その3
三
『じゃあ、そろそろ質問はこれくらいにして……』
えーっ、と子供たちが声を上げる。
「まだわたしも訊きたいことがあるよ」「わたしも」「俺も」
『まあまあ、待ってくれ』
子供たちは本当に元気がいい。
『いちおう私はみんなに勉強してもらおうと思ってここに来たんだから、おしゃべりばかりしていては慧音先生に怒られてしまう。それと、今日は天気がいいから勉強は外でやろう』
「外でできる勉強なんてあるの?」
『あるとも。さあ、みんな庭に出なさい』
子供たちは嬉しそうな表情で一斉に縁側から外に出て行く。背丈から考えても、小学校でいえば低学年ぐらいの子が多い。彼らぐらいの齢では家の中にじっとしていられないだろう。
『じゃあ先生、ちょっと手伝いを頼みます』
「承知しました』
私のそばに座っていた慧音さんが立ち上がった。手には私が用意してきた道具類が入った袋を持ってくれている。
庭に出て子供たちを集めると、私は彼らの目の高さぐらいに浮かんでひとつ質問をした。
『みんな、お日様の光の色が何色か知ってるかい?』
子供たちは口々にいろいろな答えを返してきた。赤や黄色などと言う子もいれば、白いと言う子もいた。光に色なんてない、と言う子もいた。
『さて、それじゃ答えを言う前にみんなに見てもらいたいものがある。先生、出してください』
慧音さんからガラス状の物体を受け取り、子供たちに見せる。
『これは、光の色を調べるための道具なんだ。これに光を当てると、その光の色が何色か分かるんだよ』
慧音さんに手伝ってもらい、線状に細くした光をプリズムに当ててみせると、子供たちが驚きの声を上げた。当然ながら、屈折した光は地面に七色のスペクトラムを映しだしたからだ。
「これって、虹と同じだよね……」
私の近くにいた少し年かさの男の子がつぶやくように言う。
『そうだ。実はお日様の光は、こういうたくさんの色の光がもともと混じり合っているんだ。プリズムはその混じり合った光を色ごとに分けることができるんだよ』
私はさらに霧吹きを出してもらい、慧音さんに小さな虹を出す実演をしてもらった。太陽を背にして日陰に向かって霧を出すと、その中に七色の円弧が現れる。子供たちは歓声を上げ、他にもいくつかもってきた霧吹きを奪い合うようにして「虹を出す」ことに夢中になった。
そんな様子を彼らからすこし離れるようにして見ていた男の子がいた。さっきスペクトラムを虹と同じだと言っていた子だ。
私は彼のそばに移動して、驚かさないように彼の肩あたりの高さまで浮上すると声をかけた。
『きみは名前はなんと言ったっけ?』
「あ……ええと、新太です」
慧音さんが事前に見せてくれた生徒の名簿を思い出す。たしか鍛冶屋さんの息子だった。
『新太くんか、そうだったね。ところで、少し浮かない顔をしているが……なにか気になることでもあるのかな?』
「や、あの……そんなんじゃないけど」
すると慧音さんが脇から口添えをしてくれる。
「チビさんは優しい人だぞ。遠慮することはない、何か考えたことがあるなら言ってみたらいい」
「……俺のばあちゃんが、前に言ってたんです。虹は龍神様の通り道だって。雨をいっぱい降らせた龍神様が山に変えるときに、通った道が七色に光るんだって。あれは嘘だったってことだろうか」
『なるほど』
こういう話には慎重に答えないといけない。
『きみのおばあさんの話は嘘ではないよ。太陽の光が七色に分かれるのも、ああやって霧吹きで虹ができるのも間違いではないけれど、でも物事のある部分だけを見ているだけだ』
「…………」
『例えば、夜に光る月は、表側しか見ることができない。でも、神様にはきっと裏側も見えている。わたしたちは神様と違って、何もかも見通せるわけじゃないから、物事をある一方からしか見えない。けれども、それは嘘というわけではないんだ……ちょっと分かりにくいかな』
「ううん。なんとなく分かる。ひとつのように見えても、本当のことはいくつもあるってことだね」
『そう、その通りだ』
私はほっとした。
『私たちには想像もつかないことが世の中にはたくさんある。現に、こうやってきみと話している私でさえ、どういう仕組みで自分が話せているのかなんて、分かってないんだからね』
男の子はうなずくと、ぺこりと頭を下げてみんなの輪の中に入っていった。
それを見ながら慧音さんも安心したような顔で言った。
「お見事でした、先生」
『やめて下さいよ』
柄にもないことを言ってしまったような気がして、私は少し照れくさかった。
☆★
子供たちが帰ったあと、私は慧音さんとともに客間に戻り一服した。といっても私自身はお茶は飲めないが、精神的に一休みすることにした。
「いや……実際、あなたの授業には感服しました」
『とんでもない』
慧音さんがあまりにも感じ入ったような顔つきをしているので、私はすこし焦ってしまった。
『見当外れなことはたぶん言ってないと思いますが、すこし省略した説明もありましたし……むしろ、子供たちのほうがよく質問してくれたので、私はそれに応じているだけで良かったんです』
「そうは言われるが、あなたがどんな問いにもたちどころに答えを返してくれるので、子供たちもどんどん聞きたくなったのでしょう。それに正直、わたしは理学には疎いので、子供たちにはそういう方面の知識を授けることはできなかった。本当に感謝しています」
『少しでもお役に立てたのなら嬉しいです』
数日前に妹紅に勧められた段階では正直なところ無理な話だとしか思えなかった。ただ、案外こういった理数系に関する知識が残っているようで、特に資料がなくとも授業っぽいことができた。香霖堂の霖之助さんに実験器具に使えそうなものに関して協力してもらえたのも幸いだった。
『ただ、先日ここに伺ったときにも申し上げたとおり、いつまで続けられるかは……』
「事情はよく承知しています」
慧音さんはうなずいた。
「あなたは過去の自分について探求されている。そして、場合によっては幻想郷を去るということもあり得るのでしょう。それはわたしや妹紅だけではなく、他の者たちもみな分かっていることだと思います。口には出しませんが」
『…………』
考えてみると、このことについて誰かにはっきりと言われたのは初めてかも知れない。
「ただ、どのような形であれ、別れというものはいつの日にか必ず訪れるものです」
一瞬の間、慧音さんの瞳に哀しげな色が浮かぶ。
「でも、それを怖れていては自分の足で前には進めませんから」
……その通りだ。立ち止まってしまえばただ流されてゆくだけだ。
『励ましの言葉、ありがとうございます』
「いや、そんな。わたしごとき者が言うことではなかったかもしれません」
慧音さんは少しはにかんだような表情を見せた。
『そんなことはありません。正直、すこし辛かったんです。みんな分かっているんだろうと思っていても……自分から口にはできなくて』
「そうですか……それも分かります」
と、玄関に人の気配がした。同時に「ごめんください」と声が聞こえてきた。霊夢だ。
慧音さんは笑みを浮かべて立ち上がった。
「お迎えが来たようですね。それではまた、次回もよろしくお願いします」
『こちらこそ、よろしくお願いします』
私は深く頭を下げた。
☆★
人里から川沿いの道を霊夢と一緒に進みながら、神社のある東の山へと向かう。
「それで今日はどんな話をしたの、寺子屋の方は」
『光の色の話をした。昨日香霖堂に行ったときプリズムが借りられたんでね』
「ああ、七色に光が分かれるやつね」
『そうだ。子供たちはけっこう喜んでくれたよ』
「まあそういう話は里の子たちには珍しいでしょうからね。霖之助さんとかは道具のことには詳しいけど、何だかいろいろ説明する割にはよく分からなくって閉口しちゃうわ」
『……なあ、霊夢』
「何?」
『私は自分のことについては、すこし考え方を変えることにしたんだ』
「……どういう風に?」
『昔のことを調べるのはすこし後回しにして、いまの自分がやりたいことをやってみようと思う。前に妹紅が言ってたんだが、私は必ずしも私そのものをすべて失ったわけじゃないと思うんだ』
「それはそうよ」
『だから、やりたいことをやっているうちに見えてくる自分っていうのがきっとあると思う。実際、今日子供たちに囲まれていたら、なんというか、すこし不思議な気分で……』
すると霊夢はかすかに笑みを浮かべた。
「どこか懐かしいような感じがした?」
『……!』
私はすこし驚いた。
『どうして分かるんだ?』
「それは分かるわよ、話の流れからいっても。それに前からちょっと思ってたけど、あなたって、どこか先生っぽいっていうか……」
『説教臭いってことか』
「そうじゃないわよ。いや、そういう面もなきにしもあらずだけど……ともかく、いつもできるだけ相手が納得してくれるような言い方を選んでる感じね。だから魔理沙とかは割と簡単にあなたに丸め込まれるのよ」
『別に丸め込んだ覚えはないぞ』
私は苦笑したい気分で言った。
「まあ、どっちにしてもあなたのやりたいようにやるのがいいわ。わたしはべつに何も心配してないから」
『そうなのか?』
「ええ。それとももっと心配してほしい?」
『そんなこと、おと……』
そこで一瞬、私の思考は固まった。
「ん、何よ」
『いや、大人がそんなこと言えるわけがないだろう』
「へえ、チビは大人なんだ?」
『少なくとも霊夢よりは大人のつもりさ』
言い返しながら、私はすこし落ち着かない気分だった。
そんなこと、『男』が言えるか、と言いそうになったのだ。
~その4へ続く~