最強ってなんだ
―まず膝をつく。次にそのまま、その巨駆は倒れ、床に伏せた。
その男の名は“魔王”。魔物と呼ばれる怪物を使い、生物のヒエラルキーの頂点から人間を引きずり降ろした、どくろの頭を持つ男。
俺はその魔王をついに倒した。だがそれは、俺が魔王を倒す役目と力を持つと言われる“勇者”だからでも、魔王の脅威から人間を守る為でもない。
俺はただ、“最強”になりたかったのだ。
最強。それは全ての生物の頂点に立つ、純粋無垢なる力の化身。
勇者でも魔王でもない、ただ最も強きいきもの。
一度魔王を倒しにこの魔王城に来る前に、勇者に戦いを挑んだことがあった。だが勇者は俺がどれだけ攻撃してその身を傷つけようと決して剣を抜かず、ただ一貫して「罪の無い人間を斬りたくはない」とだけ主張し続けていた。
そんな相手を殺しても意味が無いから、俺はその時は勇者と戦うのを諦めた。だが閃いたのだ。
ならば、罪のある者になればいい、と。
だから今、俺はこうして魔王を殺し、自分が新たな魔王になることにした。この悪趣味で毒々しいデザインの玉座に腰かけて待っていれば、それだけで念願の勇者との戦いが実現する。
とても簡単な話だと思った。だが現実は違い、俺は魔王にはなれなかった。
そもそも一つ疑問が残っている。まず生前は人間の平和を脅かしていた魔王というどくろの頭を持つ男は、まるで強さとは程遠い存在だったということだ。
外面だけ恐ろしいこの男の胸を剣で一突きにし、ずるりと剣を引き抜いた瞬間。相手が魔王からただの屍に変わったとき、俺の手には最強に近づいた手応えではなく、ただ蚊を殺した程度の“やった”感しか残らなかった。
強くもない、脅威でもない、ただプンプンうるさいから人間の都合で殺す。そして確かに一つの命を奪っておきながらも、歯牙にもかけずに普段の生活に戻れる。
あぁ、剣が血で汚れた。
ただその程度のもの。まるで強くなかった。敵にすら、戦いにすらならなかったと言える。
別に俺が強すぎる訳じゃない。現に今、魔王を殺されて激昂した魔物どもは、確かに俺に苦戦を強いている。
特に、ゴキブリ並みの早さと、蝿並みの時間解像度と、ゴリラ並みの腕力と、人間の狡猾さと、ダイヤモンド並みの硬度を持ち合わせた、魔王の腹心。
合間合間に襲ってくる雑魚は一撃で倒せる。ただ目の前で魔物どもの中心となって俺と攻防を繰り広げるこの化物は、まるでそうはいかない。
―――毎回、全力、最高の一撃を。
一生で何度出せるかわからないような“会心の一撃”を、こいつとの戦いでは毎回繰り出さなければ話にならない。そのうえで雑魚どもの特攻も混ざってくるから実に辛い。
そもそもこんなことなら最初からこいつらに戦わせていれば良かっただろうに、なぜ魔王はそうしなかったのだろうか。
魔王という存在は、俺の中で揺るがぬ疑問として在り続けている。
そもそものそもそもだ。何故こんな化物どもが、魔王なんていうどくろの頭を持つだけの男に従っていたのだろうか。
俺は実は魔王に期待していた。だからこそ勇者と戦うために魔王に成り代わるという面倒な手段も選べた。なにせただ勇者と戦うだけなら、手頃な人間を殺すだけでも充分だったからだ。
だが勇者は甘い。決して俺を殺しはしないだろう。何を言うかも想像できる。
「君に人殺しをさせたのは自分だから、君を殺しはしない。」
勇者とは聖人君子をそのまま擬人化したような男だ。元々は一緒に旅をしていたからよくわかる。
だからこそ、俺はどうしても勇者に殺されるべき存在になる必要があった。殺しあいでなくては本当の強さをぶつけあえない。そしてその為の手段は幾つか思い浮かんだが、一番美味しいのが魔王に成り代わることだったのだ。
なのに魔王は弱かった。魔王に成り代わるのが一番美味しい理由は、魔王が強いと思っていたからだ。失望は実に大きい。
だがまぁ結果として、今まで戦ってきた中で最も強い化物と戦えてはいる。俺の剣とこの化物の拳をぶつけ合っている内、ついに他の魔物どもは大半が死に、残りは俺に魔王の仇討ちを挑むことを諦めた。
この化物はそれでもたおせない。一対一になろうと、どれだけ全神経を集中させ最高の一撃を繰り出し続けようと、この化物は倒せない。
俺は今まで眼中に勇者しか無かったが、だんだんコイツとの決着でも満足できる気がしてきた。それほどに、この魔王の腹心という化物は強い。
―――だがふと、この化物の“隙”ともいうべき瞬間が、ちらほらと見え始めてきていた。
何が原因か。最早攻撃に集中せずとも攻防を続けられる。ふと視界にちらついた化物の瞳には、大粒の涙が溜まっていた。
「魔王様は心の優しい御方だった」
「あの方が導いてくれたおかげで我々はここまで繁栄できた」
「あとはかつての人間がしたように」
「世界を支配し、弱者となった全ての生物に」
「共存を示してやるだけだった」
泣きじゃくりながらしゃがれた声で何かを言い出す魔王の腹心は、いよいよ殺せるほどの隙を見せ始めていた。なので攻撃を身を屈めてかわし、横っ腹から心臓を一突きにしたあと、背中まで斬り抜ける。
「化物め………」
化物を体現していた魔王の腹心の最期の言葉は、涙ながらのそれだった。剣についた血を腰巻きの端で拭い、動かなくなった元強敵を見おろす。
これも結局魔王と同じだ。殺した後の手応えが、ひどくむなしい。
まぁそれもそうか。殺せたということは、その瞬間、確かに“殺せる”生き物になっていたと言うことなのだから。それはもう蚊と大して変わらない。流石の俺も暗闇の中では蚊を殺しづらいし、今までの激戦もただその程度の“殺しづらさ”でしか無かったのだろう。
だが、きっと。
きっと勇者を殺した暁には、己こそ最強であるという手応えを感じられるに違いない。
そう思うと胸がワクワクする。今までしたあらゆる戦いの最中での高揚感さえ、この期待の足下にも及ばない。
…だが、まだわからない。
この魔王の腹心が、なぜ魔王なんていうただどくろの頭を持つだけの男に従っていたのか。
なぜここまで沢山の魔物が、魔王なんていうただの弱いいきものの仇討ちに命をかけてしまったのか。
命をかけられた以上、そこには“強さ”がある。命は強さにしか動かせず、強さにしか脅かせないものだからだ。
心の弱いものは何かの強さに負けて心が死に、心の強いものは何かの強さに惹かれて動き続ける。
あらゆる強さはあらゆる形で命を奪い、そして生かすのだ。そしてただ最強の為に生きる俺の命こそ、最も強い命であると言える。
だが魔王の腹心の強さは本物だった。涙で視界がかすみ、感傷で思考が侵されさえしなければ、まだまだ俺と魔王の腹心との攻防は、きちんと“戦い”として続けられていた筈だ。
魔王の持つ“何か”が魔王の腹心を、もといここにある全ての亡骸の命を動かし、そして死に至らせた。
…そこにはどんな強さがあった?
一体何が、この魔物どもを無駄に死なせた…?
俺の中の疑問は消えない。だが魔王の玉座のあるこの部屋には新たな客人が現れ、俺はその顔を見て口元をゆるませずにはいられなかった。そして些細な疑問はすぐに頭のすみに追いやられ、全身にはこの時を待っていたと言わんばかりに運動する為の力がみなぎる。
「な、なんで君がそこに居るんだ…!」
その客人は俺を見て絶句した。そんなリアクションさえ煩わしい。俺は剣の切っ先を客人に向け、おさまらないニヤニヤをいっそ受け入れたままふと問いかける。
「お前はなんでだと思う? 魔王は至極弱い男だったぜ。だがその魔王は一切の妨害なく俺をこの玉座の間に招き入れ、そして俺に殺された。 そして激昂した魔王の部下どものほうが、到底魔王より強かったんだよ。なぁ、一体魔王ってのはなんだ? なんで魔王は王で、魔王でいられた?」
身体がうずく。刃が早く肉を裂かせろと冷たく喚いている。だがまずはその疑問を解決するほうが先だった。この謎はきっと俺には一生かかっても解けず、そして勇者ならその答えを教えてくれる気がしたからだ。
けれど何故か、勇者は唖然としたまま返事をしない。勇者の連れの賢者も右に同じ。見慣れない戦士らしき男は、困惑した様子で答えを求めるように両者の顔を交互に見ていた。
「魔王様は強い御方だった………」
答えの無い時間が続く中でまず言葉を口にしたのは、魔王の仇討ちを諦めた如何にも弱そうな人型の魔物だった。見たところまだまだ子供、しかも性別さえ曖昧な頼りない顔立ちをしている。
「…魔王様は、ここまで来れるほどの強い人間に、ずっと期待していたんだ…! ここまで生きて来られるほどの人間なら、きっと心身ともに屈強であると信じてた…!」
「………は? ……それで?てめえは何が言いてえんだ……雑魚。」
「魔王様はそれだけ強い人間に、一つだけ問いかけるつもりだったんだ…。 “人間と魔物の共存の可能性”を……、だからあなたを、何もせずにここまで迎え入れたのに………!」
「で、死んだと。」
「なのにあなたは、とても弱い人だった!」
…どうでもいいが、確かに魔王は俺に殺される前、何かをゴチャゴチャ言っていた気がする。どくろのくせにうっすらと光る目に確かに緊張と期待の色を浮かべ、そわそわしながら何かを言っていたんだ。
ゴチャゴチャのテンションがピークに達し、魔王はついに玉座から立ち、興奮した様子で俺に迫った。
「―よし、ならば世界の半分をくれてやろう! そしてもう半分は我々魔物のものとし、互い―」
―そして俺は目の前の魔王を殺した。思い返せば、“なら”とか“では”とか“あと”とか沢山言っていて、色々なことを言っていた気がする。きっとずっと答えを聞いてみたかった様々な疑問や提案だったのだろう。
…だがそんなものは人間に聞くことじゃない。人間とは、自分が魔物を使って虐げてきた存在なのだから。
まぁいい。もういい。魔王のことはもうどうでもよくなった。結局のところ魔王もその部下も皆馬鹿だった。これが単純に一つの結論であると言える。
「よし、もういい!戦うぞ勇者!今は俺が魔王だ!」
「誰もあなたになんか従わない! 魔王様を失った今、僕ら魔物は人間に虐殺されていくだけだ…!僕らは魔王様が居たから戦えた! あなたとじゃ、一緒に戦えないんだよっ!」
ああ、ゴチャゴチャうるさい。さっきまで何体も魔物が戦ってたろうが。別に魔王無しでも戦えてたじゃねえか。
だが俺が魔王になれないのは困る。
それじゃ、勇者が俺と戦ってくれない。
―そう思ってたのに、勇者は剣を構え、些細な困惑の残る表情で深く息を整えた。
俺は全身で身震いし、この言い様の無い高揚感に身を預ける。それはつまり、全身に今までにないほどの血液を巡らせ、肉体の限界を無視し、筋肉が膨張するほどの状態の変化を身体に与えることを意味した。
「はっはァッ!!! ゴチャゴチャと雑音がうるさいがまぁいい、決着をつけようぜ勇者ァッ!!!」
「………すまないッ。」
―ぶつりと、まず賢者の首が飛んだ。次に鎧の隙間をねじ込み、戦士らしき男の胸を長大な刃が貫く。
俺は絶句した。それは勇者の凶行だった。
次にすかさず勇者は俺に迫ってくる。俺は現状を理解できないまま、呆然と勇者の血に濡れた剣を受け始めた。
きん、きん、きんと、甲高い金属音が続く。勇者の攻撃は重く早く、やってる内に全てどうでもよくなってきて、また俺の中の高揚感が帰ってくる。
これこれ、これだ。この戦いを俺は待っていたんだ…!!!
次第に五感は研ぎ澄まされていき、魔王の腹心と戦っていた時のような繊細かつ苛烈な攻防の連鎖が始まる。勇者はしっかりその戦いについてきて、いや、それどころかもっと上の次元にまで俺を引き上げてくれた。
強い。ただ純粋かつ残酷なほどに強い。
魔王討伐の旅をする勇者と一緒に居た頃、俺はいつもこの強さを目の当たりにしていた。俺を遥かに上回る戦闘能力は、理屈で説明できるものではなかった。
この強さに追いつきたい。ずっとそう思っていた。だから俺はただ最強にだけ命を捧げ、ここに立ち、そして勇者と最強をかけて戦えるほどになれているのだ。
きっと勇者もそうに違いない。魔王を倒して世界を救うだなんてただの口実だ。本当はこいつも、戦いを、最強を求めて旅を続けてきたに違いない。
じゃなきゃあんなに強いはずがなかった。じゃなきゃこんなに強いはずがないんだ。俺が求めていた勇者の強さは、今も昔も変わらず最強に相応しいものでい続けている!
勇者、最強に生きるのは楽しいな!
そうだろう勇者、戦いこそ俺達の命を動かし、存在意義を与えてくれる!そう考えると魔王には感謝しなきゃな!
魔王が居なきゃ魔物に人間が脅かされることもなく、俺達がこうして戦いの素晴らしさに、最強に惹かれて戦いあうことも無かったんだから!
感情を剣に込めて叩きつける。だが勇者の剣からは、いまいち納得できるものが返ってこない。
剣から感じられるのは、迷いか? 迷いながらでもこの俺と対等に戦える。そんな勇者の強さは嬉しいが、この状況で何を迷うというんだ。
いや、疑問は要らない。口をきくことさえできないこの苛烈な戦いにおいて、俺が抱いて剣に込めるべき感情は、喜びと勝利への強い欲求だけだ―――!
「…ずっと、迷いながら戦ってきた。」
「……!?」
「沢山の魔物を殺しながら、なぜ彼らは戦うのだろう、なぜ自分は彼らを殺すのだろう、と。」
こいつは何を言っている?―いや、これも駆け引きの一つか!
勇者ともあろう人間が、小賢しいことをしてくれるまでとは!この戦いのレベルの高さが実感できる―――ッ!!!
「―――ぅらァッ!!!」
「この先に何があるんだろうと考えていた。人間は好ましい動物は保護し、あとは駆逐する。 果たして本当にそれが正解なんだろうか?自然の摂理でならまだしも、殺戮の為に特化した力をぶつけなくてはどうにかできない存在を相手に、ただ殺して収拾をつけるだけでいいのだろうか?」
「!? !? ッ――――!?」
「そうは思えなかった。そして魔王という人格を知って、確信した。 ―――今日から僕が、」
勇者の太刀筋はあッという間に早く、重く、鋭くなり、俺の攻撃を待たなくなってくる。俺の剣は降り下ろされる前に叩き上げられ、空いた腹に向けられる攻撃は避けても確かに傷を増やしていき、そして。
「―――魔王になる。」
―――俺は、勇者にまけた。
「…僕が新しい魔王になって、人間と魔物の生物としてのバランスを取る。 勇者はもう、ここで終わりだ。そして勇者の元々の仲間であり、先代の魔王を殺すという偉業を成し遂げた君を殺すことこそ、すなわち人間の味方である僕、勇者が死ぬことを意味する。」
「ば、ばかな……。はぁ、はぁ…。」
俺の身体はもう動かなかった。だが意識も息もある。あるのは明確に自分が最強でなくなったという敗北感や、ずっと憧れていた勇者との決着がついた達成感でもない。
ただ疑問。ただただ、意味がわからなかった。
「お、おまえは、最強を、めざして……、はぁ、はぁ………、け、んを、振って、たんじゃ、はぁ、はぁ、ふぅっ……、ぐっ……。 な、ないの、か………?」
「…え、最強?」
…心底理解に苦しむ。しかめられたその顔が、そのまま勇者の本心をそう語っていた。その瞬間、俺は血の止まらない胸の奥で、今までに受けたどんな傷よりも確かに痛い“なにか”を感じる。な、なんだろうか、この痛みは。果てしない空虚に似ているのに、確かに痛むんだ。
痛い。嫌だ。こわい。痛い。苦しい。いたい。
「僕はずっと迷いながら戦ってたよ。戦いは殺戮だ。そんなものの中に一番…最強?を見いだすなんて、どうかしてるでしょ。」
じゃあ俺は、迷いながら振られていた剣に憧れを感じていたのか?―馬鹿な。
なら俺は、今まで最強だけを目指して何度も剣を振り続けてきたのに、そんな風に漠然と振られてきた剣に負けてしまったのか。―馬鹿なッ!!!
「僕の剣は少なくとも、ただ戦いの為だったり、殺戮だったり、何かの優劣を決めたりする為のものじゃないよ。 答えを見つける為。自分の命を守る為。その時守らなきゃいけない何かを、守り通す為。 ―いや、やっぱり剣に意味なんて無いのかな。」
―やめろ。よせ、もういい。傷に塩を塗り込まれてる気分だ。いや、もっと酷い。死体に拷問を受けさせられてる気分だ。
つまり最早どうでもいいほどに残酷な仕打ちだ。なんだこれは。
「だって僕は答えを見つけたけど、きっとこれからも剣を振る時が来る。時に魔王として、時に生物のバランスを取るものとして。」
ああうるせえ。なんだよ結局訳わかんねえんだよ。
最強ってなんだ?強さってなんだ?
強くなる為に動いてきた命や剣が、なんでなんでもないただ振られるだけの剣に負けた?
その他になにかがあったのか?
魔王も、勇者も、俺にはわからない何かを持ってたのか?
「………さようなら。」
…魔王に勝ったのに魔王にはなれなかった。勇者より戦いに夢中だったのに勇者に勝てなかった。そのまま死んでいく俺は、結局なにに勝てたんだ?
………最強ってなんだ?
最強‐いちばん強いこと。
相変わらず寝る前に時間があったので書いた構想校正無しのやつです。うわー明日から本格的にGWや。飲食店バイトには辛さしかない。皆さんGW中も働いてる人には優しくしてあげてください。当たりキツいと店の外で爆発されますよ。現代っ子こわいですよ。
ふぁいっ!!!