その20
二十
幻想郷に本格的な冬が訪れ、雪が降り積もる日々が続いた。
ようやく晴天が訪れた朝、外に出てみると庭の雪は縁側をはるかに越える高さになっている。屋根にも相当な量が積もっていた。この分だと拝殿も似たような状況だろう。
「参ったわねえ……まあ毎度のことではあるけど」
霊夢はうんざりしたような顔をする。
『雪おろしはしないとまずいだろうな。しかしどうするんだ? 符を使ってもいいか?』
私は懐からお札を取り出した。以前よりは制御できる札の数が増えたので、うまくやれば効率よく除雪ができるだろう。
「今回はけっこう量が多いしね……それじゃ、ここの屋根をやってみて。でも無理はしないでね。わたしは拝殿のほうをやるから」
『ひとりで大丈夫か?』
「まあ屋根から落っこちるってことはないから心配しないで。あなたのほうこそ、力加減に気をつけてね。こんな時期に屋根に穴でも開けられたら目も当てられないわ」
『分かっているよ』
私たちはいったん中に戻り、霊夢はこの間結界越えのときに使ったダウンジャケットを、私はすこし早めのクリスマスプレゼントだと言ってアリスが贈ってくれた外套を着け、再び外に出て作業を始めた。
母屋の屋根はいちおう瓦ぶきだが大きな衝撃を与えては瓦ごと落ちてしまう。わたしは五枚の符を操りながら、屋根の縁から順に小刻みに叩くようにして少しづつ雪を落としていった。
霊夢も霊弾のたぐいを使うのかと思ったが、どうやらそんな気配はない。さすがに拝殿の屋根にそんなことはできないということかもしれない。
「年の瀬も押し迫ってるのに、大変ねえ?」
『……!』
顔を上げると、万全の冬装備という感じの幽香さんがふわふわと空中に浮いてこちらを見ていた。コートもスカートも厚手で、首には毛糸のマフラーを巻いている。
『ご無沙汰していました、幽香さん』
「こちらこそ。まあ、連日の雪だったから、こっちはどんな具合かと思って来てみたんだけど。それにしても器用なものね、雪おろしまでやるなんて」
『まあ居候ですから、多少の役には立ちませんとね……』
「でもあなたのおかげで、前に較べてこの神社も人里で少し知られるようになったんじゃない? そういえば、このあいだ新聞を読んだわよ」
『ああ、あれですか……』
少し前に烏天狗にして新聞記者だという女の子が私を取材したいと言って神社にやってきた。訊かれるままに幻想郷に来てから今に至るまでの経緯について話をしたのだ。
「天狗の新聞にしては割とまっとうな記事だったように思ったわ。というか、まっとう過ぎる。まるであなたが話したことをそのままきちんと周りの連中に伝えようとしているような感じさえする」
『ははあ……』
「いや、それがダメだというわけじゃないのよ」
幽香さんは苦笑する。
「ただ、ちょっと思ったの……これって誰かの意向を汲んだ上でのことじゃないかって。もちろん、霊夢やあなた自身のことじゃないわよ。もっと別の立場にいる者よ」
そう言われれば、だいたい察しはつく。
『例えば……紫さんですか?』
幽香さんは小さくうなずく。
「ま、山の妖怪なんて一筋縄じゃいかない連中ばかりだしね。新聞を作る技だって、大元は外の世界からのものに決まってる。そのための便宜を誰が図ってるか、ということになればね……しかも直前に、いわばお墨付きをもらう形で結界の外に出かけて行ったんでしょ? 段取りが良過ぎるというものよ」
幽香さんは空中を滑るように移動して、私のすぐそばまで近づいてくる。
「それで、どうなのかしら。あなた自身はどう思ってるの? この成り行きについて」
見かけは柔らかな態度ではあるが、生半可な対応はとれない。
『……前に言いましたよね。私は逃げるつもりはない、と』
「ええ、そうね」
幽香さんは微笑んだ。
「ちゃんと憶えているわ」
『正直、ここから先どうするかは白紙です。私の正体もだいたいはあの記事の内容で察してもらえると思いますが……』
霊夢との関係を、どうけじめをつけるべきなのか。
言いよどんでいると、幽香さんが私の考えを察したように言った。
「……このままならあなたは単にヒトによく似た心をもつ妖怪の一種ってことになるものね。ただね、ひとつ気になることがあったから教えてあげる」
『え……?』
幽香さんはすっと腕を伸ばしてきて、私の身体を引き寄せた。そして自分のコートのポケットから小さな紙包みを取り出す。
「このあいだの池の騒ぎのとき、あなたが木を倒そうとしてたわよね? あのとき、近くの空間に妙な影みたいなものが浮き上がっていた……わたしには人影みたいに見えた。誰かさんによれば、それは幻想郷にとってとても危険なものらしいわ……」
包みから出されたのは毛糸のマフラーだった。かなり細い糸を使ったのだろうが、サイズ的には私の首にちょうどいい。
「これは、ちょっとしたおまけ。あさってはクリスマスだものね」
幽香さんはマフラーを私の首に指先で器用に巻きつける。
『あ……ありがとうございます』
私はすこし当惑してしまった。
「ふふ。これは深い意味はないのよ、別にね」
ふわり、と幽香さんの身体が離れてゆく。
「実はこの話をするかどうかはけっこう迷ったの……でもやっぱり自分に誠実でなくちゃと思ってね。健闘を祈るわ、チビさん」
そう言うと、幽香さんは小さく手を振り南の山の方へとスカートを揺らしながらふわふわと飛び去って行った。
『…………』
もしかしたら、幽香さんは現状維持でもいいかもしれないと考えはじめていたのだろうか。でも、私に関する新たな手がかりとなる情報は提供すべきだと考え直したのかもしれない。
それにしても、あの場面に幽香さんが居合わせたとは知らなかった。
私は、極限的な状況で意識が抜け出てしまったあのときの感覚を思い出していた。空間に影……なんだろう。まだ私の正体に埋められていないピースが残っているということなのか。
☆★
昼を過ぎてから、神社に突然の来訪者があった。慧音さんと、妹紅だった。
慧音さんは心なしか憔悴したような顔つきだった。
霊夢が茶の間に二人を通し、お茶を淹れてくるから、と台所に引っ込むと、慧音さんは私に向かって頭を下げて言った。
「……申し訳ありません、実はどうしてもお願いしたいことがありまして」
『改まって、どうされたんですか』
言いながら、私は妹紅の顔を見た。こちらも少し表情がこわばっている。
「わたしのほうから説明するよ、慧音」
妹紅はなだめるように慧音さんの肩に手を置いた。
「実は……このあいだ里の池で面倒かけたことがあっただろう、子どもが落ちてしまったあの件だ」
『ああ。なにかその後まずいことでも?』
「いや、そちらとは直接の関わりがない。ただ、あの日、慧音のところに紅魔館のメイドが来ていたらしいんだ。なんと言ったか、いざよい……?」
『十六夜咲夜さんだな』
「そう、それだ。ちょうどお前さんが来る直前だったようだ。それで彼女は、冬至の夜には里の人間たちに決して外出しないように警告して欲しいと慧音に言った。主人であるレミリアにそのように伝えろと命じられたらしいんだな」
『ああ、それなら前にレミィからも言われたよ。なんでも今年は冬至が満月なんだそうだな。魔力が一段と強まるそうだ』
「その通りだ。そうか、こっちにも連絡はしていたのか……」
そのあとを引き取るように慧音さんが口を開く。
「わたしは満月の夜にはワーハクタクとしての本来の姿に変身してしまうのです。この姿は里の人々には見せたことがまだありません……恐怖を与えるのは確実ですから。なので、今夜も里を離れるつもりだったのですが、そこに思い至ったとき、あの従者の冬至の夜の警告とは吸血鬼と満月に関わることではなかったかと気づいたのです」
『なるほど……』
と、台所から戻ってきた霊夢がお茶を配りながら話に加わる。
「わたしも吸血鬼に関しては詳しくは知らないけど……おそらく満月と冬至が重なるっていうところに意味があるのかもね。冬至は一年でもっとも大地が太陽から遠ざかる日。そして満月は月が太陽から遠ざかる位置。つまり陰陽の理でいえば、どちらも『陰の極み』ということになるわ。そして陰と鬼は同じ性質をもつもの……だから、吸血鬼としての力がさらに割増しになるってことね」
「だが、ただ力が大きくなるということぐらいでわざわざ警告に来るだろうか……?」
妹紅が疑問を呈すると、霊夢はそうね、とうなずき。
「もしかするとだけど、魔力がどうこうというより、自分の心を安定に保つことが難しくなると考えてるんじゃないかしら。ただ、里を襲ったりするのは取り決めに反することだし……そうしないための工夫も自分ですると思うけど。わたし、パチュリーがレミリアと一緒に住んでるってことは偶然じゃないと前から思ってたもの」
私はすこし驚いて訊いた。
『それはどういう意味だ?』
「自分の行動を抑える誰かが必要だったってことよ。自分自身で力を封じたりするのは難しいもの。魔法使いとしてのパチュリーにはそういう役割があるのかもしれない」
『なるほどな』
妖怪退治の専門家である霊夢ならではの洞察だ、と感心した。
『話を戻しましょうか……それで、慧音さんのおっしゃるお願いしたいこと、というのは?』
「今夜、できればお二人に里に出向いていただいて、一晩だけ里の守りをお願いしたいのです。吸血鬼の警告もありますが、わたし自身は満月の夜には気が立っていて冷静な行動ができる状態にあるか自信がありません……里にいてもかえって迷惑をかけるだけです」
私は霊夢の顔を見た。
「かまわないわよ。警告は必ずしも、レミリア自身に関することじゃないかもしれないし……むしろ、他の妖怪連中だってこの特別な夜に跳梁跋扈するかもしれないものね」
そこでふと、レミィ以外のもう一人の吸血鬼のことについても考えがおよんだが、ここで言うと余計に慧音さんを心配させることになりそうなのでやめておいた。
『じゃあ、私も霊夢の付録としてついていくことにしますので……』
「付録? 冗談じゃないわよ」
霊夢は私の頭を軽く叩く。
「いざとなったらきっちりと働いてもらうわ。なんのために稗田家まで行ってお札の材料もらってきたと思ってるの」
里の人々を守るためならいくらでも働こう。私は寺子屋の子供たちの顔を思い浮かべ、気を引き締めた。
~その21へ続く~