その23
二十三
魔法の森の中央部を迂回し、北寄りの山に近い方のコースをたどって飛んでいた魔理沙とアリスは、左後方に小さな光の群れのようなものが現れたのに気づいた。
「あれはもしかして霊夢たちが、レミリアに遭ったのか?」
魔理沙が訊くと、アリスは小さく首を振る。
「いや……まだでしょう。たぶん、妖精たちとの前哨戦よ」
「露払いはチビがやってるのかな。怪我しなきゃいいが……」
二人はさらに霧の湖の縁に沿って回りこんでゆき、紅魔館の建物が見えるところまできた。
「なんだあれは」
建物の一部が崩れ、その近くの地面も吹き飛ばされたような穴が開いている。
「行ってみましょう」
二人は高度を下げ、建物が壊れている場所のすぐ近くで降り立った。
「誰もいないのか……?」
周囲を見回しながら穴に近づいていって、のぞきこむ。と、奥に人影が見えた。
「そこに誰かいるか?」
と魔理沙が問いかけると、「いますよ」と冷静な声で返事が聞こえた。
「……その声は」
魔理沙は穴から地下の部屋へと飛び降りる。アリスも続いてふわりと降り立ち、顔を上げたとたん悲鳴に近い声を洩らした。
「パチュリー!」
アリスが悲鳴に近い声を出し、部屋の隅へと駆け寄る。
ぐったりとしているパチュリーの身体は蛇のようにうごめく力場の束によって壁際に固定されていた。
「どうしたの? これはいったい誰が……」
すると、パチュリーは薄く眼を開いて答えた。
「大丈夫……これは、もうすこし時間が経つと自動的に解ける」
石の椅子に座ったまま封印障壁に囲まれているフランが憮然とした面持ちで言う。
「こっちもけっこう悲惨な状況なんですけどね」
「……いったい、何があったんだ?」
魔理沙の問いに、フランは魔力を抑えるための時限式の封印魔法をかけていたこと、月の出とともにレミリアの人格が豹変し、封印を破り、逆にパチュリーを束縛する魔法をかけてから飛び出していったことを説明した。
「あのお人形を取り戻すと言ってましたよ」
「取り戻すって……いったいどういう意味だ」
「まあ簡単に言えば、お姉さまもあなたと同じような理屈であのお人形さんに惹きつけられていたんでしょうね」
「同じような理屈ってなんだよ」
魔理沙は眉を寄せる。
「このあいだ言ったでしょ? あのお人形さんは中身が空っぽだから、わたしたちはそこに自分が見たいものを見ちゃうんですよ。わたしやお姉さまだっていちおうは元人間ですからね、いろいろな意味で心の傷の一つや二つはあるんです。そういう傷が、幻想の足がかりになってしまうこともある。でもまあ……もしかすると」
フランは小さく溜息をつく。
「お姉さまのほうが、わたしよりは傷が深かったのかも知れませんね」
「…………」
「ま、それはともかく……今はこの封印をなんとかしてほしいんですね」
フランが自分をとり囲んでいる薄白く光る障壁を見回す。
「それは必要だからかけたんだろ」
魔理沙はそっけなく言う。
「でも、いまは非常の時ですよ。もし巫女が倒せなかった場合……今のお姉さまを止められる者が他にいますかねぇ?」
するとパチュリーの体力を回復させるための作業をしていたアリスが言う。
「霊夢は幻想郷のパワーバランスの中心にいる存在よ。自然の復元力の代理人と言ってもいい……彼女の才能も幸運もそのためにあるんだと思う」
「なるほど」
フランはにやりとする。
「つまりあの巫女は幻想郷という仕組みの一部であり調整機構というわけですね。しかし、その仕組みそのものから外れかねないような独自の意志を持ってしまったら、どうなりますかね。あるいは、巫女にとって特別な存在が何かできたとしたら?」
「……!」「まさか、お前……!」
アリスと魔理沙は動揺を隠せなかった。
**********
雨あられ、とはまさにこういう状態のことを言うのだろう。
あらゆる方向から飛来する妖精たちを、私は五枚のお札を駆使してたたき落し続けた。妖精たちには悪いが、まるで集まってくるハエを空中でハエたたきで落としているような感じだった。妖気の影響を受けた結果攻撃的になっているだけらしいが、ダメージが弱いと回復してリベンジを図ってくる連中もいるので、気の毒ではあったが二度と反撃できないぐらいのダメージを与えるように努めた。
「そろそろ来るわ」
後ろにいた霊夢が私のそばに近づいてきて言った。
「確実に安全なところまで下がって。ここから先はわたしの領分だから、今回は大人しく見ていてちょうだい。割り込みは不許可よ」
『分かった』
無縁塚の一件があるからだろう、しっかりと釘を刺された。
正直、レミィに何が起きたのか事情が気になったが、そこにこだわって霊夢の足手まといになっては本末転倒だ。
私は言われたとおり、霊夢の後方に下がる。
霊夢の姿がほとんど見えなくなりそうな位置まで来たところで、前方から強い気配が近づいてくるのを感じた。
どうやら、それらしき姿が見える。白っぽい点に見えるが……レミィのようだ。
『…………』
また、あの焦燥がくる。奥底から何かが浮き上がってきそうな。見ているだけ……見ているだけのこの状態。いっそ当事者でありたい。この想いを抱いたことは以前にもあったような気がする……。
**********
霊夢とレミリアは、お互いの声がかろうじて届くぐらいの距離で魔法の森を見下ろす空中で対峙していた。東には赤黒い月。そして、いくつもの雲の層が重なりあって上空を覆っている。
「いったい、何があったの?」
「まあ、説明すると長くなるからやめておくわ。簡単に言うと、チビを返してもらおうと思って。あの人形は、いちおうわたしの持ち物だからね」
「口調とかはあんまり変わらない気がするわねえ……」
「あ、吸血鬼に多重人格なんてないわよ。ただ、おさえつけてたものが表に出るようになっただけ。酔っ払うと本音が出るとか言うじゃない……あれと似たようなものよ」
レミリアはくすくすと笑う。
「自分じゃあかなり好き勝手にやってきたつもりだったのに、その好き勝手が一種の演技だったなんて、お笑い草よね」
霊夢はふぅ、と息を吐く。
「……何にせよ、チビは物ではないし、ただの人形でもない。あの子には魂が宿っているし、自分の身の振り方を決める自由があるわ」
「もちろんそんなことは分かっているわよ。ただね、肝心な点はそこではないわ」
「じゃあどこよ」
「つまりね、あなたはチビを必要としている……けれど、果たしてチビはあなたを必要としているかしらね?」
「……!」
霊夢の眉間に一瞬深い縦皺が入った。
「図星ね? でも、いちばん気になっているところでしょう。彼はあなたのことが必要だと、これまでに言ったことがある?」
「そんなことをあんたに説明しなけりゃならない筋合いは、ない」
「わたしはね、あなたが彼に惹きつけられる理由は十二分に分かるわよ」
レミリアは微笑を浮かべて言う。
「あなたのような精神……それこそ神の魂とでもいうべき次元の精神の持ち主が、肉体をもつ異性に関心をもつなんてことはまずあり得ない。もしそうなったら、その瞬間にあなたは博麗の巫女ではなくなるわ。そこらへんの仕組みを全て知っているのは例のスキマおばさんでしょうけど、わたしにだって原理的なことは分かる」
「…………」
「けれど、あの人形に宿った奇妙な魂ならば、あなたのすぐ隣に立っていることができる。彼はいつもあなたのことを見守っていてくれる。そして、あなたは彼に語りかけることができる。理想の関係と言える……けれど」
レミリアは口を開き、笑い声をもらす。
「それはまずいのよ。それじゃ彼はあなたにとっての神様そのものじゃないの。博麗の巫女が神を得てしまったら、幻想郷は唯一神が支配する地になってしまう! 人と妖怪、その他有象無象があなたという空白の中心を取り囲んで成立しているのがこの幻想郷なのに……だから、運命がわたしにお鉢を回してきたのよ。すべてのバランスを復元させるために」
「……勝負の条件を言いなさい」
霊夢が厳しい顔つきで言うと、レミリアは笑顔のまま応じる。
「このわたしがわたしである期間はあの月蝕が終わるまで。だから、その間持ちこたえたらあなたの勝ち。そして、あなたが二度と博麗の巫女として戦えないほどの恐怖を与えられたらわたしの勝ち。博麗の巫女でなくなったあなたに、あの人形は必要なくなるでしょう。そうなれば彼はわたしの所に戻ってこざるを得なくなる」
「つまり、そっちは殺す気で来るということね? でも」
霊夢は決然とした口調で告げる。
「わたしは絶対にあんたを殺したりはしないけどね」
「それは当然でしょう」
レミリアはうなずく。
「あなたの神がそんなことを認めるわけがないもの」
~その24へ続く~