その6
六
これまでにない衝撃を感じたが、それ以上に彼女の発言の真意が知りたかった。
『それが君には分かるのか?』
「もちろん。わたしは物事が形を保つための力がいちばん集中している『点』が分かりますから」
樹の枝の上に両足で立ち、腕組みをした姿勢で私を見下ろしながら、フランは言う。
「魂だって例外じゃありません。普通ヒトの魂は、点がめまぐるしく動きまわってる。つねに変化し続けるのが生命の姿です。でも、あなたはどうもそうじゃないんですよ」
すこし眼を細めたまま、淡々とした調子で話し続ける。
「あなたの『魂らしきもの』には点が動くための場所がほとんどありません。点の動き方がぎくしゃくしてて、不自然なほど遅い感じがします。だから……」
ニヤリと口元が歪む。
「場合によっちゃあ、あなたの魂そのものの『点』を破壊することも、できると思いますよ」
すると突然、黒い影の塊が向こう岸の森から私の方に向かって飛び出してきた。
とっさに避けようとしたが、その影の正体はすぐに分かった。
「やめろ、フラン!」
魔理沙が私を抱き上げて、フランから隠すように身体を半身の姿勢にする。
「遊び気分でそんな力を使うな!」
「あららー、立ち聞きはよくありませんね、魔理沙」
フランは皮肉な感じの笑い方をする。
「あなたは泥棒するのも正々堂々って主義じゃありませんでしたか? こそこそと陰で人の話を聞くなんて真似はらしくないでしょう」
「それこそ場合によりけりだ。もしチビを破壊したら、それはそっくりそのままお前に跳ね返ってくる。お前自身が損をするんだ」
「ふーん……ねえ、魔理沙」
「なんだよ」
魔理沙は警戒を崩さないまま、少しフランから距離をおくように移動した。
「あなた、ちょっと性格変わりましたか? 前はもっと自分勝手じゃなかったですか? 他人のことなんてどうでもいい、自分さえ良ければって人じゃありませんでしたか? もしかして」
フランは腕を伸ばし、魔理沙の腕の中の私を指さす。
「そのお人形さんに影響されちゃってますかねぇ? そう言えば、なんだかあなたの魂の点もちょっと動きが鈍い?」
魔理沙は一瞬、ぎくりとしたような表情をしたが、すぐに言い返した。
「わたしはいつもわたしのままだ。何も変わっちゃいない」
「だからですね、それがそもそも錯覚なんだって。ヒトは常に変わり続けてるんですよ」
我慢出来ないという感じで口元から笑いを洩らす少女。
「ところが、変わってる本人にはそれが分からない。なぜかって言うと、物事に対する見方の全体が平行移動するように変わってるから、自分自身じゃなかなか変化を検知できない。これは誰だってそうです」
「何をわけわからんことを……」
「そのお人形さんは、魂がスカスカだから、誰の言うことでもいつも肯定的に受けとめるのです。あなた、そのお人形さんに怒られたことありますか? 嘲られたことありますか? 拒絶されたことは? ないでしょう? それはね、そのお人形さんが、ヒトが持っているべき本当の意味での自己を持っていないからです」
「やめろ! それ以上言うと本当に怒るぞ!」
「もう十分怒ってるって。だけど、もうひとつだけ言わせてください。魔理沙、そのお人形さんの声がどう聞こえてますか? おそらく、あなたが聞きたいような声で聞こえてるはずですね」
「!」
「たとえばねェ……そう」
フランの口元がふたたび歪む。
「霧雨道具店の主人とか?」
「お前はっ!」
魔理沙は絶叫して、かぶっていた黒い帽子から金属製の装置を取り出した。ミニ八卦炉だ。
私はとっさに魔理沙から離れ、フランへの射線をさえぎる形で空中で止まった。
「チビ、どけ!」
『魔理沙、ヒトと妖怪の戦いにはルールがあるんだろう? 魔理沙が私に最初に教えてくれたことじゃないか』
「だけど……あいつはお前のことを」
『彼女の挑発もなにか事情があってのことかもしれない。だが、理由はどうあれそんなものに乗ってしまっては駄目だ』
「くっ……」
魔理沙の眼尻には涙がうっすらと滲んでいた。よほど傷ついたのだろう。
私はフランに向き直って言った。
「あなたの言うことは真実を射ぬいている部分もあると思う。すくなくとも私にとってはかなり参考になった。ただ、真実に正面から立ち向かうには努力と鍛錬が必要だ。今回はこれぐらいにしておいて欲しい。私自身はまたあなたと話す機会を持ちたいとは思うがね」
すると、フランはかすかに鼻を鳴らした。
「まさにあなたらしい反応ですね。でもどっちにしても今のままじゃ……あなたはあなた自身の真実を見つけることはできないと思いますねぇ」
『肝に銘じるよ』
「やっぱりがっかりです……」
フランは肩をすくめる。
「なんであなたにお姉様が入れ込むのか、よく分かりませんね」
少女は軽く手を振ると、木から飛び上がり、見る間に空の向こうへと姿を消した。
「……チビさん」
振り返るとアリスが立っていて、手で顔を蔽いうつむいている魔理沙のそばでその身体を支えるようにしていた。
「その……ごめんなさい。わたしが出ると、かえって話がこじれるような気がしたの」
『分かるよ』
アリスは見かけとは違って生きている時間は魔理沙よりも長い。その分、真実の厳しさというものも知っているはずだ。
『ところで、ふたり一緒だったということは、何かしている途中だったのか?』
「あ……ええ、ちょっと魔理沙がキノコ探しを手伝って欲しいって言うから。人の手だと難しいところでも、人形たちだと採取しやすかったりして」
『なるほどね。悪かったな、妙なことに巻き込んでしまった』
すると魔理沙がすこし怒ったような口調で言った。
「わたしが勝手に巻き込まれたんだよ。わたしの考えで、わたしのしたいことをしただけだ」
『分かってるよ、魔理沙』
「でもさ……チビ」
急に弱々しい声になる。
「わたしは変わったのか? 初めてチビに会った頃のわたしと、いまのわたしは違うのか? そう感じるか?」
そういう問いを発すること自体が、変わった証拠なのかもしれない。だがそんなことを言っても、今はかえって混乱するだろう。
『私はどんな魔理沙でも好きさ』
「……!」
『変化に良いも悪いもない。自分が求めるものに向かって動いてる魔理沙でいいんじゃないか』
「そ……そうか。うん、そうだな」
まだすこし目元を赤かったが、魔理沙は笑顔をみせてくれた。
アリスが軽く咳払いをして言う。
「それじゃ、お昼も近いことだしいったん引き上げましょう。チビさん、どうする? もし良かったら家に寄っていく?」
『これから里に行こうと思うんだ。慧音さんとすこし話があるから……』
「ああ、例の寺子屋ね。でも、ここから里までの間は大丈夫?」
『さすがにさっきみたいな大物には出くわさないだろう。もちろん用心はするけどね』
私は二人と別れ、川沿いの道を里に向かって急いだ。空はふたたび雲が切れ、青色の隙間があちこちに拡がり始めていた。
~その7に続く~