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11妹馬鹿と夜の庭園

 レームブルックの英雄と恐れられる騎士ヘクターは、自分を引き立ててくれる国王に、それなりの忠義心を捧げている。

 よって。


「ヘクター卿、国王陛下よりの伝言にございます」

「伝言? …………………………………………………………なんだそれ」

「国王陛下よりの伝言にございます」

「二回言わなくていい」


 国王の小姓より伝えられた、『シルヴィアが動いたぞ。飲んでる場合かっ! 行くのだヘクターっ! 宴席後夜の中庭なんて、絶好のシチュエーションであろうがっ』というメッセージを、酔っぱらったふりをして無視したかったが、それは不忠であると諦めざるをえなかった。


『……確かに、飾り袖は早めに礼を言って返却すべきだろう。……でも今夜はあの女、相当怒っているだろうな……さっきもすごい目で睨まれたしな……』

「国王陛下よりの伝言でございます」

「……判った判った。ちゃんと行くからもう戻っていいぞ」

「……」

「い、行くから」


 国王付の小姓は、ヘスターが盃を置き中庭へと続く回廊に移動するまで、ぴたりとくっついてヘスターを監視していた。


『幽霊か妖精じみてて怖い……』


 小柄な小姓が発する謎の威圧感に押されつつ、ヘスターは冷えた夜の回廊を抜け、中庭へと向かった。

 正餐が終わると、宴の出席者達の行動はやや自由になるため、中庭や回廊に移動して、誰かと一緒に過ごす達も少なくない。


『……もし誰かと話していたら、戻ろう。……それはそれで面白くないな。……こちらは飲む手を止めて来たのに……』


 面白くなさを誤魔化しながら、ヘクターはシルヴィアを探した。


『……あ』


 幸い、シルヴィアは回廊から見える中庭の噴水近くですぐに見つかった。

周囲には人もおらず、その静寂を守るようにシルヴィアも静かに佇み、噴水の水面を見つめている。


「……」


 顔を合わせれば言い争いばかりのヘクターにとって、そんな風に大人しいシルヴィアは新鮮だ。

 

『……』


 声を掛けようとしたヘクターは、その横顔を思わず見つめた。

 憂いと眉をひそめながら俯く姿は、いつもの生意気な姿とは違い儚げで、そして美しい。


『こうして見ると、やはり淑女なのだな。……私のように嫌われてない男が、少しだけ羨ましい。まぁ、こいつが私に対して急にしおらしくなったら、気味が悪いのだが。……それはいい。とにかく用件だ用件』


 そんな姿に複雑な感情を覚えつつも、ヘクターは用件を済ませるため、シルヴィアへ声をかけようとした。


「――あら」

『あ……と』


 だがそれは、声になる前に押しとどめられる。

 先に、シルヴィアに声をかけて来た男がいたからだ。


「相変わらず美しいな、シルヴィア」

「……まぁ、ごきげんようハドリー卿」

『……ん? 誰だったかな?』


 シルビアにそう言って近づいて来たのは、シルヴィアやルイスとどこか似た金髪の騎士だった。

すらりとした長身の優男を、ヘクターはどこかで見たような気はしたが、印象が薄かったのか思い出せない。

 

「ヘクター卿に叩き落とされて強打した腰は大丈夫ですの? たしか『複雑骨折した!! もう立てない!!』と騒いでおられたご様子でしたが?」

『……ああ、多分初戦か二回線の相手、か?』


 シルヴィアの言葉を聞いても、ヘクターにはそんな相手がいた気がする、程度の印象だった。戦場だろうと試合だろうと、『騒ぎたがり』は別に珍しくも無い。


「……チッ、あの野蛮人が」


 一方倒された相手にとっては違うらしく、ハドリーと呼ばれた騎士は、そこそこ整った顔を醜悪な憎悪で歪め、そう吐き捨てる。


「どういった御用件でしょうか? わたくし、そろそろ宴に戻りたいのですが」


 そんなハドリーが面倒なのか、シルヴィアは羽根の扇を揺らして殊更退屈そうに言葉をかけた。


「おいおい、冷たいじゃないか。一時期は婚約まで進むはずだった私に対して」

「わたくしはお断りいたしました。現ヴェルナー当主であるお爺様も、それはお認めになったはず」

『……シルヴィア・ヴェルナーは、こんな冷えた話し方をしていたかな?』


 シルヴィアの感情を感じさせない冷淡な口調に、ヘクターは寒気を感じ肩を竦めた。

 一方の騎士は鈍いのか気にしないのか、シルヴィアとの距離を詰め、どこか自己陶酔(ナルシスティック)な笑みを浮かべて言葉を続ける。


「後悔してるんじゃないのか? ……あんな野卑な熊男しか残っておらず、焦っているのだろうシルヴィア?」

「どなたの事をおっしゃっているのか、判りかねますわ」

「とぼけるな、あの成り上がり、ヘクターの事だ」

『え、私?』


 突然名前を出されて困惑するヘクターは、だがすぐにそれを忘れ不快になる。

 行こうとしたシルヴィアの手を、ハドリーが強引に掴んだからだ。


「何をなさるのです?」

「美しいとはいえ、お前はもう年増だシルヴィア。このままではどこぞのジジィの後妻か妾、でなけりゃ墓場の入口修道院行き。判ってるのか?」

「離しなさい!」


 明らかに怒っているシルヴィアに対し、ハドリーはどこか楽しげだ。


「なぁ、もう一度考え直せ。私を婿として、ヴェルナー家の女主人になるんだ。そっちの方がよほど楽しい人生だろう? 女としても、なぁ?」

「今更ですわねハドリー卿! わたくしのルイスは騎士としての叙勲を受け、素晴らしい実力を見せましたのよ! 貴方がどうあがこうと、ヴェルナーの家督は回っては来ません!」

「どうとでもなるさ、あんな小僧。――お前は私の言う事を聞けばいいんだ!」

「おやめください! 恥知らずな!」

「声を出すなよ、恥かくのは女であるお前の――」


 方だぞ、と言ったような気がしたな、と思いながら、とりあえずヘクターはシルヴィアからハドリーを引き離し、そのまま腕を取って持ち上げ、背中から地面に叩きつけておいた。


「えっ……」

「げフぅ?!! ――ひっ?!」

「……」


 何が起こったか判らないまま驚愕したハドリーは、地面からヘクターを見上げ、恐怖に顔を引きつらせ、弁明を試みる。


「ご、こればヘクター卿、男と女の睦事の邪魔をするのは――」

「失せろ」

「っ!! ご、誤解するな今のはその女が――」

「聞こえなかったか? 失せろ。三度目は言わん。もう一度投げる」

「っ……ぎ、ぐっ、おっ、おぼえてろ!!」

「いいだろう」

「えっ?!」

「覚えておこう。決闘を申し込むと言うのならば、騎士として受けて立とう。今すぐ日時を指定しろ。国王陛下に立会人をお願いしに行く」

「っ……っ……っ!!」


 パクパクと何か言おうとしたハドリーは、見下ろすヘクターの眼光に押されるようにして後ずさると、慌てて逃げて行った。


「なんだ、あそこまでされて戦わないとは。王城の騎士は随分と腑抜けたらしい」

「……国境配備の騎士達なら、違いますの?」


 声に振り向くと、シルヴィアは青ざめた顔を引き締め、ヘクターを見上げていた。

 怖がっている様子を見せないのは流石だと思いつつ、ヘクターは自然と笑みがこぼれる。


「ああ。理不尽だろうが一方的だろうが、腹立たしい相手からケンカを売られて買わない騎士はいない。やられっぱなしは性に合わない、荒くればかりだ」

「……王城とは、全く違いますのね」

「そうだな。だがそんな国境線で、最も血気盛んだった方は城育ちだぞ」

「? どなたですの?」

「国王陛下だ」

「――はっ?」

「あの方は、お気に入りの酒場の看板娘が傭兵に尻を触られて泣いたと怒っては戦い、物売りの子供を騎士が蹴ったと怒っては戦い、王妃を侮辱されたと怒っては敵最前線に突っ込んで行かれようとなさった。あれほど好戦的な王を、私は知らない」

「………」


 シルヴィアは、きょとんと眼を見開き、何度か瞬きした。そして。


「……ま、まぁ……あはははっ、嫌ですわヘクター卿、そんなお戯れをっ、あははははっ」


 冗談だと思ったのか、シルヴィアはヘクターを見上げたまま、明るい表情で笑い出した。


「あの温厚な国王陛下が、そのような暴挙に出るはずありませんわ、あはは、ほ、ほほほ」

「別に冗談じゃ……いや、まぁ、それでもいいが」


 それはヘクターにとってはただの事実だったが、怯えて顔を青ざめさせていたシルヴィアの笑顔を見て、それでも良いかという気分になる。

 ヘクターは、怯えているよりも笑っているシルヴィアを見ていたくなった。


「……ヘクター卿、危ない所を助けていただき、感謝申し上げます」


 だがシルヴィアは、すぐに笑顔を収めてヘクターに頭を下げた。


「なんだ、らしくないなシルヴィア殿。私に礼を言うなど」

「お礼以外、言いようがないではありませんか。……それにわたくしは、貴方様にお詫びも申しあげねばなりません」

「詫び?」

「以前、貴方を野蛮人呼ばわりしました事です、どうかお許しくださいませ。……野蛮人とは、先程の獣のような男の事を言うのです」

「……」


 すっかりしおらしくなってしまったシルヴィアが逆に居心地悪く、ヘクターは言葉を探して視線を彷徨わせた。そして、適当な言葉も浮かばなかったので、話題を逸らす事にする。


「その、あれは誰だったか?」

「ハドリー・ラスボーン卿です」

「ラスボーン……もしや、ラスボーン大臣の縁者か?」

「ええ、(馬鹿)息子です。三男ですので、騎士に叙勲された後は婿入り先を探していましたの」

「……婿と言うと、貴女が十三歳の時の、跡継ぎ騒動の時の求婚者か?」

「あら、よくご存じですのね。ヘクター卿は噂にはやや疎い方と思っておりました」


 ついさっき聞いたとも言いにくいので、ヘクターは適当に相槌を打った。


「あの方、確か一度結婚して奥様と死別されたはずですが、まだヴェルナーの家名と土地に未練があったのですね。驚きです」

「貴女に未練があるのではないか?」

「だとしても、わたくしの人生に、今後あの方が関わる事がなければ良いと思いますわ。……そうも、いかないでしょうが」


 そういうと、シルヴィアはヘクターを見上げる。


「……」


 その鮮やかな碧眼が思いがけず切なげで、ヘクターは思わず無言でシルヴィアを見つめた。

 そんなヘクターに、シルヴィアは困ったように首を振り、視線を逸らして呟く。


「……貴方様は、手を出すべきではなかったかもしれません、ヘクター様」

「? 迷惑だったか?」

「まさか。とても助かりましたわ。……ですがあの男は卑劣です。勝てない相手に対しては、相手の弱みを傷つける」

「……っ」


 ヘクターの頭に、屋敷でひっそりと待つマリアンの姿が浮かんだ。


「……シルヴィア殿」


 そしてどこか痛まし気な表情になったシルヴィアに、ヘクターは気付く。


「……なんでしょう、ヘクター様」

「まさか貴女は……マリアンの事情を知っているのか?!」

「……」


 僅かに目を細めたシルヴィアは、そのまま目を伏せた。

 その態度で、ヘクターはシルヴィアの肯定を確信する。


「何故だ!!」


 咄嗟に、ヘクターはシルヴィアに詰め寄っていた。

 それに文句を言う事も無く、シルヴィアはヘクターを見返す。


「判っていて、何故マリアンとルイスの仲を応援する?! マリアンは……妹はもう……」


 ヘクターの語尾が、小さく掠れ消えた。

 シルヴィアはそんなヘクターに、静かな目を向けたまま、言葉を返す。


「あの子が、ルイスがマリアンさんに恋をしたからですわ」

「妹の事情を知れば……その恋も、一瞬で冷めるだろう」

「いいえ。あの子はマリアンさんに起きた不幸を知った所で、彼女の愛情を疑う事などありません」

「何故そう言い切れる!!」

「判りますわ。わたくしのルイスですもの」

「っ……」


 弟を疑う事の無いシルヴィアの返答が、ヘクターの苛立ちを煽る。


「――そんな事判るものか!! もう妹には近寄るな!!」

「っ……ヘクター卿」


 気が付けば、ヘスターはシルヴィアを怒鳴りつけ、その場から離れていた。


『判るものか……罪の無いあの子を、周りの奴らは汚らわしいと攻め立てたんだ!! ルイス卿がそうでないとどうして言える!! もしマリアンが傷ついたら、私はあいつを許さない!!』


 ヘクターはルイスを信じ、マリアンを騒動渦中に引きずり込もうとしているシルヴィアが許せなかった。

 ――にも拘わらず、そんなシルヴィアを助けられた事に満足している自分が、シルヴィアが傷つかなくてよかったと感じている自分が、頭のどこかにいるのが信じられない。


「――畜生!!」


 ヘクターは荒々しく回廊を抜け、預けていた剣とマントを奪うように侍従から取ると、急用を言い残し城から去った。


「……本当に怒らせてしまいました。……今日は、そんな気はなかったのに」


 そんなヘスターを呼び止める事無く、置いて行かれたシルヴィアは、その後ろ姿を見送っていた。

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