Story8.ナイフの手入れする三月兎
さて、護衛兼監視役に抜擢されたジェイと、一応雇い主である白のアリスは4時間馬車に揺さぶられて、レイクス国…チェスの国とも呼ばれる国へ、やってきていました。
といってもまだ国境をちょっと抜けて、森へ足を踏み入れたところです。馬車はそれでも前にガタゴトと揺れながら進みます。
「この馬車、誰のか聞いてもいいか」
4時間乗ってからやっと白のアリスが口を開きました。目の前に座るジェイはぼーっと外を眺めていながらも、答えます。
「白の王のです。でも、ウチで年間契約してるから、ウチのってイイとは思いますけどね。御者付きで」
中々に豪華な馬車だと思えば、白の王の所有物でした。そういえば、御者も文句ひとつ言わずに淡々と仕事をこなしていることを思い出します。
白のアリスはふぅん、とひとつ返事をして、IRISの手入れを始めました。この行動も、馬車に揺られてから4回目、一時間に一回はしている計算になります。
「アンタはさ、オレのこと知ってんの?」
「何をでしょう?」
ネジを確認し、引き金の調整をしながら、白のアリスは問いました。それにジェイが淡々と答えると、ようやく白のアリスは手を止めて、ジェイを見ます。いつの間にか、ジェイも白のアリスの方を向いていました。
「オレがいなくなる前の、オレのこと」
失踪前のアリスのことを誰も語りはしません。白のアリスの一番傍にいるチェシャ猫ルティでさえ、以前のことはあまり語ろうとしませんでした。
今まではそれでよかったのですが、白のアリスは現在記憶探しにほどほどに積極的ですから、情報収集したかったのです。
ジェイはあまり感情を見せない顔で、アリスを見ていました。
「俺はあまり昔の貴方のことを知りませんよ」
「構わねぇ」
「…今より妹君を大事に扱っていたことは確かです。前からあのように冷たい氷のような妹君でしたが、貴方は気にも留めていないようで、溺愛していたようでした」
「想像つかねぇな」
自分があの腹黒い妹を溺愛していたなどと、想像したくとも想像できません。白のアリスは妹に請われて、こうして記憶を探していますが、それももしかすると昔の溺愛していた頃の名残なのかもしれないと、ふと思い立ちました。
「なぁ、他には?」
「…言ったでしょう?俺はあまり昔の貴方のことは知りません。俺は昔から、ローズのためだけに存在しているんです。他のものを見ている余裕なんてありませんよ」
「あ、そ」
そう言いながら、懐からナイフを取り出して丁寧に磨きあげていきます。黒光りする刃は夜陰に紛れる仕様で、夜陰において最も威力を発揮する刃物になるでしょう。
夜までかかることを見越して用意されたものですが、夜に磨くことはできない代物でもあるので、今磨くことにしたのでしょう。
ほどなく、馬車は目的地についたのか、ゆっくりと止まりました。
二人が無言のまま馬車を降りると、そこはチェスの駒をかたどった宮殿。本来ならば白の王が住まうべき城です。
そして白のアリスの住まいでもありました。…本来ならば。
「…ここがオレの故郷ねぇ…?実感もなにもあったもんじゃねぇな」
白のアリスがぞんざいに門を開け、中に入っていきます。その後をジェイがついていきました。
「オレがなんかで倒れたりしたら、よろしく頼むぜ」
「分かっていますよ、そういう契約ですから」
半ば廃墟と化したその中を進めば、大仰な玉座とそれから奥へ、アリスの住まう場所へと続く場所が現れます。
多くの扉が二人を迎え入れ、けれども白のアリスには全くピンとこないものばかりが存在しています。
その中のひとつ、黒い扉を開けたときでした。
白のアリスが扉を開け、ジェイも内部をのぞきこんだときです。
白のアリスは音もなしに消えてしまいました。
「…は?」
ジェイはひとつ呼吸をしてびっくりした自分を宥め、それからすぐに部屋を調べます。
特殊なしかけはありませんでした。けれど白のアリスは目の前で消えたのです。
世界の絶対者たる、白のアリスが。
「…くそっ、俺の失態ですか」
忌々しげに額に手を当てた後、部屋を飛び出しました。
所詮暗殺者で、謂わば一般市民でしかないジェイにはこの世界のシステムに干渉する術はありません。
なれば、絶対者たるアリスか、それとも、
「…見ているんでしょう、ハンプティ・ダンプティ一族」
小さな声で呟くように言った後、くすくすと可愛らしい笑い声が城中に響き渡りました。
「あらあらあらあら、どうしましょ」
「殺さないでね、あたしたちは沢山殺すけど」
笑い声だけ響くこと、一分ほど。
それからおもむろにジェイはナイフをいくつも、小さなドアの蝶番のところに投げつけました。ナイフの威力で、古びた蝶番は簡単に外れ、ドアが外れてしまいます。
すると、外れたドアの向こうからくすくす笑い続けている少女たちの姿が見えました。
「ごきげんよう、ジェイ様。我ら影なる一族に何の御用かしら?」
「あたしたちの邪魔をするなんてこと、考えてないでしょうね?」
くすくす笑う双子のようにそっくりな少女たちに、不機嫌そうな顔を隠さないままジェイは言いました。
「見ていたんなら分かるでしょう。早急に白のアリスを助け出してください。これもシステムの穴か何かなのでしょう?」
彼女たちは先ほどより一段と高らかに笑い始めました。最早笑い袋のように笑い続けます。
「ジェイ様、我らは白のアリスを見捨てたわけではないのですけれど、」
「白のアリスは放置。これはハンプティ・ダンプティ一族の決定よ」
「「だって記憶を取り戻してもらわなくちゃ!」」
けらけらと笑う彼女たちに、ひとつため息をついてから、ジェイは手に持っていた追加のナイフをしまいました。どうやらこの一件は自分ごときでは手に負えない、世界が示したことだったようです。
彼女らが手出しをしないとはそういうこと。彼女らは、世界に従うハンプティ・ダンプティ一族。世界=アリスである以上、彼女らはアリスを最優先することがあります。時としてそれは、チェシャ猫の意思を上回るほどに。
最も、それは世界=アリスであるときであり、アリス≠世界となってしまえば、違えることもあるのですが。
「…俺はここで待てばいいのですか?」
彼女たちは一歩も動くことなく、ただひたすら笑っています。けれど一瞬のうちに表情をきついものに変えました。
「ええ、できれば、」
「この城を一緒に掃除くらいしてくれると、助かるけどね」
そう言って、彼女たちはその手にマシンガンとナイフを構えます。
どうやら主無きこの城には、アリスの目には入れたくないような輩が住み着いていたようでした。
ジェイもそれを察知したのか、やはり一つため息をついてもう一度ナイフを構えます。
「…これも依頼のうち、ということにしておきましょうか」
「「さっすが話が分かるー!」」
こうして、この城から白のアリスが消えたものの。
城は瞬く間に血まみれになりながら、綺麗になり。
少女たちの笑い声は途絶えることがありませんでした。
End