咬ませ犬展開
1合、2合。かっ、かっ、と。木剣を打ち合う音が響く。しかし6合目で、木剣が一本宙を舞った。
「……早いぞ」
「見えたんですよ」
木剣を離した方が、疲れたように言った。それを見て、木剣を弾いた方は早々にその場から立ち去ろうとした。が、
「ナツキ様っ」
時すでに遅し。ドン、という軽い衝撃の後、背中に密着した挙句自分の胴に回された手に、された方ーーーナツキの顔が引きつる。
「……ユシュアン公爵令嬢。こういう行動は慎んでいただきたいと、いつも」
「別にいいでしょう? 減るものじゃないですし」
強引に胴に回された手を剥がし、向き合うと、亜麻色の髪の綺麗な顔立ちの女性は微笑んだ。その言葉に、ナツキはため息をついた。何を言っても、この人が聞いてくれた試しがない。彼女と違って。
「それに、名前で呼んでといつも言っていますでしょう?」
「ユシュアン公爵家令嬢である方の名を軽々しく呼ぶわけには」
「ナツキ様はいっつもそう言ってばっかりですね。でも、そういうところも好きですのよ?」
「光栄です」
冷淡なナツキの態度に、令嬢は少しだけ残念そうにする。
「俺はこれから用があるので。失礼します」
ナツキはそう言うと、さっさと踵を返した。
「また来ますね、ナツキ様」
届いた声。二度と来るな。という本音は飲み込んで、ナツキは先を急いだ。背後で令嬢が、先ほど打ち合いをしていた方にも声をかけているのに気付き、胸糞悪くなった。
あの女は男なら誰でもいいのだ。婚約者がいる身でありながら、他の男に擦り寄る姿が、ナツキには信じられなかった。
それに比べて。ナツキはこれから向かう先で待っている彼女を思い笑みを浮かべた。
人に気を使える心優しい女性。穏やかで、少し触れただけで真っ赤になる。可愛い人。
彼女に会えたら、あの女に遭遇してしまった嫌な出来事も忘れられる。
早く彼女に会いたくて、ナツキの足は自然と早くなった。
ナツキ・シュレイド。侯爵家の次男で王国騎士。国でも屈指の実力者だ。真面目で無骨なナツキには、親の定めた婚約者がいた。マリーシア・クラウン。侯爵家の一人娘で、ナツキは婿に入る予定である。剣一筋であったナツキには、女性の扱い方がわからず、最初は婚約者とはギクシャクしていた。しかし、王太子に恋人が出来た頃から現れたユシュアン公爵令嬢。婚約者を恋人に取られ哀れと思って接してから気に入られ、以降彼女の自分勝手に振り回されるように。心底疲れ果てたあと、マリーシアに会った時。彼女の素晴らしい人間性を理解した。マリーシアに癒された。以後婚約者との距離を縮めようとナツキが頑張った結果。以来二人の仲は良好である。
ユシュアン公爵令嬢を心底面倒だと思っているナツキだが。しかし、そこは反面教師。彼女と会うことでより婚約者の素晴らしさを実感出来ていた。今まで疑問に思ったことはないが、実はユシュアン公爵令嬢がナツキの元を訪れるのは、何故かいつも婚約者に会いに行く予定の日だったりするのである。何故か。