その15
十五
私は霊夢に駅前からタクシーを使うのがいちばん早いと助言した。滝山氏に書いてもらった目的地を記した紙を渡された運転手は、とくに滞りなく市の郊外にある家の前まで二人を送り届けた。
親切にも門の表札の名前まで確認してくれた彼は、霊夢を出したお金を見るとすこし驚いたような顔をして、「伊藤博文はひさしぶりに見たねえ」と言いつつ、お釣りを返した。
タクシーが去った後、あらためて家を眺めてみると古くはあったが高い塀に囲まれていて、いわゆるお屋敷風のたたずまいだった。塀の幅から見ても、敷地の広さはそれなりにありそうだった。
隣の家もそれなりの敷地がある古い感じの家で、どうやらこの近辺はこうした大きな家を持つ人が多いらしい。
「門は開いているぜ」
魔理沙はそう言うと、そのまま中に入っていった。
『勝手に中に入るのもどうかと思うが……』
「でも門番も呼び鈴もないみたいだしねえ」
そう言うと、霊夢も魔理沙の後に続いて中に入った。
相当前に建てられたのではないかと思われる二階建ての木造家屋を囲んでいる庭は手入れをしていないとこうなるといういい見本だった。塀の内側に沿って植えられている松は枝が伸び放題で、雑木林のようになっており、その下には雑多な枯れ草が不規則に拡がっていた。本来なら鯉でも泳いでいたであろう池はどぶ川のようにどんよりとしていて、生き物の気配などまるでない。
「もしかして呼び鈴か?」
魔理沙が玄関の引き戸の脇にとりつけられているボタンを何回か押す。が、応答はない。
「二階は雨戸が開いてるし、空き家って分けじゃないと思うが……留守かな?」
私は二階の端の部屋から空調用のパイプが降りていて、まだわりと新しい感じのする室外機に接続されていることに気づいた。
『霊夢、あの機械、動いてないか? あの白い箱だ』
「……なに? ああ、あれ?」
霊夢は室外機のそばに歩み寄った。
「何か音はしてるわね。あと、風が出てる感じ」
『それは部屋の空気を入れ換えて暖めるための機械だ。その空気の管が二階の部屋につながっている。つまりあそこの部屋には暖房を使っている誰かがいるということだ』
「なるほどね……」
「何がなるほどなんだ?」
霊夢が空調のことを説明すると、魔理沙はにやりとして、コートの内ポケットから細い針金のような道具を取り出した。
「じゃあ、奥の手を使うしかないな。こういうときのためにお役に立つ魔理沙さんだぜ。チビ、文句はないだろうな?」
道義上の問題はおおいにあるが、時間制限がある以上はやむを得ない。それにダメだと言っても聞かないだろう。
『霊夢、魔理沙の前に立って、やってることが見えないようにしてくれ』
「……いいの?」
『正直、事が順調に運びすぎていて、何か罠があるような気もしないでもないが……いちおう当たりくじを引いているような気はする。霊夢はどうだ?』
「そうね……わたしもそう思う」
「やっていいんだな?」
魔理沙は霊夢の後ろに回り込む。
作業をしている気配がしていたが間もなく「終わったぜ」と軽い調子で告げた。
引き戸が静かに開かれ、私たちは建物の中へと侵入した。
☆★
玄関に入る。褐色の床とくすんだ色の壁に囲まれた薄暗い空間から、かなり年季の入った階段が急勾配で上に伸びている。
それを見上げた魔理沙が言う。
「なんだか転げ落ちそうでいやな感じだな。わたしが先に登る。霊夢は後ろからついてきてくれよ」
「……静かにね」
「分かってるぜ」
足音をたてないように上に登ってゆく。登り切ると、まっすぐに廊下が伸びていて、右側には明かり取り用の小窓がいくつかあり、左側にはくすんだ色の障子が並んでいた。障子の向こうには和室2つ分の空間があるようだったが、どちらにも人の気配はなかった。
そして、いちばん奥に褐色の引き戸があり、まるで何か罠でも仕掛けられているかのように、指数本分だけ隙間が開いていた。
二人は縦に並ぶ形で静かに廊下を進み、息を殺して中の様子をうかがった。
そこには——。
人形があった。それも、ぎっしりと。
並んでいる、というような表現ではとても追いつかないような量だった。棚、机、積み重ねられた箱の中、そして床の上。ものが置けそうなあらゆる場所がすべて人形で埋められていた。それらの周辺に散らばっているのも、人形の部品、素材、工具らしきものばかりだ。
そして、この奇妙な空間の中で人形以外のモノとしてかろうじて認識できるのは、黒っぽい画面上に動き回る奇妙な幾何学模様を表示している大型モニターとその手前に置かれたキーボード、そしてそれらを載せた専用デスクの足元に寝袋に入って眠りこけている一人の男性だった。
「こ……」
まともに言葉も出ないまま、動けないでいる霊夢の後ろから、魔理沙が軽い調子で言った。
「九藤さん、起きろよ」
「ちょっと、魔理沙!」
霊夢はびっくりして振り返る。
「こういうときは普通に声をかける方がいいんだ」
魔理沙がにやっと笑う。
「相手もその方が素直に……」
そのとき、寝袋がかすかに動いた。
ほとんど同時に、私は全身をなにかに引っ張られるような、奇妙な感覚に襲われた。
**********
誰かの声が聞こえた。女の子の声?
「どうしたんだ?」
「きゅ、急にいなくなっちゃったの……」
「いなくなったって、どういうことだよ?」
「わたしにだって……」
腕を伸ばし、眼鏡を探した。あった。
もう一方の手で寝袋を開いて、上半身を少し起こし、眼鏡をかけた。
すると驚いたことに、目の前に女の子がいた。しかも、二人だ。
だが、もっと衝撃的なことに気づいた。黒髪の女の子が手にしている人形。あれは。
私は一気に身体を起こした。その拍子に棚から人形が何体か落ちてきた。
「その人形! それを一体、どこで!」
立ち上がろうとして、前のめりになりそうになり、両手をつく。さらにまわりの人形がガタガタと音を立てて転げ回る。眼鏡が落ちそうになり、あわてて顔に押し戻した。
女の子たちは私を見つめ、身体を寄せ合ったまま口元を引きつらせている。
私は息を吐いた。
「いや、すまない……というか、順番にいこう。君たちはいったい誰だい?」
〜その16へ続く〜