その19
十九
可愛らしいエプロンをつけた少女の姿をした人形が二体、協力しながら火バサミを器用にあやつって暖炉の中に薪炭を追加した。
炎の明るさが次第によみがえってきてテーブルに向かい合う二人の少女の姿を照らし、落ち着いた雰囲気の洋間の天井に揺れる影を映し出す。
「じゃあ、チビさんの正体は人形を経由して飛び込んできたその男性の想いだってこと?」
「うーん……そう言い切れるのかどうか、わたしには今でもよく分からないんだけどな」
魔理沙は椅子の背によりかかった格好で、アリスが器用な手つきで人形サイズの小さな外套にボタンを縫い付ける様子を見るともなしに見ている。
「ただ、いちばん初めのとき……わたしが例の蒲団をかついで来る途中で、声を聞いたような気がするんだ。『届けに行かなきゃならない』っていう」
「あら、そんなの初めて聞いたわね」
「初めて話したからな」
魔理沙は自分の眉間のあたりを指先で撫でる。
「ま、声というより気配に近い感じのものだったし……でも、いまから思えば人形を届けたいっていう思念みたいなもんを感じたのかなって」
「いずれにしても、彼がここに来た理由ははっきりしたわけね。そして今や、目的は果たされた」
「めでたしめでたし、なのか? なんだか話がすっきりし過ぎてるような……やっぱりすっきりしてないような」
「例の境界の妖怪の立ち回りかたが気にくわないとか?」
アリスは付け終えたボタンの並びを確かめるように、服をすこし手元から離して見る。
「まあな、それもある」
身体を起こした魔理沙はテーブルにひじをつき手を組んであごを乗せた。
「唐突にあの結界越えの話を持ってきたのは、あいつが急いでそうせざるを得なかった理由ってのが何かあるような気がするんだ」
「あのときは、直前に子供が池に落ちてそれを助けようとしたチビさんが頑張りすぎたっていう事件があったけど……それはとくに関係はない感じがするわね。人助けをしようとしただけだし」
「そうだなあ……」
「よし、これでできた」
アリスは完成した外套を魔理沙に見せた。
「どう? なかなか素敵でしょう」
赤に褐色のチェック模様の生地に暖かそうな襟がついている。
「うん。さすがだな……よくできてる。きっとチビも喜ぶだろう」
魔理沙は息を吐く。
「アリスが羨ましいよ。わたしもほんとは、何かあいつにしてやれることでも考えたほうがいいんだろうけどな」
「今までも十二分にしてあげてるんじゃない? わたしはそう思うわよ。結界越えでもあなたの同行は役に立ったじゃないの。霊夢ひとりならチビさんが気絶したとききっと大変だったでしょう」
「その程度じゃ借りを返せない……このあいだの無縁塚の件もあるしさ」
「縁起でもないかもしれないけど、あの無鉄砲な彼を助けなきゃならない場面はこの先いくらでもありそうだもの……そのときに返せばいいんじゃない?」
「ま、それもそうか」
魔理沙は苦笑した。
「ほんと、危なっかしいからな、あいつは」
**********
レミィがふらっと一人で神社にやってきた。結界越えの件を聞きつけたらしい。
「なるほどね……でも、こうして改めて話を聞いてみると、ずいぶんとあぶない橋を渡ったようね」
掘り炬燵に身体の半分以上を埋めた状態のレミィは、軽く前後に身体を揺すりながら言う。
『いや、まあ外の世界とはいえ言葉は通じるわけだし、住んでいるのは人だけだから……』
「わたしが言っているのはそういう意味ではないわ」
レミィは少し眉を寄せる。
「要するに話の流れとしては、その九藤という男はいわばあなたのドッペルゲンガーだったということなんでしょ。つまり、あなたが意識を失ったというその時、その男に一体化しかけていたのじゃあないの?」
思わず後ろを振り向いて台所にいるはずの霊夢の様子をうかがった。どうやらお茶の支度に集中しているようで、こちらには意識を向けていないようだ。
私は顔を戻して言った。
『……しかし、そうなれば、ある意味では私はあの肉体をもつ彼の中で、本来の自分を取り戻したのかもしれない。そもそも、ドッペルゲンガーという言葉を使うなら当てはまるのは私の方だからな』
九藤さんという男性の、彼が視た「女の子」に人形を贈ろうとした想い。それが一部「転写」される形でこの幻想郷に入り込んで今の私を形作ったのだとしたら、それはオリジナルに対する部分コピーのようなものだ。
「でも、一体化した魂があなたそのものである保証はどこにもないでしょう」
『そうだな。しかし、そこが複製としての私が本来戻るべき場所だったとも考えられる』
すると、レミィは怒ったような表情で小声で言った。
「そんなの……ダメよ」
『えっ?』
「ああ、なんでもないわ。とにかくあなたがここに来た経緯はすべて明らかになったんだし、あなた自身が何者なのかっていう議論ももうあまり意味はないわけでしょ?」
『……前に、この腕輪をパチュリーに着けてもらった後に話をしたじゃないか』
私は袖の上から左の腕にはめられた腕輪に触れた。
『傍から見れば存在感が薄い人形だからこそ、私は霊夢のそばにいられるんだと……しかし今となっては、私は一種の人外であるということが分かったわけだ。しかもその魂のオリジナルは外の世界の男性だった。これをレミィとしてはどう感じる?』
「そうねぇ」
レミィはすこし困ったような顔をした。
「でも、正直なところわたしはあなたのことを妖怪の一種だとは感じられないわ。ヒトそのものではなくても、やっぱりヒトに準じる存在だとしか思えない」
『だとしたら、なおさら問題じゃないか。人に準じる存在で、しかも中身は男だぞ』
「いいんじゃない? いっそ、あなたが博麗神社の神様になってしまうというのもそれはそれでありだと思うわ。境界に生まれた魂が人形に憑依したなら……むしろ相応しい気もするわよ」
『それはちょっとな……本物の神様に怒られるよ』
前に妹紅か誰かが似たようなことを言っていた気もするが、とてもじゃないがそんな柄じゃない。
「どっちにしても、わたし自身は違和感はないわ。それは本当よ」
『まあ妥当な存在感というわけかな……そういえば、以前ある人に言われたんだ。魂が薄いから、自我がないに等しい。だからどんな相手でも受け入れてしまうんだと。実際、的を射た意見だと思ったよ』
「ずいぶんな言われようね。そんな斬り込むような物言いはわたしでもちょっと……」
そこでレミィははっとしたような表情になった。
「……それってあの本を借りに来た日のこと?」
『そうだ』
「もしかして、妹に会ったのね?」
気づいたか。探りを入れるような言い回しになってしまったが、仕方がない。
『いろいろと参考になったよ、彼女の意見は』
レミィの表情が曇る。
「あの日、しばらくあの子が外をふらふらしてたらしいって聞いてたのよ……きっと無作法なことをしたんでしょうね。驚いたでしょう?」
『いや、もう一度会って話をしたいと思ったくらいだ。それに、自分の正体を知る上で彼女の示唆はとても役に立った。実際、感謝しているよ』
「そう。落ち着かない子だけれど……わたしに免じて許してやってちょうだい」
『そんなに気にしなくても大丈夫だ』
言わない方が良かったのかも知れないが、あの場にはアリスや魔理沙も居合わせたし、人づてに聞くよりはいいだろう。
引き戸が開き、霊夢が入ってきた。
「紅茶淹れるのなんて久しぶりだったんで、時間がかかったわ。まあ味はまったく保証できないけどね」
するとレミィがにやりとして言う。
「霊夢の血をひとたらししてもらえばきっと完璧な味になるわ」
「ヒトの血は当神社ではご提供いたしかねます」
皿に乗せたカップをレミィの前に置きながら霊夢は応じる。
「……そういえば霊夢、冬至の夜はむやみに外に出ないほうがいいわよ」
レミィはすこしまじめな顔つきになる。
「今年の冬至は満月だから、吸血鬼の魔力が最大になる」
「へえ、そうだったんだ。でもわざわざわたしにそう言うってことは当日は自重してくれるわけね?」
「それは分からないわ……妖怪は気まぐれだから。まあ正直なところ、そんな日に好き放題に暴れても割が合わないけど」
吸血鬼のお嬢様は苦笑を浮かべ、付け加えた。
「いまとなっては、ね」
**********
「まあ……白いものがちらほらと見えてきたわ。ほら、ねえ紫。雪よ」
冥界の白玉楼の主、西行寺幽々子は整えられた上品に整えられた庭に面した縁側に立って上空を見上げ、嬉しげに言う。
一方、廊下を隔てた座敷でお茶を飲んでいた八雲紫は、やれやれという感じの笑みを浮かべる。
「実はわたしはあんまり寒い冬は好きじゃないのよ……」
「でも、あなたのお陰でこの白玉楼でも四季というものが感じられるようになったのは、わたしとしては感謝しているのよ。前は本当に景色に変わり映えというものがなかったもの。空の色も青なのか灰色なのかさえ分からなかったし……」
「まあ、変化を観るのは大事ね。自分も変わりゆくものだと自覚させられるから」
「…………」
幽々子は笑顔のまますこし首をかしげ、ゆったりとした所作で座敷に戻り、座布団の上に座りなおして紫と向かい合う。
「もしかしたら、また何か悩み事?」
「わたしは悩んだことは一度もありません。変化に対しては、こちらも変化することで対処するしかないのも分かりきっているし……ただ、問題は変化には偶然と必然があるという点ね。そして困ったことに、偶然と必然の区別がつきにくいこともままあるの」
「…………」
「ふっ」
紫は笑みを浮かべたまま息を小さく吐く。
「ま、ここのところ手がけていたことが一区切りついたから、すこし冥界のぼんやりとした雰囲気を味わいたいなあと思って来ただけよ」
「つまり冥界はのんびりするにはいいところだと言っている……そう受け取っていいのかしら」
「……何事にも好意的な解釈をする者が周りから愛されやすいのは確かね」
幽々子はいまひとつ得心のいかないという表情で紫を見たが、やがて顔を廊下に向けて声を出した。
「妖夢、いる?」
すると、廊下の端にひとりの小柄な少女が現れた。その身体の近くには、彼女の半身である霊魂が浮いている。
「御用でしょうか、幽々子様」
「お茶のおかわりをふたり分持ってきて。あとね、小腹が空いたから、何か温かい食べ物を所望するわ。甘いものならなお良し」
「……かしこまりました。しばらくお待ちください」
少女が引っ込むと、幽々子は紫にふたたび眼を向けてのんびりと言う。
「力があるって、損なことが多いみたいねぇ」
「初めから損も得もない」
紫は外にちらつく雪を半ば閉じた眼から眺める。
「そういう風に在るしかないものなのよ、わたしは」
~その20へ続く~