夢見草と闇の魔女
遊森謡子様企画、春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)に参加させて頂きました。
●短編であること
●ジャンル『ファンタジー』
●テーマ『マニアックな武器 or 武器のマニアックな使い方』
目の前には申し訳なさそうにしょんぼり肩を落とす少女がいる。丁寧に正座をして、両手を膝の上に揃えて丸くしている。もう数十分もこのままの姿勢だから、そろそろその細い足が痺れているのではないかと思う。
目じりがほんのり赤くなっているその顔は、つつけば泣きそうだとぼんやり考えた。
少女の、湖の色に似た薄い水色の瞳がおずおずと合わさった。
唇を噛んだ少女は、上目づかいで細々と口火を切る。
「……怒って、ないですか?」
「……怒るも何も」
我ながら感情のない声だと感じつつ、性分だから仕方ないと諦める。このジレンマは昔、少女に会ってからずっと繰り返してきたことだ。
「怒っても状況が変わるわけじゃない」
また目の前の少女が目に見えて落ち込んだ。
悪いような気がするが、事実だから仕方がない。
フィンはひとつため息をつく。途端に少女がびくりと体を強張らせたので、さすがにやりすぎたかと慌てて息を飲んだ。
周りは穏やかに風がそよぎ、少し見渡せば緑の木々が生い茂っている。
ここは近くにある魔導学校の、訓練用に開かれた森エリアだ。もともと、昔からあった自然のものを壊さない程度に最低限手入れをし、生徒たちが自由に出入りできるよう整えたものだという。
住み込んだ魔物たちの強さが、学校に通う生徒たちの良い練習相手になるのだそうだ。もちろん奥深くに進めば進むほど相応に強くなっていくので、生徒たちが出入りできるのは比較的入り口近くだけだが。
その対魔物・および森の探索の訓練ができる森をしばらく入ったところが、今の場所である。
ふと、視界の端に踊る薄桃色に気が付いた。ひらひらと気紛れに風に流され、それは森の中へ飛んでいく。
フィンたちが座るのは小高い丘だった。森に入り数時間歩くと、突然開けた場所に行きつく。
丘の上は、そこに一本だけ立つ木のためにあるような場所である。
花びらが流れた方向に視線を向けると、薄桃色が視界を埋める。
普段は緑色の葉を茂らせる何の変哲もない木だが、ある一定の時期になると葉がすべて落とされ、代わりに薄い桃色の小さな花を枝いっぱいに咲かせる。珍しいこの花は、微量だが魔力を帯びているらしい。
この場所にしか生えていない〝サクラ〟と呼ばれる木である。
「……見事に咲いているもんだな」
思わず状況を忘れて感嘆の息を漏らすほど、その風景は美しい。フィンの意識が逸らされたのに気が付いたのか、少女が慌てた声を上げた。
「あ、あんまり見ちゃダメです! サクラは花が咲いていると誘惑効果がありますから、見すぎると木に取り込まれてしまいます!」
「…………」
せっかくの風流が台無しである。
魔力を帯びたこの木は、花に誘われて寄ってくる生き物の生気を奪ってしまう。木の下で眠りにつくと二度と目覚めることができないらしい。
「……けど、お前はさっき誘惑にかかったんだよな」
「うっ……」
ぎくりと肩を強張らせ肩を落とす少女には悪いが、誘惑が原因で〝呼び出された〟己としてはたまったものではない。
そよそよと流れる風は暖かく、空には太陽が煌々と昇っている。天気を見れば見事な快晴だ。普通の者にとってはのどかで過ごしやすい空気なのだろう。
そう、〝闇の精霊〟である己にはものすごく場違いなほどの。
「…………」
己は〝闇〟の属性、〝夜〟の眷属である。つまり、明るいところで呼び出されたところで何もできない。
行使できる魔法はあくまで〝夜〟を媒体とするものだ。例えば夜の闇に紛れて気配を消すことができたり、夜目を凝らすことができたり、周りをちょっと暗くしてみせたり、その程度である。
今、かろうじて役に立てそうなことといえば影を動かすことぐらいだが、今の状態では少し移動できるくらいがせいぜいだろう。
この役立たずな状態で呼び出されて、用事があるのなら百歩ぐらい譲って良しとしよう。
だが、今は〝間違えて〟呼び出されたらしい。
完璧に、呼び出され損である。
「ごめんなさい……」
目の前の少女も状況を悟っているのか、先ほどから謝ってばかりだ。フィンはぼんやりと視線を上げ、少女を観察する。
薄い色の髪がさらさらと肩口に落ち、湖の青色の瞳はほのかに揺れている。
華奢な体を包むのは緑を基調としたブレザーとスカートで、魔導学校の制服だ。少し泥で汚れている。頭の上に乗せられた帽子にささる羽根の色が学年を表し、薄い青のそれは高等部であることを指すらしい。
今は座っているせいで地面に置いてある重そうなバッグと、それなりに使い古された頑丈なブーツ。一応は探検仕様の格好らしいが、頼りない空気は変わらない。
すっかり見慣れたその姿は、フィンにとって本来不本意な感覚のはずだった。
「謝るくらいなら俺を召喚び出すな。……明るい場所で呼び出されても何もできないんだが」
「うぅぅ」
「…………あー、魔力が足りん」
召喚時に中途半端な形で呼び出されたのと、本来活動しない〝昼〟の領域なため、己の中にある魔力がすっからかんになっている。飢餓感のような空腹感のようなものに苛まれ、今の状態ではそれを満たすこともできないからこそ眉を寄せてしまう。
少女が顔を上げた。
「あっ、じゃあ名前を呼んでください! そしたら私の魔力をあげられます!」
「アンタだって人にあげられるほど残ってねェよ。ただでさえ少ない魔力が俺を呼び出したせいで更に少なくなってるし」
冷たく切り捨てれば、少女はショックを受けた顔をした後、よろけて地面に両手をついた。
「……召喚ぶつもりはなかったんです」
「知ってる」
先ほど聞いた口上を思い出し、フィンは視線を逸らす。
見た目ほど怒っているわけではないのだ。少し呆れてはいるが、心の底で感心もしている。
これでもフィンは、〝闇の精霊〟の中でも〝ニンゲン〟の姿を取ることができる、上級の位にあたる精霊である。
精霊は人間と見分けがつかないその容姿であればあるほど力が強いことを表す。黒い髪と黒い瞳を持つ少年姿のフィンは、その容姿のみで力を示しているようなものだ。
それゆえ、本来フィンを呼び出すためには決められた条件を揃え、魔方陣を描き、手順を踏んで召喚の詠唱を行わなければならない。
しかしこの少女はいくら〝主従契約〟を結んであるとはいえ、その面倒臭い工程を一切すっぽかし、ただの一言だけでフィンを〝召喚〟したのだ。
――――――フィンくん……っ!
泣きそうな、すがりつくような一言が召喚の呪文だったらしい。
何の拍子かそれが〝召喚〟に繋がり、中途半端な呼び出し方のため本来の力を根こそぎ奪われた状態で具現化した。ついでに目の前にいたらしい少女に頭突きを喰らわせてしまい、お互いしばらく頭の痛みに悶絶したのは余談である。
おかげで少女にかかった幻惑が解除できたらしいので、結果的には良いのだが。
「お前、何を見たんだ」
サクラの誘惑は人それぞれらしいが、その人の〝望むもの〟を桜の木の下に見せるらしい。
ふと疑問に思い問いかければ、少女が音を立てて固まった。
フィンが少女の方を向くと、少女は俯いてカチンコチンに硬直している。なんだか大量の汗をかいていた。
「……大丈夫か? なんか顔が赤いぞ」
「だだだ、だいじょうぶですっ! あとこっち見ないでください!」
「はぁ」
フィンは曖昧に相槌をうって、契約者の命令通り視線を巡らせた。
逸らせた視線は、周囲をそのまま映し出す。
今はぽかぽか明るいが、時間が経てば当たり前のように日が暮れる。それはフィンにとっては動きやすくなるのだが、人間にとっては不利になる状況だ。夜行性の魔物のほうが狂暴で、夜目も効かなくなり気温も下がる。いくら訓練用の森とはいえ、夜の魔物は危険だ。
ちらりと少女に視線を戻す。地面に着いたむき出しの膝が目に入り、眉を寄せた。
「……それで、何をすればいいんだ」
「え?」
「言っておくが今の俺は普通の人間に近い。せいぜい労働力にしかならんぞ」
きょとんと顔を上げた少女に、わざとしかめた顔を見せる。
別に、帰ってしまっても良かったのだ。
召喚は契約者の意志のもと行うが、帰還は精霊の意志でも可能である。間違えて呼び出されたのならなおさら、フィンは帰っても良かった。
おそらく少女もそう言おうとしていたのだろう。口をもごもごとさせていたから、雰囲気で察することができる。
だからこのようなことを言い出したのは、気紛れに過ぎない。
嫌そうな態度を見せるのはほんの少しの意趣返しだ。
「とにかく目的だけ果たせ。ぐずぐずしてても仕方ない」
立ち上がり、腰についた泥をはたきながらそう告げる。
学校の課題で必要だとかで、この少女が一人でこんな場所にくる羽目になった原因だ。しかもそれが赤点の補習だというから情けなさで涙が出てくる。
ここでぐずぐずしているよりは、さっさと目的を済ませる方がいい。
「……フィンくん」
「そのうちお前の魔力も回復してくるだろ。さっさと済ませるぞ」
目を伏せてそう促すと、わずかな間の後、「……ありがとう」という嬉しそうな声が聞こえた。
だが立ち上がろうとした少女が、中腰のままぴたりと動きを止める。それから泣きそうな顔をした。
「ふぃ、フィンくん」
「なんだ」
「あしが、痛いです……」
「………………」
「きゃっ」
「……」
「わっ」
「……」
「い、いたた」
「…………」
先ほどから聞こえる不協和音に、フィンはため息をついた。
フィンの背後から聞こえる小さな少女の悲鳴は、そのたびにフィンの足を止まらせる。
理由は振り向かずとも分かっている。……この少女は、何もないところで転ぶという面白い特技を持っていたらしい。
「あうぅ……」
何かに躓いたらしく、ぺたりと地面に座る少女をやや離れた場所で見つめる。このそそっかしさは呆れを通り越して感心の域に入っていた。よくもまぁ、課題のためとはいえ森に一人で入ろうと思ったものだ。
「その調子だと日が暮れるな」
「あぅ……」
「籠の中に〝地面に着く前に落ちてくる花びら〟を取らなきゃいけないんだろ」
ひらひらと舞い踊る花びらは、ちっとも捕まえられない少女を嘲るようだ。傍に落ちてきたそれをフィンは簡単に捕まえてみせる。それから少女の傍に寄ると傍らの籠に入れた。蓋付きの籠の中は、いまだ必要量に達する気配がない。
杖を着いてふらふら立ち上がる少女を、フィンは頭が痛くなる思いで見つめる。魔導師にとって杖は魔法を使うための媒体だが、この少女にとっては歩くための補助器具でしかなさそうだ。
ため息一つ、フィンは再度足をもつれさせた少女を背後から捕まえた。
「え、フィンくんっ!?」
「なんでこう、何もないところで転ぶんだ」
掴んだ腰は細く、フィンの腕が余るほどだ。華奢な体を離すと、真っ赤な顔をした少女がすぐ傍にいる。
呆れ交じりにため息を漏らせば、少女はもごもごと口を含ませた。
「こ、ここは幻惑の魔力が満ちているので……いつもより足元がおぼつかないのです」
「……それでも魔導師の卵か。思いっきり術にかかってるじゃねぇか」
「フィンくんは何で平気なんですか」
「こんなもん意識の持ちようでなんとかなる」
事実、場に満ちている魔力は少量のものだ。フィンに限らず、意識を強く持てばそれほど怖いものではない。
「お前、集中してないんだろ。何に気を取られているか知らないが」
少女は先ほどからなんとなく上の空だった。ぴしゃりと冷たく言い捨てれば息を飲む気配がある。それから目に見えて落ち込む表情に、フィンは肩をすくめた。
「……枝を斬っちまえばいいだろ。手っ取り早い」
「駄目です! かわいそうじゃないですか!」
「そう言うなら集中してくれ」
「うぅ」
視線を逸らした少女は、拗ねたように唇を尖らせ、「だってフィンくんが……」と呟いた。
「俺が何だ?」
「いえなんでもないです。さ、早く集めましょう!」
「……最初からそのやる気を出せよ」
気合充分にサクラへ挑む少女を横目に、フィンはため息をついて周囲を見渡す。
と、彷徨う視線が森の方向へ向き、動きを止めた。
瞬間、ひときわ強い風が吹き抜ける。
風にさらされて花びらが舞い踊った。中空から降り注ぐそれはさながら雪のように、二人の周りへ舞い落ちる。
零れサクラの風景の中、けれどフィンは目を細め、口を引き締めた。
「わっ」
間抜けな声がし、フィンが横を見ると少女が頭を振っている。花びらが目に入ったらしい。
気を引き締めた途端、崩される間抜けな光景に気を削がれる。
「〝サクラ〟に目くらましにされました! すごいです!」
「それはお前だけだ。……おい、遊んでいる場合じゃなくなったぞ」
「え?」
「下がってろ」
フィンはおもむろに短い呪文を詠唱した。わずかな魔力の流れを感じ、フィンの手の中にそれは具現化する。
例え己の魔力がカラに近かろうが、これだけは手元に呼び出せる。これはフィンの半身のようなものだからだ。
手になじむ細い棒は、先に半月型の刃が反り返っている。黒い色の大鎌だった。
「……フィンくん?」
呼びかけに答えず、軽く舌打ちをして鎌を構えた。
いくら魔導学校の者が定期的に〝お膳立て〟をしているとはいえ、時折奥の森から迷い込むモノもいるのだ。その場合、生徒は真っ先に逃げなければならない。
くわえてこの場所はサクラに誘われて魔物も近寄りやすい。それは同時に、〝サクラ〟に近寄ってくる獲物を狙うものたちの絶好の狩りポイントである。
つまり、複数の気配があるということだ。
「おい、逃げ――」
言いかけ、少女の背後でも爪が葉を踏み荒らす音がした。少女も足音に気づいたのだろう、杖を握りしめる。
「あ……」
「お前、一人で戦えるな?」
囲まれた、らしい。姿を現さぬ、けれどこちらを伺う気配を感じフィンは一歩前に出る。
「お前まで構っている余裕はなさそうだ。注意を引き付けてやるからその間に逃げろ」
「なっ、フィンくんは?」
「後で召喚するなりすればいい。俺は死なん」
ただし痛手は負うだろうが、とは心の中でのみ付け加える。
もちろん簡単に負けるつもりはないが、最悪の事態を想定して足止め役になることを選ぶ。フィンは精霊だが、少女は人間なのだ。
フィンは先ほど受け止めた感触を思い出した。ひよっこでか弱い、少しでも力を入れれば折れてしまいそうな、魔物の爪で致命傷を負いかねない未熟魔導師の。
「俺が隙を作るまでサクラの影に隠れていろ。それなら俺が守護を与えてやる」
〝影〟に入る者の姿を見えにくくする守護くらいは、この身でも与えることはできる。
口に含めるように素早く呪文を唱えると、少女の背中を強引に押した。少しよろけた細い背中を視界の隅に捕えつつ、フィンは丘へ身を乗り出す。まず最初に魔物に自分を認知してもらうためだ。
ところが、だ。
「ヤだ!」
少女の声が空間を切り裂く。思わずフィンは集中を欠いた。
杖を握りしめた少女は、サクラの木の下で強い意志を瞳に込めていた。泉の青が煌めくように。
「逃げません! だってそれじゃフィンくんが!」
「っな……!」
思わずフィンは閉口する。さっきの言葉を聞いていたか、この状況を把握していないのか。鋭い罵倒の言葉は、けれど獣の気配に掻き消された。
草の影から覗く二つの光。琥珀のようなそれがぎょろりと剥いた瞬間、獣の咆哮と共に白い牙が襲い掛かる。
反射的にフィンは鎌の柄を突き出した。瞬間、刃のこすれ合う鋭い音と共に衝撃が伝う。
「――――ぐっ!!」
「フィンくん!?」
牙は鎌の柄に阻まれフィンの肉体へは届かなかったが、その勢いは殺せず獣が乗りかかる。
今の肉体は限りなく人間に近い。歯を食いしばり目の前の琥珀を睨み付けると、二つのそれは獰猛な敵意を伝えてきた。洞窟に住むハイエナの一種であり、魔導学校の生徒が相手をするには部の悪い相手だ。
「いつまで、っ……喰らいついてやがる!」
足を振り上げその体に叩きこむ。寸前で魔物は身を翻し、牙を抜いて飛び退いた。その隙に己の武器を構え直す。
突然の衝撃で腕を痛めなかったのは幸いだ。痺れを訴えてくるが、武器を握れないほどではない。
琥珀の瞳の魔物は姿勢を低くして、狩りの体勢を取っている。低い息が吐かれるのを聞いた。
フィンは一度だけ目線を少女に合わせる。動く気のない少女は息を飲んで光景を見ていた。
舌打ちをした瞬間、第二撃が襲い掛かる。
それは側面からだった。咄嗟に鎌を振り衝撃を避け、数歩後ずさり姿勢を低くする。
先陣をきった獣に続くように、フィンの周りを黒の獣が囲っていた。
三匹、だ。少女のほうを向かないのはフィンの〝守護〟が間に合ったからだろう。そのわずかな僥倖すら感じる間もなく三方向から襲い掛かる獣へ、それでもフィンはそこを退くわけにはいかなかった。
飛びかかられる黒い獣を、円を描くように鎌を振り牽制する。地面に着いた魔物を追うようにくるりと反転、体に沿うように回された柄を滑らせ銀色の刃を振り下ろした。
その刃は飛び退いた魔物に届かず、先が地面をわずかに抉る。だがフィンはそのまま手の中で柄を回転、円月の刃を上に向け、足を踏み出しながら上に振り上げた。
追撃を背後から飛びかかってきたハイエナは身を翻し躱すが、避けきれず足に斬り傷が走る。振り上げた力をそのまま、フィンは片足で体を回転させながら柄を持ち替え、横に振る。
中空に浮いたハイエナの腹を鎌の先が捕えた。逃さず腕を手前に引く。銀の刃が滑り、横に鋭い切り傷が生まれた。
ハイエナの悲鳴のような鳴き声が響く。その間にもふたつ、頭と地面から襲い掛かってくる。
鎌を振り下ろし薙ぐように振りぬいた。鎌の刃は内側にあるため、刃を振ろうとこれは牽制に過ぎない。
だがわずかでも先端に引っかかれば、転がすように攻撃を加えることができる。
もとより鎌という武器はその攻撃が主体だ。
相手の部位に先端を引っかからせ、そのまま引き寄せて刈り取るように振りぬく。懐に飛び込むことができれば僥倖だが、そうでない場合は各部位、主に足を狙い相手の勢いを削ぐ。
魔術を使えればもう少し楽だ。暗闇に紛れて背後に回り、刃を滑らせ斬撃を与える。形状が独特なため、一撃でも加えることができれば大打撃を与えることができる。
素早く動く獣は時折牙を、爪を振りかざす。
片足を軸に躱し、時に受け、そのまま柄の先で振るった。鎌の柄は反対側に小さな刃がついていて、簡単な棒術も繰り出すことができる。
脇腹を狙うように突き出すそれは、しかし身を翻す獣に当たらず空を切る。鎌を持ち替え、再び襲い掛かる獣に備えた。
大振りな動きをしてしまうのはフィンの弱点だ。それを円を描くように補い、懐への飛び込みを牽制していく。
金属的な音が立て続けに響く。躱し、避け、受け、刃を繰り出し追いかけ、時に柄で牽制し。
円を描くように鎌を振るうフィンは、この時他のことをすべて忘れていた。
だからだろうか。切り裂くような悲鳴に意識する間もなく振り返ってしまったのは。
視線の向こう、いつのまにかハイエナの一匹が少女に乗りかかっていた。杖に纏わりついた魔物に少女は体をのけぞらせている。
気が付いたら詠唱をしていた。体に馴染んだ呪文は意識するまでもなく滑り落ちる。
「――――影月鎌!」
瞬間、少女の足元の影から黒い刃が伸び魔物を斬り伏せた。それを追うように少女が杖を掲げる。
「――――火球!」
杖の先から出現した熱量はものすごく小さなものだったが、一瞬だけ空間を明るくし、勢いでハイエナを蹴散らした。キャウン、と犬のような声を上げ一匹は逃げ惑う。
その様子に息をつく間もない。
気が付いたころには遅かった。背を向けた獲物に向かい、琥珀の瞳が肉薄していた。
反射的に腕を繰り出すと、そのまま牙が食い込んだ。
「――――フィンくん!!」
声を上げなかったのはただの偶然だ。脳天を突き抜ける痛みは、己の体が本調子でないことを現している。本来精霊である自分の体は、物理的な痛みと言うものを感じないからだ。
歯を食いしばり睨み付けると、鋭い爪が伸し掛かる。先端で抉られたそこから赤い血が噴き出すが、床に飛び散る間もなく空中で胡散する。
片手で鎌を回し、柄の先端で叩き落とすように振るい上げた。しかし柄が腹に食い込んだはずの獣は食らいついた腕から離れない。
「こ、のっ!」
腕を食いちぎるかのごとく深く噛り付いてくる。一度獲物に食らいつくと離れない、これがこの魔物の性質だ。
もう一度攻撃をくわえようとしたところで、足に激痛が走る。今度は噛み殺せなかったうめき声が漏れた。もう一匹が足に噛り付いたのだ。
「う、ぐッ……」
咄嗟に鎌を回転させ、すくいあげるように足の獣へ食い込ませる。そのまま思い切り引くと鈍い音がして獣から血が噴き出し、絶叫を上げて獣は絶命した。だが腕の獣が外れない。
その瞬間、涼やかな詠唱の声が聞こえた。聞いたこともない呪文の羅列だ。
「フィンくん、目を瞑って!」
それが完成すると少女が杖を掲げ叫んだ。
反射的に行動に従うと同時に、魔法が発動する。
「――――花嵐!!」
瞬間、爆発したような風と共に花びらが空間を覆い尽くした。
目を瞑ったフィンの顔まで直撃するほどの花だった。同時に獣の喉の奥から苦しそうなうめき声が発せられ、フィンが目を開けると花吹雪の中、目を花びらに覆い隠された獣の、腕に食らいこんだ牙の力がみるみるうちに弱まった。その隙を逃すはずがない。
傷口が抉られるのも構わず腕を引き抜くと、そのまま片腕の鎌を振るった。ギャウン、と犬のような声を上げ、獣は地面に叩きつけられると痙攣し、そのまま動かなくなった。
荒い息が発せられる。動かなくなった獣を見下ろし、フィンは痛そうに目を瞬きさせた。
幻覚作用があったのだろうか。花びらに覆い尽くされたはずの空間から薄桃色が消えていた。軽く頭を振るが、どうにも衝撃から立ち直れない。
「フィンくん」
恐る恐る呼びかける声は近くから聞こえた。いつのまにか傍に来た少女がフィンの姿を見て青ざめている。その少女の姿を素早く見回し、目立つ怪我がないことを悟った。
その事実を確認した途端、力が抜けるのを感じる。
「フィンくん!」
ふら、と崩れ落ちた体は柔らかいものに受け止められた。けれど支えきれずずるずると地面に落ちてしまう。
目がかすむ。世界がぐるぐる回る。気持ち悪い。手から滑り落ちた鎌は、一度地面に音を立てた後霧のように胡散した。今のフィンの状態を物語るようだ。
頭に柔らかい感触があり、頭を強打しなかったのが幸いだった。体が冷たいが。
あぁ、まったく。
「……なんで俺がこんな目に」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
フィンの頭を抱え込んで地面に座り込んだ少女が、泣きそうな声でそう謝った。
そう、この少女が原因なのだ。わざわざこんな昼の場所で活動する羽目になったのも慣れない肉弾戦する羽目になったのも痛い思いする羽目になったのも魔法を使う羽目になったのも全部ぜんぶ。
「おまえ、あれ、なに」
問いかけると、少女は泣きそうな顔でフィンの腕を押さえながら答える。あまりにも必死な様子に、汚れるから離せという声は口に出なかった。
「サクラを見て咄嗟に思いついた呪文です。目くらましの幻覚の応用で。強い光と花吹雪で視界を覆い隠して一時的に感覚を麻痺させます。この土地はちょうどサクラの加護があったので、あぁっ動かないでください!」
叱咤されるのを遠く感じつつ、フィンは心の中で感心した。
この少女、ドジで間抜けで愚鈍でネガティブで空気読まないし行動一つ一つが苛々するが、咄嗟の判断力と魔術の応用は天才的だった。そう、この場で新しい呪文を思いついて行使できるくらいに。
この実力をどうして普段の生活で生かされないのか、何故試験で赤点など取ってしまうのか。甚だ疑問である。
「けどそれじゃお前、ここでしか使えねーじゃねぇか」
「フィンくんを助けられるなら何だってよかったんです! 動かさないでください、止血できないじゃないですか」
「あーいい……どうせ血じゃねぇし。………………眠ィ」
フィンの腕を取る少女に向かって投げやりに答え、ぼんやりと呟いた。
完全に魔力切れを起こしてしまったらしい。先ほどただでさえ残り少ない魔力を使って呪文を唱えてしまったのだ。体の中からごっそりなにかが抜け落ちた感覚に、フィンは体が沈むように重くなる感覚を覚えた。
精霊にとってその力は根源にも値する。このまま眠るとしばらく目覚められそうにない。
「アンタ、ちょっと魔力……は、なさそう、だな」
「フィンくん、寝ちゃダメです。このままだとフィンくん消えちゃうかもしれないです!」
「別に平気だろ……回復まで時間、かかるかも、しれないが……」
そういえばこの場所にはサクラがあったと思い出した。木の下で眠ってしまえばサクラに生気を吸い取られてしまうという。
しかし、フィンはそろそろ限界だった。
うっかりすると存在が消失する羽目にもなりかねないがそのへんは気合でなんとかすることにする。このへっぽこ魔女のせいで消えるなんて間抜けにもほどがある事態はさすがに避けたい。ほんのちょっぴり、ほんのちょーっぴり魔力が残っているような気がするし。
負傷した腕もしばらく痛いだろうがそのうち治るだろう。
「でも……」
「アンタも人に分け与えるほど残ってないだろ」
唯一の心配としては、このまま寝ると少女が一人になるということだが。もう自分はここで限界らしい。吐き気もするし。
耐え切れずまぶたを閉じたとき、ふと、冷たい指が頬に触れた。小さな詠唱の言葉が聞こえる。
「――――フィンスターセンザドゥルメラング」
それはフィンの名前だった。正式な発音をすることがひとつの詠唱にも繋がるもの。
「わたしの名前を呼んでください」
有無を言わせぬ静かな声だった。それは契約を交わした契約者のみが持ち得る命令の呪文だ。
フィンは目を閉じたまま、その声に従った。
「ソシエ・トランソレイユ」
古来より、お互いの名前を呼び合う行為は一種の〝儀式〟になる。精霊と魔導師が契約を交わす場合も、最終的に正式な名前を呼び合って契約が成立する。
つながりを持たせる、という意味合いがあるらしい。それはさまざまな場合に応用される。
例えば、お互いの魔力を分け合ったりする時などにも。
「きちんとできたのです!」
えへん、と胸を張る少女を胡乱気に見て、フィンはため息をついた。
「お前、俺の名前は何故か間違えないんだよな」
「フィンくんですから!」
「その気合を他のものにも使ってほしいもんだ」
「じゅ、呪文だってちゃんと言えますもん……」
「赤点を取ったヤツがよく言う」
う、とソシエは声を詰まらせる。半眼になったフィンはもう一度ため息をついた。
残り少ないとはいえソシエの魔力をもらったフィンは、その場で昏倒することをなんとか免れた。少し体を休めた後、課題も忘れず集め(結局フィンが大部分取った)二人はその場所を離れた。
昼間よりも肌寒く、やや薄暗くなった空気の中を先導して歩く。
そのさなか、フィンの口は饒舌に回っていた。
「だいたいあそこでお前がちゃんと逃げてくれていれば、こんなことにはならなかったんだ」
「で、でも」
「でもじゃない。お前を守るために余計なことまでする羽目になったんだ」
主に説教で、だが。
「俺はニンゲンじゃない。あそこでやられたとしてもお前さえ無事なら復活することができる。だがお前がやられちまったら元も子もないんだ。ちゃんと分かってるのか」
「だって、」
「お前の行動が事態を悪化させたんだ。足手まといでしかなかったんだよ」
「…………」
「一時の感情で流されるな。状況を見極めろ。死にたいのか」
冷たく言い捨てれば、ソシエの声が詰まった。
「また同じようなことがあったら、今度は容赦なく見捨てるからな」
しゅん、と肩を落とす気配。罪悪感がフィンの胸にじわりと浮かび上がるが、首を小さく振って考えを胡散させた。ここで甘い顔を見せてしまうと少女のためにならない。
あの場面で「残る」と言い張るなら、それだけの強さが必要だ。そのことに気が付いてくれればいいのだが。
重い沈黙のまましばらく歩くと、建物が見えてきた。魔導学校のある町の風景だ。
上を見上げると、太陽が一番高い場所をとっくに通り過ぎて、空の端がもう半分以上夕暮れ色に染まりつつあった。このまま留まれば世界が昏く染まりだす。
……――――懐かしい夜の気配をすぐ傍に感じ、目を瞑る。
夜が深まりつつあり、フィンの中の魔力が溜まってくる。同時に応急処置をした腕と足の怪我も完治しつつあった。
「着いたぞ。ここまででいいだろ」
ソシエの学生寮はこの方向から町へ入ってすぐにある。
足を止め振り返ると、ソシエが驚いた顔をしていた。
「え? いつのまに着いて、」
「お前、今までどこ進むかわからないで歩いてたのかよ……」
肩をすくめ、踵を返す。
「俺もいいかげん疲れた。寝る」
「フィンくん?」
「じゃあな」
呼びかける声を無視して、帰るために力を発動させた。
今回は疲れた。しなくてもいい世話まで焼いてしまい散々だった。
寝こけてやると心に決めたフィンが少女を見ると、ソシエは何かを言いたそうにしていたが、やがてふと微笑む。
「……ありがとうございます、送ってくれて」
「……ふん」
顔をそむけた途端、足元に魔方陣が出現した。体が消えていくのをぼんやり見ていると、ふとソシエが呟いた。
「……名前も、」
溶けかかる己を自覚しながら顔を上げると、ソシエが柔らかく微笑んでいる。
「呼んでくれて、嬉しかったです」
「……」
「今日はホントにごめんなさい。あと――――」
「……――次はもう少しマシになってろ」
捨て台詞のようにそう言い残し、フィンはその場から掻き消えた。
まぶたの裏が闇に閉ざされ、意識がゆっくりと眠りにつくのを感じながら思い返す。
最後に見た少女の顔と「ありがとう」の言葉は不思議と悪くないものに思えた。……――――だから、いつもこんな役なのだ。
「……フィンくんは無意識なんでしょうけど」
闇の精霊が消えた空間を見ながら、少女はぽつりと呟く。
「次は、って言ってくれたから。まだ見捨てないでいてくれるんですよね」
少女は目を瞑り、杖を握りしめる。
「……がんばろう。まずはあの呪文、もうちょっと汎用性高めないと」
そして決意したように目を開けると、町に向かって歩き出した。
少女が立ち去った後、ひらりとサクラの花びらが一枚、舞い落ちた。
「いやまず補習やれよッ!」
と、その場にフィンが居たら突っ込みを入れるんでしょう。少し早い退場でしたね。
短編なのに設定を詰め込みすぎた感があります。……ごめんなさい。
大鎌はマニアックですよね?
柄の長い武器はあまり使ったことがなかったもので新鮮でした。しかも大鎌。返刃。…………使いづらッ!! っと何度突っ込みを入れたことか。
勉強になりました。
武器っちょ企画、すっごく楽しかったです。
読んで頂きましてありがとうございました!