青春もの
「おい祐、見ろよこれ」
といって手渡されたのは学生手帳だった。なんのつもりだろう、と訝しげにそれに注目してみる。
写真の部分が妙にキラキラしている。手帳の光が当たる角度を変えてみると、それにあわせて星のマークがピカピカと目に眩しい。
「なにこれ?」
「俺のスーパーレア学生手帳を自慢したかっただけ」
言うだけいって立ち去ると言葉通り桂は他のやつらにもそれを見せ回っているようだった。
なんてアホな奴なんだろう。もう高校も卒業が近づいているというのに、桂は自分の学生手帳に光るシールをつけて、中学生のようなふざけたノリで友人達と笑い合っている。
以前なら僕も一緒になって笑い合っていただろう。僕なら写真の下に「atk3000 def2500」とか落書きしただろうか。
でももうそんな気にはなれない、来年から働くのにいつまでも子供のままでいてはいけない。
大学生になる桂たちと僕は違うんだ。
授業の終わりを告げるチャイムが響き、教師は出て行った。
教科書とノートを机に仕舞い、腕枕に頭を預ける。顔を左に向けると窓の外の景観を楽しむことが出来る。銀杏の葉が強い風に吹かれて何枚も飛んでいき、ガタガタ音を立てて窓が震えている。
休憩の時間こうしていることが増えた。話しかけられれば起きるが自分からは起きない。それを実践しているだけで友人はほとんど居なくなった。所詮その程度の付き合いだったのだ。始めの頃はなにかあったのか、とよく問われた。大学に行くお前たちが妬ましいんだ、なんて言える訳が無い。答えは毎回「別に」だった。いい答えだと思う。もうすぐ別になるんだから。
「祐、見ろ!」
くだらないことを考えていたらでかい声が聞こえた。
間違いなく桂だ。しぶしぶといった動作を見せ付けるようにゆっくり顔を上げた。
「今廊下でアホな奴が問題起こして加藤先生がカンカンだ。すげぇ顔が真っ赤だ」
「それがどうしたの? 別に珍しいことじゃないだろ」
「いや、試すには今しかない。これが何かわかるか」
桂は人差し指と中指で半透明の赤いシートを挟むように持っている。
アニメの主人公をマネたカードの持ち方だ。
「英単語帳についてる赤くて小さい下敷き」
「そう。知っての通りこれは赤く書かれた解答を隠すためのもの。今、俺たちの目の前にはもっと赤いものがあるではないか!」
と言って桂はそのシートを目の前に掲げ、加藤先生を遠巻きに見始めた。
「き……消えた!? 先生、首から上が……」
「いいかげんにしろよ!!」
自分でも思ってみないほどに大きな声が出た。
赤い顔の加藤先生もなにごとか、とこちらに顔を向けている。
教室がシンとなる。僕は桂に何をいい加減にしてほしいのだろう。
「どうしたの? おまえ」
桂がムッとした顔でこちらを睨んでいる。その子供が拗ねたような表情を見ていると、また気持ちがカッとなり口が勝手に動いていた。
「くだらないんだよ。いつまでもガキみたいなことして、ヘラヘラしてるの見苦しいんだ。お前はまだ遊べる身分で良いよな、4年か! もっとか! くだらないよな。その間ずっとバカやれるんだ、うらやましいよ、でも前言ったよな、もうそういうのいいって。何でそう言ったのか本当にわからないのか、他の奴らは察したと思うけどな、こいつは大学いけないんだってな。さっきみたいにさんざっぱらバカなこと言って僕が笑うと思ったんだろ。笑えないんだよ、なんでだろうな、もうやめてくれ」
最後のほうは桂を見ていられずに、目も逸らして吐き捨てるように呟いた。
暫くの沈黙の後、桂はそっと近づいてきて、急にしゃがんだ。
不意に視界が回転し、頭に強い衝撃を感じて景色が止まり、鋭い痛覚が頭を巡った。
椅子の前足を持ち上げられ横転させられたと気づき、唖然として桂を見た。
「お前拗ねてるだけだろ! 十分子供じゃん」
なんにも言い返せない。
さっきみたいに矢継ぎ早に桂を糾弾してやろうと思っていたのに、一つも言葉が浮かばなかった。
拗ねているだけの子供。
その言葉が何度も耳に反芻した。
目が熱い、顔が熱い、唇が震える。僕はそれらの反応を止める手段すらわからない。
嗚咽という情動動作を繰り返す自分は客観的にも主観的にも、惨めで情けない子供でしかなかった。
……
…………
翌日僕が腕枕を組んでいると、また声が聞こえた。
「祐、見ろよ」
僕は気恥ずかしげな素振りを悟られないように顔をすぐ上げた。
「どうしたん」
「これ何かわかるか?」
「え、ええ!? 何だこれ。いや知ってるけど……ええと、交通整理のおっさんが持ってる赤く光る棒」
「確かに、その言葉なら見なくてもイメージできそうだな。でも俺はこれをこう呼ぶ、わかるよな?」
……わかる。
桂が何をいいたいか、僕に何を言わせたいのか、僕はわかっていた。
「ライトセーバーか!」
「ライトセーバーだ!」
桂は子供だけど、僕もまだ子供なんだ。
もう少しだけ子供のままで一緒に遊ぼう、いいよな、桂。
本気で頭下げるのは大人になってからでも。