あなたはだあれ?
うつらうつらと眠気が襲う中、なんとか目をこじ開けて声の主を待つ。なんとも空気の読めない男だと叱咤してみても効果はなく、このまま本当に寝てしまうのではないか、コーヒーでも淹れて来ようかという考えに至ったころほとんど閉じていた瞼の裏に輝く物が見えた。
強烈な光故に反射的に強く目をつぶり、問題だった睡魔は簡単に去って行った。暗闇が戻っても瞳に光が映っている。何があったのかと目を開ければ、どこかで見たような二人が炬燵の向こう側に立っていた。
「はじめまして、この子はリッカといいます」
そんなおかしな挨拶は初めて聞いたとつっこむのも忘れ、彼らを見つめていた。間違いなく先ほどすれ違った男女二人組だ。記憶力の弱い俺でもさすがに覚えているほど印象深い美形だった。それに続いて気付いたのが男の声。俺に頼みごとをしてきたのが彼だと理解する。
「お願いは、この子を育てていただくことです。反抗しませんし、なんなら必要なものだけ与えてあとは閉じ込めておいても構いません。
僕はここをすぐにでも離れなくてはいけません。だからどうか、この子をお願いいたします」
え、と声を出す暇もなく彼は光を放ち――消えていた。
一人残された少女はじっと立ちつくしたまま何もしゃべらず、こちらを凝視している。生きているのか不安になるくらい動かず、瞬きも極端に少ない。見つめあったまま数分経ち頼まれごとを思い出した。
「えーと、リッカ、ちゃん……あ、これ食べる?」
育てる、必要なものを与える。明らかにおかしいとわかってはいたが、受けたのは自分だし彼が言うには難しいことではなさそうだ。高校生なんてこの間まで自分もそうだったにも関わらずどうにも話しかけづらいし餌付けを試みる。
リッカは焼いただけの冷めた食パンへ視線を移し、ただ見つめるだけだった。皿に添えた手を動かすのもままならないほど緊張していて、それ以上は話しかけられない。餌付けは失敗した。
「い、いらないか、ごめん」
相手に言っているとは思えないほど小さな声で呟き、手持ち無沙汰になるのを恐れて食パンを口に運ぶ。
「っまず!?」
いつも食べているはずのそれは、食べ物とは思えないものだった。かろうじて「冷めているから」ですませられるのは以下の点、匂いがまったくせずぱさぱさで口内の水が奪い取られる。だがこの味はありえない。例えるなら灰の味。焦げたのではない、物を燃やした時に空気に舞っているそれだった。焼き芋を思い出す。
なんとか頬張った分のパンは飲み込み、ジュースで味を流す。二リットルペットボトルをラッパ飲みになってしまったがなりふり構っていられなかった。
いつも買っているのをいつも通りに焼いただけのはずなのに、いつもと違うことなんてとそこまで考えて視界に佇む少女の存在を思い出す。
「リッカちゃん……これ、食べた?」
自分でも「食べた」がおかしいとは気付いていたが他に言い方が思いつかなかった。俺が進めた行為はあくまで食事であって、他のことをしたと疑うのは彼女に失礼だと思う。
少女は、ゆっくりと首を、一回だけ縦に振った。
名前の知らない少年の言った通り彼女はとても従順で、座れと言えば座り、質問に首を振ることで答えてくれた。
ちょっと訊いてもいいか? ――Yes
リッカちゃんは、いつも……その、ご飯はこうやって食べんの? ――Yes
……人間? ――No
さっきいた人は誰? ――……
……もしかしてしゃべれないの? ――……Yes
さっきの人、えっとお兄さんとか? ――Yes
ここまで訊いて途方に暮れた。何をすればいいのか、何を尋ねればいいのかわからない。
頭を使うのが苦手とかそういう話ではなく、頭が回らない。こんな時どうするべきかなんて誰も教えてくれなかった。
そのことに思い至らなかっただけで、変に思うべきことはいくらでもあったのに。
ああ、もう……やってられない。
自分で決めたこともできない俺がいきなりの不測事態に対応できるわけがないんだ。
この子の食事方法がこうだと理解した、もうそれでいい。現実逃避? その通りだ。
「腹減ってるか?」
リッカは否定の意思を示す。こっちに座れとしか言っていない彼女は炬燵にも入らず寒そうで、不健康に見えるほど白い肌に危機感を覚えるほどだった。そっと抱き寄せればひんやりとしていて、熱を与えるようにきつく抱きしめた。
さらさらと手触りのいい黒髪は肩まで伸び、瞳は炎を思わせるような赤。シンデレラにこんな描写があった気がする。雪の白と黒檀の黒と血の赤……いや、やっぱり彼女の赤は炎の方が似合う。
「ここ入って、ちょっと寝よ」
眠かったことを思い出し、炬燵に促した後彼女を腕の中に閉じ込めたまま目を閉じる。
作り物めいた美しさを持つ彼女は十分欲情の対象できっと抵抗もされないのだろうけど、そんな気は起らず深い眠りに落ちて行った。