8.くえない爽やか青年
薬屋の定休日。アレンが街に買い物に出たのは陽の高くなった午後のことだった。午前の内に森に入り、必要な薬草の補充と下準備を終わらせている。
一人で経営しているので中々休みは取れないが、月に二度は休むようにしていた。夕食は外に食べに行く事が多いものの、生活するにはどうしても街に買い物に行かなくてはならなくなるし、あまり働きすぎるとリリアの家族に叱られるからだ。
今日の目的は食料の買いだめ。人通りの多い商店街へ八百屋を目指して歩いていると、その途中で穏やかな午後の街には似合わない悲鳴が上がった。
「キャ――!!」
「逃げろ!!」
街の南から人々が必死の形相で駆けて来る。慌てて近くの建物に飛び込む者もいた。
逃げ惑う人達を傍にあるカフェの壁に背をつけ避けていたアレンの視界に入ったのは一匹の虎。どうやら人々は興奮した虎から逃げていたらしい。直ぐに反対側から悲鳴を聞きつけた巡回中の騎士が集まってくる。虎の後ろからは小汚い男達がこちらに来るのが見えた。手に鞭を持っている者がいる所を見ると、恐らく猛獣使いか猟師だろう。だが何故王都に虎がいるのか。
剣を抜いた騎士達に囲まれ、更に興奮した虎は唸り声を上げて周囲を威嚇する。よく見ればそれ程体は大きくない。この国の南の山の奥地には野生の虎が生息していることはアレンも知っている。親元から離された幼獣なのだろう。
数人の騎士が矢を番えた。それを見たアレンは一も二もなく飛び出す。
「おい! 待て!!」
虎に向かって駆けるアレンに気づいたのだろう。一人の騎士が弓を持った同僚にストップをかけた。モタモタしていたら自分も取り押さえられると分かっているアレンの行動は素早い。
「ごめん!」
腰のベルトに取り付けたポーチから薬包紙の包みを一つ取り出し、捻って口を閉じているそれを緩め、真っ直ぐ虎の鼻先に向かって投げる。狙い通り命中した包みは中身を撒き散らしながら地面に落ちた。
周囲の人達が息を飲んで見守るその数秒後、重い音と共に虎が地面に倒れた。
「アレン!!」
彼の傍にいち早く駆けつけたのは騎士のビートだ。
「あんた……」
「助かったよ。……死んだのか?」
横倒しになった虎を見てビートが訊ねる。だが良く見れば死んでいない事が分かるだろう。その証拠に虎の腹はゆっくり上下している。投げた薬包紙の中身は即効性の睡眠薬だ。
アレンは首を横に振った。
「いや、眠ってるだけだ」
「あぁ! ありがとうございました!!」
大袈裟なほど大きな声を上げながら、彼らの立っている場所に近付いてきたのは虎の後ろにいた男達。近くで見れば、背に猟銃や縄を背負っている者も居る。すると五人の男達がそれぞれ虎に手を伸ばす。それを鋭い声でアレンが制した。
「触るな」
「……は?」
「コイツはお前たちの手から逃げ出した。その後捕らえたのはオレだ。こいつはオレの獲物だ」
「なんだとこのガキ!!」
頭に血を上らせた髭面の中年男がアレンの服を乱暴に掴む。その腕を更にビートが掴んだ。
「よせ。乱暴するな」
「いやでも、聞いてくださいよ! このガキが俺達の商売道具を横取りしようとしてるんだ!」
商売道具。アレンの予想通り、城下に虎を持ち込んだのはこの男達のようだ。恐らく運ぶ途中で逃げ出してしまったのだろう。お粗末な事だが、捕まえてハイさよなら、とはいかないのだ。
厳しい目でビートが男の顔を見る。現状を察した騎士達が男達を取り囲むように現場に集まりつつあった。
「こいつはどこへ運ぶ予定だった?」
「え?」
「国内で幼獣を狩ることは禁じられている筈だ」
「や、これはっ……!!」
「連れて行け」
密猟の罪で次々と男達が捕らえられていく。だが、そんなことにアレンの興味は無かった。その目線はずっと虎の幼獣に向けられている。男達が連行され、隣に戻ってきたビートにアレンは訊ねた。
「こいつをどうする気?」
「森へ戻そう」
「……ほんとに?」
「あぁ」
アレンがようやくほっと息をつく。人を傷つけたのであれば処分する対象になっていたが、今回は被害者が出なかった為、元の場所へ戻すようビートが上層部へ取り成してくれるという。
もう自分が出来る事は何もない。挨拶してこの場を去ろうとしたアレンに、ビートは待ったをかけた。
「ねぇ、その代わりと言ってはアレなんだけど、この間の、もう一度考えてみてくれないかな?」
「この間?」
「ハーブティのお礼をしたいって話」
「…………」
そこまでこだわる事だろうか。アレンは眉根を寄せる。その表情にビートは苦笑した。もしかしたら礼をしたいと言っている相手は、ビートが逆らえない人物なのかもしれない。
「君の店だって年中無休って訳じゃないんだろ?」
「……分かったよ」
「良かった」
相変わらず爽やかな笑みを向けられる。ビートは中々抜け目ない性格のようだ。アレンは彼の評価を改めた。