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その8



     八



 昼食を終えて私とともに慧音さんの家を後にした妹紅は、里の中心に向かう川べりの道を歩きながら少し浮かない表情で言った。


「実は頼まれごとをしていて……これから里のはずれにある池に行くんだ。農業用の溜池なんだがな」


『溜池? この季節に何をしにそんなところに』


「今日は朝方冷え込んだらしくて氷が張ったっというんでね。子供たちがその上で遊びたいらしい。ほら、靴の下に刃をつけて滑るやつがあるじゃないか」


『ああ、スケートだな』


「そう、それだ。だが、親としては子どもだけでそういう遊びをするのは心配らしいんだ。それで、すこし様子を見ていてくれないかって言われてね」


『なるほどな……まあ、いいじゃないか。病人を永遠亭に案内してるぐらいだし、そういう人助けは妹紅にとってはやりがいのあることだろう?』


「いや、人助けそのものは別にいいんだが……わたしはその」


 妹紅はきまり悪そうな顔になる。


「ちょっと子供が苦手なんだ」


『そうなのか』


 すこし意外な気がした。


『そういう風には見えないがな』


「まあみんなそう言うが……嫌いとかそういうんじゃなくてな。うまくこう、気持ちを通じ合えないというか。まあ、結局は子供の気持ちをうまく想像できてないってことなんだが」


『そうか……確かにこういうのは慣れみたいなものが必要ではあるな』


 言葉だけではなかなか子供と通じ合うのはむずかしい。相手の心をある程度読み取って、それに正面から答えようとする気持ちに「なる」必要がある。


 すると妹紅は立ち止まって、私に頭を下げた。


「なあ、チビ。悪いけどちょっと付き合ってくれないか。チビは先生をやれるぐらいだし、子供たちの相手には慣れているだろう。わたしだけだとどうにも自信がないんだ。なにかこう、面倒なことが起きるような気がして」


『おいおい、そんなことするなよ』


 私はあわてて頭を下げている妹紅の顔に近づく。


『要は一緒に子供たちの様子を見ていればいいんだろう? かまわないよ、どうせ帰りは夕方になるかもしれないって霊夢には言ってあったんだ』


「恩に着る」


『恩なら私のほうがよっぽどある、そんなことは頼むからもう言わないでくれ』


 妹紅は心からほっとしたような顔をした。よほど気掛かりだったのだろう。それにしても、妹紅ほどの人物にも苦手なものがあるとは、やはり不死人とはいえど人には変わりがないのだと改めて感じた。


 里の本通りからすこしはずれたところに鍛冶屋があり、その工房の前に子供たちが集まっていた。


 私たちがそこに近づいてゆくと、子供たちがめざとく私に気づいた。


「あっ、チビ先生もいる」「一緒に来るの、先生」「先生も滑るの?」


 口々に言いながら私を周りから囲んで押し潰さんばかりだったので、私はあわてて少し上に浮き上がって言った。


『今日は慧音先生と相談があったから里に来たんだ。そこで妹紅さんと会ったんでね、ちょっと手伝わせてもらうことになった』


 歓声を上げる子供たちに、工房から出てきたひとりの男性が近づいてきて言った。


「こらこら、あんまり騒がしくするんじゃねえよ。先生にご迷惑だ」


 それから、私に向かって頭を下げた。


「どうも、初めまして。新太の父親の丹造です。先生のことは息子からよくうかがっております」


『ああ、新太くんの……』


 あの虹の実験の時に質問をしてきた子だ。


 お互いに挨拶を交わした後、妹紅に同行する件について了解を求めると、むしろこちらから改めてお願いいたしますと言われた。


「こういうのは本当は身内の誰かが行かにゃいかんのですが、生憎ここのところ仕事のほうがたてこんでて……、さりとて年寄りには少し荷が重いかと思ったもので、妹紅さんにお願いをした次第で。それに先生が加勢していただけるんなら、これ以上のことはないです」


 こうして私たちは子供たちを引き連れ、里のはずれの池へと向かうことになった。



     ☆★



 切れ切れになった雲の隙間から射し込むようになった光が、池の全面を覆う氷の表面に反射して、鈍い輝きをちりばめる。岸辺に盛られた土の上に立ち並んだ背の高い木々が池の周りを囲むように薄い壁を作り、その隙間の向こうにはだいぶ前に刈り入れが終わった田んぼが広がっている。


 氷の上では子供たちがそれぞれが思うままに滑っていて、お互いに交わす高い声の中にときどき笑い声が入り混じる。私はその子供たちの群れから少し離れた岸の近くで、すこし緊張した面持ちの女の子に身体をしっかりと握り締められていた。


『スケートは“ゆっくり歩く”のと一緒だ。歩くときは必ずどちらかの片足で身体を支えている。スケートもいつもどちらか片足づつで滑る』


「で、でも片足だけじゃ前に行かないよ」


 女の子は両足を震わせながら、おびえたような声を出す。彼女の両手は私の身体の両脇をがっちりと握り締めている。


『先生がゆっくり引っ張ってあげる。左足に身体を載せるんだ、すこし身体を左側に……そうだ。それで片脚だけで立つ』


 私は女の子の身体の揺れを防ぐために左右の側面に霊気の壁を張った。


『今度は右足だ。身体を反対側に……そうだ』


 ゆっくりと引っ張りながら、左右の足を交互に出して滑る練習をする。


『片足づつ滑るのはできるようになってきたんじゃないか』


「う……うん、そうだね。大丈夫みたい」


『左の足に身体を移すとき、ほんの少し右足の先で氷を蹴って。つま先をちょっと外に開く感じで』


「こう……かな」


 女の子はおそるおそる右足を後方に動かす。


『次は右足に移って、左足で蹴ってみよう』


 繰り返すうちにタイミングが合ってきて、推進力が出てくる。


『いい感じだ、いったん向きを変えて戻るよ』


 何度も往復しているうちに、女の子の動きはなめらかになってくる。私は引っ張る力を弱めていく。


 そしてついに引っ張る力がゼロになる。ちゃんと女の子は上手に滑り続けている。


「なんかほんとに自分の足で滑ってるような気がする!」


 それはそうだろう。


『実はね、先生はもう君のことは引っ張ってないんだよ』


「えっ、そうなの?」


『確かめたければ、手を離してみてご覧』


 疑わしそうな顔つきで、けれどもそっと私の身体から指を離していく女の子。そしてその瞳が大きく見開かれる。


「ほんとだ! これ、ほんとにわたしが自分で滑ってるの?」


『おめでとう、これでとりあえず私の授業は終わりだ』


「すごい! すごいや、わたし滑ってるよ、先生!」


 女の子は叫ぶように言いながら、心の底からの笑顔をみせてくれた。



     ☆★



 自力で滑れない子たちへの指導をひと通り終えて岸辺へ戻ってくると、草むらに座っていた妹紅がひどく奇妙なものを見ているような複雑な感じの視線を私に投げかけてきた。


『なんだよ妹紅、その顔は。一生懸命仕事をしてきた協力者に向けるものじゃない感じだぞ』


「いやいや……なんというか、分けがわからないものを見せられている気分だよ。本当に何者なんだ、お前さんは」


『だからそれは私自身が知りたいんだって』


「まあ分かっているが。それにしても、感心させられるよ」


『特別なことをやっているわけでもない。力の及ぶ範囲でやっているだけさ』


 私は妹紅の隣に並んで座った。


「……ところで、チビ」


『うん、なんだ?』


「霊夢は、寺子屋の件については何と言っているんだ?」


『何って、別に何も。例によって好きなようにやればいいと』


「そうか……まあそうだろうな」


 妹紅はかすかに息を吐いた。


『なんだ? 霊夢が何か心配してるかもしれないということか』


「いや、そういうんじゃないんだが。むしろ安心しているとは思う。ある意味、職を見つけたようなものだろうからな」


『職というのはおおげさだが……多少は人の役に立ちたいとは前から思っていたからな』


 私はさっきの女の子の笑顔を思い出しながら付け加えた。


『わりと寺子屋の仕事は相性がいいようだ。子供たちもみんな素直だしな』


「チビが子供の言うことをきちんと受けとめるからだろう」


 そこで私はふと思い出した。あの黄色い髪の少女の言葉。


“そのお人形さんはね、魂がスカスカだから、誰の言うことでもいつも肯定的に受けとめるのよ”


『なあ、妹紅』


「なんだ?」


『妙なことを訊くと思うかも知れないが……私は相手をいつも自分の中に肯定的に受け容れようとしているところがあるらしいんだ。それは相手にとって果たして良いことなんだろうか』


 妹紅はすこし眼を見開いたが、やがて言った。


「そういう者を必要としている人間がたくさんいるのは確かだな」


 氷の上ではしゃいでいる子供たちを見つめながら妹紅は言葉を継ぐ。


「だが……自分を鍛えようと思っている者、高みを目指そうとする者にとっては、ときにはそれは誘惑になってしまうかもしれない。言うなれば、休息の誘惑だ」


『休息の誘惑……』


「そうだ。山を登り続けているときに、疲れ果てて腰を降ろして休みたくなる。けれどもいったん腰を降ろしてしまうと、もう一度立ち上がるまでには時間がかかる。すべてを包み込んでくれるような優しさには、そういう誘惑がある」


『…………』


「だが、結局それは山を登っている者自身の問題なんだ。休むための場所がいらないというわけでない。傷ついたときには休息も必要だしな」


『確かにな』


 だが、休む場所が手近にあればその分だけ誘惑は強くなる。


『妹紅、私は……』


 言いかけたそのとき、空に小さな閃光が輝き、一瞬の間をおいてドンと音がした。子供たちの動きがピタリと止まり、いっせいに空を見上げる。あとには縦に伸びる煙の筋がゆらめきながら残った。


「緊急信号だ!」


 妹紅が慌てたように立ち上がる。


「チビ、すまない。子供たちを集めて、急いで里に戻ってくれないか。たぶん病人かけが人が出たんだろうと思うが、はっきりしたことが分からない状況では安全な里に帰すのが原則なんだ。わたしは先に行って、事に当たる。任せていいか?」


『分かった。後は引き受けるよ』


「頼む。じゃあまた」


 妹紅は一瞬にして身体を薄い炎に包むと、背に炎のようにゆらめく翼を拡げ、空へと飛び立ち、里の方角へと向かっていった。



~その9へ続く~

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