その13
十三
数日後の早朝、私と霊夢は魔理沙とともに博麗神社の拝殿の前にいた。
魔理沙の同行に関しては紫さんはあっさり承知し、ただし髪の毛を染めることを条件とした。金髪のままでは目立ちすぎるということだった。
服装もあらかじめ用意された。霊夢はいつもは後ろでまとめている髪を下ろし、セーターの上にダウンジャケット、下はジーンズをはいている。一方、魔理沙はグレーの厚手のコートをを着こみ、頭には同系色のニット帽を被っていた。髪が濃い褐色に染められているので、別人のようだった。
空は晴れているが、空気はだいぶ冷えている。多少風もあるので二人とも少し寒そうな表情だ。
「紫がよこしたこの服、保護色って感じだぜ。外の世界には、女の子をとって食おうとするようなやつがうようよいるのか?」
ある意味では当たっている。いつもの格好のままで街中に出て行ったら、人だかりはできないまでも視線が集中するのは避けられないだろう。
「はっきりした色を好まない人が多いのかもね。特別な人だけが色のついた服を着るのかも」
霊夢も文句があるというほどではないにしても違和感はあるらしい。
『おそらく紫さんは二人が社会人に見えるような服を選んでくれたんだよ』
「シャカイジン? なんだそれは。職業の一種か?」
魔理沙がニット帽からはみ出る前髪を左右に分けながら訊く。
『何かの職業について自活している人を指す言葉だ。簡単にいえば大人だということさ』
「わたしはすでに大人だぜ」
むっとしたような顔をする。
『ふだん魔理沙が着ているような服を外の世界の大人が着ている可能性は低いんだよ。見た目で怪しまれては行動しづらい。周りは知らない人たちばかりなんだからな』
と、いきなり眼の前に白い帽子を被った紫さんの顔が現れた。
「相変わらずチビちゃんが的確な解説をつけてくれるので助かるわ」
『おはようございます、紫さん』
「おはようございます。あなたは本当にいつも礼儀正しい人ねぇ」
全身を空間の裂け目から出して石畳の上に降り立った紫さんは優雅に微笑む。今日の彼女は大人バージョンだ。
『単なる習慣ですよ』
「妖怪にきちんと挨拶する人なんて滅多にいないわ。そこの二人を見れば分かると思うけど」
「前触れもなしに出てくるような奴に挨拶するほど人間が出来てないぜ」
魔理沙はなぜか胸を張る。さっきはすでに大人だとか言っていたのに。
「むしろあんたにとっては礼儀正しくされるとかえって困るんじゃないの? 一種の言祝ぎだものね」
と霊夢が真顔で言う。なるほど、そういう見方もあるわけだ。
紫さんはそれには答えず、私の服を見て言う。
「そういえば、そのチビちゃんの服は最初に着ていたという巫女服ね?」
「そうよ。手がかりを探すからには、元の通りの服がいいと思ったから」
霊夢が答える。
「では、気づいてくれたご褒美にこれを差し上げます」
紫さんは霊夢に封筒を手渡す。中身を見た霊夢は首をかしげる。
「何これ……にほんぎんこうけん?」
「日本銀行券は日本の中央銀行が発行している正式な貨幣。外の世界ではこれがないと何もできないから。小銭も入ってます」
「外の世界の金か?」
魔理沙が驚いたように紫さんを見る。
「あとで返せなんて言わないだろうな?」
大人の発言とはとても思えない。
「余ったら返してもらうわ。幻想郷では役に立たない物ですからね。あと、あなたにはこれ」
紫さんは手提げの紙袋を渡す。
「中にも何枚か同じようなものが入ってるわ。荷物が増えたら使いなさい。これは外の世界の店が買い物客にくれる袋なの。こういうものを持ってると、案外それらしく見えるから」
「ふうん」
魔理沙はあまり意味が分からない様子だが、私から見ると用意周到としか言いようがない。
「さて、そろそろ出かける時間ですよ」
紫さんは、石畳の向こうの鳥居を指さす。
「あの鳥居の中央に通路を作ります。今日の日の入りまでに戻ってきて頂戴。半日で得られる情報は限りがあるかもしれないけど、不十分ならまた後日考えましょう」
「向こう側の入り口にはなにか目印があるの?」
霊夢が訊くと、紫さんは答えた。
「見かけは違うけど鳥居があります。正午を過ぎてからそこに入れば戻って来られるわ」
私たちは鳥居の中央に向った。
「気をつけてね」
紫さんの声に、私が振り返って会釈しようとしたそのとき、ふっといきなり「画面」が切り替わった。
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「うおっ!」
魔理沙が叫び声を上げ、小さく後ずさって周囲を見回す。同じ山中ではあったが、一瞬前とは明らかに違った風景が広がっていた。眼下に広がる緑色の裾野の向こうには白っぽい建物の群れが見える。幻想郷の人里にはあり得ない、近代的な街の造型だ。
「やけにあっさり出たわね……え、なに?」
霊夢は胸に抱いていてたチビ霊夢の器である人形を見る。
「ああ……そうか、動けないんだものね」
そう言うと、人形の首を回して正面に向ける。
「眼は視えるの? ……そう、じゃあ周りの様子は分かるわけね」
「霊夢、何ぶつぶつ言ってるんだ?」
魔理沙が不審そうな顔をする。
「……やっぱりチビの声はわたしにしか聞こえないみたい」
「そうなのか? もしかして直かに触ると聞こえるのかな。チビ、何かしゃべってみろよ」
そう言って、魔理沙は人形の頬に手を触れるが、やがて諦めたように手を離した。
「わたしには聞こえないな。ちぇっ」
「……わたしと魔理沙の両方に声が聞こえると、人形と話ができるっていう事実を共有してしまうからだろうって。それはこの世界の常識に反するのよ」
「霊夢とだけならいいのか」
「傍からはわたしが独り言を言ってるようにしか見えないから、それは問題ないのよ」
「不自由なんだな、外の世界は。ところで、ここもいちおう神社なのか?」
「そのようね。神社というより廃屋って感じだけど。でも、たぶんこれがこちらの世界の博麗神社ということみたいね」
霊夢は少し痛ましいものを見るような表情で森に囲まれた小さな境内の正面奥にある枯れ果てたような拝殿を見つめる。全体の大きさは四メートル四方もあるかないかという所だ。建物としての形はなんとか保っているものの、壁はあちこち破れ、銅葺きの屋根も腐食が進んでいる。
「せっかくだから今日の旅の無事を願って参拝しようぜ」
魔理沙の言葉に、霊夢はすこし意外そうな顔をする。
「あら、魔理沙にしてはずいぶん殊勝なことを言うのね」
「修行嫌いの巫女に言われたくないな」
拝殿に参拝したあと、二人は神社の境内から出て道を降り始めた。道といっても土が踏み固められたような跡がかろうじてつながっている、その程度のものでしかない。だが二人はとくにためらいのない足取りで降りてゆく。
「しかし、街までずっと歩いて行くのか? ちょっとしんどそうだな」
「……広い道に出れば、何か乗り物が見つかるかもしれないって」
しばらく降りると、舗装された道に出た。そして、すぐそばにバス停留所の標識があった。二メートルほどの高さでオレンジ色の円板と長方形の時刻表示板が取り付けられている。
「これは前に見たことがあるな。たいていは横倒しになって転がってるんだが」
円板の名称表示には「上坂下」とレタリングで書かれていた。
「……ここに乗合バスとかいうのが決められた時刻に来るんだそうよ。それに乗ればたぶん街のほうまで出られるんじゃないかって」
霊夢は標識を見ながら言う。
「魔理沙、あなた霖之助さんから時計を借りたって言ってたわよね?」
「ああ、持ってきた。自動巻きだとかいう小さい奴だ。数字もろくについてないショボイやつだけど」
魔理沙はポケットから男物の腕時計を取り出した。
「七時三十分ちょい過ぎだぜ」
「ちょうど七時三十七分というのがあるみたい。それに乗って行きましょう」
魔理沙が眉を寄せる。
「なんだか、あらかじめ作られた予定に沿った行動をとらされてるような気がしないでもないな」
「別にかまわないわよ。紫に何か思惑があるんならこちらも相応のやりかたがあるわ」
霊夢は薄く笑みを浮かべる。
やがて、道の向こう側から古ぼけた感じのバスの車両がやって来て、エアブレーキの排気音を響かせながら、停留所に止まった。そして少女たちを乗り込ませると、ドアを閉じてエンジンの音を残しつつ坂道を街へ向かって下り始めた。
~その14へ続く~