Story9.アリスを見つめるハンプティ・ダンプティ
少女たちは見つめていた。
記憶の水底、自身が封印してしまった記憶の中へ落ちていく、白のアリスを。自分たちの絶対者たる彼を。
「思い出すかしら?」
「思い出さないわけないわ。だってアリスだもん」
ハンプティ・ダンプティが導くのは記憶の底。
何故ならハンプティ・ダンプティ一族はずっとアリスの傍にあった。
アリスがこの世界に居る限り、ハンプティ・ダンプティ一族は常にアリスを監視する。
アリスが"最愛のアリス"を生み出す、その日まで。
それがハンプティ・ダンプティの契約ごと。
アリスはまだ小さかった。ほんの10歳位の頃だと思う。
自分の白亜の城で、彼はいつだって王座の地下深く、アンダー・ガーデンにいた。
地下なのに花々が咲き誇り、異常ともいえるほど天井が高く、そこはまるで屋内庭園にしては出来過ぎな位に光が舞っていた。
けれどアリスにとってその場所は普通で、いつもの場所だった。他の場所に行きたいと思ったことは幾度かある。けれど、いつだって白の王と相談役に止められてきた。
「ダメだよ、アリス。チェシャ猫がいても、外に出てはいけない」
「何故?」
「…外に出た途端、君は殺されるからだ」
それは真実で、その頃まだこの国は治安が今より悪く、帽子屋ローズがてんてこ舞いになり、暗殺者ジェイがローズとお茶会も出来ないほどに忙しい時期でした。ですから王すら忙しく、アリスを外に出すなどもってのほか。
例え、従順たるチェシャ猫がいたとしても、殺されてしまうのは目に見えていました。
「じゃあ城の中なら構わない?」
アリスがそう訪ねると、王も相談役も、そしてチェシャ猫も皆、良いと言ってくれました。なので、アリスはうっかり足を踏み入れてしまったのです。
歴代アリスが死んだ玉座の地下に隠されたアンダー・ガーデンのシークレットスペースを。
あえて城に作り、普段アンダー・ガーデンにしかいないアリスだからこそ、隠しやすかったその場所は、今代の白の王も相談役も、チェシャ猫も知りませんでした。
ですから誰も止めることができなかったのです。誰もその存在を、知らなかったのですから。
"最愛のアリス"のレプリカが眠る、その場所を。
「"最愛のアリス"?」
アリスはアリスであり、同じ名を持つ妹以外にアリスは知りません。ただ歴代アリスという名を持つのが、自分たち家族の家系であるということくらいしか、アリスは知りませんでした。
ですから"最愛のアリス"と書かれた柩を見ても、良く分かりません。だからアリスは柩を開け、中を見てみることにしました。
中には綺麗な性別不詳の蝋人形がひとつ。
とても美しく、けれどアリスにしてみれば己の妹よりは美しくないと感じた位。
何故か神々しく、柩の中で眠っているように手を組んで、ただ静かに居ました。
「"アリスが生むべき、最愛のアリス"…?」
柩に書かれた文章はアリスの好奇心をそそります。
「"歴代アリスが生もうと努力してきた最愛のアリス、その形だけここに眠る"」
「"アリスの役目は最愛のアリスを生むこと。アリスはそのためだけに血を繋ぎ、最愛のアリスを生めないアリスは最早アリスに非ず"」
「"ただのアリスは早ければ15年で壊れる。その前に最愛のアリスを、次のアリスを生ませなくてはいけない"」
今代のアリスは自分と、それから妹です。自分は後5年ほどで、そして妹はあと7年ほどで死ぬということだけ、アリスは理解できました。
アリスは急に怖くなりました。自分と妹がもうすぐ死ぬのです。
そして"生みだす"ということは。
アリスはずっと自分たちの両親は死んだと聞かされてきました。先代アリスであったはずの母は、自分が物心つく前、妹を生んで死んだと人づてに聞きました。父親は知りません。母にも父にも会うことなく、兄妹だけで家族は成り立っていました。
そこにチェシャ猫が来て家族が増えましたが、それでも両親の死に不審さを感じたことはあります。
その母が無理をして、死ぬ間際に自分たちを生んで、死んだのかもしれない。
もしかすると、父は―――母も、アリスを生ませるためだけの道具だったのかもしれない。
例え、絶対者アリスでも。
使い捨てのように使われれば、ただの壊れた人形と変わりません。
そんな推測をして、アリスは恐怖に駆られ、その場から立ち去りました。
白の中をがむしゃらに走って、アンダー・ガーデンに帰る道も分からずにいると、何かにぶつかってしまいました。
「あ…っ」
「大丈夫かい、白のアリス」
ぶつかったのは、妹につき従う従順なチェシャ猫サティでした。
顔を見上げてサティだと気付くと、アリスの脳裏にひとつの名案が浮かんだのです。
チェシャ猫は外の世界に行ける。
ならば、外の世界に出てしまえば、この世界の理や自分のしがらみを全てなかったことにして、直ぐに死んでしまうようなことはなくなるんじゃないかと。
短絡的だと、今の彼なら考えるでしょう。けれど、その時の彼の思考回路は狂っていました。ただただ死にたくないと、それだけが脳内を占領していたのです。
「サティ、オレを外の世界につれてって」
「…え?」
「お願いっ」
アリスは常にない潤んだ眼で訴えましたが、サティの返事は芳しくありません。訳の分からないサティはそう簡単に理由も聞かず了承するわけにはいかなかったのです。
「いきなりどうしたの?妹のアリスを連れていくの?」
「…いいから、早くっ」
「でも、」
芳しくない返事に、アリスはだんだんイライラしてきました。そして。
「従順なるチェシャ猫に絶対者アリスが命じる、オレを外の世界へ連れていけ!そして、このことを誰にも話すな!」
アリスが簡単に宣言するだけで、サティの言葉は止まり、使いたくもない力がサティの身の内で発動しました。アリスの望み通り、外へ行くための力です。
数瞬のうちにアリスの姿は消え、サティだけがその場に取り残されました。
あわててサティが声を上げ、アリスが外の世界へ行ってしまったことを誰かに告げようと思いましたが、命令の効力のせいで話そうと思うだけで声がでません。
「…白のアリス」
かろうじて言えたのは、それくらいでした。
ですから、白のアリスが無事帰還するまで、白のアリスは誰にも自分が彼を外へと送ったことを言うことはできず。外を探しまわる兄ルティや悲しみに暮れる黒のアリスを慰めることしかできずにいたのです。
これが、アリスが失踪し、アリスがなくしていた、過去の記憶でした。
結局のところ、今まで彼は死なないということは達成しつつも、それを根本的に解決することもできずにいます。
そうしたいろんなことを、彼はこの世界に帰ってきてやっと、思い出したのでした。
「おかえりなさいませ、絶対者黒のアリス」
「おかえりなさーい、審判者黒のアリス」
「…ああ」
「オレは、絶対者かつ審判者、今代の黒のアリスだ」
End