんなところも素敵よ、ルイス」
その笑顔にうっとりした後、シルヴィアは呼吸を整え、そしてできる限り自分が確かめた情報の中でも信憑性の高いものを、冷静にルイスへと話して聞かせた。
「……ありがとうございます、姉上」
それを一つ一つ確かめるように聞き終えたルイスは、やがて様々な感情を押し込めるように表情を引き締め、そして呟く。
「……初めて、姉上の弟として生まれた事を後悔しました」
「え?」
「姉上の兄として生まれていれば、そのくらい早く生まれてマリアンに出会えていたならば……彼女を守れたかもしれない」
「……ルイス」
シルヴィアは弟を抱きしめ、頭を撫でた。