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Story5.鏡の国のアリス





そのアリスの色は黒。

黒いエプロンドレスに、美しい微笑みを湛えて。

彼女の傍には白黒模様のチェシャ猫。

彼は彼女しか見ません、彼女の言うことだけその縞々模様の耳に通します。

そんな彼女の役割は審判。

誰かが罪を犯したならば、人が裁いてはいけません。

ですから、人ではない、アリスが。

アリスだけが、人を裁くことができるのです。

何か、間違っていますか?




「…まるでひきこもりのニート生活ね、お兄様」

黒のアリスは目の前の惨状を目にして、思わず口にしました。

彼女の言い分もわかります。何せ、彼女の目の前に広がる光景は、自堕落と言っていいものでした。

白のアリスはまるで小間使いのようにして自身のチェシャ猫に家事をやらせ、自分はソファーでごろごろと昼過ぎの惰眠をむさぼっているのですから。

「アンタ、いつの間に…」

「お兄様が目覚める前から、確実に居たわ」

くるりと車椅子の車輪を回して、黒のアリスは自身の兄に近づきます。自堕落ですが、一応血のつながった兄。好きでないわけではありません。…ええ、けっして。

「それにしても、妹のアンタが訪ねてくるなんて珍しいじゃねぇか。しかもチェシャ猫も付けずに」

「そうね」

黒のアリスは少し笑みを緩めます。凍りついたような表情は黒のアリスにとって、いつものものでした。審判者としての、いつものもの。

「お兄様があまりにも自堕落な生活をしていると聞いて、恨めしくなったから来てみたの」

「恨めしいって、記憶か?」

白のアリスはなおもソファーに寝そべったままです。

前の野良猫のような警戒っぷりと、自分以外は敵としていた思考回路は一体どうなったのでしょうか?

それもそのはずなのです。

この国へ帰ってきて、散々惨殺死体を作っておいて、そしてこの家で暮らすようになってから。

周りの人はアリスにとって、とても優しかったのです。それはもう、以前の暮らしとは天と地ほども違うほどに。

アリスは覚えていなくとも、アリスにとってここは故郷で、故郷に愛しい子が帰ってきたならば、周りは喜んで迎えるでしょう。それと同じなのです。

アリスもその空気には気づいていました。気付いているからこそ、こうして警戒心なんてどこへやってしまったのかと言われるほどに、寛ぎ、安心して生活できるのです。

その様子に黒のアリスはもう一つため息をつきながら、己が運命を呪います。

どうして自分がアリスなのか、と。

「いいえ、違うわ。お兄様が放棄してしまったもうひとつ、」

ひとつ呼吸を置いて、黒のアリスは兄たる白のアリスを見つめました。

「審判者としての、アリスとしての役割よ、お兄様」

「…はぁ?」

口は悪くなって帰ってきたけれど、この兄の根は優しいことを妹たる黒のアリスは良く知っています。ですから、素っ頓狂な声を上げたとて、彼が拒絶の意を示しているわけではないことくらい分かっていました。

「アリスは代々審判者として裁きを下さなければならないのよ、お兄様。お兄様は忘れてしまっているだろうけれど、元々お兄様は向こうの…鏡の国の審判者だったのに…それをお兄様が忘れて、いいえ失踪してしまうから…」

「……」

アリスはまさにあんぐり、と言った風貌です。無理もありません。

ここで暮らすようになってから幾度かルティや他の住民からこの国についての話を聞かされたことはありますが、こんな話は初めてです。ましてや自分のことだと、この妹は言います。

「で、俺にそれをやれって?」

「やれと言っても、お兄様は昔のことを覚えていないのでしょう?それではやれと言っても、出来ないわ。お兄様が思い出さない限りは」

ふぅ、と言うだけ言った黒のアリスはため息をついて、うつむいてしまいます。

実際、黒のアリスは疲れていたのです。両方の国に裁きを下さなければならないのですから、仕事は二倍に増えてしまいました。

本当ならこの目の前の兄のように、もう少し自堕落に過ごしたって許される年頃です。

いえ、時間の概念がないこの世界では無用の話かもしれませんが。

ともかく、黒のアリスは疲れていました。けれどもこの役目は代ろうと思って誰かに代わってもらうことなどできないのです。こればっかりは血筋がものを言う、役目です。他の誰の役目とも違うのですから。

「…仕方ねぇなぁ」

「え?」

突然、白のアリスがむくりと置きだして、面倒そうに視線をよこしました。

「妹だけにやらせて、俺がここでのんびりしてるわけにもいかねぇだろ。…思い出すかどうかは分からねぇけど、努力だけはしてやるよ」

今まで、この白のアリスは記憶を取り戻すことにあまり積極的ではありませんでした。記憶を取り戻さずとも、チェシャ猫ルティは優しくも甘やかし気味に傍にいてくれたし、周囲もそれなりに親切でこれ以上ないほど住みやすい場所でしたから。

でも血を分けた妹が一人で頑張って、ため息をついているのを見過ごすわけにはいきません。何せ彼は青いエプロンドレスを着ていたとしても、兄なのですから。

「…お兄様」

少し、ほんの少しだけ、黒のアリスは感動しました。まるで昔の兄に戻ったみたいに…いいえ、これも兄の昔と同じ優しさなのでしょう。少しばかり違う世界の荒波にもまれたようでぶっきらぼうになってしまいましたが、優しさは変わりません。

厭だといいながら、いつだってこの兄は妹のことを助けてくれていたのです。

「期待しないで待ってるわ。お兄様」

「一言余計だ、妹」

くるぅりと来た時と同じように車いすの車輪を上手に操って、黒のアリスは白のアリスに背を向けます。その背中は、来たときとは違い小さくはありませんでした。むしろいつものように審判者の貫禄がただよっていました。

見た目は12歳でも、彼女は審判者。そして黒のアリス。この世界の絶対者なのです。

そして、今現在背を向けた、白のアリスのこの兄も。

4年ほど分かたれたとて、それは変わりませんでした。




End

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