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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鬼事―終ワラナイ 悪夢―

作者: じぱんぐ

 夏を誇示するように、誰もが項垂れそうな強い太陽光がジリジリと照らす中、歳が10もいかない少年、須藤(すどう)守屋(もりや)は走っていた。

 彼の足が踏みしめる地面は、舗装されていない畦道(あぜみち)

 この畦道は、守屋以外にも沢山の子供が通り道として使っており、子供たちの主な遊び場となる山への近道でもあるのだ。

 流石の暑さに左右の田んぼでは、普段よりも農作業に従事する人の動きが鈍い。

 いつもならば、ここは私有地だぞ、と幾度となく守屋は叱りを受けていたのだが、今日はそんな余裕も無かったらしい。

 まだ数ヶ月前に父親の転勤で越してきたばかりの守屋にとっては、凄くラッキーな出来事に思えた。

 気弱な守屋は、誰かに怒鳴られたりするのが苦手だったからである。


 普段の守屋なら、ここは怖いということから遠回りしてでも避けているのだが、今日は珍しく寝坊。

 その失態の理由としては、長年朝の起床で格闘してきた目覚まし時計が壊れてしまっていたのだ。

 壊れた原因は、守屋が毎度手を叩きつけるようにしてアラームを止めていたからである。

 でも、象が踏んでも壊れないと説明書には書いてあったじゃないか、と何度も心の中で言い訳するも、時間は戻ってくれない。

 ただでさえ気温が馬鹿みたいに高い中、走る度に体温は急激に上昇していく。

 だが、守屋は足を止めない。

 守屋を待っていてくれる友人達に申し訳ないと思っているからである。


「急げ、急げ……」


 約束した時間は8時。だが守屋のしていた腕時計の短針はとっくに8を通り過ぎていた。

 もはや確認するのも無駄であり、目に入った汗も拭わず、彼はひたすら山へと駆けていく。







「遅いぞー! 待ちくたびれて死にそうだったんぜ!」


 随分と昔から山の(ふもと)に放置されたボロ小屋の前に、4人の少年少女が守屋のことを待っていた。

 やっぱり自分が最後か、と思いつつ、守屋は頭を下げながら彼らに近付いていく。

 先ほど守屋に不満げな台詞を吐いた少年、相沢(あいざわ)駿(しゅん)は、近くの木に対して枝を振るっていた。

 ヒーローに憧れる彼にとっては日常茶飯事なことではあるが、今日はもう守屋を待つ間に飽きてしまっていたらしい。

 いつもならば、その枝の振り方もバリエーション豊富なのだが、その動きは単調になっていた。

 守屋が彼に対して頭を下げると、不満げな顔から一転し明るい笑みを浮かべる。


「よしっ、許す!」


 まぁ、このように単純な少年であるのだが、守屋はそんな駿に憧れに近い感情を抱いていた。

 真っ直ぐで明るい性格をしている駿の、自分にはない強さが羨ましかったのだ。

 後、彼の整った顔と、癖っ毛の守屋とは違い、ツンツンと逆立った髪も、守屋の憧れる要因である。


「今日はどうしたんだい? スーヤンが遅刻だなんて珍しいね」


 守屋が駿に謝った後、のんびりとした口調で話しかけてきたのは、東野(ひがしの)(みつる)

 全身を分厚い脂肪で覆い、平均的な体格をしている守屋よりも二回り以上は大きいだろうか。

 当然、彼らの中で一番大きく、力も強いが、本人の性格は大らかで、柔和な笑みをいつも浮かべているため、見下ろされていても威圧感は無い。

 むしろ、親に見守られているような安心を感じさせるぐらいだ。


「ごめん、ただの寝坊だよ」


「そっか、良かったぁ」


 大きく息を吐く彼に、守屋は若干申し訳なさを感じる。

 が、そんな感情も、彼女の言葉によって一瞬で吹き飛ばされる。


「はぁ、寝坊とか、だらしないのね」


 周りが許す空気を作り出す中での、厳しめの言葉。

 肩までのセミロングの髪を弄りつつ、ため息を()く、都筑(つづき)(あかね)に守屋は勢い良く振り返って頭を下げる。


「謝ったって時間は戻って来ないのよ?」


 台詞だけ聞けば、どこのイジメっ子だ、と言いたくなるくらいだが、本人としては大人のように落ち着いた喋り方をしたくて、彼を叱るように言っているのだ。

 事情を知っている者なら、少し微笑ましいと思える少女である。

 守屋も、初めは何度もその台詞に落ち込みはしたが、今は真相を聞いているからか、心のダメージは少ない。


「それでも、ごめん」


 謝っても無駄だと言われても、守屋は頭を下げる。

 親に謝ることの大切さを徹底的に仕込まれていたからだ。

 そんな親からの教育と彼の気弱な性格が相まって、どんな些細なことでも、彼は悪いことをしたらとにかく謝る。


「あー、別に怒りたくて言った訳じゃないから。ほら、さっさと顔上げてよ」


 大抵、彼女の同年代の子供達なら、ムキになって言い返してくるか、彼女の言葉を耳に入れようとしない、といった具合で、本気で謝られるのには慣れていないのだ。

 例え慣れたところで、あんまり気分が良くないこともあり、茜はすぐに守屋を許すことにしている。


「……ん、おはよう」


 そんな騒がしい中で、神代(かみしろ)彩香(あやか)はマイペースに、平坦な声で守屋に挨拶をする。


「う、うん、おはよう」


 彼女には感情の起伏がないんじゃないか、というくらいに顔の表情筋が動きを見せず、数か月ではあるが一緒にいる守屋でも少し不気味に思っていた。

 一部では彼女の家系が特殊だから、という噂が流れているが、実際は違う。

 彼女の感情はバリバリ存在しており、顔の筋肉を動かすのが面倒だ、というくだらない理由で彼女は無表情でいるのだが、その理由は両親か、村長である祖父や祖母ぐらいしか知らない。

 

 さて、そんな性格もバラバラな4人ではあるが、実は4人とも幼馴染という関係にある。

 といっても、この狭い村では幼馴染というのは大して珍しい、というほどでもないのだが。

 そんな幼馴染で固まった集団に、初めは気弱な守屋が自分から仲間に入ろう、とは思わなかった。

 勿論、ファーストコンタクトは彼らの方からだ。

 彼らが守屋に近づいた理由、それは単純に都会から来た転校生というステータスというところからだった。

 彼ら以外にも、その興味目的で守屋に近づく者もいたのだが、最終的に彼の元に残ったのがこの4人だったりする。

 ここは『ド』がつく程の田舎(ゆえ)に、子供達にとっては身体を動かす遊びが主である。

 都会っ子である守屋に、地元民である子供達の体力についていけるはずもなく、彼らから見て、守屋は愚鈍な存在に思えてしまい、次第に彼から離れていってしまったのだ。

 そんな中、この4人は離れなかった。

 駿は『ヒーローは決して弱い者を見捨てない』、という上から目線によって。

 充は『自分と同じく運動ができない仲間』として。

 茜は『誰も手を差し伸べないなら、アタシが』という偽善的な理由で。

 彩香は『3人が友達になるなら、私も』というなんとも流れ任せに。

 守屋と友達になったのである。

 そうして、子供というのは凄いことに、時間が経つうちに打算などなく彼らは守屋の本当の友達になってしまったのだ。

 個性豊かな彼らに、守屋も自然と馴染んでいって今ではいて当たり前の存在にまでなっている。


「それでスーヤンも来たし、今日は何して遊ぶ?」


 守屋がぺこぺこと謝り終えた後、充が皆に対して話を切り出す。


「もう夏休みも中盤だし、ここらで宿題しとかなきゃマズいんじゃない?」


 茜が唇の端を吊り上げ、主に駿を見る。


「んなもん別にいいんだ。宿題なんかに貴重な夏休みを使いたくないぜ!」


「じゃあ、シュンはまたゴリ林先生に怒られるんだ」


「うっ……」


 守屋がある種の尊敬の念がこもった目で駿を見つめる。その駿はというと頭に手をやっていた。

 彼ら5人の担任である小林先生。

 生徒の間ではゴリ林と呼ばれているのは、高い身長で筋骨隆々、古き良き日本人の特徴である短足に、彫りの深い顔。

 挙げられた特徴を全て足せば、まさしくゴリラみたいだから、という安直な理由からゴリ林と呼ばれているのだ。

 やんちゃな駿は、そのゴリ林に良く怒られる筆頭であり、彼の落とす拳骨の猛烈な痛さを充分に知っているため、条件反射で頭を押さえてしまっているのである。


「へ、へへんだ。今年は頭突きして頭を鍛えたんだぜ。だ、だから問題ねぇって!」


「……シュンの頭は勉強に対しての鍛え方が足りないと思う」


「そんな些細なことは気にしないぜ! それよりもミッツが遊ぼうって言ってんだから、な?」


 駿は彩香から目を逸らし、他のメンバーに助けを求める。

 茜はここで更に追撃をかけたい欲求に駆られたが、何とか踏みとどまる。

 これ以上は時間が勿体無いと判断したからだ。


「で、何するのよ?」


「川で遊べることは大分やり尽くしたよね」


 茜の問いに、充は選択肢を一つ削る。


「虫取りも昨日やったんだっけ?」


「……暑いから鬼ごっこはパス」


 守屋、彩香もそれぞれ意見を出していく。

 それ以降も、スイカ割りや花火、水鉄砲による戦争ごっこに、大人たちから借りたメンコやベーゴマにまで手を出した。

 粗方意見を出し尽くしても、なかなか今日の遊びが決まらない中、駿が自慢気な表情でニヤニヤしていた。


「ふっふっふっ、お困りのようだな、皆の衆」


「また特撮の誰かの真似? 好きだね、ホント」


 充の言葉に駿は耳を貸さず、話を続ける。


「ここでオレから素晴らしいアイデアを発表しちゃうぜ!」


「前置きはいいから、さっさと言ったらどう?」


 茜がそう言うも、駿はそれを無視して数秒のタメを作ってから、こう言った。


「あの洞窟を探検しようぜ」







 駿の言う『あの洞窟』というのは、守屋たちがいる山の中腹部にある、一見何の変哲もない水平方向に伸びている横穴のことで、村の大人達には耳にタコが出来るほどに、「絶対に近づくな」と言われている場所である。


「ねぇ、やめようよ」


 守屋は、駿に弱気な発言をするも、彼の耳には届かない。

 他の3人も、子供故の強い好奇心から守屋以外に反対する者はいなかった。

 かといって守屋も一人でいるのは嫌だったために、彼らの後に渋々とついていくこととなったのである。


 普段人が通らないためか、背の高い雑草が生い茂り、守屋たちは草を掻き分けて進んでいく。

 こうして踏み固めて作られた細い道も、雑草の驚くべき再生力で一か月もしないうちに、なくなってしまうのだろうな、と守屋は嫌な緊張を紛らわせようと、無駄な思考を試みる。

 そうしてゆっくりとした子供の足で30分程歩き続けたところで、お目当ての洞窟が姿を見せた。

 守屋の目には、人工的に作られたものなのか、自然に出来たものなのか、判別はつかない。

 が、中がとても薄暗そうだ、という一点だけは判別出来た。


「んじゃ、早速中に入ろうぜ」


「ちょ、ちょっとタンマ……」


 ウキウキとした表情をする駿に、守屋は膝に手を当てながら、駿の意見に水を差す。

 疲れたから少し休もう、とした提案なのだが、実は守屋はそこまで疲れてはいなかった。

 ただ、入る前に心の準備をしておきたい一心で、そんなことを言ったのである。


「僕も賛成。少し休みたいかも」


 ドサリと、充は重そうな腰をそのまま地面に直接落とす。

 荒く呼吸を繰り返す姿から、彼はここに来るまでに、疲弊してしまったようである。


「まぁ、二人がそういうならアタシも休もうかな」


 茜は流石に充のように地面に直接、というのは躊躇われたのか、近くにあった岩の上部分を軽く払うと、そこに腰を下ろした。


「ちぇー、仕方ないな」


 駿はそう言って、手を頭の後ろに組んで空を見上げる。

 立っていたのは彼以外には、いつの間にか木の陰に移動していた彩香だけだった。


「それで、探検はいいとしても何であの洞窟なのさ?」


 とにかく弱気な守屋は、大人に駄目だと言われている場所に行くのが、怖かった。

 正確に言うと、行ったことが後でバレて叱られるのが嫌だったのだ。

 それに、不気味で薄暗いところも、苦手なだということもある。


「そんなの肝試しをするために決まってんだろ!」


 そんな守屋に対して、駿は顔を輝かせながら、彼らの休憩が早く終わらないかと、そわそわしている。


「確かに、僕たちはまだ夜出歩いちゃ行けないとかで、そういうこと出来ないもんね」


 ハンカチで拭き取っても拭き取っても、未だに噴き出てくる汗と格闘しながら充はそう言う。


「で、中に入るとしてもアタシは懐中電灯とか持ってないけど、誰か持ってるの?」


「……私も持ってない。すーやんは?」


「ボクは一応、腕時計に小さなライトがあるくらい。ミッツはどう?」


「何にも用意してないよ。言いだしっぺのシュンは流石に持ってるよね?」


「ははははは! 用意するの忘れてたぜ!」


 そういうこともあり、守屋は泣く泣く探検で先頭を歩かされる羽目となってしまう。


「さて、そろそろ休憩はいいだろ。じゃ、行こうぜ!」


 逃げ腰になる守屋の背中を駿が押しながら、彼らの洞窟探検が始まった。

 洞窟の内部は、だいたい三人くらいなら通れる程の幅があったものの、彼らは縦一列に進んでいく。

 理由としては、暗い中で転ぶのは危ない、ということで、先に歩く守屋が足元を注意しながら進むこととなったのだ。


「ちょっと、速い、速いってば」


「スーヤン、お前が遅いだけだぜ! 後がつっかえてるんだ、ガンガン行こうぜ!」


 彼らの並び順としては、唯一光源を持った守屋が先頭、次に駿、茜、彩香、最後に充。

 何かあった際に男が動けた方がいい、という茜の提案で男子が女子を挟む並び方となったのだが、駿がどうしても前に行きたいと駄々をこねた為に、充が最後となった。

 守屋が充のことを羨ましげに見ていたものの、充は軽く笑みを返すしかなかった。

 まぁ、心の奥底では、「駿に腕時計を渡してしまえばいいんじゃないか」、とは思っていたのだが、口には出さなかった。

 手に持った物は振り回す習性のある駿に、物を貸すというのは「壊してくれ」、と言っているのと同義。

 彼の優しさは、守屋の気持ちよりも、物を大切にすることを選んだのである。






 

 洞窟の最奥は、彼らが通ってきた一本道とは違い、丸い空間が広がっていた。


「あれは……何だろう?」


 守屋が光を当てた先に、大きな何かが置かれているのが見える。

 後ろの4人がやや興奮したこともあり、小走りでそこへと近づいていく。


「これって(ほこら)?」


 茜の言葉に、他の4人は首を傾げたままだった。

 そもそも祠のこと自体、あまり詳しくないのである。


「祠って何だ?」


「祠っていうのは、確か神様が祀ってある場所だったと思うけど」


 駿の疑問に茜がそう答えるも、彼の疑問はまだ尽きない。


「何でここに祠があるんだ?」


「知らないわよ、そんなこと」


 彼らの興味は祠に向けられ、全員で祠を観察することになった。

 祠は、大体大人くらいの高さがあり、前面にある扉にはなにやら御札らしき物が幾つも貼ってある。

 子供も彼らにも、「如何(いか)にも怪しげだ」という雰囲気が伝わってきた。


「……これって、木で出来てる」


 手触りを確認した彩香が、ぼそっとそんなことを言う。

 守屋もそっと触ってみるが、確かに木の感触だとわかる。

 良く目を凝らして見ると、大分時が経っているのか、随分と色が黒ずんでいた。

 失礼を承知で軽く爪で削ってみると、元の色は白っぽい。


「(ん……これはどこかで見たことが)」


 守屋が記憶を(あさ)っていると、はっと思いだした。


「(これって桃の木に似てるんだ)」


 守屋がこの村に来る前に、家の近所で桃の木を庭に植えていた老人がいて、孫のように可愛がってくれていた時期があった。

 そこで、桃の木の樹皮を剥がしてみたことがあり、それと似ていると気づいたのである。


「おーい、一旦集まってくれ」


 駿に呼ばれたこともあり、守屋は祠から手を離し、彼らの元に集まる。


「これって、すげぇ怪しいよな?」


 駿が指差すのは、何枚も貼られた御札。

 多少擦り切れており、そこに筆で書かれているあろうものは守屋達には読み解くことは出来なかった。


「剥がしてみようぜ?」


「やめようよ」


 守屋はすぐに駿を止めようとするも、駿の動き出しの方が完全に速かった。

 躊躇(ためら)いなく、駿は御札を勢い良く引っぺがす。


「うわぁぁっ!!」


 守屋は咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込むが――何も起こらない。


「あははっ、スーヤン、すごく情けない」


 そんな守屋を見て、茜が吹き出す。

 それにつられて、他の3人も笑いが伝染し、守屋は恥ずかしさのあまり顔が余計に熱く感じてしまう。


「ほらっ、何にも起きねぇから、お前らも剥がしてみろよ!」


 駿にそう催促され、充や茜、彩香も祠から御札を剥がしていく。


「スーヤン、僕でも大丈夫なんだから、ほら、やりなよ」


「ビビッてんのか? こんなに簡単なことだぜ?」


 駿がピラピラと守屋の前で御札を揺らす。

 集団心理で、残りの彼らも自分の手に持った御札を守屋に見せつけるが、


「ボクは嫌だ」


 守屋の中で、恐怖が(まさ)った。

 明らかに不気味な物に、手を出す勇気がなかった。

 皆がやったからといって、自分が大丈夫だという保障はない。

 見えない脅迫概念が守屋を尻込みさせ、彼の身体を震わせる。


「ったく、ノリが悪いぜ、ノリが」


 手を引っ張っても動こうとしない守屋を無理やり扉の前に立たせると、守屋の手を取って御札を剥がさせる。


「ほら、何もないだろ?」


「……すーやんの弱虫」


「うぐっ」


 確かにそうではあるが、来るとは思っていなかった彩香からの予想外な言葉に、守屋の心が少し傷つく。


「この扉は開ける?」


「当然、ここまで来たら開けるに決まってんだろ!」


 充からの問いに、駿は全く及び腰にはならないで、扉に手をかける。


「さて、この中にはどんな宝が入ってんだろうなーっと」


 立て付けの悪い扉が、ギギギッと擦れた音を鳴らしながら開かれる。

 その扉の奥には――


「……空っぽ」


 彩香の言葉に、目を逸らしていた守屋もそちらに向けるが、確かに何も見当たらなかった。


「ちぇっ、何にもねーな」


「このままだとつまらなくない?」


 駿と茜が不満げな顔を作るが、


「……だったら、私たちで肝試しをやる?」


 という彩香の発言で、すぐに笑顔に戻る。

 このまま奥に何もなければ、いったん家に戻って各自懐中電灯なり、仕掛けの道具なりを用意してくること。

 そして、4人が脅かし役をして遊ぼうということが話で決まる。


「(うぅ……それも嫌だなぁ)」


 そんな中で、守屋は一人黙っていたのだが、彼らの決定は覆らない。

 彼はこれからどうしようかと、4人とは対照的に悩んだ表情をしていた。







「腹減ったなー」


 ようやっと暗いところから抜け出し、安堵する守屋の横で駿が腹を押さえていた。

 守屋は腕時計で時刻を確認してみると、もう午後一時近くになっていることに気が付く。

 彼が思っていた以上に随分と時間が経ってしまっていたらしい。


「じゃあ、お昼ご飯食べてからもう一度ここに集合ってことでいい?」


「……おーけー」


「了解!」


「わかったよ」


「あぁ…………」


 茜の確認に、守屋も気だるそうな返事を返す――そんな時だった。


「あくっ……!!」


 急に眩暈(めまい)が襲ってきて、足元が若干ふらつく。

 が、それも一瞬のことで、守屋は「多分立ちくらみだろう」、と思っておいた。


「一瞬ふらっと来たけど、皆は大丈夫?」


「僕もしたけど、水分不足とかかな?」


「オレとしたことが、不覚だぜ!」


「……それにしても、みんな揃ってなるって、不思議」


 彩香は不思議、と言ったが、守屋にはどうしてか不自然に思えた。


「(これが単なる偶然……? 偶然にしては出来過ぎなんじゃ)」


 たとえば、今まで暗い中に潜っていて、一斉に眩しいと、皆で目を細めるのなら守屋にも理解は出来る。

 だが、全く同じタイミングで全員がふらつくにしては、おかしい。

 

 だが、そんな風に悩む守屋に、更に不自然なことを発見してしまう。


「空が……」


 守屋は何気なく、上を見ただけだった。

 普段なら澄み切った青が広がっているはずなのに、なぜかその色は赤く染まっていた。


「(どういうことなんだ?)」


 考え込もうとする守屋に、異変は待ってはくれない。


「何、あれ……?」


 震える茜の声に、守屋はすぐに洞窟の方を見る。


「すげぇな」


 怖い。

 駿のように関心を示すこともなく、守屋は目の前にいる"それ"に対して恐怖を抱いた。

 "それ"は、音もなく洞窟から出てきた。

 人と同じく2本の腕に2本の足だが、大きさは3メートル。

 まず、そんな人間はいない。

 そうして現れた"それ"のおかしな点はそこだけではない。

 服を身に纏っておらず、腰の辺りに布を巻いているくらい、なのは問題ない。

 ただ、"それ"の体表が、赤いのだ。

 筋骨隆々とした身体からは威圧感が放たれており、そして何よりも――


「(頭に、角がある……)」


 これらの情報を総合し、"それ"を守屋の知っている言葉に当て()めてみるならば……鬼ということになるだろうか。


「(これは……夢?)」


 震える手で頬をつねってみると、守屋の痛覚は正常に働いた。

 つまり、守屋の目の前にあるのは、現実である。


「うわああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」


 穏やかな性格をしている普段の充からは聞けそうにもない、大きな悲鳴が上がる。

 それが合図となったのか、鬼は大きな一歩を踏み出した。


「何やってんのっ!!」


 あまりのショックに動けずにいた守屋の手を、茜が掴む。


「(そうだ、とにかく逃げなきゃ……!!)」


 そこまでされて、ようやく守屋は茜に引っ張られる形で走り出す。

 鬼の歩幅は大きいものの、幸いその動きは緩慢であり、他の3人から出遅れた守屋と茜も鬼から距離を離すことに成功する。

 ただし、ペース配分などまるで考えておらず、数分も経たないうちに守屋は息切れしそうになった。

 鬼のペースは、速くもなってはいなかったが、遅くもなっていない。

 焦りが、募る。

 身体に無駄な力が入り、空回りしているようで、守屋はもどかしく感じてしまう。

 足も肺も限界が近い。

 このままでは、あの鬼に追いつかれてしまう。


「こっち!」


 恐怖で頭がいっぱいいっぱいになってしまった守屋を救ったのは、やはり茜の存在だった。

 腕を思いっきり引っ張られたが、急なターンに成功する。

 守屋の飛び込んだ先は、木々の生い茂るところで、上から見下ろす鬼からは見えにくい場所であった。


「身体を低くして、どこか隠れる場所を探すわよ」


 小声ながら、よく通る声に守屋は頷きを返す。

 首を左右に素早く動かし、大きな木の根が浮かびあがり地面との隙間が充分に空いたところを発見すると、茜共々その中に身体を押し込んだ。

 中はなかなか深く、外からはそこまで見えにくいようになっていることを守屋は確認すると、大きく息を吐いた。


「まだ、安心できないわよ」


 そんな守屋の様子を見て、茜は釘をさしておく。


「これでもし、ここら一帯を壊し回ったら、一巻の終わりだからね」


「じゃあどうするんだよ?」


「どうもこうもない。アタシたちには、ただ息を潜めてるしか出来ないわよ」


 弱り切った守屋と比べ、茜は表情を引き締めたままでいた。

 彼女は、知っている。ここで泣いたところで、助かる訳がないことを。

――アタシは大人だから、と精一杯の強がりを持って。

 彼女は荒く酸素を求める息を出来るだけ堪えながら、待ちの姿勢を崩さない。

 

 対する守屋は、普段から都合の良い時だけする、困った時の神頼みをしていた。


「(神様、お願いです。どうか鬼に見つかりませんように……!)」


 普段の守屋は信仰心など殆ど皆無である。仮に神が存在していても、もはやそんな願いなど聞き入れてはくれないだろう。

 神は、便利屋ではないのだから。

 

 だが、しかし。

 守屋の願いは、叶うこととなる――それも、あまりに残酷な方法で。


「来るなァァァアアアッッ!!」


 祈るようにして目を閉じていた守屋も、悲痛な叫びに思わず目を開く。


「(ミッツ……?)」


 守屋の目に飛び込んできたのは、いつの間にか追い抜かしていたのか、逃げ遅れていた充の姿。

 息の絶え絶えで、汗と涙で酷い顔になりながらも必死に足を動かす充に、守屋は自然と息を呑んでいた。

 充からすぐ離れたところには、あの赤い影。

 運動が苦手な充は、鬼から逃げ切れなかったのだ。


「(ミッツ!!)」


 思わず叫びたくなるも、あまりの恐怖に守屋は口を開くも、声を出せないでいた。

 ここでもし叫べば、守屋たちも見つかってしまう。

 そういった打算もあったが、本当の恐怖を前にしては声を出すことが出来なかったのである。


「来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな、クルナァァァァッ――!!」


 充は尻もちをつき、とうとう彼は鬼と目の前で対面する。


「……」


 鬼は、狂ったように叫ぶ充を見ても、何も言うことはなかった。

 牙の飛び出た口を結んだまま、充に向かって手を伸ばす。

 

 そうして、軽く。

 まるで花でも摘むかのように。

 充の頭を胴体からもぎ取った。


 首が離れた途端に、胴体から鮮血が飛び散る。

 元々赤い鬼の身体に、ぬらりとした光沢がへばりつくが、鬼は表情一つ変えない。

 快も不快もなく、ただ殺すことが目的だということなのか、充だったモノ(・・・・・・)から興味を無くし、その場を去っていった。







「あ……あぁぁ……あああぁあ…………」


 守屋の口から漏れて出るのは、言葉にならない声だけ。

 強張った頬は涙で濡れ、全身からは未だに震えが取れていない。

 年端もいかない少年には、とてもじゃないが、受け止め(がた)い光景。

 それを直視してしまった守屋。

 彼の心は、壊れそうだった。

 ホラー映画でさえ耐性のない彼なのに、更には友人が殺されるところまで見てしまったのだ。


「(嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ)」


 必死で心を騙そうとするが、風に流れてくる血の香りが、守屋の鼻腔を刺激し、そうさせてはくれない。


「(ミッツが、死んだ?)」


 事実を確認する度に、吐き気が催される。

 髪を掻き毟りたくなる衝動が守屋を襲い、頭に手をやったところで。


「やめなって……」


 茜が、守屋を止める。


「やめろって言われても、ミッツが、ミッツが……!」


 守屋の乱れた感情が、茜を心の()け口にしようと掴みかかろうとしたところで……手を止める。

 なぜなら、茜が目一杯に涙を浮かべ、必死に我慢しているところを見てしまったからだ。


「(辛いのは、ボクだけじゃない……)」


 感情に囚われていた守屋の身体から、急に熱が引いていく。


「泣いたって、ミッツは帰ってこないんだよ?」


 守屋を落ち着かせようと、茜はゆっくりとそう言った。

 小さい頃に可愛がってもらっていた祖母が死んだ時、母親が言っていたように。

 茜の口から、優しく、諭すようにして出てきた言葉は、守屋を落ち着かせることに成功する。


「……ごめん」


 守屋の心から、充の死によって受けたショックは消えていない。

 だが茜に(わめ)き散らすこともしたくなかった。

 守屋は拳をギュッと力強く握り、自分の掌に出来る限りの感情をぶつけておいた。


「……あの鬼はどうしていきなり現れたんだろうね」


 鎮まらない感情を紛らわせるために、守屋は茜に疑問に思っていたことをぶつけてみる。


「それはあの(ほこら)に悪戯したからでしょうね」


「でも、あの中は空っぽだったじゃん」


「スーヤン、鬼の語源ってどこから来てるか分かる?」


「分からない」


 いきなり茜から飛んできた質問に、守屋は正直に答える。


「『隠』って文字からなのよ」


「おん?」


「隠れるって意味の言葉よ。鬼ってそもそも見えない存在だったっていう説があるのよ」


「じゃあなんで外に出てからいきなり現れたんだろう?」


「さぁ、そこまでは分からないわよ」


 守屋は自分の気持ちを抑える余裕が、ようやっと出来たところで、本題を切り出す。


「で、これからどうしようか」


「村に戻りましょう」


 茜の提案に、守屋は首を傾げる。


「でも大人たちが、あんな鬼に叶いっこないよ」


「別に退治してもらおうとする訳じゃないわよ。あの鬼って足はそこまで速くないから、車で逃げ出せばいいのよ」


 そこまで聞いて、守屋は納得する。

 だが、自分たちがしたことで怒られるのは嫌だな、と思うと腰が引けてしまう。

 それに外にはまだ鬼がいる。

 見つかったらまた、命懸けの鬼ごっこをしなくてはならない。


「外には鬼が……」


「分かってるわよ、そんなこと。でも、このままここにいても何も変わらない」


 茜は涙を袖で拭い、守屋の目を見る。


「それに、シュンとアーヤを探しに行かなきゃいけないしね」


 茜が飛び出した後、守屋は少し躊躇(ためら)いながら、そっと木の下から這い出てくる。


「(どうか、ミッツが天国に行けますように)」


 (いま)だに震える手を合わせ、守屋はまた神に祈る。


「(ごめん……ごめん)」


 そして、守屋は充に対して心の中で謝った。

 声をかけてやれなくて、ごめん。見捨てるような形になって、ごめん、と。

 充に対して、何も償いが出来そうにない。

 が、充の分も生きてやろう。守屋はそう思う。


「何やってんのスーヤン。置いてくわよー」


「ちょっと待って、すぐ行くから」


 一度、守屋は腕時計を確認する。

 彼の感覚としては随分と経過しているように思えたが、短針はまだ『1』のままで、長針がそこに重なっていた。

 時刻を確認するとすぐに、守屋は茜の背中を追って、村の方へと駆けていった。








「なんだよ、これ!」


 守屋たちがあの惨劇を見ている同時刻に、駿は別の鬼に追われていた。

 持ち前の俊足でいち早く村へと辿(たど)り着く駿だが、村の様子がおかしいことに気付く。


「物音がしてない……?」


 彼でも疑問に思い、思わず足の速度が落ちたところで、


「ケケケケケケ」


 後ろからの笑い声に、彼は急いで足のスピードを元の速度にまで戻す。


「(コイツ、意外と速ぇ!)」


 駿が後ろを振り向き、追手の姿を今一度確認する。

 大きさはあの鬼とは違って、駿と同じくらいだが、その身体はかなり筋肉が浮き出ている。

 仮に名前を付けるなら、安直に子鬼といったところか。

 その子鬼の足の速さは、本気の駿ならば振り切れる程度だが、長距離のペースとなると難しい。


「(コイツがもし、オレ以外を追い回したら……)」


 確実に捕まって終わるのが、駿でも予想することが出来た。


「(逃げ切れるのは、せいぜいオレと、そのオレと少しは張り合えるアカネくらいかもな)」


 ここで子鬼を引き付けておきたいところであったが、駿の体力は無限にある訳ではない。


「(どうする?)」


 ある種、駿だからこそ、という考えが閃き、彼は即実行に移す。

 目標は、現在横にある石で出来た垣根。

 スピードを緩めないように、徐々に垣根の方に近付いていき、


「とう!」


 掛け声と共に、垣根へとよじ登った。


「(さて、どうだ?)」


 駿は石垣の上に立つと、子鬼を確認する。

 子鬼は――登ってきてはいない。ただ駿のことを見ているだけだ。


「よーし!」


 思わずガッツポーズしてしまう駿だったが、すぐに思考を切り替え――られず。

 ピョンピョンと器用に垣根から落ちることなく、喜びを表すかのように飛び跳ねていた。

 この子鬼を出し抜いた、爽快感がたまらないのだろう。


――『高鬼(たかおに)』。

 数ある鬼ごっこのうちの一つで、駿が思いついた方法もこの遊びから来ている。

 『高鬼』のルールは至って単純。

 普通の鬼ごっこのルールに、鬼は高いところにいる間は捕まえることが出来ないというルールを付け加えただけのもの。

 ゲーム脳、もとい遊戯脳である駿が短絡的に考えたものではあったが、幸いにもこの子鬼に有効であった。

 『言葉には力がある』、と古来の日本ではそんなことを言われていた。

 それこそ言霊と、言葉に霊的な力が宿るという意味の言葉が生まれるくらいに。

 そこに、理屈(りくつ)などはない。

 そして、ここにいる鬼にも、やはり理屈(りくつ)などないのだ。

 

 ただ、この現状では。

 子鬼は『高鬼』という言葉に縛られていた。

 こんな制約がなければ、子鬼はさっさと垣根を登り駿を捕まえることが出来ていたのだが。


「ケケケケケ」


 悔しそうな顔は作れないのか、子鬼は駿を見上げながら笑い続ける。


「と、こんなことしている場合じゃないんだっけ」


 駿は飛び跳ねるのをやめると、垣根を伝って走っていく。

 目的地は、特に決めてはいない。

 短絡的な駿は、やはり逃げることしか考えていないのだった。







 守屋と茜は運良く、鬼に遭遇することなく村へと着くことが出来たのだが。


「なんで村に鬼がいるんだよ!」


 村に着いて早々に鬼に追い回されていた。

 彼らを追っているのは、最初にいた大きな鬼と、駿が追っていた子鬼とはまた別の鬼である。

 大体大人くらいの身長があり、赤い体表をした鬼。

 足はそこまで速くはないものの、追われているという圧迫感が、走っている守屋の心臓を更に刺激する。


「喋ると余計な体力使うから、黙って走って!」


 茜の言葉に守屋は思わず、「アカネだって喋ってる」と言いたくなったものの、口を(つぐ)む。

 そんな余裕があるくらいなら、逃げることを考えた方がいいと思ったからだ。


「ポストだ! ポストに触れ!」


 曲がり角を少ないタイムラグで急カーブしたところで、何やら叫ぶ声が聞こえてくる。

 守屋と茜は、その声の主が一発で分かった。

 駿だ。

 根拠など何もありはしなかったが、駿の自信が満ちた声に、守屋達はすがりつくことを即断する。

 5メートル先に、所々塗装が剥がれたポストが見えてくる。

 守屋達はそこに飛びつくようにして、ポストに触れる。


「かはっ、はぁ……はぁ……」


 残り少ない体力で全力疾走した守屋は、もう限界だった。

 茜は、まだ体力的には余裕がありそうではあったが、鬼が追いかけてくるというプレッシャーで精神的には限界が近い。

 守屋も体力に余裕があれば、精神が先に駄目になっていたかもしれない。

 他に考えながら走る余裕なんて、無かったのだ。


 鬼が守屋達の後を追い、曲がり角から姿を見せる。

 絶体絶命。

 立ち止まっている2人など、この速さなら数秒も経たないうちに捕まってしまうだろう。

 だが、しかし。鬼は守屋達を見て、急速にやる気を失ったかのように、足を止める。

 そして背を向けると、どこかへと歩いていってしまった。


「ホッとしてるところで(わり)ぃが、すぐにこの上に登ってくれ!」


 声につられ守屋が上を見上げれば、やはり――


「シュン!」


 やっぱり、という表情を守屋がしている間に、茜が竹で出来た垣根を登っていく。


「早くしろ!」


 駿が手を伸ばし、守屋がその手を掴む。

 身体が引き上げられる瞬間、足に何かが掠める。

 守屋が素早く足元を確認してみれば、小鬼が守屋に向かってバンザイしていた。


「ひっ」


 これでもし、守屋の判断が少しでも遅れていたら……。

 守屋の顔から血の気が引き、背中から冷や汗が多量に吹き出していた。


「この鬼は、とりあえず高いところにいりゃ大丈夫だから。安心していいぜ!」


 仲間に会えた嬉しさからか、ニカッと駿が笑う。


「シュンーッ!」


「うわっ」


 茜の心に限界が訪れ、駿の胸に勢い良く飛び込む。

 頼りない守屋を連れての行動で、予想以上に疲弊していた彼女にとって、駿は安心出来る存在であった。

 抱きつかれた駿はというと、茜の突進をグッと足に力を込めて何とか受け止めると、その頭を軽く撫でる。


「落ち着いたか?」


「まだ…………っは!?」


 茜が驚いた顔で駿から飛び退く。

 自分が恥ずかしいことをしていたと、今更ながらに気付いたらしい。

 真っ赤な顔で、小さく「……ありがと」、と言うも駿には聞こえてなかったらしい。


「ん? もう大丈夫か?」


 彼としては、ヒーローが子供を慰めるシーンを拝借しただけに過ぎない。

 茜が落ち着いてくれれば、それで良かったのだ。


「……バカ」


「今、バカって言ったな!?」


「バカにバカって言って何が悪いのよ!」


 未だに赤い顔でムキになる茜と、それに張り合う駿を見ていて、守屋は思う。


「(ラブコメしてないで、ボクもいることを思い出して欲しいなぁ)」


 と、遠い目をしながら。








「で、なんでポストに触っただけで、あの鬼が追わなくなったわけ?」


 散々言い合ったおかげで、心に余裕が戻った茜が駿に質問をする。


「それに、あの小さい鬼もだよね」


 守屋もついでに聞いておくことにした。


「あぁそれはな、『高鬼』と『色鬼』だからな」


「はい?」


 言葉足らずの駿の説明に守屋が気の抜けた声を出す。


「はぁ……つまり、あの鬼達には『高鬼』と『色鬼』のルールが通用したわけね」


「どういうこと?」


 呆れた声で説明を補足する茜に、まだ理解出来ていない守屋が更なる説明を要求する。


「アタシ達を追ってた鬼が赤い色をしてたのは覚えてる?」


「うん」


 さっきまで追われていたのだ。守屋の脳裏にしっかりとその姿が焼き付いている。


「それでどういう理屈か知らないけど『色鬼』みたいに、あの鬼と同じ赤に触れたら追いかけてこなくなったわけ」


「じゃあ『高鬼』っていうのも?」


「高いところにいれば、あの小さいのには捕まらない、って感じじゃないの?」


「そう、オレもそれが言いたかったんだよ!」


 調子良く駿が言ったところで、守屋はようやく納得のいく顔になる。


「これで、ただ逃げるだけは終わりだね」


「全部の鬼に当てはまるって決まったわけじゃないから、そこんとこ頭に入れときなさいよ」


 やや明るい表情を取り戻す守屋と茜だったが、


「なぁ、そういやミッツとアーヤに会ったか?」


 と、駿が聞いてしまったことでその顔が曇ってしまう。


「アーヤは、見てないわ」


「ミッツは……鬼に殺されたんだ」


「何っ!?」


 その時のことを思い出したのか、守屋は涙を流しながらそう言った。

 駿はそれを聞き、驚いた後に、唇を強く噛む。


「くそっ、ミッツ……」


「――――だ」


「ん、スーヤン……?」


「シュンが洞窟に行こうって言わなきゃ、こんなことにはならなかったんだ!!」


 元々そこまで心が強くない守屋。

 多大なストレスがここぞというところで、彼の溜まりに溜まったフラストレーションを暴発させる。


「スーヤン!」


 非難するように叫ぶ茜に、守屋は睨むようにして視線を返す。

 だが、すぐにその目を逸らした。

 茜が、守屋以上に鋭い目で睨み返してきたからだ。


「そうだな、オレのせいかもな……」


 駿は守屋の言葉に怒ることをせず、受け止める。


「(ん、なんか重いな)」


 どこが、というのは分からない。

 強いて言うなら、心というのだろうか。

 駿がまだ理解出来なかった、『責任』という言葉が彼にのしかかる。


「オレが鬼達を引きつける間に、守屋達はアーヤを探して、ここから逃げてくれ」


「シュン!? それって……」


「別に気にする必要はないぜ、茜。オレはヒーローだからな。……ミッツは守れなかったけど、でもまだお前達は助けられる」


「無茶よ! 大人に相談して――」


「村には、誰もいなかった」


「え……?」


 茜の言葉を駿が途中で(さえぎ)る。


「だから、オレがやるしかないって」


「でも……」


「オレたちの中じゃ一番速いから、簡単には捕まらねぇよ!」


 駿は茜に向けて親指を立て、唇の端をつり上げる。

 それから守屋の方を見て、


「スーヤン、今更だがゴメンな。オレだってみんなが楽しいことがしたかった……って言い訳になるか。

 とにかく、こんなつもりじゃなかった。ホントにゴメン」


 あのゴリ林にすら頭を下げなかった駿が、守屋に頭を下げる。

 それを見た守屋は、更に気まずい気持ちになる。

 充が死んで悲しい気持ちと、殺されて悔しい気持ち、駿に向けていた理不尽な怒りと、憧れと、嫉妬。


「(なんでボクはこんなにカッコ悪いんだろう)」


 情けない守屋と、頼もしい駿。

 比べるまでもなく、駿の方がカッコ良い。


「(でも、どうしようもなかったんだ)」


 気付けば、駿を責める言葉を吐き出していた。

 充が殺されていくところを、ただ見ていた守屋は。

 自分が見捨てたという罪悪感を背負いたくないから。

 それを、駿に押し付けた。


「スーヤン」


 茜の呼びかけに、守屋は顔を下げる。

 これ以上、キツい言葉なんて聞きたくなかったからだ。


「ミッツを殺したのは、鬼だから。全部悪いのは、鬼。そこんとこ、間違えるんじゃないわよ」


 それだけ言うと、茜は駿について行くと強引に決め、守屋は1人になった。

 守屋はしばらくの間、動くことが出来なかった。







 守屋は重く感じる足を引きずりながら、家に向かって歩いていた。

 あのまま垣根の上にいるのも、飽きたのである。


「(帰って寝よう)」


 ベッドの中に潜って、眠って起きれば、また楽しい日々が待っている。

 そう信じて、自宅の道を辿る。

 最近越してきた守屋の家は、村の外れに位置している。

 村長の村を中心に、この村に長くいる人ほど中心近くに家があり、逆に余所者だったりすると外の方となるのだ。

 そういう風習らしい。


「ただいま」


 幸運にも、守屋は鬼に会うことなく自宅へと帰還する。

 いつもなら考えられない程に早い時間だった。

 彼の声に返ってくる返事は無い。

 父は天文台の仕事で家にはいない。

 そして母は――もういない。

 亡くなってしまった訳ではない。離婚で、離れ離れになっただけだ。

 そこに、大したドラマ性は無く、単に母が浮気しただけ。

 父より稼ぎがいいからと、別の男に乗り換えたのである。

 守屋は、母がいなくなったことを悲しんではいなかった。

 母は子育てなど(ろく)にしない人間だったし、父には有言無実行だった。

 顔が整っていて、尚且つ無駄に強請(ねだ)り上手だった母には、父の注意をかわすことなど、造作もないことで。

 家のことは全て守屋がしていて、母は口だけは一丁前のことを言うだけだった。

 『人に迷惑をかけたら謝る』というのは母から教えられたものだが、その理由は勿論高尚なものでは無い。

 ただ母は、自分に迷惑をかけられたくないから。

 守屋へ極端な程に、人に迷惑をかけては駄目だと、暴力を振るって教え込んだ。

 それで、今の守屋の性格が形成されたのである。


 守屋は母がいなくとも、寂しくはなかった。

 だけど、ただ。今この時に。慰めて欲しかった。

 頑張った、と言って欲しかった。

 甘えたかった。


 でも、母はここにはいない。

 たとえ、今顔を合わせたところで、彼を抱きしめる姿は想像出来ず、殴られるだけであろう。


 キッチンで買い置きしていた総菜パンを腹に押し込むと、守屋は自室に入り、すぐにベッドへと身体を投げ出した。


「はぁ……」


 長く、息を吐く。

 このまま眠ってしまおうか、と思った時、ふと駿の言葉の一部が蘇る。

『アーヤを探して、ここから逃げてくれ』

 無視しても、良かった。だが、守屋の耳からその言葉が離れない。


「(アーヤか……)」


 親しくしている友人の1人であるが、特に思い入れがあるわけじゃない。

 いつも無表情で、何を考えているか良く分からない。

 彩香の発言で、どれだけ守屋の心が傷付いたか。


「(でも……)」


 その分、守屋の心を暖かくもしてくれた。

 母がしてくれなかった『心配』と『思いやり』があった。


「(さてと……)」


 守屋は自分の臆病さと彩香に対する気持ちを天秤(てんびん)にかける。


「(命を張るまで、する必要があるか?)」


 弱気な彼が、そう(ささや)いてくる。


「(また、ミッツのように見捨てるつもりかよ?)」


 彼の罪悪感が、彼に強く訴えかけてくる。


「どうすればいい?」


 守屋の言葉に返ってくる返事などない。

 彼は、1人なのだから。


「何をすれば、いい?」


 わからない。


「どっちをやればいい?」


 わからない。


――それじゃあ。


「何がしたくない?」


 それは、分かる。


「(怖いのが嫌だ。鬼に追われるのが嫌だ。疲れるのが嫌だ。ミッツを死んだのが嫌だ。カッコ悪いボクが嫌だ)」


 守屋は天井を見つめて、思う。


「(そして何より、後悔して苦しむのが嫌なんだ)」


 そこまで迷って、守屋はようやく決心する。


「(逃げよう、みんなで)」


 こんな弱虫な守屋では立ち向かうなんて到底無理だ。

 ただ、逃げる。

 自分自身が傷付かないように。誰かが亡くなり、自分の心を傷付けないように、みんなで逃げるのだ。

 守屋には、まだその方法が浮かんではいない。

 だが、


「とりあえず、アーヤを探してみよう」


 最初の目標は決まった。







 駿と茜の2人は、守屋と逆の方へと進んでいた。

 多分、一旦家に戻っていると予想したからである。


「鬼がいないなー。んじゃ飯にでもすっか」


 垣根の上で腰を下ろすと、駿はポケットの中からビスケットを取り出す。


「ホントならチョコが良かったんだけどなぁ。夏はポケットに入れとくと溶けちまうからなぁ」


 袋に入った内の何枚かを茜に手渡し、ビスケットを口の中に放り込む。


「いただきます」


 茜も何だかんだいってお腹を空かせていたらしく、駿の横に腰掛けビスケットを(かじ)る。


「あ、しまった。水持ってくんの忘れてたぜ。これじゃあ喉渇いちまうよ」


「ここに井戸があるから貰えばいいんじゃない?」


 茜の真後ろに、個人所有の井戸があった。

 未だに使い続けているからか、汲み上げ式のポンプはサビがあまりない。


「そういうの、窃盗罪っていうんじゃねぇの?」


「借りました、って言って、後でここの人にその分、水道水をあげればいいのよ」


 間違った大人の仮面を捨て、茜は井戸から水を出す。

 そうして2人で水を飲み合って。


「(そういえば、今ってシュンと2人きり)」


 茜は意識した途端に彼女の心臓がペースを上げ始める。


「ねぇ、シュン――」


「鬼だ!」


 駿の一言で茜の甘酸っぱい気持ちが霧散する。

 この状態をぶち壊してくれた鬼を恨みがましく睨んでやる。

 窓に反射して、鬼の姿がある。


「(アタシ達の背後に!?)」


 茜が急いで振り向くも、そこには何もいない。


「逃げるぜ!」


 だが、そこに留まっている理由はない。

 垣根の上に戻り、逃走を開始する。


「(姿が見えない……?)」


 茜が後ろを振り向くも、鬼の姿はやはり見えない。


「いたぜ!」


 駿が指差した先には、鬼がいた。

 正確には、道路に設置してあるカーブミラーの鏡に映っていたのだ。


「(嘘……)」


 茜は自分の目を疑いたくなった。

 というのも、鏡に映る鬼は既に駿と茜を先回りしていたからである。


「コイツ、(はえ)ぇ!」


 実態が見えない以上、今までにない厄介さがその鬼にはあった。

 この鬼の対策は2人とも思い付かないまま、がむしゃらに村の中を走る。


「(何か、打開策はないかしら……)」


 走りながらも、茜は頭を巡らせる。

 とにかく『鬼ごっこ』に関連することを次々に頭に連想させていく。


「(逃げる……だけじゃ変わらない。相手は見えない鬼。そんなのあったっけ……?)」


「次、右に曲がるぜ!」


 駿の言葉に頷きつつも、思考は途切らせない。


「(目隠し鬼? それは鬼自身が見えないだけだし……後は何があるかしら?)」


 目的もなく闇雲に逃げるというのは、予想以上に疲れるもので。

 ペース配分など全く考えてないし、だんだん茜と駿との距離が離れていく。


「アカネ!」


「ごめん、でも……」


 披露が溜まった足は鉛のように重く、思ったように足が上がらないのだ。

 これ以上の速度など、茜には出せる気がしなかった。


「あっ……」


 途中、何かに(つまづ)いてしまい、更に減速してしまう。


「くそっ、なら――」


 駿が更に速度を上げて、


「――鬼さんこちら、手の鳴る方へっ!!」


 両手で高い音を鳴らしながら、鬼を引きつけようとする。


「シュン、何してんのよ!」


「言っただろ、お前らが逃げられるように、鬼を引きつけてやるって」


 茜に振り向くことなく、駿は走る。


「(どうしよう……このままだとシュンが……)」


 焦りそうになる気持ちを抑え、茜はひたすら考える。


「(こんな時は、一度発想の転換ってヤツよね。確か鬼は鏡に映るのよね……)」


 そこで、茜が起死回生のアイデアを閃く。

――彼女の閃きが、後数秒早ければ。不運が重なってなければ。

 駿は助かっていたかもしれない。


「(くそっ、どこにいやがるんだ?)」


 見えない相手では、鬼がどこまで接近しているのか分からない。

 だからどのくらいの速さで走ればいいのかも、分からない。


「(いっそ全力でダッシュしてみるか?)」


 だが、駿はすぐにその考えを打ち消す。

 2回目に遭遇した際、あの鬼は先回りしていた。

 それも駿達が走っていたのは一本道。後は大幅に遠回りしなければあのカーブミラーのところには出られない。

 遠回りして駿達に追いついたのだとすれば……もはや誰も叶いっこない。

 ただ、これがもし駿達と同じ道を通り先回りしているのだとすれば。

 鬼は駿達を殺さず、遊んでいるのだと考えられた。


「(ハッ、その余裕、オレが打ち砕いてやるぜ!)」


 なんの策もなく、子供時代特有の理由なき万能感で、駿は鬼ごっこに挑む。

 決して勝機はない。

 だが、テレビのヒーローは諦めないで戦い続けた。

 そして奇跡を掴み、勝ち残ってきたのだ。

 駿もヒーローを目指す身としては、諦めるはずがない。


――そんな彼に、この状況を打開することの出来る策がようやくやってきた。


 囮となった彼を追ってくる(ヒロイン)が、叫んだのだ。

 テレビなら、そこで一発逆転。

 ハッピーエンドで終わるものだが――現実にはそんな奇跡は起こらなかった。


「シュン、(かが)んで!!」


 茜は出来る限り、大きな声で叫んだ。


「(なによ、簡単なことだったじゃない。鏡。鏡がもう既に答えだったのよ!)」


 茜の辿り着いた答え。

 それはあの鬼が『鏡鬼』だということだ。

 ずっと鬼が『見えない』ということにこだわっていたせいで、見えて来なかった答え。

 だが、鏡という言葉に注目した途端に、茜は閃いた。

 『掛詞』。

 今風でいうならば、駄洒落というのが近いだろうか。

 一番有名な例としては『ふとん が ふっとんだ』みたいな感じである。

 『布団』と『吹っ飛んだ』という2つの言葉。

 意味合いは違うものの、読みが同じというもので、現在ではあまり面白いものとはされてはいないが、昔は短歌になどに用いられていたものだったりするのだ。


 ここで話は『鏡鬼』というところに戻る。

 『鏡』という言葉に近い読みでは『屈む』という言葉がある。

 つまり屈んでしまえば、鬼は捕まえることが出来ない。

 

 実際、茜の発想は間違いでは無かった。

 しゃがんでしまえば、あの鬼は捕まえることなど出来なかった。

 ただ、タイミングが絶望的に遅かったのだ。


「えっ? かがむ?」


 一瞬のこと、駿の頭の中で『屈む』という言葉が出て来なかったのだ。

 ここで『しゃがめ』と言っておけば彼の運命は変わっていたかもしれない。

 だが、ここで茜を責めることは出来ないだろう。閃いただけでも、凄いことなのだから。

 ただ、駿の運がなかったのだ。

 ある家でたまたまゴミとして鏡台を門の前に出していて。

 偶然そこに駿が通ってしまっただけなのだから。


「なっ……!!」


 そこを走って横切ろうとした瞬間、駿の足に何かが掴んだ。

 "それ"は鏡の中から伸びてきており、駿の力では振りほどくことが出来ない。


「くそっ、離せっ!」


 もう片方の足で彼の足を掴んでいる鬼の手を蹴飛ばすも、強力な力のせいで離れない。

 そうしている間に彼の身体は徐々に鏡へと吸い寄せられていく。


「シュン!」


 茜の叫びもむなしく、駿は鏡の中へと吸い込まれていった。


「イヤァァァァァァァァァァァ!!!!!!」


 冷静な態度を崩し、取り乱しながら彼女は鏡へと走る。


「シュン、シュン、シュン!!!」


 必死に鏡へと呼びかけるも、駿の姿どころか鬼の姿まで無かった。

 鏡に映るのは――彼女の顔だけ。


「イヤァ!! 返して、シュンを返しなさいよっ!!」


 近くにあった石を握り、恨みを込めて鏡に叩きつけようとするも――直前で止める。

――こんなことをして、もしシュンが出られなくなったら?

 そう考えると、彼女はもう何も出来なくなってしまう。


「(どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウ……)」


 先程まで冴えていた脳みそはどこへと行ってしまったのか。

 茜の頭を占めるのは『どうしよう』という言葉のみ。

 そして、そんな彼女には、もう考える時間も後悔する時間もあまり残っていなかった。


「あれ……?」


 頭を掻き(むし)り、狂乱した茜だったが、すぐに自分の身体の違和感に気付かされる。


「足が、動かない……」


 どういうわけか、上半身はまるで問題ないのだが、下半身は思ったように動かない。

 足踏み程度なら可能だが、前に一歩進もうとするも、全く出来ない。

 逆もしかりで、後ろにも下がれない。横も斜めも。

 まるでこの場で縛られているかのような……。


「あっ……」


 足元に視線を落としたところで、気付く。

 後ろに、誰かがいると。

 そしてその誰かが、茜の影を踏んでいることに。


「(『影踏み鬼』……)」


 ルールとしては鬼役の人が影を踏んだら、役割が交代となるのだが、地域によってそのルールが変わってくる。

 茜の住む村では、鬼役に影を踏まれたら動けない、というルールだった。

 後は鬼がタッチしたら交代というところは変わらない。

 その遊びでの救済措置として、他の誰かが腕を引いて鬼がその子の影から足が離れれば動くことが出来る、というものがある。

 が、茜の近くには、影を踏む鬼以外、誰もいない。


「イヤ……」


 茜の拒む声に、鬼は躊躇うことなく近付いていく。

 そしてその手に持つ金棒で、茜の腹に一振り。

 グシャッ、という音の後、何かが砕けた音が続く。

 金棒は横に振られたのだが、茜はその場から一歩も動くことはない。

 その衝撃は逃げることなく茜の身体に全て届き、破壊したということだ。







「家につくまでいないと思ったらこれだよっ!」


 守屋は家を出てすぐに、鬼に追われる羽目になった。

 彼としては慎重に、壁に背中を当てて隙をなくしたつもりでいたのだが、無駄に終わる。

 ただ、逃げるまでのタイムラグを稼いでしまっただけであった


「(ボクはスパイに向いてないかも)」


 自分の足の遅さと隠密性のなさにガックリとしながら、守屋は走る。

 現在、追ってきている鬼は『色鬼』だ。

 前と同じ鬼ではあるのだが、体表の色が違う。

 赤ではなく、真逆の青色なのである。


「(青ってどこにあるんだよぉ!)」


 村の建物はほとんど茶色が中心で、赤や青など派手な色なんかは使われていないのだ。

 あっても白とか黒とか。紫は村長の家の屋根に使われているが。


「(青、青、青は……確かミッツの服がそうだった)」


 しかし充だったもの(・・・・・・)があるのは、山の中。

 しかもその青も血によって赤く染まっている可能性もある。

 思い出してしまったせいで、彼の中で罪悪感と吐き気と申し訳なさが増えていく。

 ここでもし、守屋が昔では現在でいうところの『緑色』でも青と呼んでいると気付けば、簡単に事は解決していたかもしれない。

 だが、守屋は気付かなかった。

 彼は馬鹿正直に『青』を探し続ける。

 そしてなかなか見つからないことに守屋は苛立ちを覚えたが、この場を切り抜けられる可能性のある方法を思いつく。


「(そういえば、家の中にまで鬼が入ってこないんじゃ……?)」


 守屋は家の中にいた時は鬼が一度も訪れなかったのだ。

 もしかしたら、と守屋はこの可能性に希望を託し、近くにあった庭から家へと土足で侵入する。


「(これで……!)」


 だが、鬼も全く躊躇(ちゅうちょ)なく入ってくる。


「そんなに都合が良くないか、チクチョウ!」


 飛び込んだのは村長の家ということで、逃げ回れる広さはまだあった。

 そこは守屋としても幸運なところであろう。

 そしてまた、幸運は重なる。


「……てーい」


 気の抜けるような声と共に、上から何か小さな物が降ってくる。


「痛っ!」


 強く投げつけられたのか、小さい物が守屋の肌にヒットした際、少々のダメージを与える。


「なんだよ、これ?」


 鬼に追いかけられていて忙しいのに、何が降ってきたのか。

 肩に乗っていた物を掴み、確認してみると。


「豆?」


 種類としては大豆。なかなかの硬度がある。


「っとそれよりも鬼が……!!」


 と守屋が走りながらも後ろを見るも、その姿が見えない。


「あれ……?」


「……すーやん、大丈夫?」


 豆と同じように、上から声が聞こえてくる。

 この声の正体は探し人の、彩香であった。


「探したんだよ! ……アーヤさ、もしかして今までここにいたの?」


「……うん」


 守屋とは違い、随分と余裕がありそうで、全身の力が抜け、彼の尻が地面へと吸い寄せられていく。








「……ところでみんなは?」


 このまま庭に座り込んでいるのも何なので、守屋は彩香の家に上げてもらっていた。


「相変わらずマイペースだね」


 守屋は苦笑いすると、自分の知っていることは全て吐き出した。


「……ミッツが。……そう」


 無表情から一転し、悲しげな表情を見せる彩香に守屋が慌てる。

 彼女の無表情以外の表情を初めて見て、どう反応していいか、わからないのだ。


「ご、ゴメン」


「……なんで謝るの?」


「でも、ゴメン」


「……ミッツが死んじゃったのは、すーやんのせいじゃない」


「でも、ボクは……」


「……私も、みんなに黙ってたことがある――」


 彩香が皆に隠していた事。

 それは彼女の祖父である村長から教わったことだった。

 彼女の家系はどうやら古くから、知る人は知る、有名な巫女を輩出するところだったらしい。

 あの洞窟にあった祠も、彼女の先祖が封印を施したものであった。

 が、いくら幼い彼女とはいえ、そんなことを信じるはずも無く。

 彼女は、『身内に詐欺師がいっぱいいるんだ』、としか思えなかった。

 そして今、祠の封印を解いてしまったことで、こんな事態になってしまったのである。


「……私が前もって説明しとけば」


「多分シュンやアカネは信じなかったと思うよ」


 弱気な守屋と、普段から自主性の低い彩香。

 あの時、制止するのが1人増えたところで結果は変わらなかっただろう。


「そういえば、まだ助けてもらったお礼を言ってなかったや。ありがとう」


「……別に友達を助けるのは当たり前」


「でさ、この豆であの鬼を追い払ったの?」


 守屋は先ほど拾った豆をズボンのポケットから取り出し、彩香に見せる。


「……うん。……豆って悪魔の魔に、滅亡の滅って書いて、『魔滅』って意味もあるんだって、お爺ちゃんから聞いたの。

 流石にあの鬼は消えなかったけど」


「それでアーヤが家に戻ったのは……」


「……豆を取りに来たのとお爺ちゃんに相談したくて。……でもいなかった」


「そういえば、いないね」


 守屋が近所のおば様方から盗み聞いた話では、村長は最近腰を痛めたとかで、家に籠もったままだと言っていた。

 家族である彩香に黙って突然出かけるなど、考えにくい。

 更にこの家の中は、静か過ぎる。まるで守屋と彩香以外は誰もいないかのように。


「ねぇ、アーヤ。家族の人は?」


「……今はいない」


「これって、おかしくない?」


「……たぶん、封印を解いたせいだと思う」


「もう一度、封印すれば元に戻るかな?」


「……わかんない」


「封印の方法も?」


「……わかんない」


 鬼への対抗手段が見つかり喜色満面だった守屋の顔から、喜びが抜け落ちる。

 だが、このまま落ち込んでいても仕方ない、と守屋は気持ちを切り替えた。


「もしかしたら、お札を全部また貼れば元に戻るかもしれないし、シュン達と合流してみない? 豆も渡しておきたいしさ」


 守屋の提案に彩香は小さく頷くと、2人で台所に向かい出来るだけ多くの豆を持ち出すことにした。








「シューン! アカネー!」


 大声で叫ぶと、鬼までやってきそうであったが、守屋は彼らと早く合流することを優先した。

 豆という武器もあることから、心に少し余裕が出来たのである。


「いないね」


「……うん」


 守屋が腕時計を確認してみれば、もう早くも午後の3時。

 おやつで小腹を満たしている時間帯である。

 駿と茜を探し始めてからしばらく経過したが、なかなか守屋の声に反応が返ってこない。

 ここは、そこまで大きな村ではないし、子供の足でも一時間もあれば全部回れる。

 ここまでで、守屋と彩香が遭遇したのは足の速い小鬼くらい。

 その小鬼も、2人の豆の弾幕によって退けられて、いなくなってしまったが。


「もしかして、村から出ちゃったのかなー」


 守屋は駿の言葉を思い出し、そう判断する。

 時間が経てば冷静になれるもので、今の守屋に駿への怒りはなかった。

 茜の去り際の言葉を呑み込み、理解することが出来た。


「(悪戯で、つい封印を解いちゃっただけなのに殺されなきゃいけないのが、おかしいんだよ)」


 そう心の中で守屋は悪態を吐くが、


「(人を殺すような鬼だから封印されたのか)」


 とすぐに納得することとなる。

 そんなものを呼び起こしてしまった愚かが、今になって気付かされたのだ。

 この一日だけで、守屋の心にどれだけの恐怖が積もったことだろう。

 もはや心が麻痺してもおかしくはないだろうが、守屋はまだ怖いと感じることが出来ていた。

 隣でのうのうと歩く彩香とは違い、第三者から見れば挙動不審と疑われるくらいに首を動かし、警戒を続ける。

 そんな彼の行動に、結果が伴ったのは、果たして幸か不幸か。


「ん?」


 普通だったら、直進しか進めない道。

 だが右手の方に、子供くらいなら通れる、家と家の間に出来たスペースが存在する。

 特にそこはショートカットとして使えるところでもないし、せいぜいそこに住む人の茶の間が覗けるくらいしか出来ない、そんなところの奥の方に。


「あれは、靴?」


 彩香に声をかけ、急遽そちらへ向かうこととする。

 そして、近くで見てもやはりそれは靴だった。しかもそれは――


「……これって、あかねの?」


 彩香が拾い上げ、顔の近くにまで持ってきて、良く見るが、どうやら間違いないと判断したのか、首を縦に振る。


「これは、途中で自分から脱いだってことはないよね?」


 守屋は自分で聞いておいて何だが、結論は彼の中で既に出ていたのだ。


「(逃げるのに必死で、脱げたのに気付かなかった、とか)」


 もし守屋の予想が正しいのならば、2人――少なくとも茜が危ない。


「急ごう!」


 駆け足で道なき道を抜けるとそこでは――守屋が最近嗅いだことのある匂いがしていた。

 生臭くて、鉄っぽい、あの匂いだ。


「うっ……」


「……なんか、変な匂い」


 彩香の方はどうやら検討がつかないからか、しかめた顔をしているものの、守屋の顔よりも断然軽い表情だった。

 守屋の中の嫌な予感は、もはや確信へと変わってしまっていた。

 彼は逸る胸の鼓動を抑えるように、荒く呼吸を繰り返すが、むしろその動きは速くなっていく。

 匂いを辿った先。

 そこには、見覚えのある顔。


「ア、カネ……?」


 ただ、その人物は変わり果てた姿をしていた。

 その足はしっかりと地面に立っているというのに――その上には腰が存在しない。

 だが、その少し横には……グチャグチャとなったそれらしきものが見える。

 

 彼女の今の状態を、守屋の知っている言葉でいうのなら……だるま落としで真ん中がない状態、といえばいいだろうか。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッッッ!!!」


 守屋は、腹から叫んだ。

 自らの身のことなど考えず、喉が嗄れるのも(いと)わないで。

 ただただ、叫んだ。

 横に並ぶ彩香は、対照的に静かに涙を流すだけ。

 ただ膝から崩れ、もう立ち上がる気力がないくらいに、顔から絶望した表情が浮かんでいた。

 友人の死を聞いた。

 だが、それは間接的に聞かされたもので、彼女の精神はまだ耐えられていた。

 今回は、違う。

 直接的に、彼女の目を通して、これを見た。

 目を瞑ろうとも、衝撃的な光景は網膜に焼き付き、彼女の意識から逸らすことは出来ない。


 守屋と彩香は、動けなくなっていた。

 動く気力すら、2人には湧いてはこない。

 しかし、彼らの他に動く気配があった。

 それはだんだんと、2人の元へと近付いていく。

 その存在にまず気がついたのは、守屋だった。

 泣くのに疲れ果て、そっと彩香の様子を(うかが)った時だった。

 視界に入ってくる、異物。

 日常には、存在しないであろう存在。

 彼にとっては既にフィクションの存在ではなく、恐怖の象徴にまで印象付けられた、鬼。

 見ているだけで身体の底から寒気が這い上がり、歯をガタガタさせるような、悪夢の塊。


「アーヤッ!」


 先ほどまでのショックを、弱気な守屋は目の前の脅威で覆い隠し、即座に放心状態から立ち直る。

 彩香の手を引いて、守屋は駆け出そうとする。

 だが、彩香には心のダメージが大き過ぎて、動けないでいた。

 守屋の引っ張る力では、あまりにも弱過ぎて。

 2人で逃げ(おお)せるには、速さが足りなかった。

 手を引く形で必然的に守屋の後についてくる形となった彩香が、まず鬼に捕まった。

 その直前に彩香は守屋の手を振り払い、彼を逃がそうとする。

 捕まった際に、わずかに正気に戻った、彼女が鬼にした最後の抵抗だった。

 

 その鬼は、他の鬼とは違い、彩香に対して乱暴を振るうことはなかった。

 ただ、触れているだけ。

 だが、その触れているだけでも、彼女の身体に変化を及ぼしていく。

 細く、白く、柔らかそうな彼女の肌がだんだんと硬質的になっていく。

 それはまるで、氷のように。

 彼女の身体をカチコチに固めてしまったのだ。


 その間、守屋は何をしていたかと言えば。

 本当に今更、豆の存在を思い出し、鬼に向かってそれを振りかぶっていた。

 今までの鬱憤を晴らすかのように、全力でそれを投げつける。

 すると、鬼はなんだか苦しげな表情を浮かべ、その場から去っていく。


「……くそっ」


 鬼を追い払ったのはいいが、守屋の顔は浮かない表情をしていた。

 また、友達を見捨ててしまったのだ。

 それが彩香の意思であろうとなかろうと、関係はない。

 こんなんで生き残っても、守屋はちっとも嬉しく思わない。


「アーヤ……」


 守屋は、彩香の肩に軽く触れる。

 もう人ではないかのように、その肩は硬い、彫像のようだった。

 だが、それは一瞬のこと。

 時が止まっていた彩香が、守屋の接触であっさりと、再び動き出す。


「……あ、れ?」


 不思議そうにする彩香を前にして、守屋はへなへなと地面に座り込んでしまう。


「良かったぁ」


 守屋が感じていた安堵は、とても、とても大きいものだった。

 鬼から逃げ切れなければ、待っているのは死しかないと、思っていたからだ。


「(そういえば、どうしてアーヤは助かったんだろう)」


 充や茜のように、明確な死を見てきてしまったので、あまりに拍子抜けだったのだ。


「(追ってくる鬼にも、性格ってものがあるのか?)」


 疑い出したら、止まらない。

 だから、守屋はそこで考えるのをやめておいた。


「……すーやん、ごめん」


「何が?」


 彩香から謝られる理由が分からず、守屋は聞き返す。


「……私が動けなくて、すーやんも一緒に死んじゃうところだった」


「でも、ボクたちは生きてるじゃない」


 守屋は励ますように、無理やり顔に笑みを作るが、全然うまくいかない。


「(ボクらが生きていて、なんでアカネ達が生きられないんだよ……!)」


 悔しさと、悲しさと、怒りと。

 色々な感情がごちゃ混ぜになり、どんな顔をしていいのか分からないのだ。


「だからアーヤが謝る必要は……」


 そう守屋が言ったところで、彩香が目の前からいないことに気付く。

 どこに行ってしまったのか、と不安になって目を動かすが、簡単に彼女の姿を発見できる。

 彩香は、茜の元へと駆け寄っていた。

 そして血まみれになるのも構わずに、茜の身体をまさぐっているようだった。


「何やってんの……」


「……あった」


 守屋が声をかけたのと同時に、彩香の探しものを発見する。

 それは――例の御札だった。


「……すーやん、これ」


 茜の御札に彩香のも加え、守屋に手渡そうとしてくる。


「でも……」


「……あの時、私は動けなかったけど、すーやんは動けてたから。……適任だと思う」


「そうじゃなくて……茜を触って……辛くないの?」


 守屋にとっては、今の茜を見ているだけでも辛かった。


「……辛いけど、それはすーやんも同じでしょ?」


 そうやって、守屋に2枚の御札を押し付ける。

 彩香は、もう泣いてはいなかった。

 普段は隠している感情が表に現れたのか、目には強い意思のある光が宿り、この惨劇を終わらそうという覚悟が見える。


「そうだね」


 守屋は、手に握らされた御札に視線を落とす。


「(これは、2人の託された思いだ)」


 そう、守屋は思い込むことで未だに震える自分の恐怖を何とか抑えつける。


「そういえばさ、シュンはどうしたんだろう?」


 茜のことで手一杯であったが、一段落ついたところで今度は駿のことが気になっていく。


「(目の前にいる茜を見捨てるはずがないもんな)」


 洞窟の前にいた時は、いきなりのことで皆してバラバラに逃げたものの、駿は一緒に逃げる友を見捨てるような人間ではない、と守屋は確信していた。

 彼の目指していたものは、ヒーローだったから。

 それに守屋に対して、約束をしたから。


「……あ」


 そう守屋が考えている間に、彩香が鏡の前で御札を見つける。

 そう、不自然にもそこにあるのは御札だけだった。


「(シュン……)」


 そこで、守屋は静かに悟る。

 駿の影も形もありはしないが、確かにここに駿がいたのだ。

 駿がわざわざ持っていた御札を捨てて逃げるなんて、見捨てるよりも考えられない。


「(何かが、あったんだ……)」


 これで、生き残ったのは守屋と彩香の2人だけとなった。


「(ボクかアーヤがなんとかしないと、いけないのか)」


 不可思議なことに、洞窟を入った5人以外の人間は、ここには存在していなかった。

 村の皆消えてしまったのか、それとも守屋達が別のところに消えてしまったのか。

 とにかく、他の助けは得られない。


「行こうか」


「……うん」


 そうして2人は、微かな希望を胸に、山の方へと向かっていく。








「くそっ……!!」


 守屋と彩香が充の御札を回収して早々に、まず最初に出会った鬼が現れた。

 2人は即座に豆を投げつけるが、あまり効果は得られず。

 せいぜい足止め程度にしかならない。

 そんな彼らが苦戦しているところに、また新しい鬼が現れる。


「あれは……『色鬼』?」


 茜の説明を思い出し、その鬼の種類を判断する。

 その『色鬼』の現在の色は、黄色。

 ちょうど近くに向日葵の花があったために、それに触れることでなんとかやり過ごす。

 そして、彼らが休む暇もなく、次は『高鬼』の姿だ。

 木に登っている暇などなく、守屋は仕方なく数少ない豆を撒き、『高鬼』を追い払う。


「アーヤ! そっちは豆の方は大丈夫?」


「……ごめん、もうない」


 あの一際大きな鬼に相当な豆を使ってしまっていたのを、守屋は後悔する。

 あの時はてっきり2人は量が多ければ退けることが出来ると思っていたのだ。

 これで、守屋と彩香には、鬼に対抗する手段がなくなった。

 後は純粋に、本物と『鬼ごっこ』で勝負するしかない。

 守屋と彩香は、必死に腕を大きく振って、足を動かす。

 行きと同じく、草を掻き分け、踏み潰しながら前へ前へと進む。


「もうすぐで、洞窟だ!」


「……!! ……すーやんっ!!」


 洞窟の方にしか目をやっていなかった守屋に、いきなり彩香が突き飛ばしてくる。

 前のめりとなり、あやうく転けそうになったが何とか踏ん張り持ち堪える。

「アーヤ! いきなり何を――」


 足を止めず、守屋が振り向いて見れば。


「また、お前か……!!」


 『氷鬼』が彩香の時間を再び奪うところであった。


「早く洞窟に行って!!」


 彩香は身体が固まってしまう前に、守屋に叫んだ。


「あとで、必ず助けるから!」


 守屋は強く、強く胸にその思いを刻み、ひたすらに足を前へと運ぶ。

 体力の限界など、気にしない。

 酸欠気味になった守屋の意識が薄れかかっても、彼は足を止めなかった。

 ただ、この悪夢を終わらせるために。

 洞窟に飛び込み、明かりもつけず突っ走る。

 前のめり過ぎて勢い良く転んでしまうも、また立ち上がる。

 膝に感じる痛みなど、気にしない。

 守屋は、止まらない。

 あの祠に辿り着くまでは、決して止まることなんてないと、自分に必死に言い聞かせてながら。







 そして、お目当ての祠に辿り着いても、守屋は気を抜くことなく祠へと駆け寄る。

 そしてズボンのポケットに突っ込んでいた御札を素早く取り出し、祠へと貼りつけた。


「これで……どうだ?」


 守屋の期待していた変化は……訪れない。

 試しに扉を何度も開閉させるも、やっぱり何も変わらない。


「元に戻すだけじゃ、ダメだったのか……」


 ここで、守屋の心が完全に折れた。

 背中の方から感じてくる威圧感に、抵抗する体力も気力も、欠片ほどにも残っていない。

 

 そして守屋は、静かに目を瞑り、自ら意識を手放した。








「んう……?」


 ボヤけた視界を正すために、守屋は手でゴシゴシと目を擦る。

 目を瞑っていたら、どうやら眠りこんでいたらしい。

 グッと上に伸びをして、守屋はこう思った。


「(ボクは、死んだのかな?)」


 そう思って守屋は足を見てみると、まだついているのが確認出来た。


「ここは……」


 尻の下から感じる、柔らかな草の感触。

 決して洞窟の中のような、ゴツゴツとした感じは決してしない。


「あれは、夢?」


 キョロキョロと視線を彷徨わせると、駿、茜、充、そして彩香の姿があった。

 それも、誰もが血を流していたり、身体が変形していたり、ということはない。


「ったく、こんなところでいつの間にか寝ちゃってたのか……」


――偶然にしては、出来過ぎている。

 初めに異変を感じた時と、同じ感想が浮かんでくるが、守屋は無視することにする。

 それよりも、もう空が赤くなっていたので、皆をすぐに起こす。

 上に広がる赤色は、あの時とは違って、鮮やかなものだった。


 これで、彼らの悪夢は、終わった――わけではなかった。


 この話には、まだ後日談が存在するのだ。


 あの後、守屋は他の4人にも自分が夢だと思っていた内容を皆に聞かせると、自分も見た、という答えが返ってきた。

 その答えに、守屋はあくまで偶然だと、そう決めつけた。

 だが、その考えもすぐに変わることとなる。


 まずは、その翌日。

 充が自宅の前で死亡していた。

 死因は屋根からの飛び降り自殺とされており、頭部から落ちたのかその頭は原型を留めてはいなかった。

 ただ、不思議なことに、首から下は全くの無傷だったという。


 その数日後。

 今度は駿が行方不明となった。

 初めは早めの反抗期で家出でもしているのだろうと思われたが、1週間経っても彼が帰ってこないということでその考えは変わることとなる。

 村の大人達総出で、いなくなった可能性の高い山全体を捜索するも、見つからず。

 ある村人が駿の母親に、最後に見たのはいつかと尋ねるも、覚えていないという。


 奇っ怪な事件は、まだ続く。

 今度もまた、彼らの友人である茜が亡くなった。

 死因は、トラックに引かれて即死したと推測されたが、その日トラックを動かした者は誰もいなかったという。

 誰かが嘘をついている、とその日は大騒ぎとなったものの、結局犯人は現れず。

 一部の村人で村にあるトラック全部を調べてみると、茜がぶつかった跡らしきものなど全くなかったという。

 また、彼女の死体であるが、充と同じように彼女の腰辺り以外は全くの無傷だったとか。


 それからまた数日後。

 今度は流血はしなかったものの、村長の孫である彩香が亡くなった。

 死因は、今度は脳死だという。

 いきなりのことで、都会の大きな病院にまで運んで調べてもらったものの、脳死となった明確な理由は分からないという。

 

 こうして変死やらは、最後に守屋という少年が亡くなったところでピタリと止むこととなる。

 彼は友人が亡くなった時点で、自宅の部屋に引きこもってしまった。

 彼の父親によれば、その部屋では死んだんじゃないかというくらいに物音一つしなかったということで、何度も守屋のことを確認していたとか。

 それでも中を見て、息子が生きていることが分かると大変安心していたという。

 守屋が亡くなるちょうど前日に、彼の父親は急遽辞職し、この村から離れようと考えていたらしい。

 その日は夜遅くまでここから出て行く準備をし、その当日。

 守屋を起こしにいった彼の父親。

 耳の近くで何度も大きな声を出すも、反応がない。

 頬を叩いたり、身体を揺すっても守屋の反応が返ってこないところから、まさかと思い彼の心音を確認。

 やはり、その心臓の動く音は聞こえなかったとか。

 そんな彼の死因も、やはり良くわかっていないらしい。

 ある医者の考えでは、老衰に近いと言われている。







 こうして、子供の一つの悪戯から発展した事件は終えた。

 だが、彼ら5人の悪夢はまだ終わってはいなかった。

 

 三途の川で、また新しい鬼と永遠と対面しないといけないのだから。

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